作品タイトル不明
143・砂神宮の代官(前編)
神代の迷宮、『 砂神宮(さじんきゅう) 』を擁する町――サンドルイスの町役場は、その日、大混乱に陥っていた。
町の北側の山地が突如として盛り上がり、平地に変化した。
その直後、広大な小麦畑が出現。
さらに小麦畑の半分が変化し、見たことのないいくつかの作物に転じた――
地響きの後、町役場に届いたその報告に、代官のダムジー・サイトウはただ戸惑うしかなかった。
「……と、とにかく、現場を見よう……自分の眼で見ないと、何を言っているんだか、よくわからない……」
「や、例え話とかじゃなくてですね! もう、報告通りの状況なんです!」
顔馴染みの若い衛兵が必死に言い募るが、やはり見なければ信じ難い。
砂神宮は王の直轄領である。代官も貴族ではなく、王都から派遣された官僚が務める。
ダムジー・サイトウは三十一歳、妻子も一緒にこの任地へと来ており、あと十年前後はこの役目を続け、その後は王都へ戻るか、また別の地方へ派遣されるか……
ともあれ、砂神宮と労働者の管理、書類の処理といった日々の雑務を取り仕切り、平穏無事に代官生活を終えるつもりでいた。
砂神宮の代官は、彼のような平穏志向の人間にとって「当たり」の役目である。
鉱物は国有資源であり、横領などをすれば死罪となるが――砂神宮はその特異な性質上、鉱物の産出量がほぼ一定で、そもそも不正を働きにくい。
産出量を国側が把握している以上、横流しのための余剰分は確保しにくいし、価格や配分先は国が決めているため、「足りないから」などと価格をつり上げることもできない。
代官のダムジーはあくまで「上からの指示に従う」立場であり、鉱物をどうこうする権限そのものがないのだ。
町では最上位の立場ではあるが、強い実権を持っているとはとても言えない。もしも不審な動きをすれば、この町の兵から、あるいは他の町から、すぐに王都へ情報が伝わってしまう。
そんな立場の彼にとって――
『町の北側に、広大な農地が突如として出現した』などという事態は、身に覚えのない酷い火種だった。
これがダムジーの勝手な指示によるものだと誤解されれば、どんな沙汰がくだるかわからない。
また、知らぬ存ぜぬで通せば『監督不行き届き』となり、これも身を危うくする。
冷や汗をかきながら小走りに町役場を出ると、ダムジーは数人の衛兵と部下を引き連れ、異変の現場を目指した。
町はすでに騒然としていた。
先程の大地の振動と、獣じみた野太い鳴き声は、町のどこからでも聞こえた。
その上で、視界にあったはずの北側の斜面がきれいさっぱり消失し――その向こう側に見える別の山は、やけに遠い。
真っ先に恐れた可能性は山崩れだが、そこまで 急峻(きゅうしゅん) な斜面ではなかったし、もしそうであればダムジーもとっくに土砂に呑まれている。
現場につくと、住民や衛兵達が、町と畑の境界付近に立ちすくんでいた。
どうやら農地へ踏み込む勇気はないらしい。
ダムジーがもう少し横暴で、なおかつ居丈高な人間であれば、部下に「様子を見てこい」と命じられたのだが――
あいにくと彼は魔導師でも貴族でもなく、若手の小役人に過ぎなかった。むしろ部下達の手前、見栄を気にする程度の分別もある。
「私が様子を見てくる。二人ほど、ついてきてくれ」
見栄は張ったが、さすがに一人では行きたくない。
ダムジーは慎重に歩を進めた。
小麦畑は異様なまでに広い。しかし、直線的な歩道と、またげる程度の細い水路が整備されており、歩く分にはまったく支障がない。
大小様々な石の配置は不規則だが、まるで子猫が身をよせあったようにぴったりと配され、ある程度は平面にならされている。
水路にはまだ水が入っていないが、井戸でも掘れば――あるいは雨がそれなりに降れば、そこそこの水を溜められそうだった。彼方の端には、まるで溜池のような窪みまで見える。
「……どういうことだ……なぜ、こんな立派な農地が、突然に……?」
ダムジーのつぶやきに反応して、ついてきた若い衛兵が声を震わせる。
「……あの、ダムジー様……これ、ヤバいですよね……? どう見ても人間業じゃないですよね……? この町、なんかヤバいのに目ぇつけられたんじゃ……」
語彙(ごい) が今一つ怪しいが、気持ちはわかる。
この世界には、『ありえない事態』を引き起こす輩が実在する。亜神、魔族、神獣、精霊……直にその影響力を目にする機会はまずないが、『実在』について疑う余地はない。
つい先日も、国王が魔族を怒らせたなどという噂が流れた。
ダムジー自身はこの噂の真偽を疑っているが、これは「魔族を怒らせて無事で済むはずがない」という理由によるもので、魔族そのものに対してはあくまで畏怖の念を抱いている。
ただ――このような形で、一瞬で「農地」を整えるなど、いかな魔族でも不可能だとは思う。仮にできたとしても、その目的が読めない。
わけがわからないままに歩を進めていくと、やがてダムジー達の眼前に人影が現れた。
凛々しく涼しげで――どこか人を見下した感のある、軍服姿の青年である。
冷たい目つきに射抜かれ、一行は震えて立ち止まった。
「やぁ、サンドルイスの住民。君は、この地の役人かね?」
――不審者である。敵かもしれない。
頭ではそう判断をつけつつも、ダムジーと二人の衛兵は、自然とその場にひざまずいていた。
生き物としての、格が違いすぎる――一目でそれを理解し、確信させられてしまった。
「……は。私はこの地の代官、ダムジー・サイトウと申します……非才の身にて 僭越(せんえつ) ながら、何かお役に立てることがあればと、馳せ参じました――」
ダムジーは喉が詰まりそうな感覚に震えながらも、かろうじてそう応じた。
おそらく、「国王」を前にしてもここまでは緊張しない。
相手は人間ではない。魔族、もしくは亜神――逆らえば間違いなく死ぬ。
服従し、その慈悲にすがる以外の選択肢がもはや存在しないと即断できる程度には、ダムジーも賢い。
そしてこの賢さが、彼の命を救った。
軍服姿の美青年は「ほう」と興味深そうに笑った後、存外に優しげな声を寄越した。
「ずいぶんと 殊勝(しゅしょう) な態度ではないか。レッドワンドには礼儀を知らぬ連中が多いものと思い込んでいたが……認識を改める必要があるかもしれん。初手から礼節を見せられては、こちらも粗暴な真似はできぬな」
青年は軍帽を正し、芝居がかった会釈をした。
「純血の魔族、バルジオ家の当主。オズワルド・シ・バルジオだ。つい先日、貴国の王が、私の友人に無礼を働いた。まぁ、それは目こぼしをしたのだが……今度は『内乱』などが起きて、他の友人達にまで迷惑をかけようとしている。国王もフロウガとやらも、そんなに戦いたいのなら……いっそ、私が両方と遊んでやろうと思ってな? 手始めに、この『砂神宮』を私の支配下におくことにした」
魔族――
噂話にしか聞いたことがない、 あの(・・) 魔族……その出現に、ダムジーは頭が真っ白になった。
麻痺した思考で、それでも必死に最善手を考える。
自分にとって、一番大切なものは何か?
まずはなにより、自分の命だ。そしてもちろん妻子。町の人々は優先順位がだいぶ落ちるが、それでも率先して見捨てたいわけではない。
一方で、魔族をこの国に呼び込んでしまった国王やフロウガ将爵の命などは、これらに比べるとだいぶ価値が落ちる。何してやがるあのクソ共、と、決して口にはしないが頭では思っている。
(しかし、内乱……? 内乱とはどういうことだ? この方の口ぶりからして、フロウガ将爵が決起したのか?)
ホルト皇国との国境に近いこのあたりでは、国内の最新情報が届くまでにある程度の日数を要する。地方の一代官に過ぎないダムジーが知らない間に、世間は大きく動いていたらしい。
歩道に平伏し、ダムジーは石畳に額をこすりつけた。
「……オ、オズワルド様は、この地で何をお望みでしょうか?」
オズワルドが鼻で嗤った。
「目的なら、今言ったはずだが? 国王とフロウガ、その両者と、少しばかり遊んでやろうと――」
「……恐れながら、申し上げます……魔族たるオズワルド様のお力をもってすれば、国王も、フロウガ将爵も、我がレッドワンドの軍勢でさえも……一切の抵抗を許さず、一方的に 蹂躙(じゅうりん) することが容易かと愚考いたします。にもかかわらず、このような僻地までおいでになられたことが不可思議にて――その理由いかんによっては、私のような木っ端役人でも、お役に立てる機会があるのではないかと……」
魔族に誠心誠意仕えるつもりは毛頭ない。
だが、うまく目をかけられて、多少なりとも差配を許される立場になれば――町の人々を他所へ逃したり、彼らの生存に必要な物資を確保したり、うまくいけば家族を別の場所へ移動させたり――そういった手助けも可能になる。
自分を含む『人々』の生存率を、少しでも上げる――その一念をもって、ダムジーは恥も外聞もない土下座を続けた。
彼は自身を、単なる小役人だと自覚している。
そして小役人には、小役人なりの矜持がある。
自身のちっぽけなプライドなどかなぐりすてて、最悪の状況からでも、結果的に少しでも「まし」な選択肢を探し出す――
少なくとも、そのための努力を放棄しないこと。
それが、ダムジーという「小役人」の矜持だった。
容認にしろ拒絶にしろ、オズワルドからの返答はすぐに返って来るものと思っていたが――代わりに聞こえたのは、彼のごく小さな独り言だった。
「……え? ふむ……まぁ……うん……よし」
まるで誰かと話していたかのようだったが、オズワルドはすぐに声質を厳しく戻した。
「代官のダムジー。貴様にだけ、少し話がある。こちらに来い。衛兵二人は町に戻り、許可あるまでこの農地には誰も立ち入らせるな」
歩み寄ってきたオズワルドが、ダムジーの肩を軽く撫でる。
膝を震わせながらも立ち上がり、彼は衛兵二人に「戻っていなさい」と命令を下した。
その背を見送った後、農地を見物するように、オズワルドがゆっくりと逆方向へ歩き出す。
「……さて、ダムジー。急に現れたこの農地には、さぞ驚いただろう?」
「は、はい……今もまだ、夢でも見ているのではないかと疑っております……」
「『私も同じ』だ。いや、まったく……ルーク殿? ご要望通り、衛兵は帰らせたぞ」
「ありがとうございます!」
オズワルドの肩口から――やや高めの声がした。
見ればいつの間にか、その肩にキジトラ柄の太った猫がしがみついている。
オズワルドの腕に抱かれてはいるが、その肩に顎を載せ、後ろを歩くダムジーをにこにこと笑顔で見つめていた。
そう。
……猫が、『笑顔』で。
「……は?」
戸惑うダムジーに、猫は愛らしく肉球を振った。
「どーもどーも、ダムジーさん。私、オズワルド様の友人で、猫のルークと申します。つかぬことをうかがいますが、貴方の『サイトウ』という姓に、ちょっとした興味がありまして――その名前を持っていたご先祖について聞きたいのです。よろしいですか?」
ダムジーは驚愕に目を見開いたままで、反射的に頷く。
上位の存在に話しかけられれば、応じずにはいられない。
猫の姿をしているが、おそらくは『神獣』である。魔族とも親しげだし、ここで「たかが猫」などと侮るわけにはいかない。
「は、はい、なんなりと……その、私の家系の話など、さしておもしろいものではありませんが――」
「いえいえ、実に興味深いです。『サイトウ』というのは、レッドワンドではよくある姓なのですか?」
「は。特に多くはないですが、さほど珍しいわけでもありません。一つの町に数人程度……地域によってはもっと多いかもしれません。サイトウ家の始祖は、レッドワンドの建国にも関わった将爵家です。火属性の優秀な魔導師として、建国の王の腹心となり、現在のレッドワンドの礎となったと聞いております。しかし百年ほど前の政変で取り潰しとなり……将爵家としては、もはや存在しておりません」
ダムジーの言葉を補足するように、オズワルドが呟く。
「ルーク殿、彼もおそらく、その始祖との血縁関係はないぞ? レッドワンドの爵位は養子の魔導師が継ぐ。姓が同じでも血縁とは限らないし、親族関係の把握が非常に困難だ。というより……権力を血縁で固定化させないために、 わざと(・・・) 、血縁がわかりにくくなる制度を作ったのではないかと思う」
ダムジーはオズワルドの言葉に頷いた。
「オズワルド様がおおせの通りです。レッドワンドが成立する前、この地では数百の集落が、十数の勢力に分かれ、互いに争い合っておりました。こちらの砂神宮などは、資源の要として激戦地となっていたようです。私の祖先にあたる……いえ、血縁関係はないのですが、サイトウ家の始祖にあたる『ヒロカズ・サイトウ』は、その争いの渦中にあった一勢力を束ね、建国の王と同盟を結んでその腹心となり、周辺の勢力を統一してレッドワンドの国を作りました。かつては戦力として使い潰されていた魔導師を『貴族』として扱うように制度を変えたのも、その頃からだと書物に記されております」
つい 饒舌(じょうぜつ) になったのは、緊張に耐えかねてのことだった。喋っていれば、ひとまず不可思議な現状から目を逸らし、冷静になる時間も稼げる。
オズワルドの肩口で、猫が首をかしげた。
「もしかして……当時のレッドワンドでは、魔導師が 虐(しいた) げられていたりしたんでしょうか……? で、そのサイトウさんが魔導師の待遇改善に取り組んだ結果、現在のような制度が生まれたと……」
「当時のヒロカズ将爵がそうした動きを主導したかどうかまでは、さすがに存じませんが……国の方針を決める上で、無関係だったとは考えにくいです。ただ、建国の王も含め、統一を成し遂げた当時の英雄達は魔導師ばかりだったようですから……おそらくは全体の総意だったのでしょう」
ダムジーが訥々と答えると、オズワルドが立ち止まり、わずかに頬を歪めた。
「ああ、そういう流れか……ルーク殿は、純血の魔族がかつて『魔導王国』を滅ぼしたことは知っているな?」
「はい、うかがいました。一般常識レベルの有名な話なんですよね?」
「うん。その魔導王国滅亡の後だが……各国で『魔導師』が危険視され、一部の地域では迫害も起きたと聞いたことがある。私が生をうける前の話だが、おそらくその影響が、この地方にも飛んで……迫害された魔導師が立ち上がり、新たな秩序を打ち立てたのだろう。しかしその反動で、今度は魔導師の優遇に偏りすぎて、今の状況につながってしまった。だいたい魔導師だからといって、政治や経済に明るいわけではない。たとえばアーデリア嬢あたりに政治を任せたら、一体どんな……いや、逆の意味でおもしろそうではあるが」
「い、いえ、アーデリア様はお優しいですし、部下さえ有能だったら割といけそうな気もしますが……」
「ふむ。『本人の実務能力には期待できない』という意味か。まさにその通りだ」
「違います! そんな不敬なこと思ってないです!」
猫は必死で言い募っていたが、オズワルドはにやにやと笑っている。この二人――一人と一匹は、ダムジーが思った以上に仲が良いらしい。
オズワルドはひとしきり嗤うと、声をひそめた。
「……実際な。レッドワンドのように、国単位で魔導師を『特権階級』においてしまうと、『現場で働く、労働者としての魔導師』がいなくなる。優れた魔力を持つ人間に、働きに応じた高給を与えるだけで良かったのに、地位を保証した上で『働かなくてもいい』、あるいは『魔法に頼る必要がない』立場においてしまったものだから、せっかくの魔法が国益につながらず、この影響が国力を衰退させたわけだ」
……ダムジーとしても、耳が痛い。
わかってはいるのだ。
オズワルドが指摘したこの 弊害(へいがい) は、多くの官僚や国民が理解していることで……それでもなお、『特権階級たる魔導師』の権力構造が強固すぎて、誰にも壊せなかった。
また一方で、「自分の子供に魔力の才があったら、勝ち組確定」という、わかりやすい逆転の目もある。
各貴族の当主は皆、その成功例であり、この制度は庶民にとってもギャンブル的なメリットがあるのだ。
――そんな中途半端な願望が国を腐らせた、と言われれば、否定はできない。
「ネルク王国への侵攻が何度も失敗しているのも、そのせいだな。魔導師が危険を避けて前線に出ないものだから、ネルク王国側に比べて戦術の幅が狭い。真っ向からぶつかったら勝てないから、ネルク王国側で内乱でも起きて、その国力が大きく疲弊しない限り、勝ち目もない――その意味では、ネルク王国に内乱の種をまこうとした先日までの謀略も、目の付け所は悪くなかった。ルーク殿の介入がなかったら、今回こそは侵攻が成功していたかもしれん」
オズワルドの言葉を聞いた猫は、獣らしからぬ理知的な眼差しで唸った。
「土台が腐っている以上、侵攻が成功したところで、いずれ内側から崩れるだけだとは思いますけど……当事者になってしまうと、わからないんでしょうねぇ。とにかく、レッドワンドはもう潮時です。さて……ダムジーさん?」
猫のルークがオズワルドの肩から飛び降り、二足歩行でダムジーに歩み寄ってきた。
ダムジー・サイトウは慌ててひざまずく。神獣と思しきこの猫を上から見下ろすのは、さすがに畏れ多い。
ルークは 鷹揚(おうよう) に、片方の前足を掲げ――
「血の繋がらないご先祖様の偉業に、ちょっとだけあやかってみませんか?」
まるで夕食にでも誘うかのような気安さで、ダムジーの人生設計を大きく歪めにかかったのだった。