作品タイトル不明
152・神との賭けに負けた少女
闇堕ち妖精を浄化されたサンドラは、これまでにないほど爽快な気分で目を覚ました。
そして思いきり伸びをしながら辺りを見て目を丸くする。絢爛豪華な室内には、平民の自分が一生お目にかかれないような調度品が並び、ある一角には色とりどりのドレスが何着もかけられている。
それらを見て混乱した彼女は、ここがどこなのか思い出すまでに数秒の時間を要したのだった。
「サンドラさん、気が付いたのね。気分はどうですか?」
「……どうって?」
頭の中が混乱していても、なぜか彼女の事は覚えていた。裁縫が得意で自分と対等に話をしてくれるライラだと。
そしてそれがきっかけになり、自分付きの側仕えやイーヴォの事なども徐々に思い出し始めた。
「しばらく意識が無かったのです。喉は乾いていませんか? 今お水をお持ちします」
意識が無かったと聞き、訳もわからず胸騒ぎがしたサンドラは、自分の身に起きた事を懸命に思い出そうとしていた。
しかし今朝目覚めてから自分が何をしていたのかがハッキリせず、ランダムに思い出せるのはたくましい騎士に助けられたり、素敵な王子様の恋人になったりと、夢のように幸せな出来事ばかりだった。
都合の悪い出来事を思い出せないのは、十年もの間彼女と体を共有していた妖精の影響が無くなった事で、元々あった彼女の善良な部分が、これまでの愚かな思考や行動を無意識のうちに記憶から排除しようとしている為だ。
特に彼女にとって不都合な出来事が多かった学園入学後の事が、ほとんど思い出せずにいた。
ライラに手渡されたグラスの水を一気に飲み干しても気持ちが落ち着かず、不安は増していくばかり。
サンドラはなぜ不安になるのか思い出そうと必死になるあまり、別の誰かが室内に入ってきた事にも気が付かなかった。二人が何か話をしていても耳には入らず、一人で黙って考え込んでいると、ハッとするほど綺麗な女性に声をかけられ思考が一時停止する。
「聖女様、わたくしの事を覚えておいでですか?」
頭の中でチラチラとその女性の姿が浮かぶのに、はっきりと思い出せないサンドラはわからないと素直に答えた。
しかしその綺麗な女性が自己紹介を始め、『王弟殿下』という言葉を発した途端、サンドラは言葉に出来ない恐怖が足元からザワザワと這い上がってくるのを感じたのだった。
落ち着く為に水を飲もうと水差しを手に取るが、手が震えてグラスにはほとんど水が入らない。
この時点でサンドラの頭には、「家に帰りたい」という思いしか浮かばなかった。
イリナとライラが部屋を出ていった後、サンドラはどうやってここを脱出するか考えた。不思議なもので、逃げる為に必要な情報だけは都合よく思い出せるのである。
しかしたとえ部屋を出たとしても、自ら作らせた自分の背丈より高い壁が逃げ道を塞いでいる。だから出口は一つしかなく、神殿施設を通り、裏門から出るしかないのだ。
急いでヒールの低い靴に履き替え、目立たないように黒いハイネックのシックなドレスに着替えた。
「まるで喪服みたいだけど、髪をひっつめてしまえば側仕えに見えなくもないわよね。そうだわ、どうせ全部私の物だし、何か持ち出せないかしら……」
サンドラは目についた裁縫箱に宝飾類をいくつか詰め込み、持ちやすいよう布で包むと、それを持って部屋を出ていった。
しかし神殿施設に繋がる扉の前には当然兵士が立っている。サンドラは兵士が居るとは思わず一瞬動揺したが、びくびくしながらもその兵士に声をかけた。
「家に帰ります。通してください」
「ああ、側仕えは全員解雇されてしまったらしいな。その手に持っているのは何だ?」
「仕事道具です」
「本当か? 聖女の物を勝手に持ち出したりしていないか確認させてもらう」
「……どうぞ」
包みを開くと、布の切れ端とピンクッション、裁ちばさみやメジャーなどの裁縫道具が詰まっていた。兵士は詰め込まれた布の下が気になって手を伸ばそうとしたが、廊下の奥が騒がしくなり、その手を止めた。
「もういい、行け。モタモタしていると殿下と鉢合わせしてしまうぞ。急げ」
サンドラは包みを抱えて軽く会釈し、小走りに廊下を進んで外へ出た。
ラッキーな事に、兵士達はサンドラの事をよく知らない者ばかりだった為に、あっさり側仕えの一人として神殿から出る事が出来たのである。
そしてサンドラは自宅に向かって夢中で走った。
馬車に乗りたくてもお金は無い。
抜け道を使い、何度も休憩をしながら人目につかないように裏路地を選んで進み、懐かしい我が家がある地域に辿り着いた頃には、靴はボロボロ、黒いドレスは埃まみれになっていた。
「ハァ、ハァ……どういう事なの? 私の家は? 父さん! トム! サム!」
サンドラの家があった地域は、ほとんどの建物が取り壊されて綺麗に整地されてしまっていた。
この辺りの住民は西門の外に造られた新しい町に引っ越しが済んでおり、サンドラをよく知る近所の人に状況を尋ねる事すら叶わない。
自分の家があった場所がわからなくてトボトボと歩いていると、一部公園として整備された中にポツンと石碑が建てられているのが目に入った。『聖女サンドラ生家跡』それが唯一ここに彼女の家があったという証である。
サンドラは呆然として石碑の前に立った。何も考えられず、自分ひとりが取り残されてしまったような寂しさで泣きそうになっていた。
「聖女様? そこに居るのは聖女様ではありませんか?」
サンドラはドキッとして恐る恐る声のした方へ顔を向ける。すると声をかけてきたのは、顔に変わった傷跡のある体格のいい男性だった。その隣には小さな男の子が二人居て、もじもじしながらサンドラを見上げていた。
「私です。あなたに目を治していただいたおかげで、こうして普通の生活が送れるようになりました。本当にありがとうございました!」
「あ……ああ、あの時の!」
サンドラは王宮で奇跡を起こせと言われた時の事を思い出した。不安でいっぱいの中、フレドリックに言われた通りにした事で、手のひらから何かが出る不思議な感覚を味わったのだった。
「おとうさん、このひとがせいじょさま?」
「そうだよ。お前達もお礼を言って。いつも練習してる通りに言えばいいよ」
子ども達は父親に頷くと、サンドラに向かってニッコリ笑った。
「せーの……せいじょさま、ぼくたちのおとうさんのめをなおしてくれて、どうもありがとう」
よく見ると男の子は双子で、道端に咲く花を茎で縛っただけの小さな花束を持っていた。
二人はサンドラにお礼を伝えると、トコトコと石碑の前にいき、その花束を置いた。それを微笑ましげに見ていたサンドラは、無意識に自分の弟達の姿を二人に重ねていたのだった。
「まさかまた会えるとは思いませんでした。私達は火事のあった後から毎週この場所に花を手向けに来ているんです。ご家族の事は本当に残念でしたね。あなたが無事だったのは不幸中の幸いでしたが、私の息子と同じ年の双子の弟を亡くされたそうで……他人事とは思えず胸が痛いです」
「火事……?」
サンドラは男性の話を聞いて、持っていた包みを地面に落としてしまった。そして家のあった場所を見ながら走馬灯のように当時の出来事を思い出していた。
助けを求めて自分を呼ぶ弟達の声が、今でも耳に残っている。サンドラは思わず耳を塞いだ。
「あ……ああーー! あーーー!!」
自分に都合の悪い事実を完全に思い出したサンドラは、喉が切れてしまいそうなほど大きな声で泣き叫んだ。
兵士の男性は突然取り乱した彼女をどうしていいかわからず、怖がる息子達を自分の方へ引き寄せる事しか出来なかった。
そしてサンドラが下を向いた時、先ほど落とした裁縫箱の包みから、裁ちばさみが飛び出しているのを見つけてしまう。
「私、皆に謝らなくちゃ……」
裁ちばさみを拾ったサンドラは、刃先を自分の喉元に向けて勢いよく突き刺そうとしたのだった。
「早まってはいけません!!」
裁ちばさみは兵士の手でギリギリ止められた。先端が少し首に当たっているが、何とかかすり傷で済んでいた。
「止めないで! 私の心が弱かったから家族は死んでしまったのよ!」
この数分後、サンドラは逃げた聖女を探しにきた兵士によって神殿へと連れ戻されてしまったのだった。
神殿では、逃げたサンドラを問い詰めるべく準備が進められていた。
今日の出来事はすぐに国王の耳に届き、ウィルフレッド王子が王の言葉を伝える為に聖女の住居に来ている。
室内に置かれた家具などは隅に寄せられ、広く空いたスペースには椅子が三脚並べて置かれた。
その椅子には王弟グレイアムを中心に王子二人が座り、後ろにそれぞれの側近達が立ってサンドラの到着を待っていた。
彼らがこうして集まったのは、サンドラの力を試したあのパーティーの日以来である。
ギクシャクとした空気が流れる中、サンドラが兵士に腕を掴まれて泣きながら部屋に戻ってくると、その姿を見た者達は一斉に眉をひそめた。
なぜならサンドラは汗と涙で哀れなほど化粧が崩れ、着ている物は埃まみれ。ただの平民として暮らしていた頃より酷い姿を、最も見られたくない人達の前に晒したのだ。
しかも巫女から奪った美貌は浄化の影響で早くも消え、今は母親の面影をわずかに残すのみ。つまり、サンドラはあるべき姿に戻ったという事である。
これまでの事をすべて思い出したサンドラは、一切抵抗せず王族の前に跪き、頭を垂れた。
そして聖女の出現を預言した大神官と共に、神官長、イリナ、聖女を世話していたイーヴォがサンドラの後ろに横一列に並んだ。
するとここで、フレドリック王子が訝しげな顔をしてサンドラの容姿についてふれた。
「お前、本当にサンドラか? 私の知るサンドラはそんな顔ではない」
まったく印象の違う姿に戸惑うのは当然の事である。
ほとんどの者がタキから美貌を奪い取っていた頃のキラキラとして清純そうな正統派美人のサンドラしか知らないのだから。
「殿下、あれは間違いなくサンドラです。ここへ来る前に身なりを整える暇も与えられなかったのでしょう。今は泣いて目が腫れてしまっているようですし、違って見えるのも仕方がありません」
アーロンは定期的に面会に来ていた為、サンドラの顔の印象がよく変わる事を知っている。それでも今回の変わりようは普通ではないと感じていたが、混乱を避ける為にこの話題を終わらせた。
なんとなく、エレインがこの件に関わっている気がしたのだ。
「フレドリック、その娘の容姿の事など今はどうでもいい」
「……はい。すみません、叔父上。始めてください」
王弟グレイアムに窘められて、フレドリック王子はバツが悪そうな顔をした。
そこで王弟グレイアムは、柄にもなく大人しくしているサンドラに警戒しつつ、声をかけた。
「サンドラ」
「は、はい」
「お前、逃げたという事は偽物だと認めたと判断されても仕方がないが、何か言う事はあるか」
するとサンドラは、ずっと疑問に思っていた事を思いきって口にした。
「あの……私は自分から聖女だと名乗り出た訳じゃありません。それに私を聖女だと認めたのは王様なのに、私が騙したみたいに言われるのはおかしいです」
「なるほど、確かにそうだ。では、自分が嘘をついた事についてはどう思っているのだ? お前は私に向かって確かに言った。天使を呼び出したのは自分だと。そこに控えている神官も聞いていたはずだ」
イーヴォは静かに頷いた。
サンドラは言葉に詰まり、自分可愛さに嘘をついてしまった事を後悔した。こうなってしまっては、何を言っても言い訳にしかならない。
最初に兵士を治した後は一度も力を使えた事がなく、自分は違うかもしれないと思いながらもここでの好待遇を手放したくなかったのだ。
「それは……ここを追い出されるのが怖かったからです。私にはもう、帰る家も迎えてくれる家族もありませんから……」
サンドラがそう言うと、エヴァンがその事で口を挟んだ。
「フレドリック殿下、発言をお許しください。火事の件で最近わかった事があります」
「何だ、調べても何も出なかったと言っていたではないか」
「それが最近、あの地域に住んでいた者達が新しい町に移った事で状況が変わったのか、密告者が現れました」
「密告者だと?」
「はい。火事があった時間に家とは逆の方向に走るサンドラを見た者が居ると聞き、実際に会って確かめました。どうやら同じ環境で育った聖女を守る為に今まで黙っていたようです。他にも、井戸水で顔を洗っていたという証言も……」
サンドラはそれを聞いてブルブル震え始めた。誰にも見られていないと安心しきっていたのだ。それに、これこそが一番知られたくない秘密である。
元恋人だったフレドリック王子をチラリと見ると、王子の顔は引きつり、まるで汚いものでも見るような目で見下ろされていた。
そんな中、エヴァンは畳みかけるようにサンドラに質問をする。サンドラが聖女として国に守られていた為に、彼女を責める材料をどんなに集めても糾弾する事は難しく、半ば諦めかけていたのだ。
これはエレインの立場を回復させるまたとないチャンスである。
「サンドラ。火事で亡くなった兵士は近くで警護すると言って隊を離れていたらしい。お前はいつ散歩に出た? 外に出た時、兵士に会わなかったのか?」
サンドラはこれ以上責められる前に、自分のしてきた事を包み隠さず話す決心をした。
「……私は窓から逃げたんです。自分の部屋に居たら焦げた臭いがしてきて……扉を開けたら居間は炎に包まれていたわ。弟がマッチを持って泣いていたけど、その時誰かが私に囁いたの。このまま放っておけば自由になれるって……」
サンドラの告白は衝撃的だった。
悲劇のヒロインのような顔をして、本当は自分の足を引っ張る家族に消えてほしいと願っていたとまで白状したのだ。
そして火事の日の流れを事細かに説明したサンドラは、家族殺しの罪で極刑にしてほしいと王弟グレイアムに頼んだ。
「家族に会って謝りたいんです。お願いします……」
「言っておくが、お前の罪はそれだけではない。当時王太子だったフレドリックをたぶらかし、婚約者のエレインを貶めた罪は極めて重い」
「もちろんエレイン様にも謝ります。謝って済む事じゃないですけど、エレイン様からは何もされていないので、すぐに誤解を解いて貴族の暮らしに戻してあげてください」
あまり事の重大さを理解していないサンドラのこの発言を聞き、ウィルフレッド王子が激怒した。
「ふざけるな!! 事はそう簡単ではない! 彼女は家を出された後行方不明になり、未だに消息不明のままだ。あれは全部嘘でしたと言えば元通りになるとでも思っているのか!」
サンドラは怖くて目を閉じた。もう顔を上げる事すら出来ないほど縮み上がっている。
そしてこれまでに各々が調べ上げた事実をサンドラに突きつけて、ジェラルド・パウリーの件や襲撃事件などすべてがサンドラの仕業だと認めさせた。
「でも……最初の襲撃事件だけは本物です。アレは私じゃありません!」
サンドラがそう言うと、ウィルフレッド王子は自分の叔父に目を向けた。王弟グレイアムはその視線を受け、大きく頷いたのだった。
「だが私の判断は間違いではなかった。あれがエレインの指示した事だと勘違いする馬鹿が出た事は予想外だったがな」
「やはり叔父上の仕業でしたか。では、すぐにでもあれは冤罪であったと皆に知らせましょう。エレインもどこかで噂を聞きつけて、自分から屋敷に帰ってくるかもしれません」
こうしてやっとエレインの名誉は回復された。
そしてウィルフレッド王子が国王からの伝言を伝える。
「国民の混乱を避ける為にも、サンドラにはこのまま聖女として存在してもらう。ただし、今までのような贅沢はさせず、特別扱いもしないとの事だ。管理はこれまで通り神殿に任せる」
サンドラは罪を償う為に自ら死を望んだが、神殿側がそれを引き止めた。
サンドラの事情をよく知るイリナが皆を納得させる為に「人の持つ気の色」について話し、それぞれが持っている気の色を教えてその特徴を説明したのだ。
そしてサンドラが普通ではない気の色の持ち主であり、たとえ神秘の力が無くても預言された聖女で間違いないと断言したのである。
この国の巫女の中で最も高い地位にあるイリナの発言は、聖女の存在自体を怪しんでいた王弟グレイアムさえも納得させた。
微力ながら霊力を持っていたサンドラは、一生巫女として生きる事になったのだった。