作品タイトル不明
第四十二話 離縁成立
公開裁判から一月後、私とアルベルトの離縁が正式に成立した。
場所は王都法務局の小さな部屋だった。
立ち会いはイザベル法務官、アルベルト側の代理人、私、そしてアルベルト。リネリアは北境で待っている。娘にとって、両親の離縁手続きを目の前で見る必要はないと判断した。
書面には、いくつもの項目が並んでいた。
婚姻の解消。
リネリアの主たる養育者は母エレノアとする。
リネリアの洗礼名は本人の名として固定し、父母いずれも本人の福祉に反して移譲・改名を求めない。
家名については、成人までリネリア・ハースト=ヴァルトの二重保護名を認める。本人が成人後、選択する。
面会は本人の意思と法務官の調整に従う。
療養費と教育費はヴァルト侯爵家が一定額を負担する。ただし支払いは母側管理口座へ行い、面会や復縁の条件としない。
私は一つ一つ確認した。
ハースト。
私の生家の名だ。
父母はすでに亡く、家は小さく、ヴァルト家のような力はない。けれど、私が生まれた名前であり、これから名乗る名前だ。
エレノア・ハースト。
ペンを持つ手は、思ったより落ち着いていた。
署名を終えると、アルベルトが口を開いた。
「エレノア」
「何でしょう」
「君は、ハーストに戻るのだな」
「はい」
「リネリアも」
「成人までは二重保護名です。あの子が選ぶまで」
アルベルトはうなずいた。
以前なら、ヴァルトの名を軽んじるのかと言ったかもしれない。今は言わなかった。
「リネリアに、手紙を書いてもいいか」
「法務官を通してください。本人が読むかどうかは、リネリアが決めます」
「分かっている」
彼は少し沈黙し、深く頭を下げた。
「君にも、リネリアにも、取り返しのつかないことをした」
私はその姿を見た。
謝罪はすでに受け取った。もう一度聞いても、過去が変わるわけではない。けれど、彼が自分の罪を言葉にし続けることは、娘のためには必要なのかもしれない。
「取り返しはつきません」
私は静かに言った。
「でも、これから約束を守ることはできます」
「……ああ」
「リネリアの名前を尊重してください。あの子が返事をしない日があっても、怒らないでください。父親としてできることは、会う権利を主張することではなく、待つことです」
アルベルトは苦い顔をした。
「待つのは、難しいな」
「子どもはずっと待っていました。自分を見てもらえる日を」
その言葉に、彼は目を伏せた。
法務局を出ると、空は晴れていた。
私は階段の下で一度立ち止まり、深く息を吸った。
結婚していた四年が終わった。
侯爵夫人エレノア・ヴァルトではなく、エレノア・ハーストとして歩き出す。
悲しみがないわけではない。
政略結婚でも、私はあの家で暮らし、娘を産み、何度も家族になろうと努力した。その努力が報われなかったことは、やはり痛い。
けれど痛みがあるからといって、戻る理由にはならない。
三つの杯亭へ戻ると、店主がすぐにお茶を出してくれた。
「終わりましたか」
「はい」
「では、始まりますね」
その言い方があまりに自然で、私は少し笑った。
「そうですね。始まります」
その夜、リネリアへ手紙を書いた。
リネリアへ。
今日、お母さまの離縁が正式に決まりました。お母さまはエレノア・ハーストに戻ります。リネリアは、しばらくリネリア・ハースト=ヴァルトという二つの家名で守られます。大きくなったら、自分で選べます。
でも、いちばん大事なのは、あなたがリネリアであることです。
書き終えて、私は涙をこぼした。
悲しいだけではない。
ようやく、ここまで来たのだと思った。
北境へ戻ると、リネリアは名前の家の前で待っていた。
私が馬車を降りると、娘は走ってきて、いつものように腕の中へ飛び込んだ。
「おかあさま、ハースト?」
「ええ。エレノア・ハーストよ」
「リネも、ハースト、ヴァルト?」
「しばらくはね。大きくなったら選べるわ」
リネリアは考えた。
「ながいね」
「長いわね」
「リネ、かけるかな」
「少しずつ練習しましょう」
娘は笑った。
「じゃあ、リネリアから」
「ええ。まずはリネリアから」
その夜、リネリアは新しい紙に自分の名前を書いた。
リネリア。
その下に、私が小さく書いた。
ハースト=ヴァルト。
娘はその長い家名を見て、少しだけ眉を寄せた。
「おかあさま」
「なあに」
「リネ、おおきくなったら、えらぶ」
「ええ」
「でも、リネリアは、えらばない。もうあるから」
私は娘を抱きしめた。
離縁は終わりではない。
娘が自分の名前を当然のものとして抱ける暮らしの、始まりだった。