作品タイトル不明
141.王子様がやってきました
離宮へと帰った私は、さっそく陛下へと一報を入れた。
先ほどウィルダム翼皇国の軍人は逃げ出したが、あの一件について、自分に都合のいいよう上官に話をする可能性が高かった。
そして上官が、こちらの国へと抗議してくるかもしれない。
杞憂で終わればいいけれど、陛下と情報を共有し、用心しておくに越したことはない。
予想外のトラブルに巻き込まれた翌日。
私はこの件について話がしたいと、陛下に王城へと呼ばれることになった。
「よく来てくれた、レティーシア。昨日の一件だが、逃げた犬の飼い主からこちらへ連絡があった」
手短な挨拶の後、時間を惜しむようにすぐさま本題を切り出す陛下。
予想外のお言葉を受け、私は素早く思考を巡らせた。
ただの平民が、この短期間で陛下に連絡を取るのは不可能だ。
「昨日、小型犬に逃げられた獣人の男性は、服装や振る舞いからして平民のように見えましたが……。彼は飼い主では無かった、ということでしょうか?」
この国では、犬の散歩を主人に代わり行う仕事があった。
伴獣である愛犬を大切にする獣人だが、自分で全ての世話をおこなうのが難しい人もいる。
そんな人たちは、金銭を払い愛犬を預け散歩を代行してもらっていた。
世間一般に認められた、そこまで珍しくもない行為なのだ。
王城の敷地内で働くエドガー達狼番だって、それと似たようなものだった。
狼たちの正式な飼い主は王族、すなわち陛下なのである。
狼番は多忙な陛下に代わって、狼の面倒をみる仕事なのだ、
「当たりだ。おまえが会った獣人の男性は、ニーディア伯爵家の夫人から、愛犬の散歩を任されていたようだ」
ニーディア伯爵家は、それなりの影響力を持つ家だ。
成立は、ヴォルフヴァルト王国が今の形になるずっと前まで遡れる。
ヴォルフヴァルト王国は、五つの小国が集まり百年ほど前にできた国だ。
ニーディア伯爵家は小国のうち中央の一国で、数百年前に伯爵家として認められている。
長い歴史を持ち、下手な公爵家や侯爵家より強い影響力を持っていた。
そんなニーディア伯爵家であれば、陛下に連絡をとることも可能のようだ。
「ニーディア伯爵夫人は確か、かなりの愛犬家ですわよね? 溺愛と言っていい程、伴獣である犬を可愛がっていると人づてに聞いていますわ」
「噂は本当だ。獣人は伴獣を家族同然に扱うが、獣人の中でもニーディア伯爵夫人の愛犬家っぷりはかなりのものだ」
「なるほど。だとしたら少し、厄介なことになりそうですね」
愛犬の逃走を嘆いたニーディア伯爵夫人は、元凶である人物に激怒するに違いない。
前世で柴犬のジローを可愛がっていた私には、その気持ちがよくわかった。
「ニーディア伯爵夫人の怒りはかなりのもののようだ。もしこのまま愛犬が死んだり見つからなかった時は、ウィルダム翼皇国の天馬騎士を許さないと言っている」
「……外交問題になりますわね」
陛下が無言で頷く。
頭の痛い問題だった。
「十日間。それがニーディア伯爵夫人が待つ時間だ。それまでに愛犬が無事に戻ってこなければ、正式にウィルダム翼皇国に抗議し賠償を求めるつもりのようだ」
「十日間、ですか。急がなくては――――」
私の言葉の途中、謁見の間の扉が鳴らされた。
珍しい。
よほどのことが無ければ、謁見中にノックがされることはないはずだ。
「入れ。何事だ?」
陛下の許可が出た途端、文官が入室してきた。
「ウィルダム翼皇国です。あちらの使者がやってきて、陛下に謁見を求めています」
「予定より早いな。王城に到着するのは二日後になると聞いている」
「なにやらすぐに、陛下に申し上げたい事柄があるそうです」
「……わかった。出迎えよう」
ちらとこちらを見る陛下に、私は小さく頷いた。
「ちょうどいい。レティーシアもいるからな」
「承知いたしました。陛下と王妃であるレティーシア様。お二人が出迎えれば、向こうも文句はつけられないですものね」
文官が納得すると、さっそく謁見の手配をしていったのだった。
◇ ◇ ◇
間もなく、ウィルダム翼皇国の使者が謁見の間へとやってきた。
人数はざっと十名ほど。
中には予想通りと言うべきか、昨日王都で天馬を飛ばそうとしていた高慢な軍人もいた。
使者たちの先頭に立つのは美しい黒髪の青年だ。
年齢は私と同じか、一、二歳上のように見える。
艶やかな黒髪に切れ長のカッパーの瞳、すっと通った高い鼻筋。
鋭くも気品を感じさせる、美しい顔立ちをしている。
よく磨き上げられた、優美な剣を思わせる容姿だった。
青年は金糸銀糸で刺繍の施されたジャストコールの上に、黒のマントを羽織っている。
華やかで豪奢な服装は、青年が使者のトップであり王族であることを示していた。
「貴殿が、ウィルダム翼皇国の皇太子エルネストだな? どうやらずいぶんと、私への謁見を急いでいたようだな」
陛下の横に立ち、私はエルネスト殿下を観察した。
氷の美貌の陛下にも臆すことなく、鋭い笑みを浮かべている。
「そうだ。俺が皇太子エルネストであり、今回の使者団の責任者を務めている人間だ。昨日、使者団の騎士が貴国の人間に害されそうになったと聞き、抗議をするためにやってきた」
「我が国の人間が危害を?」
陛下の問いかけに、昨日天馬に乗っていた軍人が進み出た。
「被害を受けたのは私、テオドール・マクシュミリスです。先遣隊として王都を歩いていたところ、住人に犬をけしかけられ怒鳴られ、暴力を振るわれました」
いけしゃあしゃあと軍人、テオドールがのたまった。
不都合な事実は伏せ、さも自分が、純粋な被害者であるかのよう振る舞っている。
「暴力を? おまえには、怪我はどこにも見受けられないが?」
「日ごろの鍛錬のおかげで、直接攻撃を受けることは避けられました。地にしがみつくしか能がない人間と違い、私は天馬騎士ですから」
被害者を演じながらも、テオドールの高慢さは健在だった。
一国の王である陛下を前にしても、言葉の節々に傲慢さが滲みだしている。
天馬を駆る騎士たちは物理的に、そして精神的にも、他の人間を見下すことが多いらしい。
目の前のテオドールはどうも、その典型例のようだった。
「更には、天馬騎士である私に対し、魔術による水を攻撃を加えようとした小娘もいました」
その小娘は私です。
お忍び中は茶色のカツラを被りヴェール付きの帽子を被っていたので、顔を合わせても同一人物だと気づかないようだ。
「小娘の魔術は付け焼刃のようで狙いが甘く、こちらに直撃することこそありませんでしたが、攻撃を向けられたことに変わりはありません。貴国にはあの小娘と犬の飼い主へと、しかるべき罰を与える義務がある」
「……その小娘を、探し出せというのだな?」
陛下が問いかけると、テオドールは小さく鼻を鳴らした。
「最低でもあの小娘には、数年の投獄と罰金が必要です。貴国の体面を慮って、極刑までは望まないでおきましょう」
「ずいぶんと自分勝手な言い分ですね」
品を損なわない範囲で、皮肉気な苦笑を浮かべてみせた。
テオドールは癇に障ったのか、眉をひそめているようだ。
「貴女様があのお飾りの……。いえ失礼、黄昏の王国より嫁いでらっしゃった王妃様ですね」
途中でわざとらしく声を詰まらせるテオドール。
が、その後に続いた言葉も、決していい意味のものではなかった。
黄昏の王国。
最盛期より千年以上が過ぎ、領土と権勢を削られていく一方の私の祖国、エルトリア王国に付けられた不名誉なあだ名だ。
テオドールは私のことをお飾りの王妃と見下し、ろくに敬う気は無いようだった。
「王妃様にはおわかりにならないかもしれませんが、治安を保つために、罪には相応の罰が必要なのですよ」
「相応の罰? 人々を冷静にさせるために、誰もいない石畳へと魔術で水を降らせた相手に、どんな罰を求めるというのですか?」
「私に水が直撃しなかったのはただの偶然です。小娘の魔術の腕が悪く、狙いを外しただけですよ」
「……そうですか。魔術の腕が悪かったせいですか」
「っ⁉」
私が浮かべた、お父様譲りの威圧感たっぷりの笑顔に、テオドールが硬直している。
「ちょうどいいですわ。そのまま動かないでくださいね?」
警告し、素早く呪文を唱える。
ばしゃん。
テオドールのすぐ横へ、一塊の水が落ち滴を跳ねさせた。
「なっ⁉ いきなり何をするんだ⁉」
驚きわめくテオドールへと、私は冷めた瞳を向けた。
「魔術の腕を疑われたので、実践してみせただけです」
「何をわけのわからないことを! いきなり嫌がら、せ、を……」
テオドールが唇を震わせ、じっと私の顔を凝視している。
「昨日の、小娘……?」
「そうです。私が昨日の小娘ですわ」
「なっ……!」
ようやく気付いたらしきテオドールが、はくはくと口を開閉している。
「そんなことっ……」
「まだ信じられませんか? でしたら風の魔術も、この場で使って見せましょうか?」
「……っ」
テオドールは昨日私が使った魔術のうち、水しかこの場で説明していなかった。
なのに私が風の魔術についても言及したことで、いよいよ私が、昨日の小娘だと認めざるを得なくなったようだ。
「テオドール、あなたは自分に都合のいいように事実を捻じ曲げています。あなたは小型犬を脅すため、街中では禁じられている天馬の飛行を行わせたでしょう?」
「あ、れはっ……! 先に小型犬が吠え掛かってきたからで……!」
「小型犬はリードに繋がれていました。にも拘らず、禁じられている天馬の飛行までして驚かすのはやりすぎです」
「で、ですがっ……」
「しかもその後、仲裁を試みた私をあざ笑うように、獣人を『獣まじり』と罵り煽り、またもや天馬を飛ばそうとしたでしょう? 一連の流れについては、何人も目撃者がいますわ」
「っ……」
言い返せず黙り込むテオドール。
しかし非を認め謝る気は無いようで、目元を歪ませこちらを睨みつけている。
「テオドール、おまえは下がっておけ」
冷ややかな表情でエルネスト殿下が告げ、皮肉をまぶした笑みを私へと向けてきた。
「テオドールが驚くのも当然だ。まさか王妃のおまえが、ただの小娘と間違えられる姿で街を歩いていたととはな」
「お褒めにあずかりありがとうございます」
にこやかに笑みを作り言葉を返してやる。
「耳が悪いのか?」
「それだけ、お忍び中の私の変装が上手かったということでしょう?」
「王妃としての気品が足りていなかっただけじゃないか?」
「気品とは何かを真に理解しているからこそ、余人には簡単に正体がわからぬよう、気品を抑え変装することができただけですわ」
まぁ実際は、小市民だった前世の立ち振る舞いを思い出して、平民になりきる演技と変装に役立てていたわけだけど。
真実を教える義理も無いので、それらしいことを言い返しておいた。
ただでさえ、テオドールらには舐められているのだ。
これ以上下に見られないよう、舌戦で負けるわけにはいかなかった。
揺らがずエルネスト殿下を見ていると、カッパーの瞳が細められる。
「ずいぶんと、よく動く舌を持っているようだな。まぁいい。おまえが昨日の騒動の当事者の、一人であることは認めるとしよう。だが、目撃者の証言については当てにならないな。テオドールはこの国の人間ではない。騒動の野次馬達が自国の住人を庇うため、テオドールに不利な証言をしているかもしれないだろう?」
そう言われては否定するのは難しかった。
見た見なかった、聞いた聞かなかったの水掛け論になってしまう。
「確かにそうかもしれません。ですが、それはそちらも同じことでしょう? テオドールは自分の罪を誤魔化すため、都合のいいことだけを言っているかもしれず、証言の信憑性は怪しいですわ」
つまり、どっちもどっちだった。
エルネスト殿下もそれがわかっているのか反論しなかったが、テオドールは相変わらず、こちらを憎々しげに見ている。
彼にとって、私が小娘呼ばわりしていた相手の正体だったのは完全に誤算だ。
テオドールはウィルダム翼皇国の名家、三翼家と呼ばれるうちの一つ、マクシュミリス公爵家の出身だった。
公爵家のテオドールの主張と、平民である野次馬達の証言。
両者の言い分が対立した時、公爵家の出である自分が優先されるだろうと、テオドールはそろばんを弾いていたはずだ。
しかしその目論見は、あの場にいあわせた小娘が、王妃である私だったことで潰えてしまった。
テオドールは完全に私のことを、逆恨みしてしまったようだ。
向けられる恨みがましい視線を無視していると、陛下が口を開いた。
「テオドール、他に言いたいことはあるのか? もちろん、おまえの証言だけではなく、確たる証拠が伴っている事柄に限るが」
「……ありません」
苦虫を噛み潰したようなテオドールから、エルネスト殿下へと陛下は視線を向けた。
「皇太子であり使者団の頭である貴殿も、我が国との関係を悪化させることは望んでいないはずだろう?」
「そちらが引くというなら、こちらも深追いしないでおこう」
言い方こそ相変わらずの上から目線だが、エルネスト殿下もこの件について引っ張るつもりはないようだ。
まだ不満げなテオドールへ鋭い一瞥を向け抑えると、陛下へと向き直った。
「今回の訪問は、両国の親交を深めるためのものだ。だからこそ我が国の誇る、天馬騎士を十人以上連れてきてやった。空を制す我らの勇姿を、貴国に存分に教えてやるつもりだ。そこの王妃ともども、楽しみに待っていろ」
まるで宣戦を布告するように。
自信たっぷりに挑むように、宣言したエルネスト殿下なのだった。