軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三話 お兄様は、わたしの前だけ崩れます

お兄様と初めてちゃんと話したのは、ロッテンに来て三日目のことだった。

いや、正確には昨日も会った。でも昨日は廊下ですれ違っただけで、お兄様はわたしの周りを一周してから「問題ない」と言って行ってしまった。

あれは「話した」とは言えない。

今日は違った。

朝食の後、わたしが廊下を歩いていると、向こうからお兄様が来た。今日は少し違う服装をしている。制服ではなく、動きやすそうな服だ。

「フィア」

「おにいしゃま、おはようございましゅ」

「ああ、おはよう」

お兄様は立ち止まった。昨日のように一周するかと思ったら、今日はそうしなかった。代わりに、しゃがんでわたしと目線を合わせた。

「今日は何をするつもりだ」

「おそとにいきたいでしゅ」

お兄様の眉がわずかに動いた。

「庭か」

「うん」

「……父と一緒に行くか」

「お父様はおしごとでしゅか」

「今日は来客がある。昼まで書類仕事だと言っていた」

(お父様が付き添えない日か。監視体制に変更が生じた)

「そうでしゅか」

「俺が一緒に行く」

「おにいしゃまが?」

「何か問題があるか」

「ないでしゅ」

お兄様は立ち上がった。それからわたしの手を取った。大きな手だ。お父様ほどではないが、わたしの手と比べると全然大きい。

「行くぞ」

「うん」

(お兄様が監視役を引き継いだ。ということは、この家には監視担当が複数いて、ローテーションしている可能性がある)

前世でもそういうシフトがあった。重要なシステムは、複数人で監視担当を持ち回りにする。一人が休んでも対応できるように。

この家は、家族全員でわたしを監視するシフトを組んでいる。

庭に出た。

お兄様はわたしのそばから離れなかった。昨日のお父様と同じように、常に近い距離にいた。

わたしは花を見ながら歩いた。昨日わたしが触れて大きくなった花は、今日も昨日より少し大きいままだった。

「おにいしゃま」

「なんだ」

「あのはな、おおきくなりましゅよね」

お兄様がわたしを見た。

「……そうだな」

「わたしがさわったから、でしゅか」

少し間があった。

「……どうしてそう思う」

「きのう、さわったら、おとうさまの顔がかわりましゅた」

お兄様はわたしをしばらく見てから、空を見た。十二歳の少年が、何かを考えるときの顔だ。

(前世でいえば、若手エンジニアが上位の承認が必要な判断を迫られているときの顔だ)

「フィアは、賢いな」

「そうでしゅか」

「気づきすぎだ」

「ごめんなしゃい」

「謝らなくていい」

お兄様は少し困った顔をした。

「……今は、説明できないことがある」

「うん、しっていましゅ」

「知っているのか」

「ジルも、お父様も、おしえてくれないでしゅ。でも、もうすこしおおきくなったら、おしえてくれましゅよね」

お兄様はわたしを見た。何か言いたそうだったが、言わなかった。

「……ああ、そうだ。必ず教える」

「やくそくでしゅか」

「約束だ」

(初めて、秘密の存在を明示的に認めた。これは情報開示の第一段階だ)

前世でも、プロジェクトの詳細を話せないときでも「何かある」ということは認めることがある。それだけでも、何もないと言われるよりずっと良かった。

庭の端に、小さなベンチがあった。

お兄様はそこに腰を下ろした。わたしも隣に座った。

しばらく二人で庭を見ていた。

「おにいしゃまは、まいにちおいそがしいでしゅか」

「まあ、そうだな。勉強がある」

「なにをべんきょうしていましゅか」

「魔法、剣術、貴族としての礼儀、歴史、算術……色々だ」

「たいへんでしゅね」

「フィアも、もう少し大きくなったら同じように学ぶことになる」

「そうでしゅか」

お兄様が少しわたしを見た。

「嫌か」

「べんきょうは、すきでしゅ」

「そうか」

「まほうも、べんきょうしましゅか」

お兄様の手が、少し固まった。

「……魔法は、また後で」

「うん」

「フィアは、魔法に興味があるか」

「あるでしゅ。でも、練習すると、ジルがため息をつくでしゅ」

お兄様は少し笑った。笑顔は、お父様に似ていた。

「ジルが困るようなことはするなよ」

「うん、わかりましゅ」

(笑った。これは関係構築の進展だ)

前世でも、仕事上の関係が良くなる瞬間は「笑いが生まれたとき」が多かった。緊張が解けて、少しだけ本音が出る。

昼近くになると、屋敷の方から声がした。

来客らしい。お父様の声と、知らない声が聞こえる。

お兄様がすっと立ち上がった。

「フィア、中に入るぞ」

「うん」

「急ぐ」

わたしの手を取って、早足で屋敷に向かった。

(何かあったのか)

来客が来た途端に急いで中に入ろうとしている。前世でいえば、重要な顧客が来たときに「余計なものを見せるな」と上司が動くときの動きに似ていた。

わたしは余計なものなのか。

いや、違う。

わたしを隠しているのだ。

(外部の人間に、わたしのことを知られたくない)

それが今日の新しい発見だった。

屋敷に入ると、お兄様は裏口から入った。正面玄関を避けた。来客と鉢合わせしないように。

「フィア、今日は部屋にいてくれ」

「うん」

「いい子だ」

お兄様はわたしの頭を撫でた。来客対応に行く前に、もう一度わたしを見た。

「何かあったら、ジルを呼べ。すぐ来る」

「わかりましゅ」

「……怖くないか」

「ぜんぜん」

お兄様は少し安心したような顔をして、廊下を歩いていった。

わたしは部屋に戻り、窓から庭を見た。

来客が誰なのか、窓からは見えない。正面玄関の方だから。

(外部の人間に知られたくない。監視体制がある。魔力が漏れている。これらを組み合わせると……)

(わたしが持っている魔力は、外部に知られると問題になる何かだ)

仮説が少し具体化してきた。

問題は、なぜ問題になるのかだ。

(それはまだ、情報が足りない)

焦らない。前世でも、障害の全貌が見えるまでには時間がかかった。

わたしはノートを取り出した。前世の習慣で、気づいたことを書き留めるのが好きだ。もちろん今はまだ三歳なので、絵のような字しか書けないが。

今日判明したこと、を書き始めた。

一、お兄様はわたしの前だけ、少し崩れる。

二、外部の来客が来ると、わたしは隠される。

三、お兄様はわたしに秘密があることを初めて認めた。

三番目を書いてから、少し止まった。

認めてくれた。それが嬉しかった。

前世では、「何もない」「気のせいだ」と言われることが多かった。問題を隠されるより、「ある」と認めてもらえる方がずっと良い。

お兄様は、ちゃんと認めてくれた。

(……この家族は、悪い人たちではない)

隠しているのは、何か理由があるからだ。悪意があるわけではない。

それが分かっていれば、待てる。

窓の外で、来客の馬車が帰っていくのが見えた。

車体に、剣と盾を交差させたような仰々しい紋章が描かれている。

(……あのマーク、どこかで見たことがある。絵本か、それともこの体の記憶か)

わたしの少ない三歳児の知識データベースを検索した。少し時間がかかった。でも、一つの答えがヒットした。

(……あれ、王家の紋章じゃないか)

次の調査対象は、どうやらとんでもない大口クライアントになりそうだ。