軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ひなたの初ダンジョン

E-ランクダンジョン「緑の牙」の入口に立ったとき、天野ひなたは最初の一言でこう言った。

「もっと暗いと思ってました!」

「照明用の魔石が設置されている。管理型のダンジョンはだいたいこうだ」

「なるほど! じゃあ本番っぽい感じはないんですね?」

「E-ランクはそういうもんだ。今日は戦わせながらお前の動きを見る。指示に従え。突っ込むな」

「わかりました師匠!」

「まだ師匠じゃない」

入口の段差を越えた瞬間、ひなたが盛大にすっ転んだ。

「ぶっ!」

石畳に両手をついた音がホール全体に響いた。俺は振り返った。ひなたは顔を真っ赤にしながら立ち上がりかけ、大きすぎるアーマーの胸当てが引っかかって再び前のめりになった。

「アーマーを直せ」

「は、はい。ちょっとすみません……!」

「なんでそのサイズにした」

「安かったので……」

「次は必ず試着してから買え」

「はい……」

俺は《構造透視》を起動しながら前進した。ひなたがばたばたと後ろをついてくる気配がする。足音が大きい。

「足音を抑えろ」

「え? でも《加速》使ったほうが速くないですか?」

「今は使うな。素の動きを見る」

「わかりました!」

第一区画。通路幅は三メートル、高さ二メートル半。《構造透視》のマップには前方八十メートルにスライムが三体。脅威度はゼロに近い。

「前方に敵。三体のスライム。十時方向に一体、正面に二体。まず十時の一体を狙え」

「了解です!」

ひなたが《加速》を発動した。空気が変わる。スキルが起動した瞬間、彼女の輪郭がわずかにぶれた。

そのまま飛び込んだ。

速い。Dランクとは思えない踏み込みだった。問題はその後だ。

スライムとの距離を三メートルに詰めたところで、足元の石畳の継ぎ目に爪先が引っかかった。

「あっ」

つんのめった勢いのまま短剣を突き出したので、ひなたはスライムの真上に落下しながら刺突を叩き込むという謎の体勢でスライムを倒した。

「やった!」

「……倒したのは認める」

「師匠、見ましたか!? 一撃でした!」

「見てた。危ない」

「でも倒せました!」

「次、正面の二体。今度は足元を見ながら動け」

ひなたが頷いて、再び《加速》を発動した。

今度は足元を確認しながら、しかし速度は落とさずに踏み込んでいく。さっきとは明らかに違う。修正の速度が異常に早い。

指摘したことをその場で吸収している。

スライム二体を連続で仕留めて、ひなたは振り返った。アーマーがずれていて、左肩の金具が外れかかっている。

「三体、倒しました!」

「ああ」

「合格ですか?」

「まだ分からない。続けるぞ」

第二区画まで進んだ時点で、俺はひなたの動きのパターンを概ね把握した。

判断が遅い。瞬発力はあるが、状況を整理してから動こうとするのでコンマ数秒ロスが生まれる。ただし一度動き出したら修正が早く、戦闘中に自分の失敗から学ぶ速度は相当なものだ。

それと、《加速》の出力が一定じゃない。

集中しているときと、していないときで、体感で三割ほど差がある。本人は気づいていないらしく、「さっきより速かったですか?」と聞いてくる。

「波がある。自分でわかるか」

「え? そうですか?」

「出力が一定じゃない。感情が乗ると落ちる」

「感情……?」

「焦ったり、喜んだりすると落ちる。落ち着いた状態の方が出力が高い」

ひなたは黙って考え込んだ。珍しく静かだと思っていると、不意に顔を上げた。

「それって《加速》の対象が広がっても同じですか?」

「広がる、というのは」

「自分じゃなくて、触れてるものに使う場合です」

「……試したことはあるのか」

「一回だけ。訓練所で木の棒を加速させてみたら、一瞬でしたけど出ました。ちゃんと加速した感触がありました」

「どれくらいの速度だった」

「すごく、速かったです。棒が手から吹っ飛んで、訓練所の壁を突き抜けたので」

「……訓練所の壁を」

「壁、薄かったんだと思います」

「それ以来試していないのか」

「こわくて。人に向けたら死んじゃうかなって」

俺は少し黙ってから、先を促した。

「可能性を潰すな。制御できれば一番強いスキルになる」

「師匠はそう思いますか?」

「俺が弱点を見つける。お前が速度を乗せる」

「……コンビ、みたいな?」

「かもしれない」

ひなたがぱっと表情を明るくした。

「絶対、制御できるようにします!」

第三区画まで抜けたところで、ひなたが段差でまたつまずいた。前のめりになった体がそのまま俺の背中に激突した。

「わっ」「うわっ」

二人まとめて石畳に転がった。

しばらくの沈黙。

「……大丈夫か」

「だ、大丈夫です、すみません……!」

「アーマーを直せ」

「は、はい、あの、胸当ての金具が……」

「それ以上言わなくていい」

「は、はい……!」

帰り道、俺は試用期間を継続することにした決定を伝えた。

「正直に言う。荒削りだ。隙が多い。判断も遅い。ただ、伸びしろはある。《加速》の可能性も含めて、もう一週間見る」

ヴァンガードにいた頃、俺は一度も誰かに「伸びしろがある」と言ったことがなかった。そういう役割じゃなかった。今は違う。

「ありがとうございます! 絶対に期待を裏切りません!」

「裏切るな」

「師匠!」

「まだ師匠じゃない」

「絶対師匠です!」

「……好きにしろ」

ギルドへ戻る道を歩きながら、ひなたが突然振り返った。

「ねえ師匠」

「何だ」

「あの受付のお姉さん——九条さんって言うんですよね。師匠のこと、好きですよね?」

足が止まった。

「何を言ってる」

「だって、今日ダンジョン入る前に、お姉さんがわたしに言ったんです。『彼の判断には従いなさい。彼は信頼できます』って」

「それの何が——」

「顔、笑ってなかったですよ。声は普通でしたけど、目が全然笑ってなかった」

「……お前、それが好きの証拠に見えるのか」

「心配してる人の目でした」

俺は何も言えなかった。ダンジョン入りの前、凛花の顔を思い返した。確かに笑っていなかった。そこまで気が回っていなかった自分が、少し情けなかった。

「師匠には分からないんですか?」

「……歩け」

「あ、逃げた」

「逃げてない。歩け」

ひなたはくすくす笑いながら、俺の隣に並んで歩いた。

明日、九条凛花と話す機会があれば——何かを聞こうとして、俺はその思考を打ち切った。まだ、その場面じゃない。