軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

あなたと家族に

——その日の夕食。さあ、今夜こそと緊張感を高める私の向かいで、旦那様が食事の手を止め、カトラリーを置く。

「契約関係だというのに、あなたは温かくアルベルティナを受け入れ、侯爵夫人という立場にも真摯に向き合ってくれた」

私が切り出す前に、旦那様が真剣なまなざしで私を見つめ、そう、口を切った。

「食事の後場所を移し、あの子の出自と産みの親について、話をさせてもらえないだろうか」

「……もちろんのことでございます」

私の返答に頷き返し、旦那様は黙って食事を再開した。しんと静まり返った食堂が緊迫した空気に包まれる。私はなんとか夕食を飲み込み、食後に給された紅茶のカップを空にした。

旦那様に連れられ足を踏み入れたのは、旦那様の私室に繋がる私的な居間。初めて訪れたその部屋は重厚感ただよう、旦那様の人となりを示すかのような部屋だった。

促され、ソファーに腰を下ろす。向かいに腰掛けた旦那様は、ためらい、口を開きかけてはやめ……一度きつく瞼を閉じて、私に真っ直ぐ顔を向けた。

「——アルベルティナの母親は、私の姉だ」

「え……っえっ」

覚悟していたのと全く別方向から飛んできた言葉に、呆気にとられた。あっお姉様、あの、あれ? 病弱でずいぶんと前にお亡くなりに、えっ?

「ご……存命で、いらっしゃる……?」

驚くあまり言葉に詰まると、旦那様は「まずそこから話をさせてほしい」と重々しい吐息を吐いて語り始める。

「私の姉は、貴族社会に馴染めない人だった。良く言えば好奇心旺盛で……幼い頃はより顕著で、川や池があれば飛び込み、生き物を見れば捕まえ、食べられそうに見えるものは口に入れ……衝動的に行動に移す幼児だったそうだ」

好……奇心旺盛〜!! 旦那様の苦悩が移った気がして、私は思わず額に手をあてた。旦那様はとつとつと言葉を続ける。

「とても外に出せず、病弱と偽ったのが始まりらしい。私も姉にはよく振り回された。木に登るどころか、木を切り倒す人だったんだ」

「えっなん……っな、なぜ木を」

「秘密基地が作りたかったそうだ」

建材から……!? 秘密基地を……!? 大声が絶えぬってそういう……!?

「暖炉にどんぐりを大量にいれ、爆ぜさせたこともあった。洗面台いっぱいに蛙の卵をためたことも、カマキリの卵を持ち込み部屋で孵したことも。どうやってか、屋敷を抜け出し下町に紛れることもざらだった。本をよく読み、興味が引かれたものを片端から試そうとするような人でもあった。罠を仕掛けて鳥を捕らえたこともある。それどころか、避暑地の森で猪を狩ってきたことも」

は……破天荒すぎる……! 旦那様の『女嫌い』の発端が分かった気がする。女嫌いというか、思わず身構えてしまうのでは……? 警戒することが身に染み付いているのでは……? ごくり、と私はたまらず喉を鳴らした。

「両親は頭を痛めて、 滾々(こんこん) と姉を諌めていた。姉も本人なりに侯爵家に生まれた自覚と責任を感じていたのだろう。悩み、努力しようとしたこともあったがどうしても馴染めず、終いには全員が匙を投げた。どうにもならんから、家から出そうと」

死んだと偽り、自由に生きろと送り出したのだ、野生の生き物を野に帰すように。——それも、ひとつの愛の形だったのだろう、と私はこめかみを揉んだ。聞いているだけで頭が痛くなってくる。

「——そんな姉が、十五年ぶりに訪ねてきた。大きな腹を抱えて。『自分には育てられないと分かっていたのに身ごもってしまった。流そうと思ったがどうしてもできなかった。どうかここで引き取ってほしい』と、あの姉が床に額を擦り付けて」

旦那様はそこまで言うと、両手で顔を覆って下を向き、苦悶の声を漏らす。

「姉に赤子が育てられるわけがない。定住地すら持っていないのだぞ……! 早々に死なせてしまうと分かっていて見捨て追い返すなど……!」

旦那様おかわいそう……私は以前不当に下げた旦那様の評価を正した。『なぜ』が氷解していく。旦那様の印象と言動が一致する。……平民の女性を追い出したのではない。姉に、いきなり赤子を託されたのだ。

おっしゃってくだされば、と思わず言いたくなるけれど、容易に明かせることではないだろう。私がアルベルティナを愛さなければ、ラウテル家の秘密を外に漏らさぬと信頼できなければ、明かすことなんてとてもできない。

旦那様は黙って、家族のために泥を被ったのだ。その程度の 瑕疵(かし) では揺るがぬと矢面に立ち、アルベルティナを後継ぎから外しながら法的に守るために結婚までして。

「あなたの存在にたいへん救われた。条件で選び、当家のために利用したというのに、何と詫び何と礼を言えばよいものか……」

「いいえ旦那様。私は納得してここに参りました。私も、旦那様の御威光を利用するために結婚したのです」

条件は同じ。お互い納得ずくのこと、と私は旦那様に語りかけた。

なんて身勝手な、と旦那様の姉君を罵りたい気持ちは当然湧いている。突然押しかける前に手紙を出すなど、他にやりようがあっただろうとも。けれど、苦悶する旦那様にぶつけることはできない。旦那様のせいではないし、きっと、旦那様はそれを聞きたくないだろうから。唯一の姉を人から悪しざまに言われるのはお辛いのだろう、と、批難の言葉を受ける覚悟を決めて身構えた様子の旦那様を見れば推察できる。……私だって、父を嘲笑われたら嫌だもの。

「……アルベルティナに会わせてくださったのですから、旦那様の姉君のことも、そしることなどできませんね」

私がそう告げると、旦那様は詰めていた息を吐いて、緊張がほぐれたように柔らかく眉を下げた。

空気が和らぎ、「今更だが」と旦那様が手ずから紅茶を淹れてくださる。喉を潤し、そろって大きなため息を吐いた。

「……旦那様の姉君は、もうここへいらっしゃらないのでしょうか?」

「いや、十年を目処に必ず顔を出すよう伝えている。アルベルティナが貴族として生きていくと決め、その上で『会いたくない』と言うなら会わせるつもりはないのだが……もし万が一姉に似たら、と思うと……」

完全に断絶することもできず……と再び旦那様が項垂れる。ああ……アルベルティナが庭木を切り倒し始めたらどうしよう……旦那様が顔合わせの際に『より良い道を』とおっしゃった意味がわかった。アルベルティナの幸せのためなら、実の母の元に送り出してやるのも愛の形だろう。——でも出来れば貴族社会に適合してくれないかなあ……と、胸の内でそう願わずにいられないけれど。猪は……ちょっと……

「……顔を合わせるたびに大泣きされて、どう接すれば良いかと悩んでいるうちにあなたがアルベルティナを愛してくれたのだ。条件を飲んでくれた人があなたで、本当によかった」

「アルベルティナはきっと、誰からも愛されたと思いますよ」

私じゃなくてもきっと。けれど、旦那様に今までの自分の行いを認められることが、とても嬉しい。

突然姪を託されて、育てるために環境を整えて。どこか距離があるように感じるのは当然だった。だって『父親の立場』に立った、叔父だったのだから。ああ、旦那様は心からアルベルティナを大切に守ろうとしてくださっていたのだ。——それならきっと、私たちは皆でうまくやっていけるはず。

「旦那様もぜひ、一度私と共に会ってやってはいただけませんか?」

「ああ。明日、必ず」

交わした約束が温かく、不安はどこかにとけていった。

§

「ティナちゃん、今日は旦那様がいらっしゃいましたよ〜!」

私がいつものように膝をつき両腕を広げれば、アルベルティナは私の胸に飛び込んでくる。私に抱きついた後で旦那様の存在に気づいたのだろう。きょときょとと目をうろつかせ、アルベルティナは私の腹に顔をうずめる。隠れているつもりかしら。

「……やはり恐れられているのだろうか」

「顔を合わせるうちに、きっと慣れていくに違いありません。ねえ〜、ちいちいたん」

「ちいち……それはアルベルティナを呼んでいるのか? なぜ……?」

「不思議なことに、呼び名が自然と変化していってしまうのです」

「そういう……ものなのだろうか」

「ええ、きっと!」

いませんよと主張するように丸まって動かないアルベルティナと、途方に暮れたように眉尻を下げる旦那様がかわいらしくて、思わず声をあげて笑ってしまう。旦那様は目を瞬いて、目元を緩めた。

「あなたはそんなふうに笑うのだな」

そう言って微笑む旦那様こそ、笑った途端に優しいお人柄が顔に出る。アルベルティナにそのお顔を見せてあげればよろしいのに。

「私はもうすっかり母としてアルベルティナを慈しむつもりでおりますが、旦那様も、共に親になってはくださいませんか?」

『父親の立場』ではなく、と目を細め旦那様を見上げれば、旦那様はいっそう笑みを深めて温かなまなざしで私を見つめ返す。

「願ってもない申し出だ。半年近く申し訳なかった。どうか、私も家族にいれて欲しい」

まずは名で呼び合うことから始めようか、と、微笑みを交わし合う。「よろしく、セシリア」と落とされた声に確かな未来を感じ取り、心が安らぐ。これから絆を紡ぎ、本当に家族となっていくのだ、と思えば心が弾む。

ふたり見つめ合い、アルベルティナのちいさな背中にそっと手を重ねた。