作品タイトル不明
第四十話 公開裁判の準備
黒インク商会、白紙名の帳簿、名前の家への放火。
これらの証拠が積み重なり、ついに王宮は公開裁判を命じた。対象は商会の幹部、関与した名簿官、そしてダリウス・ベルン副局長。
裁判の争点は三つ。
子どもの名前を拘束印で商会へ結びつけたこと。
白紙名の子どもを身代わり登録に使おうとしたこと。
北境の名前の家を放火によって脅したこと。
私は証人として王都へ向かうことになった。
今度はリネリアを連れて行かない。
娘は最初、不満そうだったが、公開裁判には黒インクの話や火事の話が出ると説明すると、少し考えてうなずいた。
「リネ、こわいの、いや」
「ええ。だから保護院で待っていて」
「おかあさま、もどる?」
「戻ります」
「なんかい、ねる?」
「七回くらい。長くなったら手紙を出すわ」
リネリアは小さな紙を用意した。
今回は、自分で書く文字が増えていた。
おかあさま まってる リネリア。
私はそれを胸元に入れた。
王都へ向かう同行者は、テオドール様、イザベル、マリベル、セシリア、そしてリン・エイルだった。
リンの同行には議論があった。白紙名の被害者として証言できるのは彼女だけだが、まだ心の負担が大きい。本人に尋ねると、リンは鈴を握りしめて言った。
「リン・エイル、いう。白鈴じゃないって」
それ以上、止めることはできなかった。
ただし証言は短く、嫌になればすぐ中止する。王妃殿下の手配で、裁判所には休憩室が用意された。
王都へ着くと、世論は大きく揺れていた。
新聞は連日、黒インク事件を報じている。名を売られた子どもたちへの同情もあれば、古い貴族家の名誉を守るためにはある程度必要だったという暴論もある。
私は宿で記事を読み、ため息をついた。
「子どもを道具にする理屈は、どこにでもあるのですね」
イザベルが言った。
「だから公開裁判が必要です。密室で処理すれば、また別の名前で同じことが起きます」
裁判前夜、私はリンと一緒に証言の練習をした。
長く話す必要はない。自分の名前、祠で鈴だけで呼ばれていたこと、名前を選んだこと。それだけで十分だ。
「こわくなったら、鈴を鳴らして」
私は言った。
「そしたら、休めるようにします」
リンはうなずいた。
「リネリア、いない」
「ええ。でもリネリアは北境で待っています」
「リン、いって、かえる」
「そうね」
「かえるなまえ、ある」
リン・エイル。
その名前は、彼女が裁判所から帰るための道標になる。
翌朝、裁判所の大広間は人で埋まっていた。
王妃殿下は傍聴席の上段に座り、中央名簿局長も出席している。アルベルトの姿もあった。彼は証人ではないが、リネリアの件を通じて制度の危うさを知った貴族として、裁判を見届けに来たらしい。
私と目が合うと、彼は深く頭を下げた。
私は軽くうなずくだけにした。
ダリウスは被告席で、相変わらず整った姿をしていた。だが以前の余裕はない。彼は自分が直接指示していないと主張するだろう。古い提案が悪用された、部下の暴走だ、秩序を守る意図だった。いくつもの言い訳が用意されているはずだ。
裁判長が開廷を告げた。
最初に、商会幹部の証言があった。
彼は罪を軽くするため、次々と内部事情を話した。黒インクの製法は中央局の古い資料から得たこと。カール名簿官が保護院の子どもの情報を流したこと。白紙名の子どもは高値で取引されたこと。
そして、ダリウスの側近から指示を受けていたこと。
ダリウスは否定した。
「側近が勝手に行った。私は知らない」
裁判長は淡々と記録した。
次に、私が証言台へ立った。
白い部屋の審査より、人の視線が多い。けれど胸元にはリネリアの手紙がある。
「エレノア・ハースト、現在は離縁協議中のためヴァルト姓を併記。北境名綴り工房責任者です」
初めて、私は自分の生家の名を公の場で名乗った。
エレノア・ハースト。
それは結婚前の私の名前であり、これから取り戻す名前でもある。
私は、リネリアの名を奪われかけた経緯、黒インクの拘束印、マイラの救出、リンの仮名と正式名の過程を話した。
弁護側の貴族が質問した。
「あなたは母親としての個人的経験から、制度を感情的に批判しているのでは?」
「個人的経験があったから、制度の穴に気づきました。感情があることと、証拠がないことは別です」
私は黒インクの反応記録を示した。
「子どもの名を拘束すると、薬帳や保護術に異常が出ます。これは感情ではなく、観測された事実です」
弁護側は黙った。
次にリンが証言台へ立った。
彼女の手には鈴がある。
裁判所が静まり返る。
「名前を教えてください」
裁判長の声は穏やかだった。
リンは深く息を吸った。
「リン・エイル」
「以前は、何と呼ばれていましたか」
「すず。白鈴。番号、わからない」
「自分で名前を選びましたか」
「はい」
「名前を持って、何が変わりましたか」
リンは少し考えた。
「帰る、できる。呼ばれたら、いるって、わかる」
短い言葉だった。
けれど、大広間の空気を変えるには十分だった。
番号では帰れない。
鈴だけでは、助けを求める声にならない。
名前があるから、いると分かる。
ダリウスは視線をそらした。
裁判は、いよいよ核心へ向かっていた。