作品タイトル不明
甘やかすような日々を
家族に宛てて手紙を書いた。返事はすぐに返ってきて、大切にしてもらっていることに安堵してくれていた。
やはり両親もよからぬ噂が増えて旦那様にご迷惑をおかけするのではと案じていて、幸せに暮らしているなら急いで会うことはないと、そう決まった。会いたい気持ちに嘘はないけれど、お互いのために時間を置くことも大切だ。兄の立場が安定したら、大手を振って会いに行こう。ラウテル家でいただいている、美味しいお菓子を手土産に。
空は快晴。私はアルベルティナを抱き上げて、玄関を出る。仔馬を見に行くのだ。
「楽しみねえ、ティナちゃん。お馬さんよ」
「ンマーッマママママ、マーッ」
「ンン〜! おしゃべりが上手〜!!」
アルベルティナは最近、意味があるようでないような、不明瞭な言葉を話すようになった。私や使用人の言葉を懸命に聞いて、真似る様子を見せてくれる。『ばいばい』も上手になって、もう、アルベルティナの部屋を去りがたくてたまらない。ずっと見ていたい。かわいい。
ヨランダを筆頭に使用人を大勢引き連れて、厩舎に向かう。厩舎には事前に通達がなされている。厩舎の周りに巡らされた柵ごしに馬を眺める予定だけれど、アルベルティナはどんな反応を見せてくれるだろうか。
厩舎のある一角に着いた。柵の向こうにはのんびりと草をはむ馬たちの姿が見える。厩舎長が手綱を引き、馬がよく見られるようにと一頭近くに連れてきてくれた。
「ほら、ティナちゃん。お馬さんよ」
ふいに手を出してしまったら危ないので、十分距離をあけている。それでも初めて見た大きな生き物に驚いたのか、アルベルティナはぎゅうぎゅうに私にしがみついて顔をそむける。頑なに馬を見ようとしない。
「……怖がらせてしまったでしょうか」
誇らしげだった厩舎長がしょんぼりと眉尻を下げる。きっと、お嬢様に素晴らしい馬を見せようと意気込んでくれていたのだろう。心なしか馬も心配そうな顔をしている。穏やかで優しそうな馬だ。
「少し驚いてしまったみたい。ごめんなさいね、遠目に走る姿を見たら、きっと喜ぶんじゃないかと思うの。見せてくださる?」
「ええ、もちろんのことです。喜んで!」
厩舎長がパッと明るい表情を浮かべ、馬に乗る。ゆっくりと馬を歩かせて、まずは常歩を、十分に遠ざかってからは少し駈足する姿を見せてくれる。
「すごいねえ、お馬さん綺麗ねえ……!」
喜んで馬を眺めていると、馬房から仔馬が姿を見せた。つい数日前に生まれたばかりだというのに、もう外を歩いている。生き物の強さをしみじみと実感し、アルベルティナがくしゃみをしたのをきっかけに、大きく手を振って厩舎を後にした。
よかれと思ったけれど、ただアルベルティナを怖がらせてしまっただろうか。私ばかりが楽しくて……そう心配していると、部屋に戻るなりアルベルティナが興奮し始めた。
「ンーマッ! マンマ!」
「そうねえ、お馬さんいたねえ」
「マンマッ! ンママママ、マーッ!」
アルベルティナが一生懸命お話してくれる。かわちい〜!! お外は慣れなくて少し引っ込み思案になっていたのかしら!!
「ねえヨランダ、馬のぬいぐるみってないのかしら」
「馬は……私は寡聞にして存じ上げませんが、侍女長に報告いたします」
「よろしくね」
瞳をきらきらと輝かせて、「ンーッマ!」とはしゃぐアルベルティナを見ると頬が緩む。「また行きましょうね」と、アルベルティナと約束を交わした。
数日後、旦那様から木馬が届いた。つやつやに磨かれて、美しい彩色を施された木馬はまるで芸術品のよう。侍女長への報告が旦那様に届いたのだろう。ぬいぐるみをねだったら、まさかこんなに立派な木馬が届くだなんて。……アルベルティナには少し大きくて、まだ木馬に乗れそうにない。それでも「ンママママ、マーッ!」と喜んで木馬を揺らすアルベルティナを見ていると、幸せな気持ちになる。
ささいなきっかけから、旦那様のまるで甘やかすような御心を感じ取れたことが、私は今、とてもうれしい。
§
アルベルティナはちいさな体で、日々たくさんのことを吸収している。目いっぱい生きているのだ。だから当然、いつも機嫌よく過ごしているわけではなくて。
「ヤヤ!」
「あらあら、ややしたの?」
「ヤアー! ヤ!! ふあ、ふぇあぁ〜!!」
本日のアルベルティナは、すべてがお気に召さないらしい。でもくしゅくしゅ泣き顔もかわいい〜! 暴れると意外と力つよい〜!! びちびちと跳ねるように暴れる体を抱きしめる。力強くて花丸っ!! 抱きしめた感じ、特に熱はないようだ。病気でないならいいのだけれど。
「ややしたねえ、よしよし」
「お、奥様、私どもにお任せを……」
「ええ……っそんな……! もう少しだけ……!」
泣こうが暴れようが、殴られても蹴られても頭突きをされてもアルベルティナがかわいい。アッ痛い髪の毛を引っ張られるのが痛い! かわいい!!
この世のすべてが気に入らないモードのアルベルティナは、私の腕から飛び出し大泣きしながら部屋中を走り回る。それからまた私の膝に帰ってきては暴れ、また泣きながら部屋を走り回った。何度かそれを繰り返すと、私の近くにうずくまってスンスンと鼻を鳴らし、寝息を立て始める。
「……眠かったのかしら?」
そっと呟けば、使用人がブランケットをアルベルティナに掛けながら「どうでございましょうねえ……」とささやく。産みの親ならわかってあげられるのだろうか、という考えが頭をよぎったが、いやそんなわけがないか、と思い直した。アルベルティナは何を考えているのかよくわからなくて、時に理不尽に思えて、それからとびっきりかわいい。
「きっと何か、一生懸命考えているのよねえ」
そっと撫でた背中が温かい。どうか健やかであれ、と願うばかりで——それは、この部屋にいるもの全員の願いだった。
§
ラウテル家に嫁いで五ヶ月が経った。
「どーっじょ!」
「まあ、お母様にくれるの? ありがとう」
アルベルティナが私にぬいぐるみを差し出す。受け取ってやれば、アルベルティナはきゅっと口を引き結び、ちいさくてぷくぷくのおててをこちらに差し出した。返してほしいみたい。
「ンッ」
「はいどうぞ〜」
ぬいぐるみを返してやれば、アルベルティナが満足そうに「あぃぁちょッ!」と言う。
「もう一度お母様にどうぞしてくれるかしら」
「どーじょっ」
「ンン〜! かわちい〜!!」
手を差し出せば、アルベルティナは何の疑いも持たずにぬいぐるみを渡してくれる。そしてまた手を出して、『返して』をするのだ。何これかわいい。かわちすぎる。私はずっと、どうぞと返してを繰り返す。
……アルベルティナは少しずつ言葉を話すようになっている。歩くのだってずいぶんと上手くなった。赤子の成長速度に感心すると共に、いつまでも引き伸ばしてはいられないのだと実感する。
旦那様との関係は良好だと思う。会話だっていくらか続けられるようになった。——今夜こそ、旦那様と話を。