作品タイトル不明
153・ただいま!
神殿を出た私は、羽織っていたマントのフードで顔を隠し、辻馬車に乗る為に大きな通りを目指して歩いていた。
すると、しばらく歩いた頃に私の前を歩く女性達が急に騒がしくなり、なんだか気になって少しだけフードを上げて前を見てみると、タキによく似た人が百メートルほど先から走ってこちらに向かってきていた。
「……ふふ、まさかね」
遠目に見て制服の上にジャケットを着たタキに見えたけれど、帰宅が決まってからそんなに時間は経っていないし、宿木亭と神殿はかなり距離が離れている。
レヴィエントが宿に戻ったのを見てこちらに向かったのだとしても、あまりに早すぎる。
私はまたフードで顔を隠して先を急いだ。
一人歩きは危険だと何度か注意されているので、神殿を離れたら人の姿に変身したヴァイスに宿まで同行してもらう事になっているのだ。
予定では、この先の狭い路地で姿を変えて出てきてくれるはずである。
でもその前に、前から来た誰かが私に声をかけてきた。
「ハァ、ハァ……お疲れ様、ラナさん」
その声を聞き、私はすぐにフードを脱いで相手の顔を見た。息を切らして微笑んでいるのは間違いなくタキである。
「タキ……? どうしてここに居るの?」
「迎えに来たんだよ。ほら、荷物を貸して。僕が持つから」
タキはそう言って私の荷物を持ち、満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。でも……イリナ様に帰るよう言われたのはほんの少し前の話よ? もしかして、毎日来ていたの?」
「ハハハッ、まさか。さっきヴァイスが知らせに来てくれたんだ。ラナさんが浄化を成功させて、今から宿に戻ってくるって」
「え? ヴァイスが?」
どこにそんな余裕があったのだろうか。イリナ様と別れた後、部屋に戻るまでヴァイスと話をしていたのに。
そういえば、ヴァイスは私が呼べばどこに居てもすぐに来てくれると言っていたのだった。つまり自分だけなら瞬間移動のような事も可能という訳だ。
そして打ち合わせしていた通り、少し先にある狭い路地から人の姿になったヴァイスが現れ、私達と合流した。
「ヴァイス! あなたいつの間に宿へ知らせに行っていたの?」
「ラナ様が部屋で支度をしている間です。そして戻る時にタキを運んできました」
「タキったらヴァイスに乗ってきたの?」
「うん。怖いと思う暇もなく一瞬の出来事だったよ。でも、ヴァイスが下りられるくらい広くて人目につかない場所が見つからなくて、大分離れた場所で降ろされちゃったんだ」
確かにタキが数分でここに来るにはそれしか方法はない。
馬車で数日の距離を短時間で移動出来るヴァイスにかかれば、王都内の移動など造作もない事だろう。
だけど、王都の中をヴァイスに乗って移動するのは簡単ではない。
人を乗せる時のヴァイスは翼を広げるとかなり大きく、飛び立つにも地に降りるにもそれなりに広いスペースが必要なのだ。
それにもし人前でヴァイスから降りようものなら、「何も無い場所から突然人が現れた!」と騒ぎになるのは間違いない。
見たところ騒いでいる人は見当たらないけれど……。
「もちろん誰にも見られていないわよね?」
「それは大丈夫。ちゃんと確認したよ」
「そういえば、ランチの時間なのに抜けてきて平気なの?」
「今はチヨちゃんのところの料理人が居るから平気。実は僕、兄さんの代わりに来たんだよね。時間が合えば自分が迎えに行くつもりでヴァイスに頼んでたみたいだけど……あれ? 今のって……」
タキは私の背後に見えている神殿に何か気になるものでも見つけたのか、もっとよく見ようと背伸びをした。
私もその反応につられて振り返ってみたけれど、特に何かある訳でもなく、裏門の扉が静かに閉じられただけであった。
「ねえ、ラナさん。あそこに見えているのが神殿だよね?」
「そうよ。どうかした?」
「今あの門を出てきた女の子……ちょっと変わった心の色をしていたんだけど、サンドラじゃないかな」
「ええっ!?」
タキは外見ではなくオーラで人を見分けているので、見間違うとも思えない。
そう思って先ほどより注意深く通りを歩く人の姿を見たけれど、別の道を行ってしまったのかサンドラらしき人物は見当たらなかった。
しかし、聖女ではないと判断されて追い出されるには少し早過ぎはしないだろうか?
あらかじめサンドラの処遇を決めてあったとも考えられるが、そうでなければ陛下に最終的な判断を仰がなくてはならないし、彼女がこんなに早く出てくる訳がない。
もし色々と追及される事を恐れて彼女が逃げ出したのだとしたら、それはきっと私のせいだ。早く神殿から出る事ばかり考えて、イリナ様に自分の代わりを遣してもらうのを忘れていたのだ。
サンドラを部屋で一人きりにさせないようあれだけ注意していたのに、最後の最後でやらかしてしまった。
「どっちへ行ったの?」
「神殿沿いの道を右へ行ったよ。追いかけるつもり? 追い出されて自由になったなら放っておいてあげようよ」
「タキはサンドラを恨んでいないの?」
「僕は誰かを恨み続けて心が黒く染まるようなつまらない生き方はしたくない。それに、あの経験があるからまた君に逢えたんだし、兄さんには苦労をかけてしまったけど悪い事ばかりでもなかったんじゃないかって思うようにしてる」
またという言葉に引っかかりを感じたけれど、きっとただの言い間違えだろうとこの時は一旦聞き流した。
「タキは私と同じ考えなのね。でも、サンドラが逃げたとしたら話は別。放っておく訳にはいかないわ。逃げる隙を与えたのは私かもしれないもの」
そんな話をしていると、神殿の裏門が開いて兵士がわらわらと外に出てきた。そして各方面に散っていき、私の居るこの通りにも数名の兵士が来て道行く人に声をかけ始めたのだった。
「ラナさん、兵士が慌てて神殿から出てきたね」
「やっぱりサンドラは逃げたんだわ。逃げても行く所なんかないでしょうに……」
私が彼女なら、正常な判断が出来るようになったら真っ先にどこへ行きたいと思うだろうか。
そういえばサンドラの記憶を見た時、彼女は家族の葬儀に出るのを拒んでいたから、まだきちんとお別れをしていない。私だったら墓前で家族に謝りたいと思うけど……。
でも郊外の墓地へ行くには兵士の立つ門を通らなければならないし、行けるとしたら火事のあった家?
サンドラがどこへ行ったか考えていると、タキが声をかけてきた。
「ラナさん、サンドラの事は兵士に任せよう。君が関われば色々と面倒な事になるかもしれないし、イリナ様の気遣いが無駄になるよ」
「タキの言う通りです。責任を感じているのでしたら、私が追跡して兵士に知らせます」
「でも……」
「ラナ様はタキと一緒に宿へお帰りください。ずっと気持ちが張り詰めていたのでお疲れのはずです。ハッキリ申し上げればこの件は本来あなたには何の関わりも無い事です。レヴィエント様の依頼を遂行しただけ。むしろ、あの娘が悪魔と罵られて処刑される未来を変えたのですから、十分すぎる働きでした」
「うん、僕みたいな被害者が出るのを未然に防ぐ事にもなったんだから、もういいと思うよ」
タキとヴァイスにこれ以上関わるなと説得され、私はイリナ様に迷惑がかからない事を祈ってこのまま帰る事に決めた。
「そうね。もう気持ちを切り替えなくちゃ。侍女のライラはもうお仕舞。どこかで変装を解いて宿屋の女将ラナに戻るわ」
「じゃあ着替えられる所を探さないと。ラナさんが居ないと兄さんが仕事に集中出来なくて、何度も包丁で指を切るし、ボーっとして味付けを失敗したりで見てられないんだ」
タキは嬉しそうにシンの失敗談を私に聞かせた。
シンが包丁で怪我をするところなんて私は一度も見た事がないけど、本当だろうか。気分が沈んだ私を元気づける為の嘘かもしれない。
タキの話を聞くうちに宿のほんわかとした雰囲気を思い出し、私は早く宿に帰りたくなった。
「ふふふ、シンがそんな失敗をするかしら? ね、ヴァイス」
横に居るヴァイスに話を振ると、彼は真顔でこちらを見ていた。
「タキ、ラナ様を頼みます。ラナ様、しばらく離れますが何かあればお呼びください」
「え、どこへ行くの?」
「サンドラを追います。兵士より早く見つけられるでしょうから、引き渡してすぐに戻ります」
そう言ってヴァイスは狭い路地の奥に消えた。
後は兵士に任せる事にしたのに、ヴァイスには私の不安な気持ちが伝わっていたのだろう。
その後私は変装を解く為に小さな宿屋の一室を借りてラナに戻り、馬車に揺られて中央広場に到着した。宣言通りすぐに戻ってくると思っていたヴァイスは、その頃になってやっと私のもとへ戻ってきたのだった。
話を聞くと、サンドラは私の予想通り実家のあった場所へ行き、そこで知り合いらしき子ども連れの男性と話をしていたらしい。
そして兵士に扮したヴァイスがサンドラを捕まえ、捜索に当たっていた兵士に引き渡して帰ってきたのだそうだ。
多分ヴァイスはすぐにでもサンドラを捕まえる事が出来ただろうに、彼女をしばらく泳がせていたに違いない。サンドラは亡くなった家族に謝ってお別れを言えただろうか。
それと、今回の件でイリナ様が責められませんように、と心の中で願った。
「あ! そういえば私、里帰りしていた事になっているんだったわ。なのにお土産の一つも無いなんて……」
「そんなの気にしなくていいよ。それより早く帰ろう。僕は兄さんの反応が楽しみで仕方がないんだ」
結局お土産を用意出来ないまま宿のある通りまで来ると、宿の前辺りでえんじ色の豆粒がピョンピョン跳ねているのが見えた。
「チヨー! ただいまー!」
「ラナさーん! おかえりなさーい!」
手を振って大きな声でチヨを呼ぶと、チヨはそれに答えて私に向かって駆けてきた。
しかし、その後に宿から飛び出してきたシンに軽く追い越され、人目もはばからず先に私を抱きしめたのはシンだった。
シンは何も言わずただ抱きしめるだけで、どうしていいかわからない私は顔を真っ赤に染めて彼の背中にそっと腕を回した。
「……ただいま、シン」
シンからは返事がこない。
どうしたのかと体を離して顔を見上げると、シンは耳だけでなく顔まで真っ赤になり、戸惑ったような表情をして固まっていた。
これを見てタキが黙っている訳がなく、いつもの調子で揶揄い始めた。
「アハハハ! 兄さん、おもしろすぎる……。まさか自分が衝動的にこんな行動をとるとは思わなかったんだね。僕の予想をはるかに超えたよ……クックック」
「もう! 私が先にラナさんを見つけたのに、シンは足が早すぎです。おかえりなさい、ラナさん。こんなところで立ち話してないで、宿に入りましょう」
シンに遅れて私のところへ来たチヨは、シンの腕を強制的に私から外し、私の手を取って宿に向かって歩き始めた。
神殿の厳かで張り詰めた空気とは違い、ここは穏やかで優しさに満ち溢れている。私は家族のもとでもこれほどリラックス出来た事はなかったのではないだろうか。
チヨに手を引かれながら後ろを振り返ると、シンはまだタキに揶揄われていた。
しかしふと私と目が合うと、シンは優しく微笑みかけてくれた。
彼の笑顔はもう見慣れたはずなのに、私はなぜか急に恥ずかしさが込み上げてきてパッと目をそらす。胸がドキドキしていた。たった二週間離れていただけだというのに、自分の中で何かが変わった気がしたのだった。