軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

57.呪文

「申し訳ありませんが、しばらく殿下と二人きりにしていただけませんか? また何かありましたら声をかけますから」

ムランド夫人が女官長たちと出ていき、動揺したままの女官たちにアリエスは淡々と告げた。

しばらくここから離れてお茶でも飲めば、少しは落ち着くだろう。

そう考えて、もう一つ付け加える。

「その前に、殿下のお好きな温かいお飲み物を用意してください」

どうすればいいのかわからない様子だった女官たちは、指示を与えられてほっとした様子で部屋から出ていく。

アリエスはリクハルドを抱いたまま、サイドテーブルのある長椅子に腰を下ろした。

しかし、リクハルドは膝に乗せたままだ。

「アリエス……」

「はい、何でしょう?」

「ぼくは一人ですわれるよ?」

「まあ、それはご立派でございますわ。ですが、私はまだこの部屋に慣れなくて怖いので、一緒に座っていてくださいませんか?」

「……なら、いいよ」

「ありがとうございます、殿下」

嬉しそうに答えるリクハルドにお礼を言って、アリエスはちらりと控え室を見た。

すると、ノックもなしに扉が開かれ、女官の一人が飲み物を持って入ってくる。

この王宮にはノックの習慣がないのかと問いたいくらい、皆が我が物顔で歩き回るのねと思い、そこも正さなければと心にメモした。

もちろん自分の覗き趣味その他については棚上げである。

「ここは私が今までいた部屋よりもずっと広くて迷子になってしまいそうです。ですから、殿下がこうしてお傍にいてくださると心強いですわ」

「じゃあ、あとであんないしてあげる」

「まあ、それは楽しみですわ」

胸を張って答えるリクハルドに頷いて、女官が出て行くのを待つ。

それからアリエスはカップに入ったミルクを鼻に近づけ、蜂蜜が入っているらしいことを確認してからリクハルドに渡した。

今のところ国王とは違い、リクハルドが命を狙われることはないだろう。

さすがに息子に無関心な国王でも、身の安全くらいは気を配っているはずである。

アリエスがリクハルドを誘拐したことを誰かが知っていたくらいなのだから。

(ただ鞭に関してはね……)

王家の子育て事情がどういうものかは知らないが、一度確認していたほうがいいだろう。

だが、アリエスが納得のいかないことはするつもりはない。

体罰や安全を優先させるあまりほとんど部屋から出ることがないなど、子供の気持ちを無視した教育には反対だった。

「あつっ!」

「まあ、殿下。熱いものを飲むときは少し冷ましてからお口に運んでくださいね」

「あついほうがおいしいってゲニーが言ってたから――」

「そうですね。温めたミルクは熱いほうが美味しいですものね。こうして湯気が出ているものは熱い証拠ですから、もしどうしてもお飲みになりたかったらこうして……」

リクハルドはゲニーの名前を出したことでばつの悪そうな顔をしたが、アリエスは気にした様子を見せず、カップを口に近づけてふうふうと息を吹き付けた。

「あまり人前ではされないほうがよいので、これは二人だけのときにしましょうね?」

「どうしてみんなの前でしてはいけないの?」

「殿下はとても素敵な方ですからね。ほら、見てください。こうしてふうふうとしている私の姿、少し間抜けじゃありません?」

「ほんとだ……」

そう言って笑うリクハルドは先ほどまでの緊張がすっかりほぐれたようだ。

アリエスはこれからどうするべきか考え、心を決めた。

テブラン公爵はどうにかしてアリエスを筆頭女官の座から降ろそうとするだろう。

だがリクハルドが自分でしっかりとした考えを持てるまでは無理でも、せめて次の教育係が――公爵の息がかかっていない確かな人物が見つかるまでは居座らなければならない。

「殿下、今日からこのアリエスが殿下のお世話をさせていただくことになったのですよ」

「ほんとうに!? ゲニーはもう来ないの!?」

「ええ、あの方は別のお仕事があるので、私が代わりをさせていただくことになりました。よろしいでしょうか?」

「うん!」

先ほどの話をどこまで理解したのかわからなかったので、アリエスは改めてムランド夫人の代わりに筆頭女官になったことを説明した。

リクハルドは今までにないほど顔を輝かせている。

どんな親でも子が慕うように、リクハルドもムランド夫人を慕っていたのならどうするか心配していたが、大丈夫そうだ。

アリエスはほっとして、次の話題に移った。

「それでは、以前私がお話ししたことを覚えておいでですか?」

「……アリエスがまじょだってこと?」

「さようでございます。もちろんそれは殿下と私の秘密ですが……これから殿下と私でもっと秘密を作りませんか?」

「ひみつを?」

「はい」

リクハルドは手にあるカップの存在も忘れているようだった。

そこでアリエスはカップをサイドテーブルに置いて、リクハルドを膝の上から下ろす。

「アリエス?」

「これは殿下と私との約束ですから、対等の立場でお話しましょう」

「う、うん……?」

当然ながら意味はよくわかっていないようだが、期待に瞳を輝かせている。

アリエスはリクハルドの小さな両手を握って話し始めた。

「やはり殿下には魔法の才能があるようですね?」

「まほうのさいのう?」

「はい。魔法が使えましたでしょう? 殿下の呪文は私に届きましたもの。それからムランド夫人より偉い女官長がやってきて、殿下のお願いを叶えてくれましたね?」

「ぼくのおねがい?」

「違いましたか? 殿下はムランド夫人に目の前から消えてほしいとお願いされていたのでは?」

「そ、そうだった……」

リクハルドは自分の言ったことを思い出して少し怯えたようだった。

アリエスは励ますように表情を和らげ、小声で続けた。

「殿下のお言葉には魔法の力が宿っているのです。そのお力は殿下が大きくなればなるほど、強力な呪文となるのですよ」

「ほ、ほんとうに?」

「はい。これは秘密ですよ。殿下が何かのお願いをお言葉にすれば、それらは本当のことになってしまうのです。ですから、これからは私と一緒に一つ一つ言葉の持つ意味を学んでまいりましょう」

「わかった」

真剣な表情で頷くリクハルドを目にして、アリエスはほっと息を吐いた。

あれから一度も連絡をしてこない弟妹たちを思えば、自分は子育てには向いていないのだろう。

それでもこの小さな王子様が汚い大人たちに少しでも抵抗できるようになるために、アリエスはできる限り力を尽くそうと誓った。