軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

湯けむりの夜と、朝の食卓

ハーブティーを飲みながら、陛下は満ち足りたように深く息を吐いた。

「……良いものだな。贅の限りを尽くした宴より、こういう食事のほうが腹が満たされる」

そう笑った顔は、玉座の支配者ではなく、ただ娘の家に遊びに来た父親そのものだった。

「では、少し湯にでも浸かりますか」

陛下の要望で後回しにはなったが、うちは飯の前に風呂が平常なのだ。昼間に汗もかいているし、後回しでも入っておきたい。

俺が促すと、陛下はぱちりと瞬きをしてから、破顔した。

「おお、ここにはそんなものまであるのか!」

普通はこんな森の奥に入浴施設があるとは思わないよな。

「ええ。疲れも取れますし、旅路の汗も流せます。ただ……」

「ただ?」

「私もご一緒いたします。おそらく陛下には不要かと存じますが、ここは〝黒の森〟ですので」

「ふむ、護衛か。面白い鍛冶屋だな。断る理由もないし、良いぞ」

というわけで、俺と陛下は連れ立って温泉へと向かった。月明かりに照らされた小道は静まり返り、夜風が枝葉を揺らす音だけが耳に届く。

「うちは北方式でして」

「ふむ」

陛下は俺の案内に素直に従い、下足入れに履物を入れ、脱衣所で服を脱いだ。

普通に考えれば一国の主がして良い行動ではない。今の陛下は文字通りの裸一貫で丸腰だ。

それだけ俺のことを信用してくれているのだと思っておこう。

俺と陛下は「北方式」にかけ湯をし、陛下は勢いよく湯船に浸かる。

「ふぅ……これは見事だ。湯は熱すぎず、森の風は涼しい。宮殿の浴堂よりも贅沢ではないか」

「気に入っていただけたなら何よりです」

俺も湯に身を沈める。芯まで染みる熱が、日中の汗を洗い流してくれる。

しばらくの間、俺も陛下も黙って湯を楽しんでいたが、やがて陛下がぽつりと呟いた。

「ここは、思いのほか良いところだな」

「と、言いますと?」

「森の匂いがある。人の営みが自然に溶けている。帝都では、どうしても石と鉄の匂いばかりになる」

遠い目をした横顔に、俺は言葉を挟まなかった。

剣を打って欲しい直接の理由は語らない。けれど、わざわざここまで来た理由の半分は、こうした「空気」を確かめたかったのではないかと思えた。

やがて湯から上がり、月明かりを浴びながら拭い終えると、陛下は大きく伸びをした。

「よい夜だった」

「もちろんです。本日は客室にお通ししますね」

「うむ」

家に戻ると、客室が整えられていた。ディアナが気を利かせて支度してくれたらしい。

「おやすみなさいませ、陛下」

「……ああ」

軽く会釈をしてベッドに身を横たえると、陛下はあっという間に寝息を立てた。

その大胆さに苦笑しつつ、俺も自室へ戻った。今日はなんだか一日が長かった気がするな。

翌朝。

いつもの通りに水を汲みに行く。もしかすると陛下が起きてくるかもと思ったが、そんなことはなく、娘たちの様子もいつも通りで、普通に水汲みを終えた。

家に戻っても家族の様子も基本的にはいつも通りで、もしかして陛下がいたというのは幻だったのでは、とさえ思える。

しかし、いつも通りではない家族が一人いた。アンネである。

彼女は普段、いつも最後に起きてくる。起きては来るが起きてるのか寝てるのかいまいち分からない状態なのが常なのだが、今日は起き抜けからシャンとしている。

帝国にいるときのアンネはこうなんだろうなぁ。

そのアンネは、ダイニングに陛下がいないと見て取ると、客室に声をかける。

「おはようございます、お父様」

「おう、そんな時間か」

起き抜けとは思えない朗らかな声が聞こえ、陛下が姿を見せる。

「思いの外深く眠ってしまったな」

そう言って、豪快な笑い声を響かせた。

今日の朝食はあまり豪華にせず、いつもどおりの無発酵パンと野菜と干し肉のスープだ。

スープはいつもよりもほんの僅かに肉の量を増やしてある。

陛下がいるし、せっかくなので娘たちと朝食を取ろうと

「ほう、この森の朝はこうなのか。実に健やかだ」

席に着いた陛下は、早速スープを口に運ぶ。

「うむ、旨い。帝都の料理人は香辛料を多く使うが、これは素材の味が前に出ている」

「ここでも使うことはありますが、街よりも少ないと思いますよ」

アンネが静かに答える。

「なるほど。帝国では香りで豪華さを示すが、こちらは力を養う食だな。……どちらも良い」

マリベルは小さなパンを一生懸命に食べている。一生懸命だが、必死ではない。ニコニコと幸せそうだ。

その姿を見て、陛下も笑みを浮かべていた。

「こうして並ぶと……宮廷の朝食より心が満ちるな」

「それは褒め言葉と受け取ってよろしいのでしょうか」

「もちろんだ、鍛冶屋殿」

食卓を囲む時間は、帝国と王国の差を超えて、ただの家族の団欒にしか見えないだろうな。

そう思い、俺はスープの最後を飲み干した。