軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

89.再婚

女官長と対決してからしばらくの間、ジークがアリエスの前に姿を見せることはなかった。

おかげで結婚の利点と不利益について考える時間は十分に取ることができた。

(でも、どうしても自由を手放すだけの決め手に今一つ欠けるのよね……)

リクハルドが寝付いたのでローコーの日記を閉じて自室に戻ろうとしたとき、ふいにジークが現れた。

今夜はその手に酒瓶ではなく書類がある。

アリエスは特に何か言うでもなく、無言のまま秘密の小部屋の扉を開け、以前置いた酒瓶を取り出した。

「今夜は歓迎してくれるんだな」

「前回、あなたが置いていったものですので、きちんと処分してください」

「処分かよ」

笑いながらジークはグラスを二つ取り出して、またテーブルに置く。

書類は空いている隣の席へと放るように置いた。

「飲むか?」

「いえ、けっこうです」

「そうか」

グラスは用意したものの、酒をつぐ前にジークはアリエスに訊いた。

アリエスが断ると、無理に勧めることもなく自分のグラスにだけ注ぐ。

「……ハリストフが前の奥方とよりを戻したらしいな」

「そうなんですか?」

「白々しいぞ」

アリエスが一応驚いたふりをすると、ジークに突っ込まれてしまった。

まだこの国――王宮まで噂は届いていないようだったが、アリエスはハリストフ伯爵家の執事であるヤーコフから、エルス宛ての手紙で知らされている。

「どうやら、奥方はハリストフと別れたいがために女児を死産したと嘘を言い、離縁に持ち込んだらしいが、実は男児を出産していたとか。だが、そのことに気づいたハリストフ伯爵未亡人が奥方を問い詰め、無理やり赤子に会ってハリストフの実子に間違いないと証言し、訴えると脅して再婚を迫ったらしい。そして、病床のハリストフと奥方は再び夫婦の誓いを立て、男児はハリストフ伯爵家の嫡子として届けられたそうだ」

「秘密は漏れるものですからね」

「嘘だろ?」

「あら、内緒話が内緒で終わったことなどありませんもの」

「そこじゃない。ハリストフの子だというのが嘘だろ。その男児はロイヤが生んだカスペル前侯爵の子なんだろう?」

「さあ、何のことか……」

実際、ジークの言うとおりだったが、アリエスはあくまでもしらを切った。

以前王宮から外出して街の宿屋で会ったのは、ハリストフの後妻――真実の愛とやらの相手だった。

そこで、どこまでの覚悟があるのか、ハリストフと伯爵未亡人にどこまで嘘をつき通せるか、アリエスは直接会って確認したのだ。

奥方はハリストフに 感染(うつ) された病から、アリエスが手配した薬のおかげで完治したことでかなり感謝の念を抱いており、またハリストフたちのことを恨んでいた。

お腹で大切に育てた大事な我が子を死産してしまったばかりか、役立たずと罵られ、捨てられたのだから当然だろう。

しかも上の娘――前夫の子に、ハリストフたちはかなり冷たく当たっていたようで、離縁した頃には別居状態だったらしい。

ロイヤとはもちろんアリエスは顔を合わせていないが、代理人が息子を引き取りたいと申し出たときもまったく反応しなかったそうだ。

それどころか、ロレンゾが手を尽くしたおかげで罪を軽減され、今は慰謝料も受け取って好きに暮らしているらしい。

ロイヤの存在がこの王宮でのアリエスの平穏な暮らしを変えたようなものだが、もうどうでもよかった。

「ハリストフの病状から察するに、まともな判断能力があるとは思えない。すべてが母親主導で行われたのだろうが、彼女も先にアリエスから届いた手紙がなければ、もう少し冷静に考えられただろうにな。遺産を狙われているなんて思わなければ、今になってハリストフの息子が実は存在したなんて不自然なことには気づいたはずだ」

これもまた、ジークの考えは正解に近かった。

わざわざアリエスが先に薬とともに手紙を送ったのは、ハリストフ伯爵未亡人に遺産について考えさせるためだったのだ。

本来、離縁された妻であるアリエスには、ハリストフが亡くなろうが何の権利もない。

だが敢えて遺産を狙うふりをして、義母を動揺させた。

後継ぎもなくハリストフが亡くなれば、爵位と屋敷領地は遠い親戚に譲らなければならなくなると、はっきり意識させるために。

「真偽はともかく、ハリストフに嫡子がいたおかげで、ハリストフ伯爵未亡人は、ハリストフが亡くなっても屋敷から出ていかなくてもすみますね」

「ああ、それもあるか」

「それに、ハリストフを知る者にとっては不自然ではありませんよ。誰だってハリストフの子を隠したくなる気持ちはわかるでしょうから」

「それほど……」

アリエスの返答にジークは驚いたようだが、すぐに口を閉ざした。

以前、アリエスがハリストフの子を産みたくないがために薬を飲んでいた、と告白したことを思い出したのだろう。

「まあ、いい。ポルドロフ王家の血が受け継がれることがないのは歓迎だ。それよりもこの名簿を見てくれ」

ジークはため息交じりに言うと、持ってきていた書類を取り上げてアリエスに渡した。

アリエスは眉をひそめつつも受け取って、書類に視線を落とす。

「ポルドロフの王太子とテブラン公爵令嬢との正式な婚前契約を交わすためにやってくる使節団の名簿だ。代表は変わらずハームトン公爵だが、他の団員たちが今までとほとんど違う。何か意図があると思うか?」

「それを私に訊かれましても……」

ジークの問いに答えながら書類をめくったアリエスは、ぴたりと動きを止めた。

確かに使節団の大方が前回と違う。

しかし、新しく記載された名前をアリエスはすべて知っていた。

「アリエス、どうかしたか?」

沈黙するアリエスを不審に思い、ジークが問いかける。

アリエスはかすかに迷ったが、それでも覚悟を決めて顔を上げた。

「わかりました。結婚します」

「は?」

「私、アリエス・クローヤルは、ヴィンセント・ジークハルト・マーデン国王陛下と結婚します」