作品タイトル不明
輝かしい未来に向かって
案じていたアルベルティナの様子だけれど、予想外に安定していた。私の顔を見るなり「お母さま!!」と駆け込んできて、抱きしめれば「けがしてない?」と逆に私を心配してくれる。「大丈夫よ。あのおじさんはフィア様の旦那様になる人でね、ちょっとあわてん坊だったみたい」と言えば、ほっと息を吐いて「うっかりさんなのね」と笑った。
後から聞いたところによると、私の啖呵がアルベルティナの耳に届いていたらしい。「奥様のお声が届いたときに、強張ったお嬢様の体からふっと力が抜けて……」と、ヨランダが涙ながらに教えてくれた。
さて、シルフィア様の身分だが、ラウテル家の人間として正式に貴族籍に復帰した。エルンストは全力を挙げて根回しし、自国の王家を味方に引き入れた。双方の国王及びラウテル侯爵家当主の連名で、通達がなされたのだ。
曰く、ラウテル家令嬢シルフィアは、療養中に偶然、当時クラウゼート国王太子であったバルタザールに命を救われる。類まれなる勘を持ったシルフィアは、その時よりバルタザールの周囲に不穏な影があると察していた。
病を克服したシルフィアは、父に「命の恩を返すためバルタザール殿下の元に行きたい」と訴える。しかしすでに婚約者がいるバルタザールの元に他国の侯爵令嬢を向かわせればかえって火種の元になる。父の反対を受けたシルフィアは、自身の死を偽装し、侯爵令嬢の身分を捨ててバルタザールの元に向かうべく出奔した。
シルフィアの生存を信じながらも、当時のラウテル侯爵は『そこまでの覚悟であれば』と娘の死を受け入れた。シルフィアは単身隣国に渡り、陰ながらバルタザールを守り続ける。
しかし、いくらバルタザールを害そうとしても阻止されることに業を煮やしたのだろう。敵である弟王子一派は卑怯にもクラウゼート国王の命を奪い、その罪をバルタザールに被せたのだ!
無実の罪で追い立てられたバルタザールは失意の底に沈む。シルフィアは献身的にバルタザールを支え、守り続けた。その姿にいつしかバルタザールは人を信じる心を取り戻し、シルフィアへの愛を胸に抱く。
生き延びる中でふたりは想いを通じ、愛を交わした。抗えばまた人が死ぬ。このままふたりで隠れ、静かに生きようか――そう思い始めたとき、卑劣な手段で王位を継いだ弟王子が、重税と圧政を課し民を虐げ始めたのだ。
そのために自分を陥れたのか――バルタザールは怒りに燃える。断じて見過ごせぬ事態だった。バルタザールは反撃の狼煙を上げると決意する。しかしその時シルフィアの腹には、新しい命が宿っていた。
赤子がいては共に戦えぬ。それに何より、王家の血を継ぐ赤子の存在が敵に知られたら。利用されたら。シルフィアは恥を忍んで実家を頼ると決心する。『私が戻るまで死ぬな』――そう約束を交わし、シルフィアはラウテル家を目指した。
ラウテル家現当主であるシルフィアの弟エルンストは、温かくシルフィアを迎え入れた。自身が泥を被ると理解しながらも、王女を隠し、守ることを受け入れたのだ。生まれた王女はアルベルティナと名付けられ、ラウテル家の娘として養育されることとなる。
生まれたばかりの王女をエルンストに託したシルフィアは、バルタザールと共に悪に立ち向かう。そしてついに、バルタザールは王城に巣食った巨悪を打ち砕いた。クラウゼート王国は救われたのだ!
……と、いうことになった。色々と無理がある。しかし双方の王が『そうだ』と言ったらそうなのだ。エルンストの名誉は挽回し、今では『流石はラウテル閣下、何という義侠の方だ』と讃えられている。
クラウゼート国王陛下とシルフィア様のご婚約も大々的に報じられた。英雄王と戦女神の結婚だ、と両国共に祝福に沸き立っている。今はクラウゼート王国におられるシルフィア様も、当国から嫁入りするという体裁を整えるため、もう幾日か経てば一度ラウテル家にお戻りになる予定だ。
……王女であると明かすため、アルベルティナにも話をした。『エルンストと私はあなたのお父様とお母様だけれど、アルベルティナにはもうひとりずつお父様とお母様がいるのよ』と。アルベルティナは一生懸命考えて、その事実を飲み込んでくれた。どうも、『祖父母が片方しかいない代わりに両親が二組いる』と納得したようだ。育つにつれて、追々事情を受け入れてくれることを願っている。
そして何よりも重要なアルベルティナの養育だが、変わらずラウテル家で育てることに決まった。エルンストは王太子殿下のご嫡男、王太孫殿下とアルベルティナの婚約を取り付けてきたのだ。
将来国母となるべく当国に親しむため、また王太孫殿下との親交を深めるためにも、このまま慣れ親しんだラウテル家で養育すべきである、と弁舌をふるい、合意に至った。元々シルフィア様もそれを望んでいる。シルフィア様が望んでいるからクラウゼート国王陛下も強く反対しなかった。シルフィア様たちとは定期的に交流を持ち、将来アルベルティナ自身が『クラウゼート王国にいる両親の元で暮らしてみたい』と言えば、その時にまた話し合おうと決めている。
王太孫であらせられるヒューベルト殿下は御年十一歳。まだ少年だと侮るなんて許されないほどに、王家の人間としての自覚を持つ、気品に満ちた御方だ。
彼はアルベルティナとの婚約を聞かされてすぐ、ラウテル家を訪れた。薔薇咲き誇る庭園でアルベルティナに跪き、五歳の女の子相手に『私と結婚してくださいますか、 淑女(レディ) 』とやってみせたのだ。アルベルティナは頬を薔薇に負けないほど真っ赤に染め上げて、『はい』とこたえた。
その日以降、アルベルティナの大好きなものにヒューベルト殿下が追加された。私は幼い娘の恋を愛おしく見守っている。エルンストは日が経つにつれ『婚約は早まったかもしれない』なんて言い出しているけれど。まったく、『これが一番穏当な手段だ。ヒューベルト殿下がお相手であれば間違いない』と言って婚約を取り付けてきたのは自分だっていうのに!
空は高く澄んで、秋の風が心地よく吹き抜ける。エルンストと並んで、庭園の芝生をはいまわるラウレンスと、弟と遊んであげるアルベルティナを微笑ましく見守る。
「やはり婚約は……」
「いやだわあなたったら、また?」
たまらず声を上げて笑う。今さら『婚約を解消する』とアルベルティナに言おうものなら、『お父さまなんてだいきらい!』と言われかねないのに!!
「あきらめてエルンスト。結婚っていいものよ」
なにせ私はエルンストと契約結婚をして本当によかったと心から思っているのだから。エルンストも私の言葉を否定できずに、「それはそうだが」と肩を落とす。あの契約書は私の宝物だ。エルンストは生涯約束を違えずに、私を尊重し誠意を尽くしてくれるだろう。
ああ、でもひとつだけ。効力を失っても構わないから、前文に訂正線を引いて、少し書きかえたいとエルンストに提案してみようか。
『 甲(・) と(・) 乙(・) は(・) 互(・) い(・) を(・) 生涯の伴侶として尊重し、誠意を尽くすことを約束し、本契約を締結する』に書きかえたいのよ、と――