作品タイトル不明
544 花冠
五百四十四
神殿跡を隈なく調べ始めて数時間。団員一号とワントソを動員しての徹底調査だったにもかかわらず、これといった手掛かりは見つからぬまま日が暮れてしまった。
「ふむ。今日は、もうこのくらいにしておくとしようか!」
明りの術があるとはいえ、それでも流石に真っ暗な夜にもなると調べ辛くもなるもの。そして何よりも場所が場所なだけにちょっと不気味という思いもあって、ミラは今日の調査をここで打ち切りとした。
「明日は、地面の下も調べてみるべきかのぅ」
団員一号とワントソを労い送還したミラは、すぐに屋敷精霊を召喚して、そそくさと部屋の中に駆け込んだ。そして窓から外の闇を見回すと、思い出したように扉を開けて見張り用のホーリーナイトを召喚する。
「許可をしなければ入れぬはずじゃからな。きっと、大丈夫じゃろう。うむ」
屋敷精霊は、ミラが許可した者しか入れない。ゆえに幽霊がいても勝手には入って来れないはずだ。その辺りのルールも無用という存在になっていない限りは。
と、どこか祈りを込めながら屋敷精霊を信じて願ったミラは、そこで今日一日の疲れを癒す。
ゆったりと風呂に浸かり美味しいものを食べて、明日の分の計画を練る。
屋敷精霊での一時は非常に快適であり、尚且つ落ち着ける部屋というのは不思議と守られている感が高まるというもの。そんな効果もあってか、のんびり過ごしている間にも外の不気味さについては気にならなくなっていった。
そうして安心感に包まれながら床に就いたミラ。
それは、すやすやと眠り始めてから数時間後。だいたい深夜の二時を回ったくらいの時間だった。
「むぅ……トイレ……」
計画を練っていた際にたまごオレを飲み過ぎてしまったからか、催して目を覚ましたミラは、ただ何事もなくそのまま寝室を出てトイレに向かった。
そしてリビングを通った際、そこのテーブルに広げっぱなしだった資料やらが目に留まる。明日の計画を練っていた時に散らかしたままであったのだ。
「まあ、朝でもよいか」
朝起きてから片付ければいい。そう思った時だった。なぜかミラの目は、そのテーブルの隅に引き寄せられる。
そこにあったのは、一枚の写真。アストロに焼き増ししてもらった、あの心霊写真だ。
「……っ」
不意に忘れていた恐怖を思い出してしまったミラは、ぶるりと背筋を震わせると共に膀胱の状態も思い出し、急いでトイレを済ませてしまおうと振り返る。
否、振り返ろうとした、その時だった。
それは偶然か必然か。僅かに視線を上げた先、リビングの窓が目に入った瞬間。今一番見えてはいけない姿が、そこにあった。はっきりとした女性の姿が、窓の向こうに見えたのだ。
「はひぇ──ぃ!?」
心霊写真に煽られた直後という事もあってか、その衝撃は見事なほどに恐怖心を直撃し、ミラは思わず驚き竦み上がる。
しかし驚いたのも束の間。直後には女性の姿も消えていて、今のは幻だったのではと錯覚させる。
けれどもミラは、再び背筋をぞくりと震わせた。何故なら、窓のずっと先の方に再び現れていたからだ。
それはまるで、何かを探して彷徨っているようにも見えた。
と、その行動については推察する事しか出来ない。しかし彼女の姿形からして心霊写真の人物と同一──つまりアナスタシアであるという事だけは、はっきりと確認出来た。
「あ、っと、これは、ああ……!」
もしも彼女と話が出来たら、何か進展するのではないだろうか。そうしたらリーズレインが目覚めて、転移が出来るようになるのではないか。
そう恐怖の中に希望を抱いた矢先だった。
限界と驚きの二重攻めに、膀胱が耐え切れなかったようだ。股のあたりがじんわりと生温かくなっているのを感じたミラは、まさかこの歳にもなってと自身の緩さ加減に愕然とする。
とはいえちょろっとだけである。ただ完全に出し尽くしたわけではないが、そのままにしておく事は出来ない程度の失態だ。
しかし目の前で起きた超常現象も、そのままにしておけるようなものでもない。
アナスタシアの幽霊らしき女性の出現と、思わぬ失態。連続で発生した事態に、どうしようかと慌てふためくミラ。
よって、まず優先するべき事を一つ決めた。
それは、トイレだ。これ以上の決壊を防ぐため、ミラはまずトイレに飛び込んだ。
「よし……!」
完全に出し切ったミラは、意を決して濡れたパンツを脱ぎ捨て外に飛び出した。まだアナスタシアの幽霊はいるだろうかと期待して。
「むぅ。さっきまではこの辺りにおったはずじゃが」
窓から見えていた範囲を見回してみるが誰もいない。更には周囲にまで範囲を広げて捜してみたものの、ついぞ何かが見つかる事はなかった。
「あの直後に、すぐさま行けたのなら話せるチャンスがあったかもしれぬのぅ。しかし、あの状況ではどうしようもなかったからのぅ」
屋敷精霊に戻ったミラは、そのまま浴場で色々と洗いつつ、ああ出来ていれば、こう出来ていればと既に選べぬ選択肢を思い浮かべてため息を零す。
状況が状況である。直ぐ外に出ていたら、上手くアナスタシアとの話し合いにもっていけたとしても、その途中で決壊していたであろう。
一度トイレに入ったのは、どうしても避けられない措置であった。
「まあ、この程度ならば事故のようなものじゃよ。うむ。特にこの身体になってからというもの、踏ん張りがきき辛い気がするからのぅ」
そんな言い訳を並べながらパンツも洗うミラ。
使用済みの下着だなんだといった着替えについては、まとめてカバンに入れておけば、帰った後にマリアナが全て洗濯してくれる。
だが、流石にこのパンツをそのままにしておく事は決して出来なかったミラは、染み一つ残らぬよう丹念に洗っていた。
「これでバッチリじゃな」
下半身を洗いパンツも洗ったミラ。そして最後に無形術でしっかり乾かしてから穿き直す。
特に細かい事など考えずに洗ったためか、少ししわくちゃになってしまったが、穿く分には何の問題もない。むしろ乾かしたての温かさが心地よいくらいだ。
これで全て元通り。アナスタシアとの邂逅を逃してしまったが、一度出たのなら二度三度もあるだろう。
そう信じて再びベッドで横になったミラ。
「多分、大丈夫……大丈夫なはずじゃ……」
幽霊の出現を目にした事もあってか、ミラの心には不安が渦巻いていた。
はたして、あの未知な幽霊を相手に、屋敷精霊のルールはしっかり適用されるのかどうかと。
考えれば考えるほど不安になり眠れなくなるミラ。
もしも再び夜中に目が覚めた時、今度は枕元などにでも立っていたらどうなってしまうのか。それこそ、今度は大決壊してしまうに違いない。
そんな想像を巡らせながら、周囲の様子を探る。更には《意識同調》を使い、寝ずの番として外に配置しているホーリーナイトの視界を利用し、屋敷精霊周辺も確認する。
結果、特に不審な影はなし。けれどもまだ落ち着けないミラは、二周三周と続ける。
と、そうしているうちに睡魔は自然と入り込んでくるものだ。ミラは徐々にうとうとし始め、やがて再び夢の中へと漕ぎ出していったのだった。
「むぅ……朝か」
いつの間にか寝ていて迎えた朝。窓から差し込む朝日は、夜の闇と共に、そこはかとない不安までも吹き飛ばしてくれる。
日の光があると、どことなく幽霊だなんだに対する恐怖心も薄れるものだ。
ミラは、もう大丈夫だという謎の信頼を抱きつつリビングに向かった。
「おぉうっ!? ……っと、なんじゃお主か……」
瞬間、ちらりと窓の外に映る人影にビクリと震えたが、直ぐにそれがホーリーナイトの影であると気づく。
夜中に《意識同調》で巡回させていたホーリーナイトだが、どうやら丁度その辺りで寝入ったため、窓の外で待機したままになったようだ。
「……ん?」
まったく驚かせやがってと安堵しつつ、先に送還してしまおうとした時だった。一体何がどうした事か、よく見るとホーリーナイトの頭に花で作られた冠が載せられているのが見えた。
当然ながら、そんな少女じみた事をミラがするはずもなければ、ホーリーナイトが勝手にするはずもない。また、そのような追加装備などもない。
ではいったい、その花冠は、どこから現れたというのだろう。場所が場所だけにオカルトめいた原因も候補に挙がってくるため油断は禁物だ。
「綺麗な花じゃからな……何かおかしなものではないじゃろう、きっと……」
色とりどりの花冠。一見した限りでは曰くつきの何かには見えず、かといって出自が不明であるために安全だという確信も得られない。
ゆえに、じっと窓越しにそれを観察していたミラだったが、数分後には思い切って外に飛び出した。
「……なくなっておる」
幽霊のお茶目な悪戯か、はたまたプレゼントかと前向きに考えたミラは、一先ず回収して調べてみようと思い立った。けれど、いざ花冠をと見てみたらホーリーナイトの頭にあったそれがなくなっているではないか。
はて、この一瞬で風にさらわれたとでもいうのか。周辺を見回しても、それらしいものは落ちていない。
いったい何だったのだろう。とんだ肩透かしを受けたものだと再び屋敷精霊のリビングに戻ったミラは、そこで再び「え?」と、それこそ狐にでも抓まれたような声を上げた。
なぜならホーリーナイトの頭には、まだ花冠が載ったままだったからだ。
しかし、どういう事かともう一度外に出てみるも、それは確認出来ず。だがリビングに戻ってみると、それはしっかりホーリーナイトの頭に残っている。
外に出るまでの間に、何者かが悪戯しているのだろうか。
ならばとホーリーナイトを玄関前にまで移動させて扉を開けたが確認出来ず。
けれど元の位置に戻せば、また窓越しに花冠が見える。
では最終手段だと、その花冠をじっと目視したままで屋敷精霊を送還してみた。
「……これは、どういう事じゃろうか」
何がどうなっているのか。その直後、見えていたはずの花冠が消えてしまった。
ではもしやと、屋敷精霊を召喚し直しリビングから見てみたら、花冠は消えていなかった。
「窓越しで見る事に何か意味がある、というわけかのぅ」
見える時と見えない時の違いは何か。ちょっと考えて思いついたのは、そのくらいのものだ。
では、その二つの違いとは。ものがものだけに、場所が場所だけに、オカルトめいた法則のようなものがあったりするのかもしれない。
「とりあえず、あの花について聞いてみるとしようか」
想像の及ばない原因であったのなら、もはやわかるはずもない。だが、花の種類くらいならばわかるだろう。何といっても、マーテルという強い味方がいるのだから。
『マーテル殿、マーテル殿、ちょいと見てもらってもよいじゃろうか』
精霊王とマーテルが見学しているかどうかは、その時々だ。そして今は接続している感じではないため、ミラの方から呼びかける。
『はいはーい、どうしたのかしらー?』
『何かあったか?』
少ししてからマーテルの声が返ってくると共に、精霊王まで合流した。何かあれば一番に声をかけるのは知恵袋の精霊王だったが、今回はマーテルが先で余計に気になったようだ。
『実はじゃな──』
ともあれ後で色々と聞く事があるかもしれないため、丁度いい。ただ初めに聞くのは予定通りに。ミラは早速、ホーリーナイトの頭に飾られた花冠を見つめながら、この花は何かと尋ねた。
『あら、どういう事かしら。どうしてその子達が、そんな場所に?』
ミラの問いに対するマーテルの第一声は、疑問であった。
いったい何がどういう事か。詳しく問うてみたところ、その花冠に使われていた花の正体が明らかとなる。
マーテルが言うに、それらの花は全てが現世には存在していないという事だった。
ここではない場所。天ツ彼岸の社を越えた先──現世と幽世の狭間にある『祭の境界』にのみ自生する花だそうだ。
「なん……じゃと……」
窓越しでなければ見えない花は、この世のものではなかった。その事実に驚いたミラは、続けて漂い始めた不気味さを前に顔を強張らせる。
この世のものではない花で作った花冠をホーリーナイトに被せた意味とは。これは悪戯なのか、それとも何かとんでもないメッセージが込められているのか。
一気に増幅した不気味さに、ぞくりと背筋を震わせるミラ。と、そうしたところで、今度はマーテルの方から質問が返ってきた。その花冠は、どうしたのかと。精霊王もまたそのあたりに興味深々だ。
『うむ、これは──』
この世のものではない花が、なぜ花冠になってそこにあるのか。マーテルにとっても疑問だったようだ。
よってミラは、朝から起きた一連の出来事について詳しく説明した。朝起きた時には既に被っており、色々と試した結果、なぜか屋敷精霊の窓越しならば見えるのだと。
『これはもしかしたら、関係があるかもしれないぞ』
『ええ、何かのメッセージかもしれないわね!』
ミラが説明を終えると、精霊王とマーテルが何やら盛り上がり始めた。
はて、何と関係があるのか、どんなメッセージだというのか。ミラがそんな疑問を投げかけたところ、精霊王がその意味を教えてくれた。
なんと、その花が自生する『祭の境界』は、そもそもリーズレインが死者を一時的に留めるために作りだした場所であり、何よりも彼が永い眠りについている場所でもあるそうだ。
『確かに、ちょいと気になるタイミングじゃな!』
リーズレインの想い人であるアナスタシア。その幽霊が出るという神殿跡で一泊したら、リーズレインと関係の深い場所にしか咲かない花の冠が残されていた。
特に花ではなく花冠である事からして、誰かの意図が介在しているのは明白である。
後は、それがいったい誰かだが、そこまでは精霊王達もわからないそうだ。
『さあ、ミラ殿』
『うむ……!』
ここは一つ、直接調べてみるべきだ。そう促す精霊王に、意を決して頷くミラ。誰の手によるものなのかという不安感は残っているが、興味を惹かれるのも事実だ。
また何よりも今度は、精霊王とマーテルがいる。きっと気づけるような事があるだろう。
「やはり、直接は見えぬのぅ」
屋敷精霊から出てホーリーナイトの頭を見るも、肉眼では花冠が確認出来ない。だが精霊王とマーテルには、今でもはっきり見えているそうだ。
なぜ、見えたり見えなかったりという差が生じるのかについては、精霊王が明確な理由を教えてくれた。
現世と幽世の狭間にある、祭の境界。そこはリーズレインが創り出した事もあり、幾らか精霊寄りになっているのだそうだ。
ゆえにオカルトめいた場所でありながら、精霊王達にも認識出来るわけである。
『先ほどミラ殿にも見えていたのは、きっと屋敷精霊の窓越しだったからであろうな。その窓が精霊の目と同じ役割を果たしたわけだ』
屋敷精霊の窓。ミラにも祭の境界にある花が見えたのは、それが理由だろうという事だった。
(精霊にしか見えないものが見える窓……とは。これは面白そうじゃのぅ)
その特性は、何かに応用出来るかもしれない。そう直感したミラは、今後の実験リストにこの一件をそっと加える。
『それじゃあミラちゃん、何か魔法がかけられたりしていないか調べるから手を向けてみて』
そんな場所に自生する特殊な花で編んだ花冠を置いていった意図は何か。もっと詳しく調べてみようという事で、マーテルが解析を引き受けてくれた。
ミラは『うむ、わかった』と答え、花冠に向けて右手をかざす。
すると変化が現れた。ホーリーナイトの頭が、ほんのりと光り始めたのだ。
『あらあら? まだ何もしていないのだけど……』
いったい何が起きているのか聞いてみると、編まれた花冠が、するりするりと解け始めたという。
『なん、じゃと?』
どうやらその変化は、ミラの行動が起因となったもののようだ。ミラがある程度近づくか、何かしらの条件を満たした事で仕掛けが発動したわけだ。
ともなれば、罠か何かが発動したのではと身構えるミラ。けれど徐々に強くなっていく光を前に、マーテルが『大丈夫そうだから、そのままね』と続けた。
怪しく見えるが、害はないようだ。マーテルの声には、むしろ納得したかのような色が含まれていた。
(大丈夫というからには、大丈夫なのじゃろうが……)
解け切った花冠から光が溢れ、ミラの全身を呑み込んでいく。
ただ事ではない状況だが、マーテルの言う事である。じっとしていれば問題はないのだろう。
この世の花ではないという事もあって、まだ少し不安はあるものの腹を括ったミラは、なるようになれと光に身を任せた。