軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

58.微笑み

「殿下、そろそろお昼寝の時間ですよ」

「ええ? 眠くないよ」

「そうですか。それでは眠らなくてもよいので、ベッドに入って目を閉じていましょう」

「それって退屈だよ」

「そうですね。私も退屈なので、殿下のベッドの隣に座って大好きな物語の本を読みますわ。きっと楽しすぎて声に出してしまうかもしれませんが、我慢してくださいね」

「わかった!」

今までリクハルドは午前と午後の二回お昼寝をさせられていたらしい。

眠れもしないのに暗い寝室に閉じ込められるのだから、リクハルドにとってお昼寝は苦痛だったようだ。

しかも大して運動もせずそれだけ眠らされるので夜もあまり眠れず、生活リズムがかなり狂っていた。

それもリクハルドを寝室に閉じ込めている間はムランド夫人たちは自由に過ごせたからだろう。

しかし、その隙にリクハルドは部屋から抜け出していたのだから、アリエスは呆れて言葉も出なかった。

そこでここ数日は、アリエスが結婚前に伯爵領地で過ごしていたような生活を実践していた。

朝、リクハルドが起きれば棟内の散歩に出かけていろいろな場所を説明してもらう。

アリエスにとってこの王族専用の棟はリクハルドを連れていたとき以外は入ることを許されない場所だったので、大いに楽しんでいた。

実際はリクハルドの知らない場所のほうが多かったが、それは護衛の近衛騎士に教えてもらうのだ。

それから朝食を食べて、専門の教師の授業を一緒に受ける。

リクハルドはとても喜んでくれるうえに、アリエスにとってもかなり有意義な時間だった。

そして昼食後にお昼寝となるのだが、これをリクハルドは嫌がる。

まだ四歳のリクハルドには必要なのだが、やはりいつも渋るのだ。

そのためアリエスがリクハルドの枕元で本を読むことで折り合いをつけていた。

ただし、アリエスが読む本というのはフロリスに持ってきてもらった老侯の日記であり、内容を子供向けの物語に脚色しているのである。

それだけ老侯の日記は面白い読み物であり、リクハルドの中では〝ローコー〟というヒーローが誕生していた。

「――子供向けの物語には思えないんだがな」

「あら、たいていの物語は残酷なものでしょう? それを柔らかな表現にしているだけで。そんなことより、ここの警備はザルね。一見して厳しいように見えるけれど、小さな男の子が一人抜け出せるだけでなく、不審人物が侵入できるなんて誰が手を回しているのかしら」

「不審人物とは失礼だな」

リクハルドが寝付いてから、ジークはそっと部屋に入ってきて、アリエスに小声で話しかけた。

アリエスは壁を背に立つジークを睨みつけて呆れたようにため息を吐く。

リクハルドに抜け道を聞くと普通に扉から出ただけだと素直に答えてくれたのだが、ジークは明らかに扉ではない場所から入ってきた。

しかも今のジークは衛兵の恰好さえしておらず、よれたシャツ一枚をズボンに突っ込んだだけである。

「先代カスペル侯爵が失脚した今、テブラン公爵にとって表立った政敵がいなくなったからかしら。ひとまず殿下の御身を心配する必要はなくなったものね」

「……他の政敵はとある聖女様が骨抜きにしたようだからな」

「その聖女様も落とせない殿方がいたようで、方針転換したのかしら。大人より子供のほうが扱いやすいもの」

「それで自分の妹を失脚させて、聖女様を王子付きにすることにしたんだろうな。だがそれも邪魔が入ってしまった。さて、これからどうすると思う?」

「あら、簡単なのは私を殺すことね」

「怖くないのか?」

あっさり答えたアリエスに、ジークは眉を寄せて問いかけた。

アリエスは穏やかな寝息を立てるリクハルドのはみ出た足を掛布の中にそっと戻したが、沈黙したまま。

このまま答えが返ってこないのかとジークが思いかけたところで、アリエスは顔を上げた。

「私、たぶん子供は産めないわ。それが離縁された理由でもあるけれど、私はずっと……五年以上もの間、子を身ごもらないために薬を飲んでいたの。それが私の体にどう影響を及ぼしているかはわからない。それに、他にもいろいろな薬を飲んでいたのよ。今王宮で噂になっているポルドロフ王国の王太子の話、あれは私の実体験でもあるの。だからちょっとやそっとの毒も効かないみたい」

ジークはアリエスの告白に驚き言葉を失っているようだった。

そんなジークを見て、アリエスは優しく 微(・) 笑(・) ん(・) だ(・) 。

「あなたは一度も殿下を――我が子を見ようともしないのね。噂って意外と真実をついているものだわ」

「王は……我が子が五歳になるまで会わないしきたりなんだ」

「それならなぜあなたはここにいらっしゃるの?」

「それは……」

言いかけてジークは自分がただ弁解をしているだけであることに気付いて口を閉ざした。

初めて見るアリエスの微笑みはあまりに悲しげで、ジークは自分の無力さを痛感していた。

アリエスはこの国の伯爵令嬢だったにもかかわらず、家族を養うために他国へ嫁がざるを得なかったのだ。

その頃のジークは有爵家の義務である結婚報告を受け、うまくやったなというぐらいにしか思っていなかった。

「……すまなかった」

「なぜ謝罪なさるのかわかりませんが、その必要はございません。あなたは――陛下は陛下の為されるべきことを、私は私の為すべきことをしたまでです。そしてそれはこれからも変わりません。どうぞ在られるべき場所へお戻りください。私は持てる力をもって、殿下をお守りすると約束いたします。それだけのお給金はいただけるようですから」

笑顔を消したアリエスは、またいつもの淡々とした調子に戻った。

そんなアリエスにジークは近づいて真剣な眼差しで見下ろす。

「だとすれば……俺は俺の目標を達成すると約束する」

意味がわからずアリエスが首を傾げると、ジークはふっと苦い笑みを浮かべてリクハルドに目を向けた。

それから恐る恐るリクハルドの頬に触れる。

だがリクハルドがぴくりと動くとぱっと手を引き、起きないとわかるとほっと息を吐いた。

「温かかった」

「当然です」

「俺の目標は……皆を笑顔にすることだって言っただろ? だから、アリエスを笑わせてみせると」

「そういえばそうでしたね」

はじめて会った頃にそんなことを言っていたなと、アリエスは思い出した。

ジークはいつもの皮肉な笑みを浮かべ、アリエスの頬に触れる。

「いつかじゃない。近いうちに、アリエスもリクハルドも、腹の底から笑えるようにしてみせるよ」

「……その日を楽しみに待っております」

「ああ、それじゃあ……」

ジークは壁に見えた扉を開け、手をひらひらと振った。

しかし、ふと立ち止まり振り返る。

「ここの開け方はわかったな」

「ええ」

「それじゃ、ここをひたすら右に沿って進めば国王の執務室に出る。左に進んでから一度右に曲がり、それから階段を下りてとにかくまっすぐ進めば外に出ることができる。開け方はみんな一緒だ。じゃあな」

今度こそジークは別れの挨拶を口にして壁の中に消えていった。

アリエスはただただ道順を覚えることに集中していた。