作品タイトル不明
138 たったひとつの・・・
激しいローター音とともに正面からヘリが降りてきた。
正面だけではない。左右、後方からも音が聞こえる。
ヘリは移動用の生易しいシロモノではなく、真っ黒に塗装された無骨なフォルムの攻撃ヘリだった。
ドドドドッ
わたしの前――大使館の広い庭に、巨大なクレーターがいくつも生まれた。
ヘリが機銃を発射したのだ。
そのあまりの威力にわたしは腰を抜かしてしまった。
正面のヘリがゆっくりと地面に降りる。
ヘリからはひとりの美女が現れた。
もちろん、レティシアだ。
「あれは【雷魔法】かしら? それともこちらの世界の科学が生み出した護身用の武器かしら。残念だったわね。私はレベルが高いから、状態異常にかかっても回復までの時間が短いのよ」
レティシアの言葉はちんぷんかんぷんだった。
『ミナギ!』
背後からサンシローの声がした。
振り返ると、憑依体たちを牽制しながらサンシローがこちらに向かってくる。
「それにしても、どういう手品かしら? 魔法やスキルが使えなくなったわ」
レティシアがわたしを見下ろしながら言った。
「ねぇ、これはあなたの仕業なの、ミナギ」
わたしはしゃがみこんだままレティシアをじっと睨むことしかできなかった。
そこに、大使館の入口から乗用車が入ってくる。
音を立てて止まった乗用車から降りてきたのはトンプソン大統領だった。
「ミス・レティシア!」
「あら、大統領。先に逃げるように言ったはずよ?」
「あなたが心配で戻ってきたのだ」
「……催眠術の効きが悪くなってるのかしら」
レティシアは大統領が自分の言いつけを守らなかったことが不満のようだ。
レティシアはわたしの前に進み出て、手放してしまったジュラルミンケースを拾い上げた。
「たいしたものね、ミナギ。わたしの洗脳を抜け出したばかりか、世界の危機を救おうとするなんて。マルクェクトだったら勇者にでもなれそうな素質の持ち主だわ」
「わたしは……救われたから」
嘲るようなレティシアの言葉に、思わずつぶやく。
「救われた?」
「わたしは、ある人に命がけで命を救われた。だから、わたしも、命をかけて他の人を救いたい」
「ふふっ……立派な信念ね」
レティシアが指を鳴らした。
サンシローに襲いかかっていた憑依体4体が動きを止めた。
「ミナギ。あなたはこの世界にやってきて初めて出会った記念すべき人だけれど、思った以上に面白い人だったのね」
レティシアが大統領に向かって顎をしゃくった。
大統領がわたしに近づく。
大統領はわたしの片腕をつかんで背中の後ろで固定した。
動けなくなったわたしの前に、レティシアがジュラルミンのケースを置いた。
ケースを開く。
たくさんのスイッチ。プラスチックのカバーに覆われたボタン。数えきれないほどの警告文。
核のスイッチ。これが押されただけで、数百万――場合によっては数千万、数億という数の人が死ぬ。
「この世の終わりを特等席で見せてあげるわ」
レティシアが唇を吊り上げてわたしに言う。
「ミナギを殺されたくなければ投降しなさい、ゴーレム」
レティシアの言葉に動きかけていたサンシローも動きを止める。
サンシローは、手にしていたライフルを投げ捨てた。
わたしは唇を噛みしめる。
「もうどうにもならないの……?」
絶望のうめきに、レティシアが笑った。
『逆転の手はありません。』
サンシローが言った。
ITの巨人グリンプス社が作り出した世界最強のAIが、投了を宣言したのだ。
「そう……」
わたしは動けない。
サンシローにも知恵がない。
目の前にある核スイッチは遠からず押される。
第三次世界大戦。
いや、それはもはや戦争ですらない。核によって荒廃した世界での生き残りをかけた、壮絶で陰惨な生存競争。万人の万人に対する戦い。どれだけ多くの力なき人が踏みにじられることか。
そんな未来を目前にしながら――わたしにできることはもはやない。
「そうだ、いいことを思いついたわ。あなたが押しなさい、ミナギ。人類を破滅させる小さな指先の運動。その最後のひとつを、あなたにやらせてあげるわ」
レティシアの目には嗜虐の色が浮かんでいた。
「それを押したら、あなたのことは見逃してあげる。押さなかったら、予定通りジェネレーターになってもらう」
ジェネレーター。人間の母体を魔物や憑依体を産むための装置に変えるという邪法。
怖かった。
そんなふうにはなりたくなかった。
どちらにせよボタンは押される。
パソコンのエンターキーを叩くような気軽さで、この女は核のスイッチを押すだろう。
ならば、抵抗することに意味はない。
サンシローに言わせれば、それが合理的な考えだということになるだろう。
「押す……な」
背後から、男の声が聞こえた。
ハリウッド俳優で鳴らした米国の現大統領の声だ。聞き間違えるはずもない。
「押すな……命に替えても……押すな」
わたしの腕を押さえながら、大統領は繰り返す。
「あら? 催眠が綻びているようね。それとも、さすがは世界を代表する大国の王といったところかしら?」
レティシアが嗤う。
「そんなこと、言われたって……」
わたしだって押したくない。
加木さんなら……どうしただろう。
あくまでも抵抗しただろうか。
逆転の目なんてなくても、最後まで諦めず、あがいたのではないだろうか。
「本当に……もうどうしようもないの?」
思わずつぶやく。
それに、答える声があった。
『逆転の手はありません。しかし、たったひとつだけ、『冴えたやり方』が残っています。』
サンシローだった。
思わず、皮肉に笑ってしまう。
「何、その自分を犠牲にしなくちゃいけないようなやり方は?」
「たったひとつの冴えたやりかた」。サンシローはミナギの趣味がSF小説であることを知っている。
『さいわい、付近一帯の住民は避難済みです。』
「……大統領がいるわ」
『私にはそれは判断できません。』
わたしはわたしの腕を取る大統領を首だけで振り返る。
「私は……合衆国の……最も偉大な国の……大統領だ」
大統領は苦しそうに言葉をつむぐ。
「戦争もした……少なくない兵士を死地に送った……彼らに人を殺させた……私だけが……例外でいられるわけがない」
「ちょっと、あなたたち、何を言って――」
レティシアが慌てて口を挟む。
が、もう遅い。
大統領が私同様覚悟を決めているのだとしたら。
いや、待て。
目の前のヘリの操縦者や、大使館内にいる洗脳された米兵たちはどうなる?
「巻き添えになる……兵士たちには申し訳ないが……大統領として……彼らの死には……私が責任を持つ」
それでも気にしないわけにはいかないが、現状、他に手段がないというのなら。
もう、迷う余地なんてない。
「――サンシロー。やって」
『了解です。あなたたちの覚悟の言葉は、クラウド上に保存しました。』
最後まで間の抜けたことを言うサンシローに苦笑する。
――数秒後。
米国大使館を、神の杖が撃ち抜いた。