作品タイトル不明
第十六話 春の雪祭り
領都では、雪解けの終わりに小さな祭りを開く。
冬の間に壊れた道具を修理し、溜めていた毛糸を売り、子どもたちには甘い雪菓子を配る。王都の華やかな舞踏会とは比べものにならないが、北境の人々にとっては春が本当に来たことを確かめる日らしい。
マリベルは、保護院の子どもたちを全員連れていくことにした。
「人混みが苦手な子は、職員と短時間だけ。迷子札を必ずつけます。エレノア様、確認をお願いできますか」
「もちろんです」
私は朝から、子どもたちの外套を点検した。
ヨナの星、ヨハンの月、リタの赤い小鳥、マイラの白い花。ノルは最初「印はいらない」と言ったが、リネリアが「じゃあ、くろぱん」と言うと、なぜかそれを受け入れた。
「猫は別に好きじゃない」
「でも、くろぱん、ノルのともだち」
「勝手に友達にするな」
そう言いながらも、ノルは黒猫の印を袖口に縫わせた。
リネリアの手袋には、うさぎの印がある。娘は何度もそれを見て、嬉しそうに指を動かした。
祭りの広場には、木の屋台が並んでいた。
焼き栗、蜂蜜酒、毛糸の飾り、古本、鍛冶屋の小さな鈴。雪菓子の屋台では、氷を薄く削ったものに甘い果汁をかけている。リネリアはそれを見て目を丸くした。
「ゆき、たべるの?」
「きれいな氷を削っているのよ」
「おなか、つめたくなる?」
「少しだけなら大丈夫」
私は小さな杯を一つ買い、娘と分けた。果汁は林檎味で、舌の上ですぐ溶ける。リネリアは驚いて笑った。
「ゆき、あまい」
その笑顔を見て、私は胸の奥がほどけるのを感じた。
最近は黒いインクや面会請求のことで、心が常に張っていた。けれど娘には、ただ甘い雪を食べて笑う時間も必要だ。私にも必要だった。
広場の中央では、子どもたちが名前入りの紙札を木に結んでいた。
冬の間に無事だったことを感謝し、春にしたいことを書くのだという。文字が書けない子は、職員や家族が代筆する。
リネリアは紙札を受け取り、真剣に考えた。
「リネ、なにかく?」
「春にしたいことを書くらしいわ」
「おかあさまと、いっぱいねる」
「それでいいの?」
「うん。あと、くろぱんにあう」
私は笑いながら代筆した。
リネリアは、母とたくさん眠る。黒パンに会う。
それを読んだアンナが、小さくため息をついた。
「奥様。お嬢様の願いに睡眠が入っているのは、少し反省すべきでは」
「そうね。今日は早く寝るわ」
「毎日です」
容赦がない。
そこへ、テオドール様がやって来た。領主として祭りを回っているらしく、彼の周りには領民が次々と声をかけてくる。
「辺境伯様、橋の件、忘れてないでしょうな」
「忘れていない」
「去年の鹿柵も」
「職人を手配した」
「嫁は?」
「それは職人では手配できない」
周囲から笑いが起きた。
私は聞かなかったふりをしようとしたが、リネリアが不思議そうに言った。
「よめって、なあに?」
アンナが咳払いした。
テオドール様は珍しく少し困った顔になり、私も返答に詰まった。
「大人になってから考えることよ」
「おかあさまも、かんがえる?」
「今は考えません」
反射的に答えると、テオドール様が一瞬だけこちらを見た。
気まずい。
私は雪菓子の杯をリネリアに持たせ直し、話題を変えた。
「テオドール様も紙札を書かれますか」
「毎年書いています」
「何を?」
「今年こそ帳簿の整理を終える、と」
領主らしい願いだった。
リネリアが真面目な顔で言った。
「テオドールさま、ねるのもかいて」
「睡眠ですか」
「アンナが、だいじって」
「では、今年は帳簿と睡眠にします」
彼は本当に紙札に書いた。
帳簿を整理する。よく眠る。
その字は端正で、どこか生真面目だった。
祭りの終わり、保護院の子どもたちは小さな鈴をもらった。迷子になったときに鳴らすための鈴で、それぞれの名札に結びつける。
リネリアはうさぎの手袋に鈴をつけた。
「リネ、まいごになったら、ならす」
「でも、迷子にならないように手をつなぎましょう」
「うん」
娘の小さな手が私の手に重なる。
その時、広場の端に見覚えのある姿を見つけた。
セシリアだった。
彼女は旅装で、ミーナの手を握って立っていた。王都の華やかな服ではなく、目立たない灰色の外套を着ている。顔色は悪いが、まっすぐこちらを見ていた。
私は驚いた。
アルベルトの面会には同行しなかったはずだ。では、なぜ北境へ。
セシリアは少し迷ってから、深く頭を下げた。
ミーナも母に倣って頭を下げる。
リネリアが私の手を握った。
「おかあさま、ミーナ?」
「ええ」
春の雪祭りの賑わいの中で、私たちはしばらく動けずにいた。
夫側の幼馴染が、娘の名前を奪うためではなく、自分の娘の名前を守るためにここへ来たのだと分かるまで、もう少し時間が必要だった。