作品タイトル不明
#. 永遠の制約、甘美な束縛 (3)
カーテンを隙間なく閉めて光を遮った暗い部屋。リュエン・シェイルグは、自分のベッドに横たわり規則正しい寝息を立てている黒髪の女を見つめ、部屋に踏み込むこともできず立ち往生していた。
プリシラと共に帝国へ向かってから今日まで、リュエンはずっと長い夢を見ているような気分だった。
自分に起きたすべての出来事が遠く、現実感がなくて。あるいは、そのすべてが自分の手で行ったことだとは、到底信じたくなかったから。
すべてが現実であるにもかかわらず、なかなか実感が湧かなかった。
悪夢を打ち砕くように現れたプリシラの姿を覚えている。抱きしめられた腕の温もりを覚えている。だが、いくら彼女を身近に感じても、目を閉じれば泡のように消えてしまいそうだった。
それが何よりも恐ろしかった。いくら安心させる言葉をかけられても、湧き上がる恐怖が収まる気配はなかった。だから衝動的に声をかけてしまった。してはいけないことだと分かっていながら、その手を離すのが怖かったのだ。
だが、彼女があまりにも容易く手を握ってくれるので、今度は別の意味で恐怖が募った。
もし自分が彼女を怖がらせてしまったら、どうなるだろうか。彼女が遠ざかってしまったら? 彼女が自分に軽蔑の感情を抱くようになったら?
彼女を死の淵まで追い込んだというのに、プリシラはリュエンを迎えに来てくれた。そんなプリシラが、容易くリュエンの手を離すはずがなかった。それでも、怖くてたまらなかった。プリシラが自分に失望して、その手を離してしまったら。
リュエンはもう、プリシラなしでは生きていけないのに。
込み上げる恐怖が彼の行動を制限した。進もうとしても、なかなか前へ踏み出すことができない。
「うーん……リュエン? そこで何してるの?」
開いた扉の向こうから差し込む光に気づいたのか、プリシラが目を細めながらベッドから起き上がった。眠気に負けて目をこする彼女の姿は愛らしく、同時に狂おしいほどの衝動を呼び起こした。
「ぼんやり立ってないで、早くおいで」
「プリシラ。あの……」
「大丈夫だから。こっちに来て」
眠りに誘われたままのプリシラが、彼に手を差し伸べた。止まらなければならない。拒まなければならない。それなのに、抗うこともできず伸ばされた手を握ってしまう。剣を握り続けて荒く無骨な、けれど小さくて温かいその手が、リュエンの冷たい手を優しく、力強く引き寄せた。
すとん、とベッドに倒れ込むように横たわったリュエンの胸に、プリシラが潜り込んできた。
「ん、ひんやりして気持ちいい」
本格的な暑さが始まったリベリアは、かなり暑かったのだろうか。冷たい彼の胸に頬を寄せたプリシラが、満足げに微笑んだ。柔らかく波打つ髪が、彼の頬をくすぐる.
「おやすみ、リュエン」
「……おやすみ、プリシラ」
体温の高い彼女を、壊れやすいガラス瓶を扱うように、ゆっくりと、慎重に抱きしめる。抱きしめること以外、あえて何もすることはできなかった。温もりを感じるだけで、すべてが満たされるような充足感を覚えた。凍てついた体に染み込む彼女の体温に、次第にまぶたが重くなっていく。
少しだけ目を閉じよう。そして彼女が目覚める前に起きることにしよう。
少しだけ、ほんの少しだけ。
貴方の傍で眠らせてほしい。
***
自分を包み込む逞しい腕を感じながら、プリシラは重いまぶたを持ち上げた。厚手のカーテンが引かれた暗い部屋。固く閉ざされた扉の向こうから、微かな光が差し込んでいた。
(うーん……今、何時だろう?)
カーテンを開けて時間を確認しようとしたが、背後から自分を抱きしめる腕があまりにも固く、動くことができなかった。決して強く締め付けているわけではないのに、抜け出せないのはどうしてだろうか。
(魔法かな?)
そんなはずはないと分かっていながら、くだらない考えが浮かぶのは寝ぼけているせいだろうか。どうにかして腕の中から抜け出そうと抗っていたプリシラだったが、ほどなくして、リュエンを起こさずに出ることは不可能だという、真理に近い悟りを得て体の力を抜いた。
閉じた扉の隙間から漏れる月光から察するに、時間は真夜中。早朝に眠りについたのだから、長くても十四、五時間ほど眠ったのだろう。たっぷり寝たといえばそうだが、まだ寝ようと思えば寝られる時間だ。
どうせ真夜中に何かができるわけでもない。プリシラはもう一眠りしようと目を閉じた。しかし、十分に睡眠を取ったせいか目が冴えてしまった。暗闇の中でまばたきを繰り返すことしばし。目が暗闇に十分慣れた頃、プリシラは寝返りを打って向き直った。
暗闇の中に、整った顔立ちが微かに浮かび上がった。固く閉じられたまぶたの縁に、長いまつ毛が並んでいる。精巧な彫刻のように美しい顔。
(暗いところで見ても、やっぱり美形だね)
できることも他にない。鑑賞しようと思えばいくらでも鑑賞できるその顔を、遠慮なく眺めることにしたプリシラが、乱れた彼の髪を整えてやろうと手を伸ばした、その時だった。
「うっ……、……っ」
苦しげに眉を寄せたリュエンが、苦悶に満ちた呻きを漏らした。固く閉じられていたまぶたから、透明な涙が溢れ出した。
「リュエン? どうしたの?」
抱きしめる腕に力がこもる。痛いほどに締め付ける腕の力と、溢れ出して枕を濡らす涙。途切れ途切れに続く、か細い嗚咽。悪夢を……見ているのだろうか。
「リュエン、大丈夫。私が守ってあげるから」
彼の頭を優しく抱き寄せる。流れ落ちた白金色の髪をなだめるように撫でながら、プリシラが子守唄を口ずさむと、嗚咽が少しずつ収まっていった。それでも、濡れた目元が乾く気配はなかった。
「……一体、あなたをどうすればいいんだろう」
傷ついた彼を慰めてあげたい。望まぬ罪を犯し、手を血で染めた貴方に、「貴方は何も悪くない」と言ってあげたかった。だが、それは許されないことだ。
望まなかったとしても、誰かの悪意によるものだったとしても。
罪を犯したのなら、償わなければならない。積み上げた業は、決して消えはしないのだから。
それでも、彼に平穏が訪れることを願った。せめて自分の傍では微笑んでほしい。悪夢を見て泣いたりしないでほしい。
どうすれば、私は貴方を救えるだろうか。
貴方の笑顔を取り戻すために、何をすればいいのだろう。
――世界のすべての真理を知る者が存在して、その者が確かな答えをくれるのなら、貴方は救われるのだろうか。それとも、この願いさえも自分勝手な望みに過ぎないのだろうか。
分からない。ただ、今は凍えるように震えている彼が、温かく眠れるように。安心できるように。自分の温もりを分け与えた。