作品タイトル不明
577 管理者
五百七十七
悪魔浄化の儀を始めてから、約五分後。
「あ、成功しました」
いざという事態にも備えながら緊張を張りつめさせた時間は、事も無げに過ぎ去っていった。
跪いたままの姿勢から、ゆっくりと倒れていったダンタリオン。そんな彼を抱きかかえるように受け止めたヴァレンティンは、それこそあっけなく終わった事に戸惑いを見せつつ完了を宣言した。
成功した時の反応がしっかり出ているようだ。ヴァレンティンは、ここまで簡単に公爵級を浄化出来たのは初めてだと苦笑気味である。
「ふむ、とにもかくにも、つまりはわしのお陰という事じゃな!」
企みだなんだという事は何もなく、ただダンブルフに負けたからこそ、ダンタリオンはミラに従ったというわけだ。ならばここまで上手くいったのは全て自分のお陰であると、それはもう大いに胸を張るミラ。
と、そうしてヴァレンティンが抱きかかえているダンタリオンを目にした直後だった。
「なんか、イケメンなんじゃが!?」
ミラは、思わずというくらいの勢いで叫んだ。
先ほどまでは、悪魔らしく禍々しい姿をしていたダンタリオンであったが、浄化後に見えた彼の姿は信じられないくらいに一変していた。
すらりと線は細く見えるも、高さがあるためか体格的には立派な方だ。そして黒い長髪に整った目鼻立ちは、見紛う事無くイケメンの部類に入る。それでいて、どことなく陰のありそうな雰囲気を持つダンタリオンは、それこそ物語から飛び出してきたかのような美丈夫だった。
「浄化したらこうなるなぞ聞いておらんかったぞ。悪魔は全員こんなじゃったりするのか!?」
思わぬイケメンの登場に少し心が荒みかけるミラだったが、それはそれ。とりあえずベッドの家具精霊を召喚して、ここにダンタリオンを寝かせるようにとヴァレンティンに頼む。
「こんながどんなかはわかりませんが、先ほどまでの姿は、歪められた力が表に浮かび上がっていたような状態です。なのでこうして浄化が完了すれば、このように本来の姿に戻るわけですよ」
イケメンどうこうについては触れず、悪魔の姿が大きく変化した理由について語るヴァレンティン。
いわく、この変化こそが浄化成功の証らしい。ただ唯一、頭の黒い角だけは初めからある悪魔の特徴との事だった。
ダンタリオンを浄化してから、十数分後の事だ。
「これは……。これが以前の私?」
ようやく目を覚ましたダンタリオンは、自身の身に起きた変化を目の当たりにして初めは戸惑いを浮かべていた。
ただその状態もまた、いつも通りであるとヴァレンティンは言う。浄化前と後との記憶が混濁する事で起きる、一時的な症状らしい。
「──いや、そうだ。そう、これだった。これが私だった」
事実、落ち着いていくほどに少しずつ当時の記憶も戻って来た、というよりは明確に思い出せるようになったのだろう。戸惑いばかりだったその顔に自信が戻っていくのがわかる。
だからこそ余計にというべきか、きりりと引き締まったダンタリオンからは、ますますイケメンオーラが溢れていった。
「ああ、心地好い目覚めをありがとう。全てを思い出す事が出来た。ようやく本来の私に戻れた。それもこれも全ては、あの日に貴女が私を見事打ち砕いてくれたお陰です」
そんなイケメンのダンタリオンが、輝くほどの笑顔を浮かべながらミラへと振り返る。
「君主よ、今再び貴女に感謝と忠誠を」
以前の悪魔に戻ったが、これまでの記憶もそのままなようだ。悪逆非道だった頃の自分を止めてくれた事に対するミラへの感謝を述べると共に今一度跪いた。
どうやら浄化された今も、ミラへの感情は残っているらしい。忠誠を誓うダンタリオンの行動には、真意と信念が込められていた。
「ああ、うむ……そ、そうか」
対してその矢面に立たされたミラは、完全に困惑していた。
なぜならば、学生時代のみならず社会人を経てから今になっても、イケメンと見たら脊髄反射で敵と見做してきたからだ。
けれど今は、これまでと状況が違う。そんな絶対的敵対対象であったイケメンが、傘下に入る事を熱望しているという状態だ。
あまりにもこれまでと違い過ぎるためか、ミラの心はすっかり混乱していた。こんな事は初めてだと、どのように対応すればいいのかと迷っているのだ。
「それとヴァレンティンさん、で、よろしかったでしょうか。貴方様にも篤くお礼を述べさせていただきます。こうして本来の私を取り戻せた事、深く感謝いたします」
困惑するミラの様子に気づき配慮してか、ダンタリオンはミラの返答を急かすような事はせず、次にはそのまま振り返りヴァレンティンに頭を下げた。
「いや、こちらこそ。貴方ほどの実力者を相手するとなっていたら、とんでもなく大変な事になっていましたから。こうしてすんなり受け入れて貰えて、こちらがお礼を言いたいくらいですよ」
多くの前例を見てきたからか。ヴァレンティンにしてみれば、悪魔がイケメンになったなどという変化は特別に驚くような事でもないようだ。
「とにかく、戻せてよかったです。先ほど連絡したら、バルバトスも喜んでいましたよ──」
そのように慣れた様子で会話を始める。その内容は彼が所属している組織に関係しているようだ。ところどころに専門用語のようなものが登場した。
そして、悪魔達を元に戻す事を第一目標に動いているなど具体的な内容まで明かし、こうしてダンタリオンも救えてよかったと語り終えたところだ。
「それで、どうでしょう。記憶の方は少し落ち着きましたかね?」
ここまでの話は挨拶のようなものだったのだろう。ヴァレンティンは最後に、そんな言葉を付け加えた。
「ええ、お陰様で幾分明瞭になってきた気がします」
最近の記憶のみならず古い時代に関係する言葉も多く出てきて頭の整理も捗ったと、笑顔で答えるダンタリオン。そんな彼に「それはよかった」と返したヴァレンティンは、続き神妙な面持ちで問うた。
「ところで貴方は『シグマ・アーカイブ』へのアクセス権限を持っていますか?」
その質問は、極めて重要なものなのだろう。その言葉を口にしたヴァレンティンの目には、強い緊迫感が浮かんでいた。
「はい、ありますね」
きっとそれは、望み通りの答えだったはずだ。だがヴァレンティンの目は直ぐに変わらない。むしろ彼は、それ以上に真剣で、また祈るような面持ちで次の言葉を口にした。
「では、権限レベルはどのくらいでしょう」
どうやら、そこが一番重要な部分だったようだ。ダンタリオンを見つめるヴァレンティンの顔には期待と不安と希望がしきりに浮き沈みしている。
「なるほど……そこに求める何かがあるのですね。ならば私は、早速貴方に恩を返す事が出来そうだ」
ヴァレンティンの言葉と様子を前にすれば、何を期待されているのか、何を求められているのかを予想するのは簡単であろう。ゆえにダンタリオンは、それを察して微笑むと共に「私の権限レベルは、管理者です」と続けて答えた。
「ええっ!?」
何かを祈るような表情から一転。ヴァレンティンはまず驚きを露わにする。そして「一気に飛び越えて管理者!?」「こんな偶然があるなんて!」「この出会いは奇跡だ!」と、次から次に歓喜を吐き出していった。
「あー、こほん。何やら勝手に盛り上がっておるようじゃが……何じゃそのアーカイブやら権限やらがどうたらこうたらというのは」
ちょっと自慢げなダンタリオンと、はしゃぐように喜ぶヴァレンティン。そんな二名を前にしたミラはというと、そのやり取りが何を意味しているのかさっぱりとあって非常に不満顔だった。
「ああ、申し訳ございません、君主様──」
不機嫌そうなミラにいち早く反応したのはダンタリオンだった。そして彼は、先ほどのやり取りに出てきた『シグマ・アーカイブ』というものについて、それはもう詳細に説明してくれた。
まず初めに、『シグマ・アーカイブ』とは何なのか。
これは簡単に要約すると、悪魔達が使う掲示板のようなものであった。複雑な魔法で構築された記録媒体であり、それなりに魔法を使える悪魔ならば誰でもアクセス出来るとの事だ。
そしてこの『シグマ・アーカイブ』は本来、離れて活動する仲間同士の交流用に作られたものだった。
加え、内容に閲覧制限を付ける事も可能であるため、秘密の相談や日記代わりに使っていた者もいたらしい。
けれど今は、これからどんな悪巧みをする予定か、または何をしたのか、どれだけの被害を出せたのかといった内容──つまりは悪事の成果を記録するためのものになっているそうだ。
「最近は、この辺りでこういう事をするから邪魔をするな、というような牽制目的が多いですね」
ダンタリオンいわく、悪魔同士で作戦現場がかち合うと、ろくな事にならないそうだ。特に上位の、それこそ公爵級がかかわっているとなったら尚更である。
ゆえに上級悪魔が大規模な行動を起こす際は確認の意味も兼ねて、この『シグマ・アーカイブ』に記録されるという。そしてそれらは、かち合いたくない存在──主に上級の悪魔達に限定して閲覧出来るようにされていた。
「……ん? つまりなんじゃ。なんというか、それはとんでもないようなもののような気がするのじゃが?」
なるほどネットによくあるあれのようなものか。と、最初は軽く受け止めたミラであったが、聞けば聞くほど変わっていく印象に眉根を寄せる。
悪魔の企みが記録されている媒体。そのようなものが存在している事も驚きだが、ダンタリオンはその『管理者』権限を持っているとも言っていた。
これらを合わせてみれば、もう考えるまでもなく『シグマ・アーカイブ』というものが秘めた可能性が見えてくるというものだ。
「気がするのではなく、実際とんでもないものですよ」
何となくふわりとした印象のミラに、ヴァレンティンはその通りだと断言する。
早い話が、そこに記録された情報を精査すれば、これまで悪魔達が行ってきた悪行のみならず、現在水面下で進んでいる企みまで先んじて知る事が出来る。
ダンタリオンが言うに、小規模な悪巧みはあまり記されてはいないようだが、それなりの範囲に及ぶ仕掛けは、大半を把握出来るはずとの事だ。
つまり『シグマ・アーカイブ』を利用すれば、これまで後手に回るしかなかった悪魔対策に先手が打てるようになるわけだ。
そしてダンタリオンは、全ての権限を越えてこれらを閲覧出来る『管理者』という立場にあった。
「むしろ凄すぎるくらいじゃな!」
改めて理解したミラは、ダンタリオンを見やりながら驚きを露わにする。
すると、そんなミラの反応に気をよくしたのか「君主様にお命じ頂ければ、何でもお調べいたしましょう」と得意そうに答えた。
「それなら早速、『災禍の夜』についての情報が欲しいんですが、ミラさん、聞いていただけませんか?」
これ幸いといった様子で素早くミラにすり寄ったヴァレンティンは、そんなお願いを口にした。
何でもそれは、悪魔達の間でちらほらと挙がっている言葉だそうだ。しかもどうやら、この大陸の未来を大きく左右するような企みに関係しているものらしい。
だが相当に機密性が高いようで、これが示す本当の意味を知るものは悪魔の中でも数体のみであり、他は何かしらの大きな作戦が動いている程度しか把握していないそうだ。
そのためか、多くの悪魔を浄化してきたヴァレンティン達だが、未だにそれを知る悪魔とは出会えていないという。
「ふむ? 災禍の夜……とな。それがその『シグマ・アーカイブ』とやらで調べられるのじゃな?」
いったい、その言葉の意味するところは何なのか。一切が謎に包まれており、しかもどれだけ調査しようと内容を掴む事が出来ないほど極めて機密性の高い作戦だという。
あらゆる手を尽くしても把握出来ないその詳細を知る方法として、ヴァレンティン達が目を付けたのが『シグマ・アーカイブ』だった。
「はい、ただ我々の方でも調べようとしたのですが、災禍の夜については極めて高位の制限がかけられていまして。これを開く権限を持つ者がいなかったんです。ですが、彼は違う」
ダンタリオンが有する『管理者』の権限は最上位のもの。つまり彼であれば、制限を突破して災禍の夜というものが何なのかを調べる事が出来るというわけだ。
「どうじゃろう、調べてやってはもらえるか?」
はたしてダンタリオンは、本当に頼みを聞いてくれるだろうか。探り探りながらも、そのように問いかけてみたミラ。
するとどうだ。
「畏まりました」
即答したダンタリオンは、早速とでもいった仕草で魔法を展開した。すると彼の目の前に、何やら球体状の半透明な何かが浮かび上がる。
どうやらそれは『シグマ・アーカイブ』の端末みたいなものだそうだ。仲間の悪魔達も、あれと同じものを弄っていたと教えてくれたヴァレンティンは、それを操作するダンタリオンを期待に満ちた目で見つめるのだった。