軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

303・ラルゴ・クロムウェルの受難

「やれやれ⋯⋯サクリシアの商人というのは、どうしてああも押しが強いのか⋯⋯」

伯爵家所有の港湾事務所、屋上応接スペースでの商談を終えたラルゴ・クロムウェル伯爵は、徒労感に思わず愚痴をこぼした。

少し離れたところに護衛を兼ねた使用人は待機しているが、彼は気心が知れているし口が固い。苦笑まじりに合いの手もいれてくれる。

「なかなか個性的な方でしたな。さすが、エレフィン様のご紹介です」

「どうせあいつの賭博仲間だろう。あいつ、私への紹介を賭けの対象にしたな」

悪友、エレフィン・サイモン伯爵も、つい先程までこの場にいた。

今は件の商人を見送りつつ、コーヒーを取りに行っている。それこそ使用人にやらせるべきなのだが⋯⋯態度の軽薄さと同様、彼は腰が軽い。ついでに件の商人との別れ際に、ラルゴに聞かれたくない話でもしているのだろう。

休憩時間と割り切って、ラルゴは椅子のクッションにすっかり背を預け、しばらく伸びをする。

この屋上の応接スペースは、先代――今は隠居して小説家をやっている父、ヨセフ・クロムウェルが、まだ領主だった頃に趣味で改装したものである。

屋上という日当たりが良いだけの空きスペースを活用し、日除けの天幕を張って耐候性の高い屋外用の椅子やテーブルを用意し、広くて景観の良い談話スペースに仕立てた。

開放感があるので密談には向かない。会話の内容まではそうそう聞かれないだろうが、誰と会っているかは周囲から丸見えである。

ただ、見られているのは相手も同じなので⋯⋯「互いに妙な真似をしない」という、一種の意思表明にはなる。

またラルゴが相手をする分には、向こうも『領主と直接対話をした』という既成事実を積み上げられる。

この地で諜報活動をしている各国の怪しげな組織に、これを「見せつける」ことで⋯⋯「こいつに手を出したら領主が関わってくるぞ」と示し、ある程度の安全も担保できる。あくまで「ある程度」なので過信してはいけない。

この地では過去、「領主の幼い娘達を誘拐する」などという蛮行をやらかした者までいる。

統計的には、決して治安が悪いわけではない。問題は「統計に反映されない闇の部分」がかなり大きいことで、他国出身の行方不明者は毎年、けっこうな数が発生しているはずなのだが、その数字を誰も把握できていない。

「単純によそへ移動した」のか、「遺体を海に沈められた」のか、「別人になりすまして潜伏した」のか⋯⋯そういった部分を判断する術が領主にもない。各組織がそれぞれの間で落とし前をつけてしまうため、介入する隙がないのだ。

おまけに骨まで砕く肉食の魔魚が近海にいるせいで、海に捨てられた遺体はほぼあがらない。

見た目はいつも平穏無事。

しかし水面下では、日夜、何かが起きている⋯⋯ここはそんな港である。

(⋯⋯まったく⋯⋯風光明媚でまともな産業もあるというのに、ここまで心が休まらん領地も他になかろうな⋯⋯)

故郷を嫌っているわけではない。ただ⋯⋯各国の勢力には、できれば未来永劫、おとなしくしていて欲しい。

領主、ラルゴ・クロムウェルは、さんざん見飽きた海から視線を転じ、ぼんやりと山側を眺めた。

森の向こうに見える火山は今日もおとなしい。良いことである。港の連中にもあの穏やかさを見習って欲しい。

直近の噴火は二百年ほど昔のようで、その頃の記録はもはやあまり残っていない。溶岩は山の向こう側に流れたため、港への被害はなかったようだが、それでも煙と降灰、山火事を避けて多くの住民が島を離れたと聞く。

その後に、ホルト皇国の西方で功を立てた先祖が陞爵し、「クロムウェル伯爵家」となってこの島へ移り住んで復興に尽力した。

交易港としての現在の発展は間違いなくその功績なのだが、急激な発展の原動力として『交易』に力をいれたことで、他国からも人材と物資の過剰な流入が起きた。

ここはある意味、擬似的な経済特区でもあり、明文化されない独自の法と論理によって支配されている。

そんな島だから、実は純粋な『観光客』などは少ないはずなのだが⋯⋯

ラルゴがぼんやりと眺める丘へと続く石段には、珍しく通行人の列ができていた。

あの石段は森へ入る採取者や猟師、朝夕の散歩者がたまに通るくらいで、ないと困るが主要な道ではない。

一応、別の集落へ続く裏道でもあるのだが、馬車が通れないので利便性も良くない。港と海を一望できるから眺めは良いのだが、それだけのためにわざわざ登るほどのものでもない。

顔までは確認できないが、見たところ子供が多めの二十人ほどの団体である。あんな団体客が来れば港でも目立ちそうなものだが、特にそんな噂は聞いていない。

クロム島は交易港であって観光地ではない。商人や人夫は大量に来るが、子供連れの旅行客は少ないし、それが団体ともなるとなおのこと珍しい。「船で海を渡る」というのは決して気楽にできることではない。皇都への移動で慣れているラルゴでさえ、船旅中は憂鬱になる。

裕福な貴族や商人一家が訪れることはあるが⋯⋯そうしたVIPであれば、入港時に領主たるラルゴに一報あるはずで、なにやらきな臭い。

亡命のため移動中の貴族や商人、という線も有り得る。亡命者の中継点として、このクロム島はとても使いやすい。

父のヨセフ・クロムウェルも、小説の舞台としてよく貴人の亡命をネタにしているが、だいぶ「脚色」はあるものの、あれには結構な割合で実際に起きた事件が混ざっている。「小説の体裁をとった備忘録、あるいは暴露本ではないのか」などと息子のラルゴは疑っている。

(さて、あの団体客⋯⋯身元を把握すべきか、それとも放置すべきか⋯⋯)

把握した後で『魔族とその親族でした』などと判明しても困る。が、放置して何か起きたらもっと困る。

冬の皇都では水蓮会の襲撃やら猫の精霊やらレッドトマトとの外交やら、いろいろ想定外の事象が続いたため、やや神経過敏になっていることは否めない。

屋上へつながる扉が開いた。

「お? どうした、ラルゴ。目が死んでるぞ?」

二人分のコーヒーを手に屋上へ戻ってきた褐色肌の悪友、エレフィン・サイモンが、からかうように告げた。彼と入れ替わりに、使用人は気を遣って階下へ降りていく。

思考を切り替え、ラルゴは嘆息まじりに返した。

「お前に殺されたようなものだ。今の商人、貴様の紹介だから会ったが⋯⋯あまり信用しないほうがいいぞ。あれは相当な山師だ」

「だから俺と気が合う。威勢はいいが、そこまであこぎな真似はしないってところまでそっくりだ」

褐色肌の放蕩貴族は、他社の屋上応接スペースで我が物顔にくつろぐ。

「ま、親友にたいした儲け話を提供できない俺の甲斐性については、いささか自省せざるを得んがね。お前の損になる話でもなかろう?」

「金銭的にはな。しかしあの商人が何か問題を起こしたら、こっちに飛び火することはある。クロム島の情勢は常に複雑怪奇だ」

「この島では領主のお前が一番えらいはずだろ? 慎重すぎやしないか?」

悪友の浅はかな問いを、ラルゴは鼻で嗤った。

「冗談はよせ。西方諸侯とつながる水蓮会、魔族オズワルドを信奉する正弦教団、サクリシアやカーゼルの諜報部、バロウズが監視網として再整備した浄水教の教会、その他色々⋯⋯こんな連中がこんな近い距離で軒先を連ねる港なんぞ、ホルト皇国広しといえどこの島だけだ。皇都だってもう少し縄張りがしっかりしている」

エレフィンが肩を揺らしてくっくっと笑った。

「それは確かに。だがそんな環境だからこそ、みんな警戒しあってチンピラ同士の喧嘩すら滅多に起きない。平和で結構な話じゃないか」

「⋯⋯お前も喧嘩騒ぎは起こすなよ? ここ十年くらい、貴族の行方不明者は発生していないことになっているんだ。この記録は継続させたい。絶対にこの街の賭場には行くな。酒場でのカードもダメだ」

エレフィンがつまらなさそうにそっぽを向く。

「わかったわかった。しかし、そういう盛り場の治安維持こそ領主の責任じゃないのかね?」

「皇都の水蓮会傘下の酒場で起きた不祥事に、皇家、あるいは西方貴族の誰かが責任をとっているか?」

「すまん。俺の認識が甘かった」

結局のところ、クロム島の港にいるのはそのほとんどが他国の船乗りやその利害関係者ばかりで、純粋な意味での領民は驚くほど少ない。

長くこの島で生き、寿命を迎えて死んだ老人でさえ、「戸籍は他国」ということが往々にしてある。

「ああ、そうだ。エレフィン。お前とさっきの商人以外に、最近、この港へ来た外部の客で⋯⋯女子供が多い二十人ほどの集団に心当たりはないか? さっき丘へつながる石段から、港側へ降りてくる列が見えたんだが⋯⋯」

いろいろと目端の利く悪友に、念のため聞いてみる。彼は港の宿に宿泊しているため、他の客の姿もある程度は見かけているはずだった。

エレフィンは丘側に視線を向けたが、石段にもう人影はない。まだ降りている最中ではあるだろうが、他の建物の陰に入ったのだろう。

「いや、知らんな。俺達が乗ってきた船で子供は見かけなかった。宿のほうでも、どこぞの商人の愛人みたいな若い女なら何人か見かけたが⋯⋯子供は地元の平民しか見ていない。この島の人間じゃないのか?」

「遠目に見ただけだが、着衣が富裕層のものに見えた。メイドらしき者も混ざっていたし、なんというか⋯⋯この島の人間っぽくない」

クロム島は皇国最南端の離島である。

島民や船乗り達は半裸のような軽装の者がほとんどだし、女性も涼しくてシンプルな麻の服などを好む。

きちんとした身なりなのは貴族や豪商、その家族くらいで⋯⋯基本的には島外から来た者達と見ていい。

エレフィンが露骨に嫌そうな顔をした。

「⋯⋯なぁ、相棒。たぶん、気づいていて、考えたくないからあえて目を逸らしているんだと思うが⋯⋯ラズール学園に通学中のお前の娘達。夏休みに帰郷する予定はないのか?」

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯まったく、気づいていなかった。

その可能性は思いつきもしていなかったし、エレフィンに言われて初めて「あっ⋯⋯」と理解した。

娘達は⋯⋯ポルカとマズルカは、「何故か」、ネルク王国の留学生達一行と友人になっていた。

クロード・リーデルハインという化物じみた弓術の達人の妙技は、今もラルゴとエレフィンの脳裏に焼き付いている。

その後、留学生達への面会申請も受理されたため、王弟ロレンス殿下やその後見人たるペズン伯爵、またおそらくは「婚約者候補」と思しき令嬢、クラリス・リーデルハインとも対話する機会を得た。

こちらの目的はとりあえずの挨拶と⋯⋯それからネルク王国での王位継承の経緯確認、また昨年起きたという猫の精霊騒ぎやレッドトマト商国に関する情報収集などで、目的は無事に達成されている。

今後、ネルク王国がレッドトマト商国の交易政策と歩調をあわせていくことも確認できた。

⋯⋯同時に、彼ら留学生達が、魔族のオズワルドとそこそこ懇意にしていることも察せられた。

公式に発表された話ではないが、ロレンス達はラズール学園への留学に際し、「魔族オズワルドの転移魔法」によってこちらへ送ってもらったらしい。

その留学生達と仲良くなったポルカとマズルカが⋯⋯「魔族オズワルド」とも縁を結んだ可能性を、否定できない。

そうなればきっと、「転移魔法での里帰り」など容易いことだろう。

エレフィンが持ってきたコーヒーをすすり⋯⋯ラルゴはまるで急に老いたように背を丸めた。

「なぁ、エレフィン⋯⋯娘達の一時帰郷に、ネルク王国の王族と魔族が同行してくる可能性なんて⋯⋯あると思うか⋯⋯?」

エレフィンがしばし考え込む。

「有名な交易港を一目みておきたい。きれいな海を見てみたい。夏休みの思い出を作りたい⋯⋯そういった学生らしい目的なら充分に納得できるし、ここには あの(・・) 小説家、ヨセフ・クロムウェル卿までいて、しかも作品の舞台だ。もしも読者なら、その意味でも興味は持つだろうよ」

事も無げに指摘され、ラルゴは歯噛みした。

交易港なら他国にもある。海などあっという間に見飽きる。夏休みの思い出なんざよそで作れ⋯⋯学生の本分は学問だろうし、 あの(・・) 小説家、ヨセフ・クロムウェルなどただの厄介な老人である。作品の舞台は作品内で楽しめ。現地に来てもおもしろいものなど何もないぞ⋯⋯と、声を大にして言いたい。

「で、どうなんだ? 貴様が見た女子供の集団⋯⋯ネルク王国の留学生達と、ポルカ嬢、マズルカ嬢だったのか?」

「⋯⋯い、いや、違うと思う。幼い子供が何人もいた。クラリス様とロレンス殿下だけではなかったはずだ。それっぽい人影も混ざっていた気はするが⋯⋯おそらく、違⋯⋯」

エレフィンがわざとらしく深い嘆息を漏らした。

「お前が希望的観測にすがる時は、大抵が裏目だ。その集団はご令嬢とネルク王国の留学生達で、一行には転移魔法を使った魔族も加わっている⋯⋯そんな想定の上で行動したほうがいいぞ? 違っていたら笑い話にすれば済むが、この推測が当たっていたら『魔族がこの島に来ている』という話になる。確か⋯⋯正弦教団の支部もあったな」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯まぁいい。目的が 物見遊山(ものみゆさん) なら、こちらから関わる必要はないだろう。気づかぬふりをしてやり過ごす」

エレフィンがさらに嘆息を重ねた。

「⋯⋯お前は追い込まれると知能が下がるよな⋯⋯さっき『治安』の話をしたばかりだろう。あの留学生達に、この港の連中が『何か』やらかした場合⋯⋯その責任は誰がとらされる? お前に責任をとる気がないことは理解したが、魔族がそこに配慮してくれると思うか?」

ラルゴは今度こそ机に突っ伏した。

⋯⋯もうやだ。引退したい。

が、跡継ぎの長男はまだ幼いし、その母たる後妻も若すぎて頼りない。あと二十年ほどはラルゴがこの領地を守る必要がある。

その母親の実家、西方諸侯の有力者だったソロ厶伯爵家は、春先の政変により「取り潰し」がほぼ内定しつつある。

年末に起きたペット誘拐事件の解決を経て、その捜査の中で犯罪組織・水蓮会の裏帳簿が発覚し、諸々の癒着と犯罪行為が白日の下にさらされたせいである。

さらには貴族側の裏切り(切り捨て)に激怒した水蓮会が、聖女トゥリーダの公開生放送を襲撃し、貴賓席に向けて『不帰の矢』を使おうとしたことも混乱に拍車をかけた。

これは結局、『猫の精霊』のおかげで未遂に終わったが、犯人は捕らえられてきっちりと尋問され、ここでまたソロム伯爵家や、さらに上のバルカン侯爵家などの罪状がどかんと増えた。

今回ばかりは「魔族オズワルドや、謎多き猫の精霊を怒らせてはいけない」という国としての大前提があるため、皇家も本気である。

⋯⋯ラルゴとしてはむしろ、「自分が失脚した時のための命綱」としてソロ厶伯爵家との縁を結んだつもりだったのだが、立場が逆になってしまった。

用意しておいたはずの命綱が、一本ずつ切れていく。

他家へ嫁がせるつもりだったポルカとマズルカは独立を目指し、学園に行った。

サクリシアと通じていた悪友エレフィンは、聖女トゥリーダとの会談以降、レッドトマト商国との交易路線に軸足を移し、サクリシアの「拡大派」側と距離を取りつつある。

エレフィンの立場ならそれで良かろうが、最南端で最前線の「クロム島」は、サクリシアの出方次第では戦場になりかねない。ホルト皇国の海軍力など知れているから、島への援軍は期待できないし、いざ攻められれば降伏するしかないのだが⋯⋯

その時にサクリシア側から助命される程度の縁は、やはりどうにか確保しておきたい。

ラルゴ・クロムウェルは、常にこうした予防線を張り、保険をかけながら生きてきた。

離島という環境は不安定だ。

周囲を海に囲まれているため、何か変事があったところで逃げるのには船が要る。救援を呼ぶにしても片道だけで数日かかるし、そもそも助けを呼びに行けるかどうかすら怪しい。

幸いにして湧き水は豊富だが、それとて急に涸れる可能性は0ではない。

交易港だから食料は山ほど入ってくるが、それらはもちろん商品だから他所へ流れるのが前提だし、島で購入するなら金がいる。その相場も常に変動するし、時にはその幅が想定を超えてしまうこともある。

自分一人ならまだいい。我慢する、諦めて死ぬなどの選択肢がある。

しかし、領主には⋯⋯「領民を食わせていく責任」がある。

今まではなんとかなってきた。

だからこれからもなんとかなる――とは、ラルゴは考えない。人の世は綱渡りの連続で、それと気づかぬうちに落ちてしまう者は数多い。

たとえばポルカとマズルカを有力な近隣の他家へ嫁に出せば、その地は領民達にとって、緊急時の避難先にもなるだろう。

そうした前もっての「責任」を果たし続けることが貴族の役割であって、そのためならば多少の謀略や悪行は許容されるべきだとすら考えている。

⋯⋯ただ、娘達はそう考えていない。彼女らの祖父であり、自分の父であるヨセフにも良い顔はされなかった。

『お前の覚悟はわかった。だが、ポルカとマズルカにまでそれを強いるのは間違っている』

と、真っ向から否定された。

『貴族としての責務には、自身の領地を守るだけでなく、国としての発展に寄与することも含まれる。あの二人は魔導師としてそれを為せるし、そう望んでもいる。お前は楽な道を提示しているつもりだろうが、あの子達の才と意志を無視しすぎだ』

そして嘆息が続く。

『⋯⋯それにな。「人脈」というのは、お前が思っている以上に強い力だぞ。あの子達はラズール学園でそれを得る。お前は打算で動きすぎるから、似たような連中としかつるめないが⋯⋯あの子達は違う。本当の意味で信頼できる良き友人を見つけるはずだ。あるいは将来、その力が島や領民達をも助けてくれるかもしれんぞ?』

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯父のヨセフはそんなことを言ったものだが⋯⋯まさかネルク王国の王族を経由して『魔族』とまで縁を得るとは、小説家の彼でも想像していなかっただろう。

ラルゴは脱力気味に肩を落とした。

「⋯⋯⋯⋯このところ、思い通りにいかんことばかりだ。策を弄しても裏目、守りに入っても崩され、俺に逆らった娘達のほうは人脈面で成果を出しつつある⋯⋯当たったのは相場の読みくらいか⋯⋯」

エレフィンが先程までとは質の違う溜め息を返した。呆れが十割だったところに、三割の感嘆と二割の憐憫が混ざる。

「⋯⋯⋯⋯いや、そこが当たるのはたいしたものだがな? 貴様は完璧を求めすぎる。勝ち続ける博徒はいないし、いたらそいつはイカサマだ。以前、『予測に不確定要素を盛り込め』と言わせてもらったが⋯⋯ついでに『ハズレ』も前提として盛り込んでおけ。危なっかしいとまでは言わんが、その程度のことでいちいち凹まれると面倒くさい」

「⋯⋯凹んではいない。次の対策を練っているだけだ」

「だから、そんなもの練らなくていい。人知の及ばぬ領域もあるとそろそろ認めろ」

「悪あがきは性分でな」

互いにコーヒーを飲みつつ 埒(らち) もない会話を続け、合間にさして重要でもない書類を読むことおよそ三十分⋯⋯

港湾事務所と接する街のメインストリートが、妙に騒がしくなってきた。

近所の飯屋のおかみが驚いたような声をあげる。

「おや、ポルカ様、マズルカ様!」

「おばちゃん、ただいまー!」

「夏休みの一時帰省です。こちら、皇都土産の猫サブレです。賄賂としてお納めください」

「あらあら、まぁまぁ。ありがとうねぇ。お連れさんも一緒に、なんか食べていくかい?」

「うん、そのつもり! でもその前に、まずお父様に挨拶してくるね」

「気分的には三秒で済ませたいのですが、十分くらいはかかるかもしれません。でも五分でキレる自信があります。ふしゃー」

いつも元気で快活なポルカはさておき、淡々とした威嚇で気合をいれるマズルカがちょっと怖い。ポルカからもまあまあ嫌われている自覚はあるが、マズルカからはもはや敵視されている。

いや、それより⋯⋯屋上からこっそり覗けば、後ろにぞろぞろと連なっているのはネルク王国の王弟殿下と子爵家令嬢、植物学者のヴォラック&メルーサ夫妻と、その娘のソラネと⋯⋯修練場で見かけたあの『神弓』、クロード・リーデルハインもいる。彼の弓術には寒気がしたものだが、今は弓を携帯していない。とりあえず暗殺に来たわけではないらしい。

魔族オズワルドの姿は見えないが⋯⋯しかし状況からして、誰かが「転移魔法」を使用したのはほぼ間違いない。

宮廷魔導師スイールやその弟子のリルフィと話している異装の娘(※ヘンリエッタ)にも見覚えがないし、あるいは魔族の関係者か⋯⋯?

他にも知らない顔はちらほらいるが、人数の多さもさることながら、判明している顔ぶれだけでも明らかな要人ばかりで目眩がした。

「⋯⋯何を⋯⋯一体、何をしに⋯⋯?」

思わず青ざめたラルゴの後ろで、エレフィンが諦めたように、ポンと肩を叩いた。

「だから、友人の実家に遊びに来たんだろう。ちょうど今の俺みたいに」

「お前は商談だろうが。こんな何もない島に、どうしてあんな団体で⋯⋯!」

「海がある。港がある。各国の商材が揃っている。君、このクロム島を『何もない』とか抜かしたら、他の貴族からぶん殴られるぞ」

「魔族や王族が興味を持つようなものはないだろう!」

日頃は「お前」とか「貴様」と呼んでくるくせに、ド正論を吐く時や人前では、調子に乗って⋯⋯あるいは形式張って「君」などとわざとらしい呼び方に変わる。ラルゴ側もそう呼ぶことはあるのでお互い様だが、今日ばかりは腹立たしい。

いずれにせよ、この屋上応接スペースでの対応はまずい。さすがに人目につく。

慌てて階下へ降りるラルゴに続き、エレフィンものんびりと後を追ってきた。

「俺も一緒に会おう。あの人数に一人で対応するのは精神的にきついだろ?」

⋯⋯一瞬でも「ありがたい」と思ってしまったことが悔しい。

一階へ降りていく途中で、受付対応中の娘達に見つかる。

「あ。お父様」

「ふしゃー」

マズルカの初手威嚇はまぁいいとして⋯⋯気のせいだろうか。その隣で見知らぬ子供に抱えられたキジトラ柄の猫が、「⋯⋯ええぇ⋯⋯?」とでも言いたげな、ちょっと困った顔をしているように見える。

猫がこんなことでわかりやすい表情を見せるはずはないから、おそらく元々、こんな顔立ちなのだろう。

記憶が確かならば、あれは確かリーデルハイン子爵家の飼い猫だったと思う。修練場でも見かけた。

ラルゴは足の震えを隠して仮面をかぶる。

「これはこれは⋯⋯皆様、ようこそクロム島へ。もしやポルカとマズルカがお招きしたのですか?」

王弟ロレンス殿下がにこやかに前へ歩み出た。

「ラルゴ伯爵、エレフィン伯爵、おひさしぶりです。はい、本日はご令嬢方からお招きにあずかりまして、一同、お邪魔いたしました。ホルト皇国が誇る交易の港、クロム島を、この機会にぜひ見学させていただけましたら幸いです」

まだ子供だが、彼は幼いながらも政治と外交の基礎を理解している。ラズール学園で面会した時にはその利発さと見識に驚かされたし、隣にいたクラリスも要所で的確に会談をサポートしていた。

「兄王さえいなければ⋯⋯」とでも野心を抱いてもおかしくない立場のはずだが、現時点での兄弟仲は良好そうで、おそらく将来的には臣籍へと下り侯爵か公爵になるのだろう。あるいはそれらの家へ婿入りするのかもしれないが、いずれにせよ、親交を結んでおいて損はない。

以前のラルゴは娘達の皇都留学に反対の立場だったが、双子がもたらしたこの成果は認めざるを得ず⋯⋯ゆえに、娘達の行動にも制限をかけにくくなった。なにせ娘達を通じて彼らの不興を買えば、いずれは外交問題に発展しかねない。

結局のところ、ラルゴは「沖合の孤島」という特殊な地理条件の島を領土としている「たかが伯爵」にすぎない。

他国の王族やら魔族には太刀打ちできないし、そもそも「命綱」の確保を命題とする彼に、それらと敵対するなどという発想は最初からない。

だからラルゴは、なかば引きつるような無理のある笑顔なのを承知で、彼らを必死に歓待する。

「遠方よりお越しいただき、たいへん光栄です。必要なものがありましたら、どうぞご遠慮なくお申し付けください。ポルカとマズルカを通じてでも結構ですし、もちろん直接でもご対応させていただきます」

続けて、顔馴染みのラッカ家の面々⋯⋯ヴォラックやメルーサ、ソラネ達にも挨拶をしていると、知らない子供が抱えた猫と不意に視線が交差した。

「にゃあ」

わざとらしく鳴いて、猫はそっと視線を逸らし、ぺろぺろと前足の毛づくろいを始める。

ラルゴは猫に限らず、動物全般が苦手である。

なにせ言葉が通じない。賄賂⋯⋯というか餌をやれば多少は懐くのだろうが、しかし「餌をやるから近づくな」と願っても、おそらく理解してもらえない。

おとなしくしている分には問題ないので、ゲストのペットをぞんざいに扱う気はないが⋯⋯

(⋯⋯この猫⋯⋯え? 猫か?)

猫にしては⋯⋯なんというか⋯⋯あんまり 怖くない(・・・・) ?

自身がふと抱いた妙な違和感の正体に、この時のラルゴはまだ、気づくことができずにいた。