軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編:占い師

執務棟のお気に入りの部屋から出たアリエスは、いきなり背後から声をかけられ身構えた。

メイド姿のアリエスにとって面倒な相手だからだ。

すぐに俯き片手で口を覆うと、おそるおそる振り向く。

「な、何でしょうか……?」

「おいおい、そんなに震えなくても、取って食べたりはしないぞ」

そう言って、男は「面白いだろ?」というようにニヤリと笑う。

声をかけてきたのはトーマスという中年の男で、女癖が悪いと有名だった。

若い頃には美男子で女性に人気だったらしいが、今は年齢ならではの体型のたるみと、何より嫌な性格が顔ににじみ出ている。

それなのに、未だに自分はモテると勘違いしており、特に若い女性からは嫌われているのに気づいていない。

従僕の中でもそれなりの立場にいるため、メイドたちは愛想笑いをするしかないのだった。

「見かけない顔だが、名前は何というんだ?」

「私は……」

慣れないふりで口ごもりながら、アリエスはポケットに左手を入れた。

もし問われたときには、王宮の女性使用人で一番多い『マギー』と名乗るようにしている。

先日、女神像に傷をつけて辞職したメイドも『マギー』で、使用人の入れ替えは多いために適当に誤魔化せるのだ。

ただし、完全に言い逃れできないのがメイドを統括しているメイド長であり、彼女にだけは絶対に見つからないように気をつけていた。

また、アリエスの顔をしっかり覚えている女官長などに見つかると厄介なので、その場合に備えて痣に見える染料をポケットに忍ばせている。

以前ジークに見つかったときは、顔に染料を塗る隙がなかったが、きっと痣を作っても正体はばれていただろう。

今はトーマスに言い寄られないために痣を作ったほうがいいと判断したのだ。

普段は印象に残さないために、わざわざ痣を作ったりはしない。

たいていの人はメイドの顔などどうでもいいのだ。

(ユッタのように目立って可愛ければ別だけれど、この男の目にとまってしまったのは失敗だったわ……)

アリエスが悔やみながら染料の蓋をこっそり開けようとしたとき、そのユッタの声がした。

「あ! いたいた! もう、捜したのよ!」

いつもとは違う馴れ馴れしさでユッタはアリエスに近づき、そこでトーマスに気づいたといったようにはっとした。

そしてすぐに困惑した表情になる。

「トーマスさん、ひょっとしてこの子が何かしましたか? 新入りで失敗ばかりだから、今も急ぎで呼ばれているんです」

「ああ、別にたいしたことはないから気にしないでいい。新入りを気遣ってあげるなんて、ユッタは相変わらず優しいな。またご飯を食べに行こう。ご馳走するよ。いつがいい?」

「いえ、そんな私など……恐縮です。今は急いでおりますので失礼いたします。ほら、あなたも挨拶して」

ユッタはアリエスに頭を下げるよう促し、申し訳なさそうに微笑んで急ぎその場を離れた。

もちろんアリエスの腕をがっちり掴んでいる。

しばらく歩いてトーマスから離れると、ふうっと大きく息を吐き出した。

「アリエス様、びっくりしましたよ~」

「ありがとう、ユッタ。おかげで助かったわ」

染料は落とすのに手間がかかるので、できるだけ使いたくなかった。

だがトーマスに顔を覚えられるよりは、と仕方なく使うところだったのだ。

そもそもアリエスはその場にいてもめったに存在を認識されることはないのだが、捜されてしまってはどうしようもない。

要するに、トーマスは声をかける女性を探していたのだろう。

「お力になれてよかったです。あの人に目をつけられると面倒ですからね」

「でも、ユッタが標的になってしまったわね。『また』って言ってたけど、食事に行ったことがあるの?」

「はい、数人で一度だけ。誰かが断れなかったときは、仲間内で何人か一緒に行くことにしているんです。二人きりになりたくないだけなんですけどね。トーマスさんは女の子に人気なんだと喜ぶんですよ」

「ああ……」

それで余計に勘違いが加速しているのかと、アリエスは納得した。

トーマスはすでに結婚しているのだが、結婚を機に退職した妻は街でお針子としてまた働きに出ているらしい。

それも夫の浪費癖が原因だそうだ。

(女性に貢がなければ相手にしてもらえない時点で理解できないなんて、残念ね)

過去の栄光に縋るのはよくあることである。

アリエスは呆れつつ、隣を歩くユッタに意識を戻した。

ここはユッタの持ち場からは遠い。

「それで、ユッタはここで何をしていたの?」

「それが……マギーを捜していたんです」

「どのマギー?」

「西翼棟担当の掃除メイドのマギーです」

「ああ、彼女ね。それでなぜこの執務棟に?」

「それが、マギーの恋人なんですけどまた浮気したみたいで……。彼が心配らしく、マギーは仕事を抜け出して見張りにきたみたいなんです」

「それは大変ね」

そう応じながらも、アリエスは『マギー』と聞いて、ユッタの答えはわかっていた。

先ほどとある部屋で覗き見たのは、そのマギーと彼との逢瀬の現場だったからだ。どうやら仲直りしたらしい。

(それとも、上手く懐柔されたのかしらね……)

くだらない男女のいざこざにアリエスが口を出すつもりはなかったが、ユッタは違うらしい。

「マギーは騙されているんですよ。彼の浮気ももう何度目かわからないくらいなのに」

「ユッタ、あなたがそこまで気にしなくても、放っておけばいいじゃない」

「でもマギーは……私とイヤオル様とのことを唯一応援してくれた友達なんです。イヤオル様も確かに女性との噂は絶えませんでしたが、私とお付き合いをしてくれてからは絶対に浮気なんてしませんでした。それをマギーだけが信じてくれて……」

「そう……」

アリエスとしては、イヤオルはたまたまであり、ほとんどの場合は反対した人たちのほうが正しいと思っていた。

マギーが応援したのは他人事だからか、単に面白がっていたかだろう。

アリエスは独断と偏見でそう判断したが、ユッタは本気でマギーを心配している。

わざわざ自分の休憩時間をマギー捜索に充てるなど無駄なのだが、おかげでアリエスは助けられたのだ。

このままでは、ユッタの仕事にも影響を及ぼしそうだと考えたアリエスは、名案を思いついた。

「それで、ユッタはマギーにどうしてほしいの?」

「それは……私に言う資格はないんですけど、できればマギーには彼と別れてほしいです。みんなが忠告しても聞かなくて……。今のままじゃ、マギーはどんどん悪いほうに流されてます。メイド長にも目をつけられてしまっては大変ですから」

「何度もサボっているのがバレたら、クビになるものね」

「一度バレそうになったときは、どうにか誤魔化せたんですけど……」

ユッタが誤魔化したということは、本当にメイド長に知られたときには連帯責任になってしまう。

それではアリエスも困るのだ。

しかし、恋に溺れている人間は忠告なんて聞きもしない。

さらには、何度浮気されても最後には自分のところに戻ってきてくれる――他の女よりも自分が選ばれたという歪んだ優越感と多幸感が泥沼に陥らせる。

そんなマギーが忠告を受け入れるかもしれない唯一の方法があった。

「そういえば、ユッタは知っているかしら? 私も噂を耳にしただけなんだけど、この王宮には秘密の占い師がいるそうよ」

「秘密の占い師!? 聞いたことありませんでした!」

「そうなの? 意外ね」

噂好きのユッタが知らないなんて、といった態度のアリエスだったが、今作ったばかりの噂なので当たり前である。

「どうやらその占い師はとてもよく当たるそうよ。ただ、知る人ぞ知るというか……必要とする人の前にしか現れないそうなの。不思議よね」

「そんな不思議なことが!? すごいですね! 私も占ってほしいです~!」

「必要なら、現れるんじゃないかしら?」

「それなら私には必要ありませんね。だって、アリエス様がいらっしゃいますから」

「そうね」

アリエスが占い師について説明すれば、ユッタは興奮して興味津々だった。

だが、占い師のことよりも、アリエスを信頼しているようだ。

アリエスは淡々と答えて会話を終わらせると、さっそく準備に取りかかった。

それから数日後。

占い師の噂はあっという間に広まったものの、実際に占ってもらったという人物はいなかった。

そのうち本当にいるのかとの噂が流れ始めた頃、仕事を抜け出していたマギーがふらふらしながら歩いているのが見つかった。

どうしたのかと問えば、占い師に会って自分の未来を見たと言う。

マギーは「このままだとダメなの……」と何度も呟き、次の日には浮気癖のある恋人とついに別れたのだ。

誰が何を言っても聞く耳を持たなかったマギーの行動に皆が驚き、どんな未来を見たのかと聞いた。

それは鏡に映った近い未来の自分の顔で、かなり老けて疲れきっていたらしい。

占い師には、このままだとトーマスの妻のようになると水晶に映った未来まで見せられ、そこでようやく夢から覚め、現実が見えたのだと。

ちなみに、マギーはたまたま給金を受け取った帰りだったため、要求された金銭を渡すことができたらしい。

その後、何人もの女性が占い師を捜して回ったそうだが、出会えることはめったになかった。

幸運にも出会えた者たちは一様に、未来の自分を見ることができたと夢心地で語り、さらに多くの者たちが占い師を捜し求めることになったのだった。

もちろん、占い師の正体はアリエスであり、未来を見せることなどできるわけがない。

「――最近、急に流れ始めた噂だが、知ってるか?」

「どの噂でしょう?」

「秘密の占い師がどうとかってやつ。本当に女性陣は占いとか好きだよなあ」

「そうですね」

「で、どういう仕掛けなんだ?」

「さあ? 何事も入念な下調べが――準備が必要なのでは?」

「それはわかっている。だが、鏡や水晶は?」

占い師の正体を見抜いているジークに問われたアリエスは、冷ややかな眼差しを向けた。

それから諦めたようにため息を吐く。

「それを明かしてしまっては、手品も詐欺も台無しになるじゃない。いいお小遣い稼ぎなんだから」

悪びれもせずにしれっと答えるアリエスに、ジークは笑った。

それならと、どうにかして仕掛けを暴こうとするジークと、アリエスの攻防はしばらく続くのだった。