作品タイトル不明
後編
「まずはニコレット橋ですよ! この橋はこの国の歴史にも残っていますから!」
「存在は存じておりました」
ニコレット橋は、国の中心部から北部に行く際に横たわっている運河に架かる橋である。
この橋が出来る以前は、運河を舟などで渡っていた。運河はしっかりとした船で行き来しようとすると、平民にとってはそこそこ高額な移動手段となってしまう。
なので平民たちは小舟で行き来していたのだが、小舟だと問題も起こりやすかった。
比較的陸地の近い箇所に橋を架けられた事もあったが、そういう時に限って川が氾濫するなどして、橋が落ちてしまったりもしたそうだ。
南部や東部西部、中央部の民は別にいい。しかし北部の人間にとって、この運河は恵であると同時に、悩みの大きな種であった。
北部の恵みが足りない時は、他の地域から購入しなくてはならない。しかし運河のせいで、必要な物資を外から仕入れるのにも一苦労。しかも苦労する分、商品は高くなる。その高くなった商品を買い続けるとなると、北部の人間はずっと貧しい人間が多いままだ。
その状況を変えようと奮起したのが、ニコレットという女性だった。
ニコレット橋というのは、橋を作るのに奮闘した女性の名なのである。
運河に架かる橋。誰でも無料で通れる橋。川を渡るために人が死ぬことがない場所を作る。
その夢の為、自身も橋を作る為に様々な勉強をしたニコレットは、さまざまな場所で金持ちや貴族に営業をかけ続けた。ほぼ慈善事業となるだろう橋の建設案は最初通らなかったが、次第に味方を作り、企画は開始される。
次第に、ニコレットの噂を聞いた人々が集まった。
人や金が集まり続け、ついにニコレット橋は完成したのである。
そんな歴史を、ジャンは慣れた風にベニートに語った。本当になれた語り口で、ベニートに助けを求めて来た時とはだいぶ違う。
「お詳しいですね、ジャン卿」
「あ、ははは。実は橋の建設を少し手伝ってまして」
「そうなんですか」
と答えつつ、ベニートは少し驚いた。
ニコレット橋が完成したのは五十年前ごろだった筈だ。
一方、有名どころの出来事でいえば、≪アンジェリーヌの悲劇≫から今年で丸三十六年。
つまりジャンは、竜人の扱いが大きく変わる事になったアンジェリーヌの悲劇の前から、この国にいるという事である。
「あはは、見えませんか?」
「いえ。最近の入国記録に貴方の名前はなかったので、悲劇より前に入国されていたのだろうとは思っていましたが」
竜人は他種族より寿命が長い。
そして、成人して以降、年の取り方がかなり穏やかになる。というより、殆ど変化はないといっていい。流石に三桁を超えると見た目に衰えも出るが、成人した二十代と六十代、百才を超えた者が並んだ時、人族などからすると「同年代では」と思える事は、よくある話なのである。
「あの頃は入国も出国も、管理が雑でしたから。竜人に限った話でなく、人族同士の出入国も雑でしたよ」
笑った後、ジャンは少しだけ寂しそうに、橋を見上げながら言った。
「でも本当に、かの侯爵令嬢の運命の番が、嘘で良かったです」
「……意外な感想ですね。騙され、迷惑をかけられていた側ですのに」
「俺が頭がおかしくて気が付かない可能性だって、ゼロではないでしょう? 前例がないというのは、未来永劫あり得ない訳ではないですし」
「言えていますね」
運命の番に関する話は、眉唾な話や、一部の地域にだけ慣習的に伝わっている案件も多い。過去起きた事から考えて、「今の所こうである」としてしか、言えない面があるのは事実だ。
なのでベニート自身はかなり強くマドレーヌたちに「それは嘘だ」と主張したものの、本当の本当にマドレーヌがジャンの運命の番であった可能性も、あったかもしれない。
実際の所は早い段階で嘘が露見したが。
「それに……俺、思うんです。ほら、今はもう、番の儀の短刀、ないではありませんか」
「……そうですね」
番の儀の短刀。
それは神が自ら打ち、竜人に授けたと言われ神器だった。
この短刀は「番同士の絆を強くする」事が出来る。
他種族と寿命に大きく差がある竜人にとって、他種族の者が運命の番であるというのは、悲劇に近い。自分がまだまだ共にいたいと思っても、相手が先に死んでしまうのだ。
他種族側も、竜人を愛していれば悲劇と言えるかもしれない。獣人族は運命の番を感じ取れるから、「自分が死んだ後も相手は長く生きるかもしれない」という事に不安を感じる者は多い。運命の番を感じ取れない人族には、必ずしも関係がある話ではないが……。
話を戻すが、異なる寿命を生きる番同士の場合、かの短刀は「二人の魂」を結び「寿命を同等にする」という神業としかいえない事が出来た。
竜人同士ですごく年が離れた番だとしても、「寿命を同等にする」事が出来た。
だからこそ神器と言われたし、番の儀の時以外には持ち出されなかった。
「あの短刀がない今、竜人と他種族の寿命差を埋める手段は、もうありません。もし侯爵令嬢が本当に運命の番を理解出来た上で俺を愛していたのだとすれば……人にはよりますけど、彼女は自分が死んだ後の未来を怯え続けなくてはいけなかったかもしれない。竜人同士だって、出会いによっては年の差があって、置いて逝かれる方も先に逝ってしまう方も苦しむ感情はあるのですから」
「……そうですね」
神器であった短刀は、現在はない。
消失している。
アンジェリーヌの悲劇ののち、普段保管されている神殿へ持ち帰られたまでは良かった。
ところが使用時以外は安置されている場に戻した直後、 溶(・) け(・) て(・) な(・) く(・) な(・) っ(・) た(・) のである。
当然、その場に居合わせた竜人たちは阿鼻叫喚となった。
唯一、アンジェリーヌの悲劇の番の儀の場にもいた神器の管理をしていた神官だけは、「こうなると思いました」と語ったそうだ。
神官曰く、確かに短刀は番の絆を断ち切る事も出来る可能性を秘めていた。
しかし 本(・) 来(・) の(・) 用(・) 途(・) で(・) は(・) な(・) い(・) 。
刃という、何かを断ち切る姿をしながら、絆を結ぶ存在である。それが、短刀の存在意義だった。それを覆された短刀は、そのまま 在(あ) る事が出来なくなったのだろうと、神官は語ったと、伝えられている。
そのころには生まれていないベニートにはその言葉が真実なのか、誰かが脚色したのか、判断がつかない。
ただ、短刀がなくなってしまった事は事実だ。
ただ、多くの竜人たちはこの事実に怒り狂った。
――「これから先、俺たちの運命の番が年が離れていたら、どうなるんだ!?」
他種族だろうと同族だろうと、年が離れている可能性はある。
竜人という種族にとって、あの短刀はもっとも重要な神器だった。
それが、アンジェリーヌの悲劇によって使用された事で、消失してしまった。
竜人たちの怒りの矛先は、間違った使い方をしたアンジェリーヌたち(既に出国済み)―― で(・) は(・) な(・) く(・) 。
彼女たちにその方法を取らせた、アロイージオや各々の夫、婚約者たちに向いた。彼らを止められなかった周囲の大人や家族に向いた。そして、アンジェリーヌを王宮で虐げていた者たちにも、向いた。
それはそれは、酷い光景だったという。
加害者と親族だと分かると、遠くて一度も会った事がないとしても、その者すら責め立てられるような状況だったそうだ。
傲慢で頑固だともいわれる竜人族が大きく社会変革出来た理由の一つに、短刀の消失は大きく関わっているとも言える。
「重い話をしてしまってすみません! ほかにもお見せしたいものがあるんですけれど……お時間はまだ大丈夫ですか?」
「本日と明日は休みなので問題ないですよ」
「では北部を案内します! 普段はあの家で暮らしてますが、北部にも良くいくんです。北部は比較的、竜人への対応も穏やかなので、ランツェッタ様も過ごしやすいかと思いますよ!」
二人の竜人は、近くに人も動物もいない場所に移動すると、背中の翼を広げ、空に飛びあがった。
◇ ◇ ◇
北部は国の中央部に比べると人は少ない。しかし活気が少ない事はなかった。
「新鮮な魚が入ったぞ!」
「瑞々しいリンゴを買っていきな!」
ベニートは周囲を見渡す。
ベニートがジャンに案内されたのは、北部でもとくに大きな街の市場だった。人や商品が絶えず出入りし、明るい声が飛び交っている。
人々は竜人二人組という特異な組み合わせに視線はやれど、特別嫌な反応は見せなかった。
中にはジャンに向かって「おおジャン、なんか買っていけよ!」と売り込みをしてくる者もいるぐらいだ。
(言葉通り、都などと比べると竜人へのあたりが柔らかいな)
アンジェリーヌの悲劇の前後で、生活の変化などがない為かもしれない。
都には貴族たちが多く集まるから、悲劇の後、竜人から手に入れた様々な利を取り合って色々あったという。
北部にも北部の悩みはあるだろうが、少なくとも都の方の悩みとは違うだろう。
とはいえ、北部への移動をベニートが簡単に受け入れたのは、人々の街並みを見る事だけが目的ではなかった。
(ふむ……あの山々の向こう側が、 帝(・) 国(・) か)
狸国と、別の人の国を一つ飲み込んで、帝国と名乗り出した国。
現状、この国にとって最大の仮想敵国だ。
戦争が起きないのであればそれにはこした事はないが、とはいえ、恐らくそれは避けられない。帝国が、あまりに他国に戦争を仕掛ける事に、積極的なせいだ。
いくらこちらが避けようとしても、相手が殴る気しかないのであれば、防衛の為に戦うしかないのだ。
「中々雄大な山ですね」
「そうですね。あっちからくる商人はほぼほぼいないですね。ほぼ全て、ニコレット橋を渡ってきてますよ」
「でしょうね」
あの山を越えてくるのは、ただの人間には難しい。楽に超えられるのは、空を飛ぶ竜人ぐりだ。
となれば、警戒する国境線はこちらではなく、山が途切れたあたり――あるいは軽く超えて来られる、標高の低い地域だろう。国境線は、そちらにも伸びている。
「色々美味しいものもありますよ! 例えば――」
言葉の途中で、ジャンが急に走り出した。ベニートの方は、目的が何かを察しはしたが、咄嗟に動けなかった。
視界の隅。二人がいる位置から少し離れた位置で、どこかに持っていくのだろう木箱を沢山積み、縄で押さえている馬車があった。ジャンはそれに向かって走り出したのだ。
なぜかといえば、その馬車の二台に積まれた木箱を抑える縄がぶちりと嫌な音を立てて外れ、バランスを崩した木箱が高い位置から落下しだしていた。
その落下していく先に、近所の子なのだろう、幼い子供が、木の枝を片手に、走っていた。
「アベル!!」
悲鳴と、子の親だろう大人の悲鳴が響き渡る。
木箱が子供にぶつかる直前、ジャンは馬車にたどり着いた。子供を守るように、覆いかぶさる。ジャンの後頭部から背中にかけて木箱がぶつかり、壊れ、中身が周囲に散乱した。
落ちた木箱は一つだけでなく、バランスを崩した木箱は二個、三個と落下する。それらが落ちてくる間も、ジャンは子供を守るように、その場から動かなかった。
ベニートは一個目の木箱がジャンにぶつかるタイミングでやっと動けるようになった。翼を広げ、近くに人がいるものの、空に飛び、馬車に向かう。
そして四個目五個目と落下しかけている木箱を、空中から抑え込んだ。
「木箱を誰か受け取れますか!?」
ベニートの声に、近くにいた若い男衆たちが飛んでくる。他の木箱が崩れないようにしながら、ベニートは一つ一つ、今にも落ちそうな木箱たちを下ろしていった。
その横で、ジャンは自分の上に降り積もった荷物を地面に落としながら、庇った子供を見ていた。
「……怪我はないかい、坊主」
「う、う、う……うわ~~~~~~~~ん!!!!!!!」
遅れて出来事が理解出来たのだろう、子供が大泣きを始める。飛んできた親は、ジャンに向かって何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
「荷の積み下ろしをしている現場は何かあった時、危ない。近寄らないように伝えておいた方がいいよ」
「はい。言い聞かせます。本当にありがとうございます、竜人様……!」
親の次に、ベニートやジャンに頭を下げていたのは荷物の持ち主たる者たちだ。
彼らからすればいくつもの商品が地面に飛び散るいろんな人間にも踏まれて駄目になってしまった訳だが、元をたどれば古びた縄ではなく、新しい縄を使うか、一度に運ぶ量を抑えていればしなくてすんだ失態だった。
彼らは何度も頭を下げ、子供の命を救ったジャンへの感謝と、必要以上の荷物の破損を防いでくれたベニートへの感謝を述べた。
ニコニコと笑いながら、ジャンは気にしなくていいと手を振った。ベニートも、気を付けるようにだけは伝えたが、失態を認めて謝罪している者たちに必要以上の叱責をするつもりにはならなかった。
何より、
(竜人のせいにするどころかちゃんとお礼を言われるとはな)
とすら思った。
対応が柔らかいのは、本当の事なのだと、改めて実感できた。
◇ ◇ ◇
一通り街の名所なども案内された後、何か考えるような顔をした後、ジャンはベニートに「最後にもう一か所、付き合ってもらってよいですか?」と尋ねた。今更一か所も二か所も変わらないと、ベニートは了承した。
二人が向かったのは、山や、街が見渡せる、良さげな丘の上だった。
その丘には、一つの墓石があった。
一般的に、人の墓は墓地に集められる。自由に埋葬させると、問題が起こりやすいのが一つ。もう一つはその土地で暮らした人間の管理を楽にする為、という理由もある。このような丘に作られる事は稀だ。
しかし、墓標に刻まれている字を見て、理由を理解した。
誰よりも破天荒で 誰よりも強い女 ニコレット ここに眠る
あの、ニコレット橋を作ったニコレットの墓だと、フルネームが刻まれておらずとも理解出来た。
ニコレットは北部出身。となれば、詳しい生まれの場所はともかく、この街と関わりが深くともおかしくはない。
「まさかかのニコレット橋の功労者の墓がこんな所にあるとは」
「彼女はここから街や山を見ながら、図面を引くのが好きだった」
半ば、自問自答にもにた発言を、穏やかに微笑みながらジャンが言う。
橋を作るのを手伝っていたという事は、生前のニコレットとジャンが会っていてもおかしくはない。おかしくはないが、ベニートには何かが引っかかった。
「……随分、親し気ですね」
「ニコは俺の運命の番だったので」
「は?」
唐突な言葉に、ベニートは目を丸くした。
「ちょっと待った。運命の番? かのニコレットが?」
「うん。全く釣り合わないのは分かってます。俺は何の取り柄もない竜人だから」
「そんな事はどうでもいい! どうしてその事を早々に侯爵家にぶつけなかった? 運(・) 命(・) の(・) 番(・) は(・) た(・) っ(・) た(・) 一(・) 人(・) だ!」
今までベニートは、運命の番に出会っていないのだと思っていた。
そういう竜人ならば、感覚でマドレーヌが番ではないと分かっても、誰もが理解出来る証拠は出す事が出来ずに困っていてもおかしくない。そう考えていた。
しかしそもそも、ジャンが既に運命の番と会っていたというのならば、話が変わる。
「既に番と出会っているなら、最初の段階で伝えていれば、今回の問題は起きなかった!」
ベニートの言葉に、ジャンは頷いた。
「その事に関しては、本当に、ランツェッタ様には申し訳なく思っています」
「謝罪はいい! 理由を教えていただきたい。これでも私は忙しい身です。公務もある。そんな中で、貴方が追い詰められて困っているからと、手を貸したんですよ!」
二人の関係は、ベニートが赴任してから始まった短い関係だ。
ジャンが既に運命の番に出会っていたのならば、「それを伝えればいいでしょう」とアドバイスして終わった話だ。伝えていてなお迫られていたのであれば、今回のように手助けはした。
しかし侯爵家の説明で、ジャンに運命の番がいた事を把握している説明はなかった。
「というか貴方、未婚でしたよね? この国の戸籍では未婚になっていましたが、竜国にだけ出していたので?」
ニコレットが亡くなったのは悲劇より前。
そのころは種族差のある結婚の法律も今と違ったし、厳格に守るようにする風潮もなかった。だから記録がないのか? とベニートが半ば独り言のように言うと、ジャンは首を振った。
「俺はニコと結婚していません。だから未婚です」
「は、はぁっ? 結婚してない? 運命の番と!?」
運命の番と結婚している両親を見ているベニートにとって、それは衝撃的な発言だった。
いや、勿論、アンジェリーヌの出来事から恐怖し、拒絶された事例がある事は知っている。
しかしジャンは『非竜人族の番を迎え入れる際の決まり事』が制定されるより前の人間だ。その時代なら、竜人たちは何としても結婚しようと必死になっていた、筈である。
しかしその筈であるという前提を、ジャンは軽々しく破った。
「ニコは……ニコレットは、不仲な両親の元に生まれました。まだニコが若いころに両親揃って、ニコを捨てていなくなった。だから結婚というものに嫌な思い出しかなくて、生涯未婚・生涯現役を信条にしていたんです。だから俺の告白も『生涯結婚なんてしないからお断り』と一蹴されました。それでも傍にいたい、好きになってくれなくてもいいから、と言ったら、『なら、二度と告白もプロポーズもしないでいるなら、遊ぶ友達になら、なってあげなくもない』と言ってくれたんです」
それは男としては絶対に見ないという宣言であったが、思い出を語るジャンの顔は、嬉しそうだった。
運命の番が近くにいる事を許してくれた。
それだけで嬉しかったのだ。それだけで、ジャンは満足だったのだろう。
それにしても、あまりに活力に溢れていると、ベニートは感じた。
ニコレットが暮らしていた時代は、今より更に女性が独立してやっていくのが困難だった時代である筈だ。よほど恵まれた生まれの貴族女性でもなければ、名を遺すような活躍が出来る人は殆どいなかった。
技術職なら尚更、男社会で、女性が生きていくのは大変だった筈だ。
その時代に その信条(生涯未婚・生涯現役) を掲げ生きていた。
(成程、墓に「破天荒」だとか「強い」だとか、刻まれる訳だ)
とベニートは思った。
女性に向けるにしては、荒々しすぎる言葉な気はしていたのだ。
ニコレットについては、そういう細かい、性格の話まではベニートも知らなかった。
「何故、言わなかったかと言われましたね。……言ってしまったら、ニコの経歴に、傷をつけるからです」
「傷……。竜人の運命の番である事、ですね?」
「ええ。この国はアンジェリーヌ嬢の生まれた国ですから」
ベニートは他にも言いたかった文句を飲み込んだ。
「アンジェリーヌの悲劇の直後。この国では、 竜(・) 人(・) に(・) 選(・) ば(・) れ(・) た(・) 人(・) 間(・) は(・) 全(・) て(・) 不(・) 幸(・) だ(・) という論調が、広まっていました」
ベニートも知っている。その論調は、特に、ただの人族の国では特に強く広まったらしい。
元々古くから、竜人族や獣人族を否定する主義・主張を掲げている者たちがいる。現在、貴族派の強い後ろ盾にもなっている人々だ。
恐らくアンジェリーヌの悲劇の後、これ幸いと、上記のような論調を広めようとしたのだろう。
「あの時代、竜人と関わりがあるだけでも色々言われた。そのうえ、運命の番だったら、可哀想な人間代表みたいにも扱われてました。……ニコレットは、親に捨てられた過去があるからか、他人から可哀想だと言われるのが、決めつけられるのが、大嫌いでした。私自身でもないのに勝手に代弁して決めつけて、気持ち悪いと、歯ぎしりをして地団太を踏んでいた。……だから、徹底的に、可哀想な要素は出さないようにしていました。辛い事があろうと苦しかろうと、他人から弱く見えるような自分は絶対に出さなかった。いつだって、自分が信じる、周りが思う、『強いニコレット』であろうと努力し続けていた」
言葉を区切り、ジャンは墓石の前にしゃがみ込んだ。墓石に少しだけ積もっていた砂を、ジャンは手で払った。
「ニコレットは、俺に運命の番だと言われて、不幸だったかもしれない。俺にずっと付き纏われて、不幸だったのかもしれない。……でもね、ランツェッタ様。たとえそうだとしても、ニコレットは、『竜人に運命の番だと言われた可哀想な女性』と見られる 事(・) の(・) 方(・) が(・) 、嫌がるような女だったんです」
「……だから、ニコレットが運命の番である事を隠した、と?」
「はい。だって、不平等でしょう? ニコレットは言い返したくても、もう亡くなっているから言えないんですよ。ニコレットは、あんな立派な橋を架けた。凄い女だった。誰より立派で強い女だった。……なのに、俺がニコレットを番だと思っただけなんて理由で、ニコレットの名前の横に『可哀想な女性』なんて肩書が並ぶのは、耐えられなかった」
確かに、ニコレットがジャンの運命の番であったならば――ニコレット橋を架けた偉人の言葉の次に、竜人に運命の番だと言われた女、という肩書も並んでいただろう。
比較的落ち着いた今ならばともかく、アンジェリーヌの悲劇の直後なら、尚更。
「幸いな事だったのは、あの頃はもう、俺がニコレットの運命の番だと知ってる人は殆どいませんでした。俺はニコレットが橋を架けるのを手伝った、風変りな竜人でしかなかった」
「……それでも察している人間はいたのでは」
「いたかもしれません。でもニコレットは俺を紹介する時、いつも『友達のジャンルイージ』と紹介していて、それ以上踏み込んでくる人はいませんでした。実際、今も広がってないんですよ。皆、思ってても、黙っててくれたんだ」
墓に刻まれたニコレットの名前を、ジャンはなぞっている。それを見ながら、ベニートは話しかけた。
「……運命の番に出会っていた事を黙っていた事は、許します。この国の歴史と、ニコレットさんの気持ちを思えば、確かに、そのような判断をしたくなるのは、理解出来ますので」
「ありがとうございます」
ジャンは立ち上がって、ベニートに向かって深く頭を下げた。
「一つお聞きしたいのですが」
「はい。なんでしょう」
「ニコレット橋の近くで暮らしているのは、やはり、ニコレットさんが作ったからですか」
「そうですね。それもあります。もう一つは、ニコが亡くなる前に『飽きるまでぐらいは、あの橋が崩れないように見ててくれよ』と言ったので……。日々の点検は、大事ですから」
普段は簡単な力仕事をして金を稼ぎながら、完全なボランティア活動として、橋の点検や、周囲の清掃をしているのだという。
「橋で働いている人たちは、俺の話も聞いてくれるので、助かっています」
(そりゃ、面倒な日々の点検を無料でしてくれる存在がいるなら、いくら竜人といえど、邪険にはしないだろうな……)
陸地に近い箇所ならばともかく、運河の中心に近い位置で、橋の裏側で異変を探すのは、ただの人間には大変だ。
それをしてくれる存在がいるのなら、受け入れるだろう。
そう思いつつ、ベニートは聞かずにおれなかった。
その質問がどれだけ無神経だとしても、聞かずにおれなかった。
「……悲しくはないのですか、番に、先立たれてしまって……」
しかも受け入れられていない。
その言葉は流石に、飲み込んだ。
ただ、ベニートは知りたかったのだ。橋が完成してから十年ぐらいして、ニコレットは亡くなっている。彼女は橋に人生の全てを注いで、完成を見た事で、満足したように亡くなっている。
それはジャンにとって、辛い事の筈だ。辛くない筈がない。
ジャンの時代ならば、まだ神器である短刀もあった。寿命を同等にする手段はまだ失われていなかった。
「番の儀だけでもしようとか、思わなかったのですか?」
法律的な結婚と別で、そういう事をする番もいるにはいる。
政略的な事情で法律上の配偶者とは離れられないから、魂だけはあなたにあげる、という風な感じで。
ジャンの立場なら、それをしようと思えば、出来なくもなかったのだ。
ジャンは若い竜人を見下ろした。それから、困ったような顔をした。
「辛くなかった訳はありません。ニコが死んだ時、自分の心臓を半分にちぎられて、どこかに持っていかれてしまったように、苦しかったし辛かった。……でも。でもね、ランツェッタ様。ニコは亡くなる前にね、俺にね。………………『一緒に遊べて、楽しかった』って、言ってくれたんですよ」
ベニートはハッとした。ジャンの頬に、伝うものがあるのに気が付いたからだった。
笑いながら、けれど、ジャンは、溢れるそれを止められないという風であった。
「楽しかったって、言ってくれたんだ。ニコは、俺の番は、一緒に過ごした日々を、楽しかったって。だから、だから俺は、彼女が作ったものを、守り、たいんです。飽きるまで、この国に、いたい」
言葉は何度も詰まった。しゃくりあげていた。いくつもの雫を落としながら、ジャンはニコレットの墓に額を押し当てた。
「後世の、人間が、ニコレットを語る時、楽しい思い出だけを、並べて欲しいんだ。そこに、俺は、いなくていいから」
ベニートは、何も言えないまま立っていた。
ニコレットの墓標の周りには、野花が沢山咲いている。
有名な名のある花でもなく。誰かが植えた花でもない。
そういう飾らない自然の姿が、ニコレットの愛したもののようにも思えた。たった一度も会った事がない相手なのに、どうしてか、ベニートにはそう思えた。
風が吹く。泣き崩れているジャンの横で咲いていた花の花びらが一枚、ふわりと空に舞う。
青い空に、ちっぽけな花びらが飛び上がる。そしてそのままどこかに飛ばされるかと思ったが、花びらは空で遊ぶようにくるりくるりと舞った後、静かに、ジャンルイージの頭の上に、落ちて来た。