軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

101 仮面騎士の正体

翌日、デヴィッド兄さんとともに竜騎士団の詰め所を訪れると、都合よくベルハルト兄さんが1人で番をしていた。

「《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》!」

「な、何のことかな?」

ベルハルト兄さんが目を泳がせてそう答える。

「悪いんだけど、ステータスを見れば一発だから」

「ぐっ……そういえばエドガーはそんなスキルを持っているんだったな」

兄さんは観念したらしく、騎士団の会議室へと俺たちを連れて行き、人が来ないことを確認してから話し始めた。

「今から2、3ヶ月前のことだ。突然夢枕に法と秩序を司る神ヴィズ・ローと名乗る者が現れて、加護とスキルを授けるから、己の良心に従って使いこなせとだけ言って消えてしまった。

ああ、もちろん、加護の中身とスキルについては説明してくれたさ。そうでなきゃ何ができるんだかわからないところだからな。

ヴィズ・ロー様は黒いウェーブの髪の眠そうな男性で、身体がふらふら左右に揺れていて、片手には天秤があった。伝承と一致しているし、実際にスキルも加護も授かっていたんだから偽物ってことはありえない。

どんなスキルだったかは……エドガーはもう見たんだろう?」

「うん、【事件察知】だね。周辺で起きた事件の気配を察知できるっていうスキル」

この点では既にデヴィッド兄さんにも説明済みだ。

「突然だったからな。最初はわけがわからなかった。

が、 切り裂き魔(リッパー) 事件が起きて、俺はこう思った。――ヴィズ・ロー様は、俺に 切り裂き魔(リッパー) を捕まえろと言っているのだと」

でもそうするとヴィズ・ローは 切り裂き魔(リッパー) 事件の発生を事前に察知していたことになるのか?

まぁ、兄さんに【事件察知】なんていう変わったスキルを授けられるくらいだから、当の本人が事件を予知できるのだとしても不思議ではない。相手は神様だしな。

「念の為に聞くんだけど……兄さんは事件のあった日はどうしていたの?」

「具体的な日付を教えてくれるか?」

「ええっと……第一の事件は12月7日、第二の事件は1月7日、第三の事件は2月3日、第四・第五の事件は2月17日だね」

俺は次元収納から手帳を取り出し、ベルバルト兄さんに説明する。

「なぁ、エドガー、次元収納もあまり人前では使わない方がいいんじゃねぇか?」

ベルハルト兄さんが心配そうに聞いてくる。

「大丈夫。人前ではこうするから」

俺はポケットからものを取り出すと見せかけて、次元収納から手製のこけしを取り出してみせる。ついでに反対側のポケットからはやはり手製の熊の木彫りを取り出した。

「……器用だな」

「そうでもないよ」

むしろ、転生者の基本テクニックではないだろうか。

俺が内心で馬鹿を言っている間に、ベルハルト兄さんは会議室の壁に貼り出されていた騎士団の予定表をめくりながら答えてくれる。

「12月の事件のあった日は、竜騎士団は休みだったな。ただ、全員参加の忘年会があったから、全員で新市街の酒場に繰り出していた」

それは……微妙な話だな。

全員がいたというのならアリバイとしては成立するが、新市街にいたのなら抜け出して 切り裂き魔(リッパー) 事件を起こすこともできたかもしれない。

「厩舎の番は?」

「それはもちろん、退役した竜騎士に特別手当を出してやってもらった。といっても、この手当は殿下のポケットマネーから出てるんだけどな」

退役した竜騎士が騎竜を盗むことができるのかどうかなども、それとなく探りを入れてみる必要があるんだろうか。

「1月の事件の日はどう?」

「1月の、7日だったな。その日も竜騎士団の宴会で朝まで騒いでいたよ。翌朝、二日酔いでうんうん言ってる時に切り裂き魔が出たって話を聞いたから間違いない」

「また宴会ですか?」

デヴィッド兄さんが少し呆れたように言った。

「いや、ベテラン竜騎士の1人の婚約が決まってな。殿下自ら、宴会を開こうとおっしゃってくださったんだ」

「ということは、団長のイルフリード殿下も?」

「殿下は、翌日の登城で醜態を晒すわけにはいかないと言って、途中で抜けていたが、それだって深夜は回っていただろうからな。付き合いのいいお方だよ」

「その宴会も新市街で?」

「いや、その時は旧市街のレストランを予約したよ。祝いの席だし、そのベテラン竜騎士はそこそこの家柄の貴族の出だからな」

となると、2件目のアリバイは完璧だな。それこそ竜騎士団が全員グルになって 切り裂き魔(リッパー) をやってでもいないかぎりは……。前世でそういうミステリー小説を読んだことがあるが、題名は言わない方がよさそうだ。

同様にして、3件目の 切り裂き魔(リッパー) 事件――旧市街のヴィステシア子爵邸での殺しについてもアリバイを確認する。この時は、現場が旧市街で夜間ということもあって、竜騎士すべてのアリバイが成立とはいかなかった。もっとも、むしろ2件目のアリバイ証明が綺麗にできすぎたというべきかもしれない。後はコルゼーさんに頼んで個別に調べ上げてもらうしかないだろう。貴族出身者の多い竜騎士団員の身辺調査は困難が多いらしく、コルゼーさんはやりたくなさそうにしていたが、事態がこうなってしまってはやってもらうしかなさそうだ。コルゼーさんには〈錬金術師〉のランク上げで作った特製の胃薬をあげた方がいいかもしれない。

「それで一昨日2月17日――例の二重殺人が起きた夜についてはどう?」

「ああ、両方の市街で殺人があったから『二重殺人』か。どうせエドガーが言い出したんだろ」

ベルハルト兄さんはからかうように俺に視線を向けてくるが、それに関しては濡れ衣だ。

ドヤ顔で「これは二重殺人――不可能犯罪なんだ」と言っていた当の本人はすっと顔を逸らしている。おい。

まぁ、デヴィッド兄さんにしても《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》とか名乗っちゃう人に言われたくはないだろう。

「とにかく、おとといの夜のことだな? 俺個人に関しちゃ、簡単だ。俺は自分の騎竜の元気がないのが気になって、厩舎にいたんだ」

ベルハルト兄さんの騎竜というのは、以前見せてもらったドラゴンパピーのことだな。

昨日の夜もご活躍だった。

「一晩中?」

「竜騎士と騎竜は一心同体だ。じゃねぇと戦場でちょっと窮地に陥った時に騎竜は竜騎士を振り落として逃げ出しちまうんだ。だからこういう場合、竜騎士は厩舎で一晩を明かすんだよ。そうすると、騎竜は自分が苦しい時に一緒にいてくれた竜騎士のことを見捨てなくなるんだ」

へええ。一人前の竜騎士になるには、本当に手間暇がかかるんだな。

「とくにパピーは気が弱いから、こういう時に放っておくと暴れ出して怪我をしちまったりする。当直の騎士もいたから、俺が厩舎から離れてないことは簡単に証明できると思うぜ」

なるほど。一応調べる必要はあるだろうが、兄さんの言葉を疑う要素はなさそうだ。

「よかった。完璧なアリバイだね」

「アリバイ?」

「不在証明、というのかな……要するに、事件の起きた時刻に現場近くにいなかったことが証明できたってことだよ」

「例の前世知識って奴か……物騒な世界にいたもんだな?」

いや、こっちの方がだいぶ物騒だと思うけど。

しかし通り魔と格闘した挙句警察官に射殺されて転生した俺が言っても、あまり説得力はないかもしれない。

「イルフリード殿下はどうされていましたか?」

デヴィッド兄さんが聞く。

「その日は、夜遅くまで厩舎に残って、こういう場合のパピーの扱いについて俺に教えてくれたよ。その後のことは俺にはわからねぇけど……ひとつだけ言えることはある」

「何でしょうか?」

「俺が竜騎士団の厩舎にいたってことは、殿下は黒竜王を使うことはできなかったってことだ。おまえらが俺にこだわってる理由くらい、俺にだって察しがついてるよ。一夜の間に両市街で 切り裂き魔(リッパー) 事件を起こすためには、両市街を往復するための『足』がいる。その『足』の最有力候補は、竜騎士団の騎竜だと言うんだろう?」

ベルハルト兄さんが苦い顔で言った。

そうか、やっぱり気づいていたのか。

「しかし、世の中何が幸いするかわからねぇもんだな。俺の騎竜の調子が悪かったおかげで、あの夜厩舎の騎竜は1体たりとも持ち出されなかったことが断言できる。俺が厩舎にひとりだった時間は少なからずあるが、俺が騎竜を使った可能性はない」

「そのことの証明はできますか?」

「パピーの体調不良は騎士団専属の医師が診察してわかったものだ。翼膜熱という病気で、成長期のパピーがよくかかるらしい。翼が大きくなる前の準備だって説もあるが、とにかく翼膜熱にかかったパピーは翼が痛んで飛べなくなる。あの日、俺はパピーを使えなかったんだよ。だからこそ、【事件察知】の胸のうずきにも似た感覚についても我慢しておくしかなかったんだ」

ベルハルト兄さんが言わんとしているのはこういうことだ。

――あの夜、竜騎士団のうち誰ひとりとして、厩舎の騎竜を使って両市街を往復できた人間はいない。

もちろん、団長であるイルフリード第一王子も含めて、だ。

「だいたい、両市街の往復に騎竜を使うこと自体は、そりゃ可能だけどな。降りた後の騎竜をどこに隠すってんだ? それから、空を飛んでる時に月でも横切ったら地上に影が落ちるだろう。そうでなくても、星の瞬きが隠れたことを怪しんで気づくような勘のいい奴もいる。こいつは、《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》として正体の隠匿に散々苦労してきた俺だからこそよくわかる。いくら夜だからって、そして、いくら黒竜王みたいな色の黒い騎竜を使ったって、誰にも見咎められずに市街地上空を抜けるのは至難の業だぜ?」

ベルハルト兄さん、いや《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》の言葉には実感がこもっていた。

しかしそこは、実証と検証を重視する行動博物学者である。デヴィッド兄さんが冷静に言う。

「第五の事件現場――いえ、正確にはどちらか先かはまだ確定できないので第四かもしれませんが、とにかく新市街側の事件現場は新市街外れにあるキュレベル商会所有の倉庫でした。場所としては、モノカンヌス湖と海の境目に近づいていく辺りの湖岸ですね。海への砂州の付け根に当たる場所、というとわかるでしょうか」

「……なぁるほど。竜騎士団の厩舎は旧市街の北の外れにあるから、そこから霧の濃い湖へと繰り出して湖面ギリギリを滑空するか、海の方を大回りするかして湖を越えれば、人目につかずに倉庫までたどり着くことはできるってか。そしてそこが人気のない倉庫なんだったら、騎竜1体を短い間隠しておくことくらいはできるかもしれねぇな」

「そういう場合、騎竜は啼かずに大人しくしていられるものなのでしょうか?」

「できるぜ。っていうか、できるように訓練してるってのが正確だな。竜騎士団は戦場の花形のように思われちゃいるが、実際の運用としては敵勢力への斥候や敵領土の上空を飛んでの地形観察などが主な任務となる。その際中に敵側の領土に降り立つ必要が出てくることは当然あるからな。そんな時に恐怖に駆られて啼き出すようじゃ困っちまう」

ベルハルト兄さんがデヴィッド兄さんに同意するが、肩をすくめてから表情を改めた。

「だけどな、あの事件の夜、俺が厩舎にいた以上、竜騎士団の騎竜は使われてねぇ。これがたとえば、一部の 質(たち) の 悪(わり) ぃ竜騎士――殿下に媚びへつらうことしか考えてねぇような連中だったら、殿下の命令一発で黙らせることも可能かもしれねぇ。だが、あの夜厩舎にいたのはこの俺だ。たしかに俺は殿下には目をかけてもらってるかもしれねぇが、ヴィズ・ロー様に誓って、そんな取引には応じないぜ? いや、そもそも殿下が俺にそんなことを言ってくること自体ありえねぇと思うけどよ」

そう言うベルハルト兄さんの目は真剣で、とても嘘を吐いているようには見えなかった。

いや、どちらにせよ俺の家族である以上、メルヴィが一緒の時に同じことを聞かれたら嘘は露見してしまう。これまで付き合ってきてわかっている人柄からしても、兄さんが 切り裂き魔(リッパー) だったり、イルフリード殿下をかばって嘘を言っていたりしている可能性はないと俺は思った。

デヴィッド兄さんもそれは同じだろうと思って様子を伺ってみると、

「しかし、それとは別に殿下からもお話をうかがっておきたいですね」

デヴィッド兄さんは全く空気を読まずにそう言った。

「お、おい、まさか殿下を疑ってるのか!? 今の話で『アリバイ』があったことはわかっただろう!?」

「行動博物学の基本は、先入観を持たないことです」

掴みかからんばかりのベルハルト兄さんに、デヴィッド兄さんが愛想の一欠片もない言葉を返した。

しかしそれから、何かを思いついたような様子で宙を見ると、改めてベルハルト兄さんに向き直る。

「……ふむ。ベルハルト兄さん、何か気がかりなことがあるのでは?」

まっすぐに見つめてくるデヴィッド兄さんに、ベルハルト兄さんがうろたえた。

「ど、どうしてそう思う?」

「あなたも嘘をつけない人ですね……大丈夫、悪いようにはしません。下手に隠されると、かえっていざという時に手が打てないではありませんか」

「む……そうか。わかった、おまえを信用して話すことにしよう」

ベルハルト兄さんは、ひとつため息をついてから口を開いた。

「事件の当夜、俺は王城内から事件の気配を感じたんだ。それも、王族の居室のある辺りから、立て続けに2件もだ」

「ほう、つまり、ベルハルト兄さん自身が、イルフリード王子を容疑者のひとりと考えていると?」

「殿下があんな陰惨な殺しをするわけがないだろう! それにそもそも、俺にわかるのは何らかの事件があったはずだということだけで、どういう事件があったかはわからない」

「でも、何らかの事件があったことは確実なのでしょう? どうして、その時駆けつけようと思わなかったのですか?」

「王城に関して言えば、優秀な近衛騎士団や 王室騎士団(ロイヤルガード) がいる。俺なんかがでしゃばる必要はないと思ったんだよ。それこそ、アルフレッド父さんの仕事だろう」

「一報を入れるくらいはしてもよかったのでは?」

「正直言えば、事件の反応を受けて俺が思ったのは、またイルバラ姫がやらかしたんだろうってことだったんだ」

「あぁ……なるほど」

「こないだおまえらが厩舎に見学に来た時に、イルバラ姫が爆発を起こしただろう? あれも周囲の耳目を集めるから、【事件察知】の反応は大きいんだ。昨日のひったくりより大きいくらいだな」

それはなんともはた迷惑な話だな。

「あとでこっそり、イルバラ姫のメイドに聞いてみたんだが、その晩、イルバラ姫は宮廷魔術師と話し込んでいたから、実験はしていなかったというんだ」

「他に事件らしい出来事はなかったのですか?」

デヴィッド兄さんが聞いた。

「なかったようだ。ただそれでも、夜中の反応が 切り裂き魔(リッパー) だったかどうかはわからねぇぞ。王城なんてその意味じゃ伏魔殿さ。俺なんかが首を突っ込むべきじゃねぇ暗闘もある。だが、それはその位にある者に任せておけばいい」

ベルハルト兄さんが肩をすくめた。

「実を言うと、王城内や貴族の屋敷から事件の気配がすることはたまにあるんだ。だが、まさか貴族の屋敷に乗り込んでいくわけにもいかなくてな。できることといえば、せいぜいあとから情報を集めて、しかるべき筋に警戒を促すことくらいだ」

正体を開かせないので《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》の名前で投書をするのだそうだ。

「それに、俺としては無辜の市民が巻き込まれた事件の方を優先したい。……そうせざるをえないとも言えるけどな。所詮、俺はひとりなのさ。王都に発生するすべての事件の現場に駆けつけることなどできんよ」

「なるほど。【事件察知】とは、残酷なスキルですね。何かが起こっていることはわかってしまうのに、それに確実に介入できるとは限らないのですから」

「そういうこった。だけどな、事件のすべてに介入することはできないにしても、ひとつでもふたつでも事件を解決できれば、それで助かる人が何人もいるんだ。助けられないことを悔いていては、助けられる人も助けられなくなる。法と秩序を司る神ヴィズ・ロー様はきっと、俺にならこの重みを背負えると思ってこのスキルを授けてくださったのだ。その期待には答えなければな」

そう言い切ったベルハルト兄さんの面構えは、さすがに神に選ばれただけはある真剣なものだった。

「【事件察知】というのは、事件発生のどの段階で察知できるものなのでしょう?」

「俺も正確にはわからねぇが、誰かがそれを事件と認識した瞬間だと考えていいだろう。被害者が犯人の犯意に気づけばその時点、気づかずに殺されてしまったら死体が第三者に発見された時点だってことだな」

「事件の大小によってスキルの反応の大小が変わるということはありますか?」

「事件の大小ではないな。事件を認識する者が、その事件をどのくらい大きなものと認識するかだ。同じスリでも、たいしたものをスラれたんじゃなければ反応は小さいし、大金の入ったバッグをスラれたんなら、ちょっとした暴力事件なんかより強い反応になることもある。昨晩のひったくりも、カバンの中によほど大事なものでも入ってたんだろうな」

それでベルハルト兄さん――仮面騎士は、ただのひったくりを 切り裂き魔(リッパー) ではないかと思って駆けつけたんだな。

「 切り裂き魔(リッパー) 事件の場合はどうでしょう?」

「正直、夜中にはたくさんの反応がありすぎて、どれがそれだかわからねぇんだ。だが、逆に言えば、 切り裂き魔(リッパー) は被害者に強力な反応を起こさせることなしに殺しをやってのけてるってことになる」

「強盗や恐喝と比べてどうでしょうか?」

「俺が気づかなかったってことは、埋没する程度だったってことだろうな。だから、俺はこう思ってる。 切り裂き魔(リッパー) は、被害者に恐怖を与えることを目的にしてるわけじゃねぇってことだ。もしそうだったら、事件の反応はもっと強烈で、かつ長続きしていただろう」

「そんな反応があったらベルハルト兄さんが既に 切り裂き魔(リッパー) を捕まえられてたはずだってことか……」

つぶやく俺にベルハルト兄さんが頷いた。

デヴィッド兄さんが言う。

「 切り裂き魔(リッパー) にとって殺しは、必要なステップのひとつにすぎないということですね。実際、医師による鑑定によれば、 切り裂き魔(リッパー) は最初に喉を掻き切って相手を殺しています。腹を裂くのはその後です。その逆――腹を裂くなどして被害者を傷めつけ、その苦痛を楽しむことを目的にしているわけではありません」

この世界にも初歩的な法医学の知識を持っている人はいる。傷が生きている間につけられたものか死んでからのものかを区別することくらいは可能だった。前世で言うところの「生活反応」って奴だな。

「やっぱそうか。俺が思うに、 切り裂き魔(リッパー) は、相手を油断させて近づき、不意を打って殺してるんだと思うぜ。だから、【事件察知】で察知できるほど大きな反応にはならねぇんだ。

むしろ、大きな反応があるのは、 切り裂き魔(リッパー) による死体が発見された時だな。その反応をもとに駆けつけてみると、既に巡査騎士が集まって人払いをしているところだったということが2度もあった。2件目と3件目の時だな。パピーの散歩をさせると言って無理に駆けつけてみりゃあもう手遅れだったってわけだ。

第四の事件の時は、さっき言ったようにパピーが翼膜熱にかかってたから、反応はあっても駆けつけることができなかった。……どっちにせよ城内じゃ、簡単には侵入できねぇけどな。近衛騎士や防諜部の連中を出し抜く力は俺にはねぇ」

油断させて近づく――か。ということは、 切り裂き魔(リッパー) は少なくとも見てそれとわかるような格好はしていないってことだな。

それこそ転生者・杵崎亨の前世のようなイケメンか、少なくとも紳士的に見える男である可能性が高い。

女性や子どもという線も、検討してみる必要はあるだろう。

その場合はどうやって 切り裂き魔(リッパー) は人体を切断したのかという問題が出てくるが、前世のサスペンスものでも女性のバラバラ殺人犯は少なくなかった。

むしろ、バラバラ殺人は弱者の犯行である、という話も聞いたことがある。死体をまるごと運べるだけの体力がないから、死体をバラバラにせざるを得ないのだと。

しかし、この話は 切り裂き魔(リッパー) 事件には当てはまらないだろう。 切り裂き魔(リッパー) は死体を犯行現場に放置していたのだから、軽量化のために死体をバラす必要はない。

犯行現場と発見現場が別である可能性は排除できないが、発見現場には「X」の印が残されていたので、 切り裂き魔(リッパー) は少なくとも一度は発見現場に現れているはずだ。

伝説の魔法とされる転移魔法なんてものが実在したとしても、発見現場に死体をテレポートさせるだけでは不十分で、発見現場に足を運んで「X」の印を書き残さなければならない。

もっとも、そんな便利な魔法があるのだったら、重りをつけて海上にでも転移させてしまえば、完全な証拠隠滅ができると思うのだが。

それはさておき、死体を別の場所に投棄することで犯行現場の発覚を避けられたとしても、発見現場に死体をバラ撒き、「X」を書いているところを見咎められたら、何の意味もなくなってしまう。

第四の現場――王城の城壁の陰になっていた場所はともかくとして、第五の現場であるキュレベル商会の倉庫は、人通りの少ない新市街の外れにあるとはいえ、敷地の外からでも現場の様子が見えてしまう。それは翌朝、通りがかったシエルさんが死体を発見したことでもわかる通りだ。

もし 切り裂き魔(リッパー) が犯行現場を隠すために死体の投棄場所を探していたのだとしたら、もう少し見つかりにくい場所を選ぶのではないだろうか。何も、遠くまで行く必要はない。倉庫のもう少し奥まで死体を運びさえすれば、「作業」に勤しんでいる姿を誰かに目撃されるおそれはなくなったはずだ。

また、バラして運ぶということは、犯行現場(ないし解体現場)と発見現場を何度となく往復する必要があるということでもある。それは、巡査騎士が警戒を強める今の王都ではかなりリスキーな行動だろう。

そんなような理由から、ここは素直に、 切り裂き魔(リッパー) は犯行現場で死体を解体し、死体を放置してそのまま立ち去ったと仮定しておくべきだと思う。

ただ、 切り裂き魔(リッパー) が女性や子どもであるという説は否定できないだろう。

死体の状況から、 切り裂き魔(リッパー) は相当に鋭利な刃物を持っているか《エアロスラスト》のような切断魔法が使えるのではないかと言われている。その点では女性や子どもが 切り裂き魔(リッパー) であってもおかしくはなかった。

ただしその場合、かなり力のある大人の女性であるか、古代遺物のような切れ味の鋭い強力な刃物を持っているか、風属性魔法を達人級以上のレベルで修めている優秀な魔法使いである必要があるだろう。ついでに【気配察知】や【隠密術】のような偵察系のスキルも持っていることが望ましい。総じて言えば、ギルドでも上位に入るような優秀な冒険者ででもなければ難しいのではないかということだ。他にも、冒険者は魔物の解体をする関係で人体の解体も比較的スムーズに行えるはずだという材料もある。

しかし、そんな優秀な冒険者がなんだって 切り裂き魔(リッパー) などになるのか、という動機の問題についてはなんとも言えない。

ちなみに、素行に問題のある冒険者で、上記条件を満たしそうな冒険者については既にコルゼーさんが捜査を行っており、何らかの形でアリバイが立証されていた。おおまかに言って、素行に問題のある冒険者が依頼以外で金門橋を渡って旧市街に入ることはできないので、旧市街側で起きた第三、第四の事件の犯人には成り得ないのである。

なお、優秀な冒険者で、【風精魔法】が高いレベルで使えて、偵察系スキルも習得している冒険者を、俺はひとりだけ知っている。他ならぬジュリア母さんである。しかも母さんは貴族夫人なので金門橋を渡ることができてしまう。二重殺人がなかったら、母さんが容疑者筆頭になりかねないところだった。もちろん、火属性魔法以外のスキルについては家族以外には口外していないので、俺とデヴィッド兄さん以外に疑われる可能性はないのだが。

とにかく、こうして考えれば考えるほどに、 切り裂き魔(リッパー) の人物像は拡散していき、条件は厳しくなっていく。

本当にこんな人間がいるのかと思えてくるくらいだ。

「兄さん――《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》から見て、 切り裂き魔(リッパー) とはどのような人物ですか?」

デヴィッド兄さんがそう聞いた。

「難しい質問だな。人を殺しては、風に紛れるようにして消え去る、亡霊のような奴ってとこか。――実は、ひとつだけ思い当たるフシがあるんだ。いや、デヴィッドには笑われそうだけどよ」

「何です? 笑わないから教えて下さいよ」

「うん……俺が疑ってるのは、 切り裂き魔(リッパー) は生身の人間じゃねぇんじゃねぇかってことだ」

「生身の人間では……ない?」

「つまり、悪霊さ。デヴィッド、おまえは図書館の司書なんだから、ベアトリーチェ姫の悲恋については知ってるだろ?」

「5代前の国王イルガンド2世陛下の王女であったベアトリーチェ姫が、不義の子を孕んだ角で処刑された……という話ですね」

「歌姫としても有名だったベアトリーチェ姫は、姦通の罰として、喉を割かれた上、腹を切り裂かれ、子宮を抉り出されて殺された。もちろん、お腹の中の子どもともどもな」

つまり、ベルハルト兄さんはこう言いたいのか。

切り裂き魔(リッパー) の手口はベアトリーチェ姫の殺され方とそっくりだと。

背筋がぞわりと冷たくなった。

しかし、デヴィッド兄さんは顔色ひとつ変えず、少し考える様子を見せてから言った。

「ふむ……一概には否定しませんよ」

「おや、意外だな」

「実は、イーレンス殿下は、 切り裂き魔(リッパー) は死霊術師なのではないかとの説を立てられていましてね」

「あの方がか……だが、俺に言えたことじゃねーけど、少し夢見がちな話なんじゃねぇか?」

悪霊説を言い出したベルハルト兄さんだが、他人の口から語られると疑わしく思えるようだ。

ベルハルト兄さんがイルフリード王子派で、イーレンス王子にそこまで共感的ではないせいかもしれないが。

「死霊術師で悪ければ、悪霊でも、悪魔でも、迷い込んだ魔物でも、地下空洞に棲むという死霊でも、エドの追っている悪神の使徒でもいいのですが、要するに人外の存在か、それに匹敵するような人間による犯行である可能性を、イーレンス殿下は気にかけておられるのですよ」

「……なるほどな」

デヴィッド兄さんの説明に、ベルハルト兄さんが顎に手を当てて考え込む。

「ただ、ひとつ難点がありますね。 切り裂き魔(リッパー) が亡霊なのだとしたら、ヴィズ・ロー様がベルハルト兄さんに力を授けたのは、やや的外れな対処だったことになってしまいます」

「……どういうことだ?」

「【事件察知】は、犯罪者を捕まえるのには便利かもしれませんが、亡霊を捕まえるためのものではありません」

たしかに。原理的には亡霊の起こした「事件」であっても、それが被害者本人や第三者によって事件と認識されれば、【事件察知】は反応するはずだ。

しかし、ベルハルト兄さんに除霊?の能力はない。ベルハルト兄さんはそこらのごろつき……はおろか、たいていの騎士には負けないくらいの実力があるが、相手が実体のない亡霊では打つ手がなさそうだ。

法と秩序を司る神ヴィズ・ローは人選を誤ったということになってしまう。

「亡霊が誰かに取り憑いてるってのはどうだ?」

「それについてはなんとも……僕も死霊術師ではありませんので」

デヴィッド兄さんが真顔で冗談を言って、ベルハルト兄さんとの会談は寒い空気のままお開きとなった。