作品タイトル不明
香りが爽やかレモン鍋
台所にごろんごろんと転がる黄色い物体、レモン。普段はそれほど大量に使うことがない食材が、今日は存在感マシマシでそこに置かれていた。市場で買い物をしていたら、沢山オマケをしてもらったのである。
レモン自体は質の良いもので、綺麗な黄色が鮮やかだ。試しに半分に切って中身を確認してみたが、とても瑞々しかった。
「で、このレモンで何を作るの、ユーリ」
メイン食材として使うことのないレモンなので、どうするのかとヤックは 悠利(ゆうり) に問いかける。そんなヤックに向けて、悠利は笑顔で答えた。
「うん、今日はちょっと肌寒いし、レモン鍋にしようかなと思って」
「レモン鍋? 鍋にレモンを入れて食べるの?」
「輪切りのレモンも入れるけど、果汁をたっぷり入れて、スープの味付けにする感じかな」
「へー」
鍋料理そのものは《 真紅の山猫(スカーレット・リンクス) 》では珍しくないが、レモンを使うのは初めてだ。生姜じゃなくて? みたいな顔をしているヤック。そんなヤックに、悠利はこくりと頷いた。
レモン鍋というのは、端的に言うと出汁と塩ベースで味付けをしたスープにレモン果汁を入れることで、さっぱりと仕上げたものである。お好みでスープに醤油を少し加えても良いだろう。重要なのは、レモンの味がちゃんとするぐらいに果汁を入れるということだ。
ついでに、綺麗に洗って薄い輪切りにしたレモンを、具材と共に煮込む。そうすることで、肉にも野菜にもレモンの風味がたっぷりと染みこんで、さっぱり美味しく食べられるのが特徴である。爽やかさが実に心地よい料理だ。
そういった説明をされたヤックは、なるほどと言いたげに頷いた。そうと決まれば、準備をしようと張り切る。
「レモン果汁がいるってことは、絞らないとダメなんだよね?」
「うん。絞る分と、輪切りにする分とが必要かな。後は他の具材も切らなきゃだけど」
「じゃあ、とりあえずこのレモンを綺麗に洗うね」
「よろしく」
ヤックにひとまずレモンの準備を頼んだ悠利は、全員分の胃袋を満たせる分量を作るために、大鍋二つにお湯を沸かすことにした。人数が多いときの鍋料理は、それぞれのテーブルに卓上コンロと鍋を置いて食べて貰うのだが、味付けはお代わり分も込みで大鍋で作っちゃうのだ。
お湯が沸くのを待つ間に、具材として使う白菜、小松菜、キノコをそれぞれ適当な大きさにカットしていく。こういう作業は料理 技能(スキル) のレベルが高い悠利が行うと、大変早いのである。それぞれのボウルに次々とカットされた具材が入っていく。
なお、白菜はちゃんと芯の部分と葉っぱの部分を分けている。小松菜もそうだが、やはり固さの違う部位はきちんと分けておく方が、火を通すときにやりやすいのだ。実家で作っていたときは、白菜の芯の部分はお湯を沸かしている段階で鍋に投入する程度には、先に入れておく具材だったので。
悠利が具材をテンポ良く切っている隣で、ヤックは洗い終わったレモンを果汁にする分と輪切りにする分に分けていた。分ける基準は、皮の部分が綺麗かどうかである。やはり、まるごと使うのならば傷などのない綺麗な物を使うのが好ましいので。
「ユーリ、輪切りにする分って頼んでも大丈夫?」
「大丈夫だよ。果汁にするの、手が疲れたら言ってね?」
「解った」
具材のカットをしている悠利にその流れでレモンの輪切りを頼み、ヤックはまな板の上でごろごろと転がしてからレモンを半分に切る。少し転がして刺激を与えてやると柔らかくなって、絞りやすいのだ。
そして、ボウルに果汁を搾るのだが、ここで一工夫をしておく。ボウルの中にザルを入れて、そのザルの上でレモンを搾るのだ。こうすることで、種や果肉などがこぼれ落ちても取り除きやすいのである。少量なら茶こしみたいなものでやれば良いが、それなりの数を絞るのでザルで対応しているのだ。
半分に切ったレモンをぎゅーっと握って絞るヤック。まな板の上で転がしたことで良い感じに柔らかくなっており、それほど力がないヤックでも簡単に絞れる。なるべく全ての果汁を絞れるようにと頑張っているが、無理な部分は諦めようという感じだった。彼は力自慢ではないので。
大量のレモンを搾っていると、台所にぶわっとレモンの香りが充満する。鼻を通り抜ける爽やかな香りは、涼やかな気分にさせてくれる。同時に、酸っぱさを思い出してちょっと眉をきゅっと寄せるヤックだった。
「ユーリ、こんな感じで大丈夫かな?」
「うん、大丈夫だよ。お疲れ様。手は大丈夫?」
「大丈夫。ただ、オイラの力じゃ全部は絞れなかったよ」
「それはまぁ、仕方ないよ」
申し訳なさそうなヤックに、悠利はふるふると頭を振った。悠利がやっても同じぐらいしか絞れなかっただろうし、そんな風に謝らないでほしいという意思表示だ。
そんなやりとりをしていると、飲み物を取りに来たらしいウルグスが顔を出した。
「何かすげーレモンの匂いするな。夕飯何にするんだ?」
「あ、ウルグス。今日はレモン鍋です」
「へー。レモンって鍋になるんだな」
そんな会話をしながら、ウルグスは冷蔵庫から取りだしたジュースをコップに注ぐ。勉強をしていて喉が渇いたらしい。ごくごくと一気に飲み干し、自分が使ったコップを洗おうとやってきたウルグスの手を、ヤックはがしっと掴んだ。
「ウルグス、ちょっと力を貸してほしい」
「何だよ」
「これ、オイラじゃ絞り切れなかったから、まだ残ってる分を絞ってほしいんだ」
「……まぁ、別に良いけどよ」
力仕事は自分の担当だと理解しているウルグスは、慣れた手つきでヤックが絞った後のレモンをぎゅーっと搾った。力が違うので、まだ残っていた果汁はボウルの中に落ちていった。
一仕事終えたウルグスは、夕飯楽しみにしていると告げてさっさと立ち去っていった。作業の邪魔をしてはいけないという判断だった。
ウルグスのおかげでレモンの下準備が出来たので、悠利はお湯の沸いた鍋に顆粒だしと酒と塩を入れて、下味を整える。ひとまず、ほんのり塩味がする程度の味付けだ。
「今日は醤油は使わないの?」
「使っても良いんだけど、塩ベースの方がさっぱりするかなと思って」
「なるほど」
悠利の説明を聞いて納得するヤック。その前で、悠利は鍋にドバドバっとレモン果汁を入れた。結構遠慮なく投入するのを見て、ヤックは目を丸くする。
「そんなに入れるの?」
「具材を入れてもレモンの味が解るぐらいにしたいからね」
にっこり笑って、悠利は鍋の中のスープをかき混ぜる。全体がしっかりと混ざったのを確認すると、味見だ。
小皿にスープをよそい、火傷しないようにふーふーと冷ましながら、ゆっくりと飲む。出汁と塩のシンプルな味付けの中心で、レモンの酸味と爽やかさが存在感を主張している。しかし、決してくどくはなく、ほどよいバランスで成り立っていた。
良い感じ、と呟く悠利の隣で、同じように味見をしていたヤックが表情を緩めていた。レモンの味のするスープというのがどんな風に仕上がるのか解らなかったが、いざ味見をしてみたら美味しいと思えたらしい。何よりだった。
「僕は良い感じだと思うけど、ヤックはどう?」
「オイラも美味しいと思う。レモンの味はするけど、思ったより酸っぱくないね」
「そこは、出汁と塩のおかげかなー。それじゃあ、各鍋に移して、お肉とお野菜を入れて煮込むよ」
「おー!」
鍋の日は肉も野菜も皆がもりもり食べるので、下準備の段階からたっぷり詰め込んで煮込んでおくのだ。各テーブルに配置する用の鍋にスープを入れ、準備しておいた卓上コンロの上でせっせと鍋を炊く悠利とヤックなのでありました。
そして、夕飯の時間。輪切りのレモンがててーんと存在を主張する不思議な鍋に首を傾げていた仲間達であるが、一口食べてからはその美味しさに満足したのか楽しそうに鍋をつついていた。なお、お代わりの具材も各テーブルに配置されており、それぞれで追加で煮込んでいる。
鍋に入っている肉は、薄切りのオーク肉だ。火が通りやすく、また薄切りなので食べやすい。灰汁もあまり出ないので、一巡目の肉を食べ終わってから追加で肉を入れている鍋でも、スープの色は透き通ったままである。
「まさかスープにレモンを入れるなんて思わなかったな」
「さっぱりして良いかなーと思いまして」
「いや、確かに美味しいが、意外な使い方だと思ってな」
「あはは」
フラウの言葉に、悠利は笑った。確かに、香り付けや風味付け程度にレモンを使うことはあるだろう。しかし、本日の鍋の味付けはレモンこそが主役! みたいな仕上がりなのだ。物珍しくても仕方あるまい。
ただ、そんな風に言いながらもフラウは、美味しそうにレモン鍋を食べている。お代わりも順調に進んでおり、満足そうな表情だ。気に入ってくれているのが解っているので、悠利も笑顔なのである。
そっと悠利はレモン鍋のスープを飲む。味見をしたときよりも、ぐっと深みというかコクの増した味になっている。これは、たっぷり入れた具材の旨みが染みこんでいるからだ。鍋料理を小鍋でちまちま作るよりも、大鍋で具材もたっぷり入れて作る方が美味しいと悠利が思うのは、これが理由だ。少量の具材では出せない美味しさである。
調味料は顆粒だしと塩ぐらいしか入っていないけれど、野菜と肉の旨みをしっかりと受け止めて味の土台を作り上げている。そして、輪切りにしたレモンを入れたことによって、果汁だけでは出せないレモンの美味しさが浸透している。やや皮の苦みのようなものもあるかもしれないが、それもまたレモンの風味を引き立てる立て役者になっていた。
よく火の通ったオーク肉で、シメジと小松菜をくるりと巻いてから口へと運ぶ。噛んだ瞬間にじゅわっと旨みが広がる。肉だけでも野菜だけでも美味しいが、一緒に食べると更に美味しいのだ。あふれ出るスープの中で存在を主張するレモンの爽やかさが、何とも言えず心地よい。
この爽やかさ、というのがポイントだった。酸っぱいだけでは美味しくないのだ。レモンの酸味は確かにあるが、それよりも肉の脂をさっぱりさせてくれる爽やかさの方が勝っている。また、調味料や具材の旨みと合わさることで、酸味もほどよく調整されている。
たっぷり贅沢にレモンを使うことが出来て、悠利はご満悦であった。レモンだって安くはないのだ。味付けに使うために大量に買うのは勿体ないかなぁと思うこともあるので、こんな風にいっぱい手に入ったときに遠慮なく使うのである。
なお、残ったレモンを複数の柑橘と混ぜてお手製のポン酢を作ろうとも考えている。ポン酢も奥が深く、使う果汁によって味わいが変わるのだ。皆違って皆良いので、気分転換のように色々作るのは悠利のちょっとした趣味でもあった。
そんな風にまったりしていた悠利の耳に、騒々しい声が聞こえてきた。
「マグ! 頼むから具材そっちのけでスープ飲むの止めろ!!」
「否」
「美味しいからじゃねぇんだよ! とりあえず具材を食え! スープを必要以上に入れるな!」
「っていうか、今日はスープは飲み干さずに残しておいてってユーリに言われてるから、
ちょっと控えて!」
ギャーギャーと騒いでいるのは見習い組の四人だった。正しくは、いつも通りの淡々とした様子でマイペースを貫くマグに対して、三人が必死に訴えているという構図だった。割といつもの光景である。
それを見て、悠利はあぁ、と何が起きているのかを理解した。出汁の信者もといマグが、スープに反応して一人でごくごく飲んでいるのだろう。いつものことではあるが、今日はスープを残しておいてほしいので、悠利は頑張れと見習い組の三人に心の中でエールを送っておいた。
見習い組のテーブルは別の意味で騒々しいが、他のテーブルはご飯美味しいと言う意味で賑やかだった。小食組もレモンの爽やかさがお気に召したのか、いつもよりお代わりが進んでいるように見える。どのテーブルも、順調に具材が減っていた。
「このレモンの味が、口の中をさっぱりさせてくれて良いですね」
「気に入ったのは解るが、あまり食べ過ぎるんじゃないぞ、ジェイク」
「大丈夫ですよ。それぐらい解ってますって」
「今まで何度このやりとりをしたかは覚えているか?」
「……えーっと」
珍しいリヒトのジト目に、ジェイクはあははと乾いた笑いをこぼした。レモン鍋が美味しくていつも以上に箸が進んでいた学者先生は、その指摘を否定することが出来なかったのだ。確かに今までも、何度もうっかり食べ過ぎて後ほど腹痛で唸るというのをやらかしたことがあるので。
それでも、美味しいと思って食べているのは本当だ。それに、いつもと違う点がある。なのでジェイクはリヒトに向けてこう告げた。
「今日は〆を用意するとユーリくんが言っていたので、ライスは食べてないです。だからほら、お代わりをたくさんしても大丈夫ですよ」
「そうやって油断していると、〆が入らなくなるぞ。少しは控えろ」
「……はい」
真面目なリヒトに真面目に諭されて、ジェイクは素直に頷いた。一応、〆がどんな物なのか気にはなっているからだ。それが食べられなくなるのは悲しいので。
とはいえ、普段あんまり食べないジェイクが沢山食べるというのは、悪いことではない。栄養をしっかり取るのは、健康の第一歩である。油断するとアジトで行き倒れるジェイクに、少しでも体力が付くのなら良いことである。
ただ、自分の胃袋の許容範囲を解っていないので、見張りが必要になるだけだ。
リヒトの忠告を素直に受け入れつつも、器の中に入ったレモン鍋を美味しそうに食べるジェイク。肉も野菜もキノコもレモン味のスープで煮込まれて、実に美味しい。どれを食べても美味しいと言うのがポイントかもしれない。
オーク肉は薄切りだからこそスープと絡んで美味しいし、白菜や小松菜はそれぞれが持つ甘味とレモンの酸味が互いを引き立て合っている。噛めば噛むほどに口の中に美味しい旨みが広がっていくので、実に幸せな気持ちになれる。
「でも、ジェイクさんがそんな風によく食べるのは珍しいですよね」
「気に入った料理は割と食べますよ?」
「それでも、他に比べたら少ないかなぁと思って」
「まぁ、僕の胃袋は小さいので」
同席者であるラジの言葉に、ジェイクは困ったように笑った。美味しい物を食べたい気持ちはあるが、普段あんまり食べないジェイクの胃は小さいのだ。とはいえ、さっぱり系の味付けのときは割と気に入ってもりもり食べているジェイクである。
そんな二人に、同席していたアロールがぽつりと呟いた。
「っていうか、ジェイクは割と酸味のある料理が好きなんじゃないの?」
「え?」
「梅干しとかポン酢が好きだろ? だから、このレモン鍋も気に入ったんじゃない?」
「……あぁ、なるほど。確かに、酸味のある料理は好きです」
アロールのその発言に、ジェイクはあまり意識していなかった自分の好みを再確認して頷いていた。確かに彼は、《 真紅の山猫(スカーレット・リンクス) 》の中では数少ない梅干しの愛好家である。梅を使った料理を食べる仲間達も、梅干しそのものは苦手なのである。
うんうんと納得顔のジェイクは、次の瞬間にこりと笑った。
「アロールは周りをよく見ていますね」
「……別に」
「周りをよく見て、情報を手に入れて、それを自分の中でちゃんと残して判断に使えるのは良いことですよ」
「いきなり先生みたいなこと言わないでほしい」
「僕は君達の座学の先生ですが!?」
変なものを見るような顔をするアロールに、ジェイクはひどいと言いたげに叫んだ。それは確かに事実ではあるのだが、普段が普段なのでジェイクは皆にあまり指導係として扱われてはいないのだ。反面教師、ダメ大人の見本みたいな感じなので。
どれぐらいその認識が浸透しているかと言えば、同席者のリヒトとラジが何も言わないことである。この二人は真面目常識人コンビであるので、アロールの発言に異論があればちゃんと諭してくれるはずなのだ。しかしそれがないので、皆のジェイクに対する扱いが良く解る。
ちゃんと先生なのに……としょんぼりしながらも、レモン鍋美味しいと言いながら食事を続けるジェイク。雑に扱われるのがいつものことすぎて、立ち直りも大変早かった。それも含めてジェイクはジェイクなのかもしれない。
「……あそこも何だか賑やかだなぁ……」
「ユーリ、あまり気にしなくて良いぞ。それより、ちゃんと食べないとな」
「はーい」
周囲が賑やかでちょっと気になって食事がおろそかになっていた悠利に、フラウは優しくお代わりをよそってくれる。卓上コンロの上に鍋が載っているので、背の高い人の方がよそいやすいのだ。
フラウが渡してくれてお代わりを手にして、悠利は熱々のレモン鍋を堪能することに集中するのだった。〆を食べられる程度に胃袋を開けておくのは忘れずに。
いつもと違うさっぱり風味のレモン鍋を堪能する仲間達。〆のためにスープはちゃんと残してくださいという注意喚起が、途中で何度か聞かれるのもご愛敬なのでした。