作品タイトル不明
269・セルニアさまはねこがすき
ランドール・ラドラは、ラドラ伯爵家の嫡子である。
現在は王立士官学校での寮生活を送っている。昨秋まで同室だったクロード・リーデルハインがホルト皇国へ留学してしまったため、一人部屋になった。
特に寂しいということもないが、クロードはとてもからかい甲斐のある良い友人だったため、なんとなく「元気でやってるかなあ」などと考えてしまうことはある。
そんな時は決まって、キジトラ柄の某猫が「どうも! おひさしぶりです!」などと挨拶しながらこっそりスイーツを届けてくれるため、実はクロードの近況もそこそこしっかり把握できている。
ついでにクロード本人が来て「⋯⋯向こうの生活に、不満とかはないんですけど⋯⋯サーシャとの距離感をどうしたらいいのか⋯⋯」などと相談してくることもある。あのヘタレが。
ともあれ、ここしばらくは一人部屋で優雅な生活をしていたランドールのもとに、四日前、ペルーラ公爵家からの書状が届いた。
「トマティ商会のプレオープン招待状をもらった」
「リーデルハイン家と親しいランドール様に、そのエスコートを頼みたい」
差出人は四女のセルニア、筆跡も彼女のもので間違いないが⋯⋯書状を出すように勧めたのは、おそらく父親のピルクード公爵である。
ピルクード公爵は昨年の寡妃ラライナ失脚以降、軍閥の貴族との関係強化に動いている。
ラドラ伯爵家は軍閥の有力者だが、現当主のトリウ伯爵は多くの時間を領地で過ごしているため、「次の当主」たるランドールとの縁を維持しておきたいのだろう。
しかし公爵当人が動けば周辺の貴族も裏を勘繰るし、ランドールとしても多少は警戒せざるを得ない。
一方、まだ子供で天真爛漫なセルニアが「一緒に行きたいですわ!」などと誘う分には、よくある貴族の子女同士の交流で済む。ランドールも話を受けやすい。
⋯⋯ついでに、ランドールはその見た目からして「女性」と認識されがちで⋯⋯周囲も「女性同士の交友関係」と錯覚するため、セルニアに変な噂話がつくこともない。とても都合のいい友人になれる。
話術に長けたランドールの立ち位置は、もう「そういうもの」と社交界で認識される程度に確立されていた。
エスコートの件でルークに一報をいれることも考えたが、今回、トマティ商会の面々は八番通りホテルに滞在しておらず⋯⋯またランドールは、店舗の正確な位置も把握していなかった。
そもそも士官学校の授業に加えて学生会の役員もこなしている彼に、自由に動ける余暇は少ない。
結果、平日はまともに身動きがとれぬまま、アイシャやルーシャンに問い合わせるほどのことでもないかと諦め、休日の今日を迎えた。一応、ルークの正体がセルニアにバレないよう、フォローするつもりではいる。
トマティ商会王都本店は、ただ商品を売るだけでなく、そこに広いカフェを併設した珍しいタイプの店だった。
道側には格子状の大きなガラス窓をはめ込み、客席の様子が外からも見えるようになっている。内部を見せることで、客に興味と安心感をもたせるためだろう。
内装には猫の肉球やトマト様の柄が目立つ。
メテオラで生産を始めたという木彫りの落星熊と木彫りの猫も飾られている。ポーズは違うものの、これは同じものをランドールも貰った。今はクロードの代わりに部屋の同居人となっており、たまにお供えもしている。一応、神像らしいので⋯⋯ご利益もありそうだし、粗末にはできない。
プレオープンは、どうやらセルニアとランドールが一番乗りのようだった。
店内に他の客はまだおらず、入口付近に宮廷魔導師ルーシャンとその弟子のアイシャがいる。
それから、士官学校を卒業してトマティ商会に就職したナナセ・シンザキ⋯⋯もちろん彼女とも顔見知りだが、在学中はさほど縁がなかった。
あとは⋯⋯軍閥の官僚貴族、スターリット男爵がいる。夜会で挨拶をしたことがある程度だが、彼がトマティ商会の協力者になったことはルークからもう聞いていた。
それからもう一人⋯⋯商人風の中年男性がいる。道中の馬車でセルニアから聞いた話では、「公爵家へ挨拶に来たもう一人の商人は、ブラジオスと名乗った」という話だったから、そちらだろう。
少し陰のある落ち着いた風貌の男で、何やら苦労人の気配を漂わせている。「クロードと相性良さそうだな⋯⋯?」などとほんの少し思ったが、口にはしない。たぶん猫がどこかでスカウトしてきた人材である。
そして肝心のルークは見当たらない。
記念すべきこの日に不在ということはなかろうが⋯⋯客を警戒して、姿を消しているのかもしれない。
ランドールはセルニアの手を引き、歩幅をあわせて彼女を店に導いた。護衛が三人、これに付き従う。
一人はメイドで二人は騎士。
一番強いのが元拳闘士のメイドで、騎士二人は盾役といっていい。そして他に、平民に化けた複数名が周辺の道や店舗に控えている。そちらの人数はランドールも把握していないが、とりあえず三人や四人どころではない。
いかに「公爵家の令嬢」とはいえ、治安の良い王都の商業区でこの警備体制はやや過剰だが⋯⋯公爵家側としては、同時に「伯爵家嫡子のランドールにも、何かあったらまずい」という思いがあったのだろう。
そうとは知らぬセルニアは、悠々と店内へ踏み入った。
「ルーシャン様、アイシャ様、ごきげんよう! 本日の招待に感謝いたしますわ!」
「こ、これはこれは、セルニア様! ようこそおいでくださいました」
ルーシャンが好々爺とした笑みと共に会釈を返す。アイシャのほうは無言で深々と一礼し、スターリット男爵はランドールの目配せを受けてからこれに続いた。
爵位の低い彼は、セルニアの顔もまだ知らないだろう。どちらも現時点での夜会への出席率は高くないし、そもそも派閥が違う。
奇しくも今日、この場には、魔導閥のルーシャンとアイシャ、税務閥のセルニア、軍閥のランドール、スターリット男爵と、派閥の垣根を越えて猫とトマト様に導かれし者達が揃っていた。
一通りの形式的な挨拶を済ませた後、セルニアは不思議そうに周囲を見回した。
「ところで⋯⋯猫さんの気配がしますわ!」
ビクッ、と天井付近で何かが動き、ランドールも気づいた。
見上げれば、壁際に設置された小さなバルコニーのような棚から、キジトラ柄の尻尾がはみ出ている。
明らかに猫である。が、セルニアはまだ背が低いので、彼女からは見えにくいかもしれない。
(あー⋯⋯あそこがルークさんの専用スペースかぁ⋯⋯)
仕様の意図を一瞬で察しつつ、ランドールはフォローに回る。
「セルニア様? 猫の気配とはなんです?」
「匂い⋯⋯ではなくて、なんというか、こう⋯⋯空気感がもっふりしてくるのです!」
刺客の存在を見破る達人のようなことを言いだした。これだから感覚派は怖い。
セルニアは少し店内を見回し⋯⋯
「あそこですわ!」
と、天井に近い壁際の棚を指さした。まぁ、デザイン的に目立つので⋯⋯怪しいのはそこである。
「⋯⋯にゃ、にゃーーん⋯⋯」
恐る恐る⋯⋯といった様子で鳴きながら、ルークがひょっこりと顔を出した。無視して寝たふりをしておけばいいのに、ここで挨拶してしまうあたりが彼の愛嬌である。声に反応して顔を出すのはある意味で猫っぽいのかもしれない。
顔を見せたルークを見上げ、セルニアがたちまち目をキラキラさせた。
「は⋯⋯」
「は?」
「はちゃめちゃにかわいいですわッッッ!?」
わかる。ルークの顔立ちには、そこらの猫とは一味違う、いろいろ油断しきった特有の包容力がある。「この子は撫でても大丈夫!」と猫好きに確信させる何かがあるのだ。さらに毛並みも極上なので、特に意味もなく触りたくなる。
アイシャがこっそり目元を押さえ、ルーシャンは「ほう⋯⋯?」と興味深そうな視線をセルニアに向けた。あれは「同志」を見つけた時の目である。
ナナセとブラジオスは戸惑いつつも姿勢を崩さず、ルークの出方をうかがっていた。彼は思念か何かで相談できるらしいので、今まさに指示を出しているのかもしれない。
「にゃーん」
⋯⋯どうやら「接客サービス」を選んだようである。
相手が公爵家だから媚びを売っておこう、という判断か、あるいはお子様だからサービスしておこう、とでも考えたか⋯⋯いずれにしても、ルークはまるで猫のような足取りで、壁に設置された小さな猫用扉からスタッフルームに戻った。
それにあわせてナナセも控室へ移動し、ルークを抱きかかえてこちらへ戻って来る。
セルニアはキラキラだった。目だけでなく、もう体ごと輝いているように見える。
「はわ⋯⋯はわぁ⋯⋯!」
間近で見たルークの可愛さに心打たれたのか、彼女は震えていた。
ナナセが苦笑まじりに跪き、抱えたルークを差し出す。
「こちら、名前はルークといいます。偶然にも、当商会の社長と同じ名前なのですが⋯⋯」
「にゃーん」
ルークがナナセの腕から這い出て、セルニアの腕に乗っかった。動きはしなやかな猫である。が、サービス精神が猫のそれではない。それでいて頬を舐めたり爪を立てたりはしないので、紳士すぎてやっぱり猫っぽくはない。
とはいえ人類の大半は「見た目」に騙されるので⋯⋯見た目がかわいい猫さんであれば、それは「猫」として認識される。かくいうランドールも見た目が女子なせいで、ほぼ女子として扱われがちである。
セルニアは「ほああ! ふあああ!」と歓喜しながら、抱えたルークをわしゃわしゃとモフり倒している。
嬉しそう。
ルークは「にゃーん。にゃーーーーん」とたまに合いの手を入れながら、そのモフリに身を任せている。
楽しそう。
そして護衛や店員達は微笑ましく見守っているものの、ナナセとブラジオス、アイシャあたりはやや困惑している。
気持ちはわかる。
⋯⋯ルークのこうした人懐っこさは、友としては危ういとも思う反面、明確な美徳⋯⋯あるいは「救い」でもある。彼ほどの力を持つ亜神が、もしも人類に「敵対的」であったなら、この国は昨年のうちに滅んでいた。
彼を保護したリーデルハイン子爵家の善良さと、早い段階で降臨を察知し対応したルーシャンやアイシャによって、ネルク王国の命運はつながった。この真実を認識し共有している者は決して多くないが、ランドールもまたそのうちの一人である。
「にゃーん。ごろごろごろ⋯⋯」
「はううっ⋯⋯かわっ⋯⋯かわわっ⋯⋯い、いけませんわ! このような、このようなモフみ⋯⋯すばらしすぎますわぁっ⋯⋯!」
「にゃー」
⋯⋯とても楽しそうなセルニアはともかく、国どころか世界の命運を握っていそうな亜神があまりにご満悦で、ちょっと反応に困る。
せめてクラリスがこの場にいれば、飼い主の手前、もう少し自制とか自省とかしそうなのだが、生憎とこの場にはルークに突っ込める者がいない。あのアイシャでさえ「セルニアと護衛と店員達」の視線があるために、ルークを「ただの猫」として扱わざるを得ない。
となると、この状況を収められるのは⋯⋯
(あ。私だけ?)
ランドールは察する。相手は公爵家の令嬢であり、ルーシャンやアイシャでも気軽には話せない。商人達はなおさらである。
「セルニア様、そろそろテーブルの方に⋯⋯」
優しく声をかけると、セルニアが「はっ!」として、ルークの腹に埋めていた顔をあげた。初対面で猫吸いまでさせてくれる猫など現実には存在しないが、神なのでしょうがない。
「あっ! 私ばかりが申し訳ありません! ランドール様もどうぞ!」
セルニアがルークを差し出してきた。基本的に気遣いのできる良い子なのだ。
ランドールはちょくちょく撫でさせてもらっているので、今日は別にいいのだが⋯⋯しかしセルニアの気遣いを無駄にしたくないという思いから、ルークを受け取って撫で回す。まるで初対面のような演技も忘れない。
「⋯⋯これは確かに、素晴らしい撫で心地ですね。それにとてもおとなしい」
「にゃー」
ルークの鳴き声がわざとらしい。いつもなら「恐縮です!」とか応じてくるところである。
「あの、では、こちらへ――メニューをお持ちいたします」
ナナセが二人を客席へ案内する。
ランドールはセルニアと向かい合ってテーブルにつく。ルークはまだ接客モードのようで、卓上にもふっと香箱座りをした。
その様子を見守るセルニアは、「ふわあ⋯⋯」とキラキラし続けている。
「この猫さんには、お店に来ればいつでも会えますの!?」
セルニアの期待がこもった問いに、ナナセが一礼した。
「たいへん申し訳ございません。我々は王都での滞在予定が終わり次第、リーデルハイン領にある本社へ帰りますので⋯⋯ルークも連れ帰ることになります」
セルニアはわずかに表情を曇らせつつも、小さく頷いた。
「それは残念ですわ⋯⋯でも、こんなに人懐っこい子ですもの! きっとトマティ商会でも、とても大切にされているのでしょうね!」
⋯⋯セルニアは「この猫さん、欲しいですわ!」などとは決して言い出さない。
これはランドールが認める彼女の美点でもあるが、彼女は幼いながらに、自分の立場において「欲しがるべきもの」と「そうでないもの」を明確に区別している。
公爵家の令嬢が安易に「欲しい」などと口にすれば、周囲はそれに配慮せざるを得ない。だから彼女が欲しがるとしたら、それは「利害関係の一致した相手が、公爵家に買って欲しい商品」や「献上を目的とした品」だけであり⋯⋯「お金で買えないもの」、「金銭的な価値以外の側面が強いもの」に関しては、決して「欲しい」などとは口にしない。他人の宝物を横取りするような精神性とは無縁である。
天真爛漫な言動に隠れがちだが、セルニアの持つそうした本質的な意味での「高貴さ」を、ランドールは好ましく思っていた。
接待役のナナセが、商品棚からバロメソースと黒帽子ソースを持ってきた。
「この子は我が社のマスコットキャラクターというか、象徴的な存在でもあります。商品のパッケージにも、このように⋯⋯」
手渡したバロメソースの裏面、そこに貼られたシールには、原材料の表記と並んでトマト様を収穫するファーマー・ルークの姿が印刷されている。
一方で黒帽子ソースのほうは、シルクハットとタキシードで正装したルークが印刷されており、こちらのほうが確かに高級感はある。が、どっちもだいぶかわいい。
セルニアも気づいて目を丸くした。パッケージは使用人達が開けるので、こうして見たのは初めてだったのだろう。
「ほんとですわ!? 体型も顔立ちもそっくりです!」
「はい。デザインの際に、この子をモデルにしたのです。それで、このプレオープンのイベントにも参加してもらおうということになりまして」
「にゃーん」
⋯⋯ルークは誇らしげというか、やや恥ずかしげで、ちょっと猫にしては表情が出過ぎている。やはりこの猫にはクラリスかリルフィが傍にいてフォローしないとダメな気がする。
とりあえず今は二人ともいないので⋯⋯代わりにランドールが話題を転じた。
「さて、セルニア様、ご注文はいかがなさいますか?」
「店のおすすめをいただきますわ!」
⋯⋯これも実は、「店が推したい商品に、公爵家令嬢のお墨付きを与える」ための無意識の気遣いだったりする。
ナナセは察したようだが、しばらく思案した末に、
「⋯⋯それでは、少々特別な品を出させていただきますね」
にこやかにそう告げて、厨房側へ移動した。おそらくルークから何かの指示があったと思われる。
そして、数分もしないうちに運ばれてきたのは⋯⋯
目にも鮮やかで美しい配色の、見ているだけで楽しくなるような逸品だった。
トマト様をかたどった白い円形の皿に、複数の料理が少しずつ、品良く盛りつけられている。
ランドールはこの品を知っていた。以前にルークから食べさせてもらったことがある。
黄色い卵焼きに包まれたチキンライス。様々な具材のミニサンドイッチ。小盛りにされたバロメソースのパスタ。一口サイズのチキンソテー。ヒヨコ豆のトマト様煮。ケチャップのついたフライドポテト。短めのフランベルジュ(※フランクフルトソーセージ)。生のトマト様も入ったミニサラダ⋯⋯
チキンライスには猫の顔の旗(紙製)も刺さっている。
さらに黄色い楕円形の焼き菓子と、ぶどう風味の果実水までついてきた。焼き菓子はおそらく「スイートポテト」という、「サツマイモ」なる芋を原料としたもので⋯⋯
荒れ地に強い作物として、こちらもルークが各地で試験栽培を始めている。トマティ商会でも扱うようだが、トマト様と違って神格化したり広報戦略を練ったりはせず、自然な流れで広げていくつもりらしい。長期保存にも適しているとのことで、レッドトマト商国への支援作物でもある。
呆けた様子のまん丸お目々で皿を見つめるセルニアに、ナナセが営業用とばかりはいえない優しい笑顔を向けた。
「こちらは本日のためにご用意いたしました、特製『お猫様ランチ』でございます。ご覧の通り品数が多く手間がかかりますので、いつもご提供することはできず、メニューにも記載しておりませんが⋯⋯今日のように特別な日の、専用メニューとなっております」
店で出したということは、神々の世界の料理ではなく⋯⋯それをこちらの食材だけである程度まで再現することに、遂に成功したのだろう。
生のトマト様はまだ王都では流通しておらず、生産場所は王立魔導研究所所有の実験畑とルーシャン邸、アイシャがいる孤児院の畑などに限られている。
前者は研究目的、後者は一般的な環境での生育実験を兼ねているようだが、種はこれから流出していくはずで――ルークはこれを咎める気はなく、むしろ広げていきたいらしい。
トマティ商会は「加工品で利益を出す」と割り切っている。そもそも「トマト様を世に広める」のがルークの主な使命なので、この味を独占する気はないのだろう。
「すっ⋯⋯すばらしいですわっ! 斬新ですわっ! なんですのコレ!?」
目を輝かせてお猫様ランチを頬張りはじめるセルニアを見て、テーブルに香箱座りしたルークはほんのりとドヤ顔である。
⋯⋯目の前にこんな皿を出されたら、普通の猫なら興味本位で嗅いだり食べたりしそうなものだが、彼はマナーがしっかりしている。子供の食事に手をだすどころか、むしろ率先して人々に糧を与えるタイプの豊穣神である。
相変わらず、猫なのに猫らしくないが⋯⋯そんな彼を、ランドールは友として好ましく思うのだった。