軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

140・トゥリーダと猫

トゥリーダ・オルガーノはステキな夢を見ていた。

かわいらしいキジトラ柄の猫から、信じられないほどに美味しい焼き菓子を恵んでもらい――その後、何もない場所へ唐突に現れた扉をくぐると、そこには見目麗しい高貴っぽい男女がいっぱいいた。

銀髪の賢そうな幼女と、その母親と思しき、よく似た風貌の貴婦人。

桃色の髪の魔導師風の娘、黒い礼服に身を包んだ美形の少年、ちょっとニヒルな軍服姿の美青年に……なんか見覚えがありそうな気もする、どっかのおっさんみたいな有翼人。

あと、大型犬よりでかそうなモフいウサギもいた。でっか。

眠りこけるウサギ以外はそれぞれ自己紹介をしてくれたが、彼女らの声は思考停止したトゥリーダの耳を右から左へ抜けていった。

最後に、やっぱり顔見知りのような気がする有翼人が「おひさしぶりです……諜報部隊にいたシャムラーグです」と挨拶をしたところで、ああそうだ、この人、シャムラーグだ……と気づいたが、彼は人質法などという馬鹿げた仕組みに翻弄され、ネルク王国の国王を暗殺しようとして……おそらくは、戦死したはずである。

トゥリーダの立場ではその詳報を聞いていないが、参謀のドレッド・ゴウル子爵がそんな指示を出したと後から知り、命令の撤回を求めてフロウガ将爵にも直訴した。

出された命令は 覆(くつがえ) らなかったが、あの 反駁(はんばく) が、派閥から切り捨てられる決定打になった感はある。

戦死したはずのシャムラーグがいるということは、ここは……

(あ、天国か!)

毒を飲んだ前後の記憶はなかったが、どうやら自殺に成功したらしい。幼女は天使のようにかわいいし、その母親っぽい貴婦人や魔導師の娘も女神様っぽいし、この推測には納得感がある。

猫も元気に喋っている。おそらく間違いない。

天界の神々に失礼がないようにと、トゥリーダは深々と頭を下げる。

「トゥリーダ・オルガーノと申します。現世では子爵の地位にありましたが、今となっては汚点のような過去の話――よもや死して神々にお目にかかれるとは、光栄至極に存じます」

幼女が猫を抱き上げた。

「……ルーク? ちゃんと説明した?」

「……まだちょっと混乱しているみたいですねぇ……ラケルさんも『打たれ弱い』って言ってましたし、精神的にけっこー追い詰められていたタイミングだったみたいです……」

猫が困ったように頬を掻いていた。

彼が呟いた「ラケル」という名は、一ヶ月前に死んだ飼い猫のものである。

ラケルはきっと、天界に行って、この高貴な猫に不甲斐ない飼い主のことを話してくれたのだろう。神々に目通りできる栄誉を得られたのは、きっとラケルのおかげだった。

死してなお面倒を見てくれた愛猫の思いに触れて、トゥリーダは思わず目頭を熱くした。

……ちなみにそのラケルは今、ウサギの背中に乗って一心不乱にその背を踏み踏みしている。飼い主たるトゥリーダはもちろんその事実を知らない。本人が思うほどには心配もされていない。ほどほどの適度な距離感である。

シャムラーグが同情のこもった眼差しを向けた。

「ルーク様、無理もありませんぜ。俺もルーク様に助けていただいた直後は、死後の世界にいるものだと思い込んでいました」

「はぁ……でも、あの時はシャムラーグさんがそう思うように誘導しましたけど、今回はフツーにお招きしただけなんですよね……えーと、トゥリーダ様? 貴方は死んでないですし、これは夢でもなくて現実なので、正気に戻ってください」

幼女に抱えられた猫が肉球を掲げた。

軍服姿の美青年が、溜め息とともにトゥリーダを卓の一隅に導き、そのまま座らせた。

トゥリーダはもちろん逆らわない。神々と同じ卓を囲むなど 畏(おそ) れ多いが、逆らうほうがもっと畏れ多い。

確かこの神の名は「オズワルド」だったか――

先日、軍部で「国王が魔族を怒らせた」と話題になり、これがフロウガ将爵決起の一因ともなったのだが、偶然にもその魔族と同じ名である。

「トゥリーダ子爵。混乱しているのは理解するが、あまり時間を無駄にしたくない。こちらの方々はネルク王国の臣民で、レッドワンドの侵攻が起きるとたいへん迷惑するお立場だ。我々の目的は単純にして明快。『現在のレッドワンドの権力構造を潰して、新たな秩序を作る』こと――貴殿にその助言と手伝いを求めたい」

「ふぇ」

やばい。

トゥリーダの脳裏で警鐘が鳴り響く。

この流れはやばい。

夢や死後の世界ならまだ良い。しかし自分がまだ生きていて、なおかつこれが夢や幻覚の類ではないとしたら……

この先、何が起きるか予測がつかない。

トゥリーダは周囲の顔ぶれを見回した。

幼女は冷静に。猫は気遣わしげに。魔導師の娘は楚々と。貴婦人はにこにこと愛想よく。

軍服の美青年は呆れたように。黒髪の美少年は思案げに。

それぞれ、トゥリーダを見ている。ウサギはすうすうと寝息を立てている。

そして唯一、心配そうな、あるいは同情を含んだ眼差しで彼女を見ているのが、有翼人のシャムラーグだった。

「ルーク様、ちょっとお時間をいただいてもいいですか? トゥリーダ子爵に俺からいろいろと説明をして、ついでにご意向も確認したいので」

猫が優雅に頷く。

「そうですね、いきなり大人数で取り囲んでしまうと話しづらいでしょうし、まずは顔見知り同士のほうが良いでしょう。我々は適当にお茶してます」

テーブルの上にポン、と 衝立(ついたて) が出現した。

声を遮る効果はあまりなさそうだが、視界は遮られるため、心理的な効果はある。ただし衝立に描かれた巨大な猫の顔が若干怖い。なんかじっと見られている気がする。

ともあれ、トゥリーダはシャムラーグと向き合った。

有翼人の男は以前に見かけた時よりも血色が良く、顔つきも穏やかになっていた。

「トゥリーダ子爵、お久しぶりです。ええと……レッドワンドでは多分、俺は死んだことになっているんですよね?」

知り合いの兵と相対したことで、トゥリーダも上官らしい態度へと戻る。

「……ああ、久しぶりです、シャムラーグ。確かに貴方は、もう死んだことになっている――というより、一応は『生死不明』の状態ですが、生きているとは思われていない。私も、貴方はドレッド子爵の謀略に巻き込まれ、死んだものだと思っていました」

シャムラーグが苦笑いを浮かべた。

「自分は運が良かったんです。死ぬはずだったところを、あちらのルーク様に助けていただきました。俺だけでなく、人質になっていた妹夫婦や里の連中まで救っていただいて……今は皆、ネルク王国で農業をしながら平穏に暮らしています」

「それは……何よりだった。えっと……つまりこれは、本当に、夢ではなく?」

「はい。俺がトゥリーダ子爵を助言役に迎えるよう、進言しました。今のレッドワンドで、まともな知性と信用に足る感性を持っている将官には、他に心当たりがなくて――」

明らかな買いかぶりである。

トゥリーダ本人にしてみればわけがわからない。

「ん、んん……? シャムラーグ、私は一介の子爵です。軍でも使えない新人扱いでしたし、魔導師としての能力も決して高くはありません。策謀家でもないし、武芸に秀でているわけでもないし、フロウガ将爵の派閥では末端も末端、目立たない小娘だったはずですが――」

シャムラーグが眉間に皺を寄せた。

「そんなわけないでしょう。俺らにとって『まともな上官』は貴方だけでした。いや、俺らだけでなく、多くの兵が、『トゥリーダ子爵だけは信頼できる』と考えていたはずです。この人の指揮下なら使い捨てにはされない、働きに見合った報奨もある、納得できない類のおかしな命令も降ってこない……」

今度はトゥリーダが眉をひそめる。

「いや、そんなのは将官として当たり前の……」

「それを『当たり前』と断言できる将官がどれだけ貴重か、って話です」

トゥリーダは思わず肩を落とした。

反論できない――そのことが、軍に属する士官として恥ずかしい。

レッドワンドの将官は、そのほとんどが「貴族」であり「魔導師」である。

魔導師でなければ出世はできないし、魔導師でさえあれば、その他の能力に多少の問題があっても 重用(ちょうよう) されてしまう。

結果、多くの魔導師に選民意識のようなものが根付いてしまい――末端の兵を見下している将官がそこそこ多い。

トゥリーダは、魔導師でなくとも優秀な人間がいることを良く知っていた。同時に、たとえ魔導師であっても 唾棄(だき) すべきクズがいることもちゃんと知っていた。

他国ではごく当たり前の、そんな程度の常識さえ――レッドワンドでは歪められている。

シャムラーグが真顔で話し続ける。

「フロウガ将爵が反乱を起こしたっていう、第一報を聞いた時――トゥリーダ子爵は加わっていないだろうと直感しました。実際、その通りだったわけですが……その様子だと、子爵はもしかして、自分が新米で未熟だから反乱軍に誘われなかったとか、そんなふうに思っていませんかね?」

「え……? それは、もちろん……向こうの認識としてはそうだと思っていたけど……? ドレッド子爵とも、折り合いが悪いし……」

シャムラーグが、心底疲れたように深く息を吐いた。

「違いますよ。連中は、トゥリーダ子爵の存在感を恐れたんです。あんたは下士官や末端の兵達に絶大な人気がある。あんたが反乱軍の中で方針に異を唱えたら、末端の兵達は他の命令を無視してでもあんたについて行きかねない。だから決起の前に、あんたをこっちの領地にわざわざ追い払って遠ざけたんでしょう。この領地から王都へ向かうには、反乱軍の勢力圏を抜ける必要があるから、遠回りしないと王国軍とは合流しにくい。そしてオルガーノ領の手勢なんて微々たるものですから、後背を突かれる心配もほとんどない。フロウガ将爵はあんたの正論と求心力を警戒して、身内に引き込むのを断念したんだと思います」

トゥリーダはしばし呆けた。

シャムラーグが何を言っているのか、理屈はなんとなくわかるのだが、事実関係がだいぶ間違っている気がする。

「うーん……? シャムラーグ、だいぶ、私への過大評価が過ぎるようだけど……私が言うのもなんだけど、部下からそんなに信用されていた実感はないですよ……?」

「上官、それも女性相手に気安く接するわけにはいかんでしょう。フロウガ将爵やドレッド子爵の目もありましたし、『トゥリーダ子爵に迷惑をかけるな』が、俺らの方針でした。小娘だなんだと侮っていた連中がいたことも認めます。が、多数派じゃありません」

そう応じるシャムラーグは、怖いほどに真剣な眼をしていた。

「――兵舎で病人が出た時、有翼人なんかのためにわざわざ薬を調達してくれた士官は、あんただけでした。下っ端の兵達は、そういうのを積み重ねてきたあんたを、ちゃんと見ています」

――不甲斐なさに、トゥリーダはうつむいた。

自分の行為がどうこうではない。「兵に対する最低限の義務」、それすら果たさない将官が大部分だという事実が、この国の人材的な惨状を物語っている。

「……すまない、シャムラーグ。ろくでもない将官ばかりで……本当に、すまない」

「いや、だから、トゥリーダ子爵は違うでしょう」

「私個人がどうこうではなく、これは軍全体の責任です。レッドワンドは、一度……滅びたほうがいいとさえ思います」

砂を噛むような思いで、そう口にすると――

衝立(ついたて) の端から、ひょいっと猫が顔を出した。

「奇遇ですね! 我々の結論もそんな感じです!」

「えっ……」

そういえばオズワルドという軍服の美青年も、『現在のレッドワンドの権力構造を潰して、新たな秩序を作る』などと口にしていた。

やばいことに巻き込まれた――と、さっき直感したばかりなのに、つい口が滑った。

「い、いや! 今のは、言葉のあやでして……!」

「もちろん、大多数の住民には危害が及ばないよう配慮します! とりあえず王様と反乱軍はどっちもダメそうなので、第三極が欲しいんですよね」

猫は肉球をあごに添えて考え込みながら、チラッチラッとトゥリーダの顔色をうかがっていた。

「第三極……?」

さらに嫌な予感がした。

トゥリーダの表情がこわばったのを見て、猫が慌てたようにぶんぶんと両前足を振る。かわいい。しかしその笑顔が微妙に怖い。不穏である。

「あっ、トゥリーダ様に新しい王様になってもらおうとか、さすがにそこまでは言いませんのでご安心ください! むしろ、新しい王様にふさわしそうな人材がいたら、ご紹介いただけないかと――あとまぁ、我々はレッドワンドの情勢とか貴族の人間関係に疎いので、そのあたりでもご助言をもらいたいなぁ、と――」

猫はすりすりとトゥリーダの手に身を擦り寄せてきた。

あざとい。が、かわいい。

そしてそのかわいさは、おそらく計算ずくである。恐ろしい猫もいたものである。

――そうわかっていても、眼の前でゴロゴロと喉を鳴らされてしまうと撫でずにはいられない。猫好きの業は理性を超越したところにある。

トゥリーダが無言で猫を撫で回していると……猫がふと、何もない空間に視線を向けた。

「おっと、ラケルさんもこちらへどうぞ。えーと、トゥリーダ様には見えないから、 依代(よりしろ) が必要ですね……」

「ルーク様、それでしたら私にお任せください」

黒い礼服の美少年が、室内に飾ってあった黒猫のぬいぐるみを抱え、トゥリーダ達の傍に膝をついた。

「精霊を依代に宿らせるなら、死霊術の応用で 事足(ことた) ります。我が家の執事も人形に宿っておりますし、この手の術は魔族の得意とするところです」

「……火力 偏重(へんちょう) のアーデリア嬢は別だぞ? ウィルヘルム殿が優秀なだけだ」

オズワルドという青年がやや呆れ気味に呟いたが、トゥリーダはそれどころではない。

「ラケル……え? ラケルが……ここにいるのですか……?」

「はい! 今ちょうど、トゥリーダ様の正面で毛づくろいをしてます」

そう言われても、トゥリーダにその姿は見えない。

戸惑っているうちに、目の前に猫のぬいぐるみが置かれた。

「ルーク様、先日の琥珀を使わせていただきますね。ぬいぐるみに精霊を宿らせただけでは動けませんので……琥珀を埋め込み、ぬいぐるみを魔道具に改造する手順が必要なのです」

「ほほう。それって、どのくらいかかります?」

「ほんの一分ほどですよ。戦闘や雑務をこなす必要もないので、あくまで簡単な処理です」

礼服の少年が、豆粒ほどの小さな琥珀をぬいぐるみの額に押し付ける。

その手の周囲に、ぼんやりと黒く薄いもやがまとわりつき――琥珀はまるでもとからそこにあったかのように、ぬいぐるみの額へとくっついた。

しばらくして――

黒猫のぬいぐるみがのろのろと動き出す。

顔をあげ、周囲を見回し――いつもラケルがそうしていたように、後ろ足でボリボリと喉元を掻き――

「ラケル……ラケル……!」

「……なーん」

――感極まって両手を広げるトゥリーダを無視して、ローテーブルの反対側にいた『ウェルテル』という女性の膝上にすたすたと移動した。

この場に、なんともいえない沈黙が訪れる。

「……あ、あら?」

ウェルテルが戸惑う中、黒猫はその膝上で身を丸め、すっかりくつろいでしまう。

トゥリーダは確信する。

飼い主に対する、この塩対応――

好みのタイプは「優しそうな大人の女性」――

まさしくラケルの行動である。

トゥリーダは泣いた。

キジトラが慰めてくれた。