作品タイトル不明
エピローグ
あの大夜会の日から一年。
国王は王位を王太子に譲り、王国漫遊の旅に出た。
そしてローランドの成人を待って、あの夜婚約披露を行った両公爵家の子女達の合同結婚式が大聖堂にて挙行された。
わざと地味な顔に見せる為の化粧をやめたリリアは、それはそれは可憐で美しい花嫁だった。
晴れてチャールズの妻となったリリアは、今視察を兼ねた新婚旅行先へ向かう馬車の中にいる。
より正確に言うなら、馬車の中で夫チャールズの膝の上に座っている。
チャールズは蕩けそうなニコニコ顔だ。
『あの、チャールズ様、そろそろ下ろして頂きたいのですが…』
『んー、もうちょっとね』
出発して 3時間、既に 6回目のやり取りだった。
行き先はなんと、父ダイモス公爵から譲り受けた男爵領だ。
夜会の前の日の夜、リリアは父親の執務室に呼び出された。
『其方を邪険に扱って来たこと、先日陛下よりお叱りを受けた』
公爵は前置きもなしに、唐突に話し始めた。
『謝る気は無い。謝ったところで 17年間のそなたの孤独は癒やされまいし、仮に時を戻せたとしても私は同じように振る舞うだろう』
父親の言葉には一種の凄みがあって、女だからという理由だけでリリアを邪険にして来たのではなかったのだとリリアは気付いた。
そのことに今まで気付かなかったリリア自身も、きちんと父親のことを見てはいなかったのだろう。
『いつから気付いていらっしゃったのですか?』
『生まれたばかりの其方の瞳を見た時から知っていた。菫色の瞳が家門に害をもたらすと、当主就任時に絶対的な事実として教えこまれる。だからといって私のしたことは、親として人として許されることではないがね』
公爵は苦く笑った。
『だから一生に一度だけ、親らしいことをする。私が個人的に持つ男爵位とそれに付随する領地をそなたに譲る。登記変更はもう済ませてある。結婚祝いだ』
『結婚祝い?』
想像だにしなかった父親の言葉に、おうむ返しに聞き返すことしかリリアには出来ない。
『シンイ男爵領は辺鄙な田舎で領地も小さいが、気候は温暖で、薬草栽培での安定した収入もある。もしどうしても我慢が出来なければ、離婚してそこで静かに暮らせば良い』
ダイモス公爵家に戻る場所は無いと言っているようなものだが、実際姉ヴィヴィアンに爵位が移れば、出戻った妹の居場所はないだろう。
ましてや王命による結婚から出戻るとなれば、修道院にすら拒絶されかねない。
リリアとチャールズが想い合っていることを知らない父親が、それでも万一の時に身を置く場所を用意してくれたのだ。
父親にとっては国王の叱責を受けての保身だったのだろうが、それでもその保身の手段に選んだ爵位の譲渡という行為の中に、リリアはほんの一欠片の愛情を見つけた。
どんなに知能が高くても、幼い肉体に感情が引き摺られるのは防ぎようがない。
父親に邪険にされ、母親も他界し、チャールズとも会うことが出来なくなった。
幼い日のリリアの傷ついた心はまだ癒えてはいない。
領地一つ貰ったくらいで癒えるものでもないが、父親もまた許して欲しいとも思っていないのだろう。
それでも、この日父親から結婚祝いなどという想像だにしなかったビックリが飛び出したのだ。
未来のことは分からない。
今とは違う親子関係を築ける日が、いつか来ないとも限らないとリリアは思った。
◇◇◇
『あの、チャールズ様、本当にそろそろ下ろして…』
7回目である。
『駄目だよ、リリア。12年分を取り返さないといけないんだから』
チャールズの笑みは、心持ち黒い。
『美味しいところは全部、先王陛下に持って行かれちゃって、私は本当になんにも出来なかった』
余程悔しいのか、夜会の後にもう何度も言われた台詞だった。
チャールズの妻の座を狙っていたご令嬢達は、
公爵家の嫡子としての取り澄ました彼の顔しか知らない。
彼のこんなお茶目な一面を見たらビックリするだろうなと、ちょっぴりリリアは優越感を抱いた。
『あー、新王陛下もだよなぁ。ファーストダンスの後の声掛け、絶対分かっててやったよね。 入場前“あとちょっとだけ頑張って” って言いたくて、リリアの手に触れちゃったのを見られたから…。よりにもよって、あの場面で新王陛下が後ろに立ってるんだもんなぁ』
チャールズは左手で膝上のリリアの身体を固定しつつ、右手で自分の頭を掻いた。
ちょっと悔しい時に見せる彼の癖だと、リリアはもう知っている。
『あれは取り乱して、過剰に反応した私が悪かったのです。パッと貴方から離れた後、キョロキョロせずに貴方を睨み付けるとかすれば良かったのに』
『うわ、それはそれでショックだったかも…』
『うふふ』
リリアはチャールズの膝の上からちょっと首を伸ばして、彼の頬にキスを送った。
面白いくらいに真っ赤になったチャールズは、直ぐにニヤリと悪い笑みを浮かべ、意地悪っぽく言った。
『君のダンスが上手なのを私はよぉく知っているけれど、あの時のファーストダンス、あれは演技でもなんでもなく、正真正銘下手っぴだったよね?』
今度は一気にリリアが赤くなった。
『あ、あれは王太子殿下に気付かれたのかと気が気でなくて…』
リリアの動揺を示すように、呼び方が当時の『王太子殿下』に戻っている。
あの時点でリリアの気持ちを他の誰かに知られれば、賭けはリリアの負けとなる。
負け即ちチャールズとの別離だ。
話しているうちにあの時の気持ちを思い出して、みるみるうちにリリアの目から涙が溢れそうになる。
今度慌てたのはチャールズの方だ。
『ごめん、ごめん、お願いだよ、泣かないで』
『あの時、本当に怖くて…。もし…』
それ以上は言葉にならなかった。
チャールズはリリアを抱きしめる腕に力を込めた。
『もしもね、リリアとの結婚が認められなかったら、どんなことをしてでもリリアを攫って逃げようと思ってた。ずっとずっと昔、王宮の庭園で別れた日からずっとね。だから個人資産もずいぶん貯めたんだよ。攫って逃げて平民になっても困らないように。リリアは私と一緒に逃げてくれるだろう?』
リリアは涙に濡れた菫色の瞳でチャールズを見上げ、コクコクと頷いた。
『でもチャールズ様が逃げたら、フォボス公爵家は困るのではなくて?』
『ローランドがいるから心配ないよ。もう君の実家に婿入りしちゃったけどね。ところで何故ローランドと君の姉君の縁談をまとめたの?』
『実は…』
少し気まずそうにリリアが答える。
『お口には出さないけれど、お姉様は可愛いタイプの年下がお好きなの。逆にローランド様は歳上美女がお好みでしょう?』
『ははは、その通りだけれど、社交界にも碌に出ない君の情報網はどこにあるのさ?』
リリアは少し考えてから、言いづらそうに答えた。
『怒らないで聞いてくださいね、“いない者”の私が近くにいても、使用人のみなさん、割と無頓着に噂話に花を咲かせるんです』
チャールズの纏う空気が一気に冷えた。
『大丈夫ですから怒らないで? お陰でチャールズ様の噂話を沢山聞けて幸せでしたのよ?』
『良い噂?』
『うふふ、どうでしょう?』
チャールズはふうっと息を吐き出した。
『二度と一人にはしない。一緒に幸せになろうね』
『はい』
『愛してる』
『私も愛しています』
微笑み合って、二人は優しいキスを交わした。
『王命による政略結婚』で結ばれた二人は、物語のように末長く幸せに暮らしたのでした。
<了>