作品タイトル不明
#. なすべきでないこと
まだ暗い色が残る、しかし物を認識するには問題のない薄青い寝室。
淡々と続いたプリシラの答えを聞いたリュエンが、呆然と唇をわなわなと震わせた。伏せられていた目が次第に大きく見開かれ……。
「……っ!!!」
弾かれたようにプリシラから遠ざかるリュエンの姿は、普段とは違ってあまりにも無防備だ。
自分のした行動が信じられないのか、大きく見開かれた目で自分の手を見つめた。無防備さを通り越し、異様にすら感じられる過剰な反応だった。
「リュエン? なぜそんなに驚くの? 大丈夫?」
プリシラがいぶかしげな顔で問い返すと、リュエンは今にも涙を溢れさせそうな表情を浮かべた。
そして、すぐに目を合わせる資格すら無いとでも言うように項垂れ、うつむいた。
「す、すまない。夢だと思ったのだ。誓ってそなたを蔑ろにするつもりはなかった」
「リュエン。大丈夫よ」
「許してくれ。いや、許さないでくれ。本当にすまない。そなたは私を信じてくれたのに……私は何ということを……」
頭の中が複雑に絡み合っていく。プリシラはリュエンの傍にいてやると言った。
抱きしめて慰め、彼が望むすべてをしてやる、と。しかし、だからといってリュエンが彼女に手を伸ばして良いはずがなかった。
血に塗れた彼の手が彼女を奪ってはならないのだ。彼女の抱擁をありがたく思い、それ以上を望むなど、決してあってはならぬことなのに。
「リュエン。私は何ともないわ。大丈夫だから」
「いや、駄目だ。これではいけない。すまない、プリシラ。私ごときが不遜にもそなたを汚そうと……」
「リュエン。そこまで」
必要以上の自責にプリシラが断固として応じると、続いていた自責の言葉がピタリと途切れた。
さっきまではぴったりと寄り添い温もりを交わしていたのに、言葉と同じくらい遠ざかった距離に、体に冷たい冷気が染み込んできた。
「あなたがどれほど大きな罪悪感を抱いているかはよく分かっているわ。辛いでしょうね。でも、リュエン。私にだけは、そんなこと言わないでほしいの」
「プリシラ。私は……」
「リュエン。あなたは罪を犯したし、贖罪すべきなのは確かよ。けれど、あなたがすべての罪を背負って自責する必要はないわ」
遠ざかった距離の分だけ、プリシラがリュエンへと近づいた。
慎重に彼の頬へと手を添えると、多紅色の瞳が彼女へと向けられた。
「私はもちろん、皇帝陛下も、ライディス公も、ラファエル将軍もあなたを助ける。あなたがすべきことは、自責して立ち止まることではなく、繋いだ手を離さずに進むことでしょう?」
助けようとする者がいる。信じてくれる者がいる。分かっている。
リュエンはすでにプリシラのものだ。しかし、だからこそ、より一層恐ろしかった。
彼が望むすべてをしてくれる彼女を、またしても壊してしまうのではないかと。今度は取り返しのつかないことになってしまうのではないかと。
それが何よりも恐ろしい。すでに手を握り合っているというのに、自分の選択に自信が持てないのだ。
「だが、プリシラ。私は一度、そなたを台無しにしたことがある。そんな私が、再びそなたに手を触れれば……」
リュエンの答えに、プリシラは優しい微笑みを浮かべた。
「あなた自身を信じられないなら、私があなたの代わりに答えてあげる。大丈夫よ、リュエン。すべて上手くいくわ。あなたが犯した罪が相殺されるよう、私が共にあるから」
「……」
「リュエン。私があなたから聞きたい言葉は、自分を卑下する言葉ではなく、感謝の言葉と愛に満ちた言葉だけよ」
「プリシラ」
「だから、これからは私に甘い言葉だけを言ってほしいの」
「しかし」
「あ、もう。ここまで言っているのに躊躇するの? いいわ。あなたがその気なら、私にも考えがあるのよ」
躊躇いに満ちたリュエンの答えに、目を細めたプリシラが彼から離れた。
そして、リュエンから最も遠いベッドの端へと移動し、言葉を続けた。
「今この瞬間から、私に『すまない』という言葉を口にしたら、私、その日は一日中あなたと口を利かないからね」
「何だと?」
「それに、『私ごとき』という言葉を口にしたら……そうね、一日中家を出て帰ってこないわ。あなたが絶対に見つけられないように、隠れん坊してやるんだから」
「ま、待ってくれ、プリシラ。考えが極端すぎやしないか?」
「あなたがそんな口を利くの?」
慌てたリュエンの姿に、プリシラが口角を釣り上げた。
「自分で考えたけれど、素敵なアイデアだと思うわ。いっそのこと規則として付与してしまおうかしら? プリシラ・ライデンは今後……」
「頼む、分かった。言わないから付与はしないでくれ」
プリシラに近づいたリュエンが、彼女の口を塞ぎながら懇願した。
ふーむ。どうしようかしらね。
「規則を付与しなくても、守れる?」
「努力する。努力するから、私から離れないでくれ」
本当に、遠ざかる覚悟もないくせに無駄な自責ばかりして。
「分かったわ。信じる」
「ああっ。だが……本当に。良いのだろうか?」
「また何よ?」
「私が、そなたに触れても。そなたを抱きしめ、唇を貪っても良いのだろうか?」
「リュエン、あなたが勘違いしていることが一つあるわ。あなたが無理やり私に手を触れたんじゃないのよ」
「……? それはどういう……?」
不安げに揺れ動く彼の瞳をじっと見つめていたプリシラが、目を細めた。そして。
「……!」
リュエンの首を抱き寄せたプリシラが、彼の唇に自分の唇を軽く押し当てた。
かすめるように一度、
少し長くもう一度。
「リュエン。あのね。私はあなたが私を求めてくれることを嫌だなんて思っていないわ。だから拒まなかったのよ」
悪戯っぽく笑う彼女の答えに、リュエンの目が少し大きくなった。プリシラが彼の額に自分の額をコツンと合わせた。
「勝手にしたことが申し訳ないと言うなら、私も勝手にしたんだからお互い様でしょう? だから、もう申し訳なさそうにするのなんて……んっ!」
プリシラの言葉が終わるよりも早く、リュエンが彼女の口を自分の口で塞いでしまった。
プリシラの悪戯っぽい口づけとは全く違う、激しい口づけに息が詰まる。
しかし拒むつもりはなかったため、プリシラはゆっくりと目を閉じた。