軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

後編

月日が過ぎる。アキコは竜人の屋敷で働く狸族として、周囲でも有名になっていた。竜人と狸族の組み合わせが珍しく見えるらしい。

有名になったからといって、アキコの生活も、ボルギの仕事もとくに変わりはない。

休日。

部屋で読書をしていたボルギは、廊下を歩いてくるぽてぽて、とてとて、としか表現の仕様がない音と、ノックの音で、誰が来たか分かった。

入室を許可すれば、アキコが、銀のお盆に一通の手紙を乗せて部屋に入って来た。

「ボルギ様っ! 竜国からお手紙ですよ!」

ボルギは本を読む手を止めて、顔を上げる。

「ああ、ありがとう」

それから、手紙の封等の柄を見て、ついっと片眉を上げた。

アキコはボルギが座っている椅子のすぐ横のテーブルにお盆を置き、ボルギに背を向ける。

「ペーパーナイフ持ってきますね」

「いや、いらん」

「へっ?」

銀のお盆の上に乗せられている手紙をつまみ上げ、それから口から火を吐く。

火に包まれた手紙は、見事に中の便箋だけが残り、封筒は綺麗に燃え尽きた。

ボルギが火を吐くと、アキコはいつも大げさに反応した。

「わわわわっ! こんな所で火を吹かないでください!」

「ちょっとした火種だ」

「その火種が私たちにとっちゃあ大炎上の元なんですけど!」

「すまんすまん」

ボルギは手紙を見下ろした。

整った文字は国からの連絡だ。

目を通して、それから、ボルギはため息を吐いた。

「……全く。面倒な事になるな」

「ど、どうかしたんですか……?」

「配置換えだ」

「はいち……この国から、移動される、って、事ですか……?」

「ああ」

本国からの重要な連絡だ。封筒を見た時点でその可能性は考えていた。

アキコには分からないだろうが、封筒の柄で配置換えの可能性は考えられた。そういう、なにがしかの指示を出すときによく使われる封筒だったからだ。

「はぁ……やっとこの国に馴染んで来たってのに」

しかも。

(――配置換えの理由が、きな臭いから、か。嫌な話だ)

戦争の気配。

それに備えて、人員を移動する。

直接的な説明はないが、要はそういう事だと、ボルギには理解できた。

どうにも、この国は起きる か(・) も(・) し(・) れ(・) な(・) い(・) 争いからほど近いようだ。

その為、もっと長く外交官をしている凄腕が配置されるために、ボルギは異動する。

(ま、より 信(・) 用(・) で(・) き(・) る(・) 奴(・) を配置するのは当然だな。面倒な事に巻き込まれない国にいければいいが。いやでも)

「……また別の国に行くの、めんどくせぇー」

配置換えの通達があって、それでは他国に引っ越そう! ――だけでは終わらないのが、難しい所。

まず、今借りている家や、使用人のその後について考えなくてはならない。

竜人は大抵、体が大きい。しかしその大きさの差は同じ竜人内でも結構ある。

また、どの程度の広さの屋敷を欲するも、人によって違う。

たいていの竜人は、家へのこだわりが強い。

他人種より強い傾向があると言われている。

それもあって、仕事として他国に滞在している外交官たちも、「家は自分で好きな家選びな。そっちの方が文句ないよね?」のスタンスが取られている。

なのでボルギがいなくなれば、この屋敷は再び売りに出す。

竜人が暮らした家は謎にご利益があるとかなんとか言われて売れるらしいので、外交官が変わる度に違う家で暮らす事が嫌がられる事はあまりない。

家の問題はまあ、売るだけなので良いとして。

一番大事なのは、使用人たちの方だ。

こちらを雇い続けるのは簡単ではない。次に来る外交官と使用人たちが相性が良いという保証がないからだ。

外交官という仕事をしているだけあり、国の外に出た事がない竜人と比べれば、外交官たちはほかの種族の文化に寛容で、合わせられる者が多い。

しかし、主人として仰ぎたいと下の人間が思うかどうかは、会ってみないと分からない。

この国の、ボルギの前任は貴族らしい貴族の竜人。

彼が集めた使用人たちは、ボルギとは合わなかった。

顔合わせでそれを察し、ボルギは前任の外交官から使用人を引き継がなかった。

前任者よりずっと手狭な家に住んでいたので、どちらにせよ全員を雇えないなら、一律で雇いなおした方が楽だったからだ。

万が一次の竜人が前任者のような貴族らしい竜人だったなら、恐らくボルギが自分に合わせて集めた使用人たちは、合わない。

「はぁ……とりあえず全員集めて、次の外交官の下でも働きたいか聞かないとだな……アキコ。昼に連絡があるから全員集めるように――アキコ?」

手紙から視線を上げて、横のアキコを見る。

名前を呼ばれて、アキコはびくりと肩を震わせた。

「どうした?」

「……ぁ、い、いえっ! なんでもないです!」

アキコはぶんぶんと首を横に振った。それから縁が黒い耳を焦るように何度も引っ掻く。

「え、えぇっと、お昼に集合ですね。皆に伝えてきます!」

「あ、おい。待っ」

止める間もなく出て行ったアキコに、ボルギは何度か目をぱちぱちと瞬いた。

ボルギの異動に関する通知に、使用人たちは残念そうな顔をしていた。

竜人で、無茶も特に言ってこず、ついでに給与も、同レベルの仕事と比べると、良い。

ここは良い職場だと、使用人たちには思われていたらしい。それが急になくなると決まってしまったのだから、どうしようと考える者は多かったようだ。

「希望があれば次の外交官に引き継ぐ。辞めるのを希望するなら紹介状と、ああ、退職金も出すぞ。とりあえず退職金は月給の一年分に、実際に働いた分の月給上乗せな」

「エッ! そんなに貰えるんですかぁ!?」

「破格っ!!」

「中にはわざわざ前の仕事辞めてきてもらってるやつもいるからなぁ。急な事だったし、出すぞ」

ちなみに実際は国からそこまで金は出ない。ボルギの自腹だ。

屋敷の使用人への対応は、不満が出ない程度にするようにと指示はあるが、上限の制限はない。

無制限にはボルギもやらないが、今回は比較的短期の滞在であったので、これぐらい出す方が不満がないだろうと判断したのだ。

すでに数年ここにいたならば、流石にここまでは出さなかった。

「はいはいボルギ様! 通いと住み込みで差はありますか!?」

「あー、一応住み込みのが高く考えさせてもらうから、住み込みには追加で上乗せしよう」

「ならアタシはこれぐらいか……」

わいわいがやがや。

盛り上がっている使用人たちの輪の中で、下を見ているアキコは目立っていた。

(今日はずっと暗いな……)

自分の進退についてボルギに話を振ってくる使用人たちの話を聞きながら、一人、哀愁すら感じる背中で立ち去るアキコをボルギは見送った。

◇ ◇ ◇

(思ったより時間がかかったな……)

退職金はよほど皆の心をとらえたらしく、今日希望を聞けた使用人は一人を除き全員、紹介状を貰って退職を選んでいた。

合うか分からない次の主人を待つよりも、退職金を貰って新しい職を探す方が良いようだ。

「どこいった? アキコ」

除かれた一人は姿を消して以降、誰にも見られていない。

一体どこに行ってしまったのかと家の中を歩いていくボルギの耳に、聞き覚えのある音が届いた。

――ぐず。

ボルギは歩いていた廊下の窓を開けた。首を出す。ぐるりと首を回しながら周囲を見る。

姿は見えない。けれど聞こえた音の大きさからして、大体どのあたりにいるかは予想が付いた。

ボルギは少し苦労しながら窓から身を乗り出すと、そのまま外に飛び出て、羽を広げる。自分が暮らしている家の敷地内位、空を飛んだって問題ないだろうと考えた。

アキコはすぐそこにいた。窓から少し離れた、裏庭の木の下に座り込んでいた。

飛び降りて来たボルギに驚くような反応はせず、折り曲げた膝に顔をうずめている。

「何が不満なんだ?」

ボルギは片膝を地面について、うずくまっているアキコを見下ろした。膝をついてもなお、アキコは見下ろさないといけないほど小さい。

「アキコ。何が納得いかない? 退職金なら、お前は初めての住み込みの使用人だし、もう少し出せ――」

「――そんな事じゃないっ!」

「おっと」

急に顔を上げたアキコは、両目に涙をためながら、ボルギを睨んだ。

「お金なんかじゃない。そんなものいらないよっ、だから、だから……。……だから私、ボルギ様と、はなれたくない……」

声は段々と小さくなり、アキコはまた頭を膝にうずめてしまった。

ボルギはだらしなく口を開いたまま、暫くアキコを見つめていた。

その間にも、アキコはぐず、ぐず、と鼻を鳴らしている。

(……はなれたくない? それはつまり……つまり?)

外交官として、結構な年数を、ボルギは働いてきた。

しかしその人生の中で、こんな事を言われた事は、一度もない。

皆、故郷が一番なのだ。故郷でそのまま暮らしたいという人間の方が、圧倒的に多い。故郷に出来れば帰りたくない、ボルギのような人間の方が少ないのである。

だから、ついていきたいなどと言われた事は、一度もなかった。

ぐずぐずと度々音を鳴らすアキコの小さな体を見下ろしながら、ボルギはつぶやいた。小さな玉を地面に落とすような声で。

「この国の人には馴染んだろう。お前を迫害する奴はいないはずだ」

「でもボルギ様はいなくなっちゃう」

「この国には彼氏の墓もあるだろ」

「今だって墓参りには行けてないし、お盆に帰ってくるのは墓じゃなくて供養してる所にだから、場所変わったって大丈夫だよ」

「お金は沢山やれる。暫く生活にはこまらない」

「お金は関係ないって言った!」

「ついてきたって、たいして贅沢は出来ないぞ。ここが一番良い環境かもしれない」

「贅沢したくて、今、ボルギ様と一緒にいるんじゃない」

「次の国はお前が喋れん言葉の国かもしれないぞ」

「なら言葉覚える」

「ついてきたって、いつか、ひどい目に合うかもしれないぞ。竜人の傍にいるんだから」

「ボルギ様は酷い事しないもん」

「もんじゃない。そういう、安易な考え方はよくない」

ボルギはそっと、アキコの頭に手を置いた。

「竜人は――」

ふわふわの両耳が、手に触れる。

(小さい、小さい――)

すこし指を広げるだけで、つかめてしまいそうな、小さな頭だ。

「――このままお前の頭を握りつぶせるんだ」

この指先に力を籠めたら、簡単に、アキコの頭はつぶれてしまうだろう。

竜人にとって、他の種族は、それぐらい、小さくて弱い、生き物でしかない。

『アンジェリーヌの悲劇』以降、若い竜人は、新しい価値観をどんどん受け入れて行っている。

けれどそうして関わりが増えて、多くの竜人が外に意識を向けたとして。

(その先に待つのが本当に幸せか?)

追い出されるように、逃げ出すように、竜国の外に出てきて。

そうしてずっとずっと、ボルギは考えているのだ。

運命の番なんて、ない方が幸せなんじゃないのか。

――竜人族なんて、いない方が、この世界は平和なんじゃないのか。

◇ ◇ ◇

三十五年前、王太子は運命の番が虐げられ追い詰められていた状況を、正しく認識しなかった。

彼女が感じた屈辱を、絶望を、怒りを、理解出来なかった。

それ故、運命の番から、関わりを断たれた。

永遠に、唯一を手にする事が出来なくなった。

幽閉され、ただ死を待つだけの王太子。

彼が切っ掛けで表沙汰にされた竜人族の汚れは、誰のせいだろうか。

親のせい? そうかもしれない。

けれど王侯貴族の家族は、直接的にかかわる事はそう多くない。

生まれた後から、ずっと、子供は乳母に育てられる。

その後さまざまな家庭教師から教育を受ける。

人の性格は生まれと環境が決めるというのなら。

なら、王太子が運命の番を慮れない性格になった罪は。

――王太子を教育した者にある。

……そうして、王太子を正しく導けなかったとして、レミージョ・ボルギという男がやり玉に挙げられた。

彼は王太子が一番信頼し、尊敬していた、教師であった。

教師といっても、一学問の担当の教師でしかなかったのだけれど、家庭教師である事、そして信頼を得ていた事から、彼だけが槍玉に挙げられた。

レミージョ・ボルギは国中の民から、石を投げられ、罵声を浴びせられた。

王太子の教師という栄えある肩書は、一瞬で、罪人レベルにまで落ちたのだ。

国からの正式な沙汰の前に、レミージョ・ボルギは自死した。

己の胸を十の指で左右に引き裂き、生きたまま心臓を掴み、引きちぎったのだ。

――死んだ彼を最初に見つけたのは、彼のたった一人の 子供(かぞく) だった。

◇ ◇ ◇

「ならこのまま握りつぶしてよっ!」

ハッと息をのみ、ボルギは目の前に意識を戻した。アキコはいつの間にやら、自分の頭に置かれているボルギの手を、両手でつかんでいた。

大人と子供の差があるかと思うぐらいに大きさが違うのは、竜人族が他種族より体躯が大きいのと、狸族が他種族より体躯が小さいせいもあるかもしれない。

「あの日、彼が死んじゃったあの日、ボルギ様は私を助けてくれた。ボルギ様がこなかったら、私はきっと、あのまま森で殺されてた! 野盗なのか、け、獣になのかは、わかんないけど……でも、生きのびるなんて、出来なかった。お父ちゃんやお母ちゃんたちがいる所に、きっとすぐ行ってた! それを生かしてくれたのはボルギ様だよ!」

アキコが顔を上げる。

その動きに反応するように、ボルギは彼女の頭に置いていた手を外す。

外された手を、アキコはまだ、握りしめていた。彼女の全力だろう力は、ボルギにとって、ささいなものだ。

そのささいな力に、まるで縫い付けられたように、手を動かす事すら出来ない。

「――決めた。今決めた! 私の今後!」

アキコは丸い目に強い光を湛えて、ボルギの顔を見ながら叫んだ。

「ボルギ様と次の国にいく。お金もいらない、給与だっていらない。だから連れてって。私の事、次の国にも連れてって!」

まるで、小さな火種のような、熱のこもった声だった。

その小さな火種は、あっという間にボルギの胸に広がった。

とっくの昔に死んで枯れて、動かなくなっていたボルギの心を、一気に満たしていった。

「――は、はは」

地面に、座り込む。

アキコに掴まれていない方の手で、額を抑えた。

いつからか、随分と長く伸びた髪からは、ひだまりみたいな匂いがする。

アキコが好きで、選んできた香油の匂いだった。

「……いいよ。分かった。連れてこう」

「! ほんと!?」

アキコの顔色が明るくなる。そこでやっと、掴まれていた方の手が、自由になった。

「ああ。その代わり」

その自由になった手をそのまま、アキコの背中に回して、ぐいと、抱き寄せる。

小さな体が、ボルギの膝の上に乗り上げる。重いとすら思わない、軽い体だ。

「地の果てまで、一緒に来てもらう事になるけれど、いいんだな? 私の黄金」

後からやっぱりなし、を許容出来る保障はない。

竜人は、傲慢で、強欲で、どうしようもない生き物だから。

そういうつもりの言葉だったのだが、アキコは目を丸くして、それから、なぜか急に、自分の髪の毛をやたら気にしだした。

そして、困ったような垂れた眉で、こう答えた。

「……私、金髪じゃないけど、いい?」

耐えきれず、ボルギは大笑いした。

お陰でボルギの家周辺百世帯ぐらいが、地震が起きたと大騒ぎになった。

◇ ◇ ◇

次の赴任先は、また別の人間の国だ。

起きるかもしれない争いからは、遠い遠い国だ。

赴任地が決まった時点で、ボルギはこの国に運命の番誘拐問題の被害者がいるか確認した。そして、

(被害者なし。よし。その話題であれこれ言われる事はないな)

と、安心した。

自分自身は空を飛んでいけば赴任地まですぐである。

しかし今回からは、長時間の飛行には耐えきれない宝も増えたので、ボルギは馬車での移動に甘んじていた。

ボルギを怖がらない馬を探すので大変で、予定よりかなり時間がかかった。

「ボルギ様ボルギ様! 街! 街見えた!」

「おー。ついにか。長かったな」

「ボルギ様が重いから馬車が全然動かないんだよ?」

「おっ? このままおいて飛んでいこうか?」

「いやだっ!」

わあわあと騒ぐボルギとアキコに、御者はなんとも気まずい顔をしていた。

自分が操る馬車に、竜人が乗っているのだから仕方ない。しかも外交官を名乗っている。

何かあったら一大事だと、必死に馬を操る御者の心など露知らず、ボルギは、新しい土地に目を輝かせているアキコを見つめた。

(不思議な事もあるもんだ。最初に彼女を連れ帰ったのは、ただ、匂いが染み付いていたから、それだけだったのに)

初めて会った時。

アキコの体は旅のせいで、薄汚れていた。

彼女の体には、彼女自身の体臭と、草の匂いと土の匂いと、それから、ずっと一緒に旅をしてきたという彼氏の匂いが染み付いていた。

アキコの彼氏の匂い。

――ボルギの、 運(・) 命(・) の(・) 番(・) の匂いが。

(遺体より、アキコの方が匂いが濃かった。あんな事あるんだとびっくりしたもんだ)

きっと、アキコを守るために、死んだ彼氏が、 におい付け(マーキング) をしていたからだろう。

効果は多くないが、ないよりはまし。その程度の におい付け(マーキング) だったけれど。でもそのお陰で恐らく、アキコは森の中で、ほかの獣に襲われていなかった。

彼女を守ろうとした彼氏の願いはかなったのだ。

(私の願いもかなった)

運命の番を大事に出来なかった男のせいで、ボルギはたった一人の父親を失った。

父親が背負う筈だった罪はボルギには下されなかった。

ボルギは王太子に関わってこなかったからだ。

家族での接点するない、その程度の関わりだったのに、父は犯罪者として扱われた。誰かを責めたい民意に沿うように、石を投げられた。

父が亡くなってなお、多くの人は、ボルギの背中を指さした。

「あいつの父親のせいで悲劇が起きた」

そう、多くの人が言った。

(運命の番が、出会った時には死んでたらいい。――狂ってると言われる願いが、現実になった)

あの日。

山をいくつも超えている時。

ボルギを引っ張ったのは、運命の番の絆だ。

それがなければ、ボルギはアキコたちの前に降り立たなかった。

(自分でずっと、願っていたのに。……あの時は、頭がそのまま、爆発するかと思った)

――目の前に番がいる。

――死んでいる。

――番が死んでしまった!

――半身が! 死んでしまった!

会話をした事もない初対面の相手が死んでいるだけなのだ。それなのに、ボルギの胸はぐちゃぐちゃに無理矢理かき混ぜられたようになった。頭を掻きむしって、叫びそうになった。

それをしなかったのは、絶望故だ。

――自分が願ったから、番が死んだのではないか?

そんな、絶望が、ギリギリ、ボルギに理性を残した。

そうして連れ帰ったアキコは、風呂に入れば番の匂いもなくなった。

それまではずっと、匂いを嗅ぐ度に頭痛が引き起こされるような感覚がしていたので、匂いがなくなったアキコに安心したのを、今でも覚えている。

(ああ、でも――今ならこう思う。本当に、 番(彼) が、 死(・) ん(・) で(・) い(・) て(・) よ(・) か(・) っ(・) た(・) と)

最低な事だと、ボルギは分かっている。

アキコに言ったなら、きっと、失望されるような事だ。

だが、もし彼氏が生きていたのなら、今の幸せはないとボルギは言い切れるのだ。

もし彼氏が生きていたのなら。

彼氏の恋人だと名乗るだろうアキコに、ボルギは、手を出していたかもしれない。

自分がずっと恨んでいる相手よりもっと最低な事を、していたかもしれない。

まるで浮気された女が、愛人に怒り狂うように。

「うわあああ! 湖! 湖ですよ、ボルギ様!」

きゃあきゃあと、耳を立てて喜ぶアキコの横顔に、ボルギは笑みをこぼす。

「そうだな。今度抱えて上を飛んでやろうか?」

「落としませんか?」

「落とさないよ」

「な、なら、飛んでみたいです……!」

えへへ、と、アキコは笑った。

引っ越し先である王都は、高い塀に囲われていた。

門番は、冷や汗を流しながら、何度も何度もボルギたちが提出した資料を眺めている。

「まだ確認は終わんないのか? 何かおかしい所でも? ただ、女が二人、王都に入るってだけだろう」

ボルギの言葉に、門番はウッと言葉を詰まらせるような動作をした。

「し、失礼いたしました! アンナリーザ・ボルギ外交官。それと、えぇと、アキコ・マール様」

やっと王都に足を踏み入れる。

門番から十分に離れたところで、アキコは頬を膨らませた。

「また発音、間違えられました! 私の名前、そんな変です?」

「まあ、 〇(まる) なんて苗字は、この国にもなかろうな」

「そんな変かなぁ?」

「すねるな、私の黄金。あそこで飴が売っているらしい。買ってやろうか」

「そんな言葉に私は負けたりしな――リンゴ飴だぁあああ!!!」

ぴょーんと飛び出していくアキコに、ボルギはまた腹を抱えて笑って地震を起こすのを耐えながら、一等大切な宝を追いかけた。

凸凹な二人の先を祝福するかのように、白い渡り鳥が王都の上空を飛んでいた。