軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 最後の真実

ゴダイバ帝国の配下に七王国が下ってから、二千年。

長きにわたり、大陸の人々を苦しめてきた氷の魔術を使う獣・魔獣の最後の一頭が、北部山脈の奥地で駆除された。

最後の一頭を仕留めたのは、皇太子バシレオスの放った炎の矢だった。

ここにゴダイバ帝国皇帝は「大陸からの魔獣根絶宣言」を発表し、各国はこれを大歓迎した。

帝国の第一皇子ステンは、反逆罪と呪術の使用を問われ、その生まれに付随した地位や身分を全て剥奪の上、終身刑が言い渡された。

同じ頃、リンツ王国にて行われていたある捜査が終結し、国王の名の下にラズロ・キャドベリー率いる魔獣討伐隊の名誉回復がなされた。

犠牲になったキャドベリー隊の騎士たちの遺族は、全員が国王から謝罪を受けた。

これと前後して、第二王子が立太子し正式に王太子となり、第一王子のマティアスは名実共に廃太子となった。

第二王子が王太子になった矢先に、ゴダイバ帝国の皇帝から王杖が返却され、魔術がリンツ王国全土に戻ったため、第二王子は国中の支持を集めたという。

ゴダイバ帝国に本格的な夏がやってきて、シェリィはこの地での初めての夏に、気後れした。

カラッと涼しいリンツ王国と違って、帝国の夏は湿気が多く格段に暑かった。

帝国の秋は短く、もうすぐ冬がやってくる。

シェリィにとって、父がいない二度目の冬だ。

時折どうしようもない寂しさを感じたものの、バシレオスの好意でラズロ・キャドベリーは皇太子宮殿併設の聖堂に埋葬されたため、いつでも会いに行くことができた。

手にしていたものを次々と失っていったあの春が終わり、新たな国で迎える新たな季節は、シェリィにとって全く違ったものとなっている。

偽装守護妖精だったバードは今は自称「(仮)守護妖精」となり、いつもそばにいてくれる。

シェリィもゴダイバ帝国の社交の場に積極的に出かけるようにし、新たな友人もできた。

何より、シェリィがゼロから人生を取り戻すのを支えてくれたバシレオスは、シェリィの居場所となった。

冬を迎えれば、シェリィはシェリィ・キャドベリーではなくなる。

正式にゴダイバ帝国の皇室入りすることになっている。

皇太子妃になる日を迎えるため、加速度的に忙しくなっていく中、シェリィは一枚の手紙を持って、皇太子宮殿の廊下を歩いていた。手紙を出すために、文書係室に向かっているのだ。

廊下は大きなバルコニーに面しており、窓からは満月が見えた。

「今から出せば、リンツ王国の王都に手紙が届くのは三日後くらいかしら?」

そうひとりごちたシェリィは、バルコニーにゴードンがいることに気がついた。

石造りの手すりに寄りかかり、秋の夜長に星でも見ているのか、夜風に赤い髪を靡かせている。

シェリィは逡巡した後で、ゴードンに話しかける決心をし、バルコニーに出るガラス戸を開けた。

シェリィは静かにガラス戸を閉めてから、自分に背を向けているゴードンに近づいていった。

バルコニーの手すりに手をかけ、ゴードンの隣に並ぼうとした寸前。

ゴードンはシェリィより先に口を開いた。

「こんな所でアンタからアタシに話しかけてくるなんて、珍しいじゃないの。誰かに手紙を出しにいく途中だったのかしら?」

ギョッとしてシェリィが身構える。

「ゴードンさん、頭の後ろに目がついているんですか⁉︎」

「その通りよ」

「……どうして私が手紙を出すとわかったんです?」

するとゴードンはバルコニーの手すりに頬杖をついたまま、横にいるシェリィを振り向いた。

「当たり前でしょ。この廊下の先にある部署で、今の時間まで残業しているのは文書係しかないからよ」

なんだ、そういうことか、とシェリィが頭を掻く。

シェリィは左手に持つ手紙をチラリと見てから、照れくさそうに言った。

「リンツ王国にいる友人のコレッタに、近況を知らせる手紙を書いたんです」

「まぁ。それは興味深いわね。殿下とバードと私の、めくるめく三角関係という名の男女のもつれのお知らせかしら」

「いいえ。お気に入りのファンデーションを落として割ってしまったことや、キャビネに大事に取っておいたフルーツケーキにカビが生えていたことを、書いたんです」

「アンタもなかなかサラッと無視してくれるわね。というか、随分くだらないことをわざわざ手紙で知らせるのね……」

「そうですね。考えてみれば――くだらなすぎる手紙を送れるからこそ、本当の友人なのかもしれません」

するとゴードンは「たしかに」と言ってから屈託ない笑顔を見せ、声をあげて笑った。

シェリィは月明かりの下で、ゴードンをじっと見つめていた。そして彼の笑いが収まるのを待って、穏やかな声で切り出した。

「ゴードンさん。私は実は、ずっと貴方にお聞きしたいことがあったんです」

「あらヤダ。改まって何かしら。緊張しちゃう」

言葉とは裏腹に、まるで緊張などしていなそうに、ゴードンは手すりについた右手から顎を上げずにそう言った。

シェリィは少しだけ首を傾げつつ、ゴードンに尋ねた。

「私が皇太子殿下の魂を呼び寄せた『分水嶺の術』について、知りたいことがあるんです」

ゴードンの頬が一瞬だけ引き攣ったのをシェリィは見逃さなかった。突然過ぎて返す言葉がないのか、彼は黙っている。

「皇帝陛下はもともと、私を皇太子妃にすることに反対されていました。ですがゴードンさんが陛下をお訪ねした後で、ご意見を変えられたと聞いています」

「そうね。アタシの説得が上手だったのね!」

「……そうではなくて、ゴードンさんは私と皇太子殿下には教えてくださらなかった何かを、陛下に打ち明けられたのではありませんか? 例えば『分水嶺の術』の謎などを」

ゴードンが今度こそ、顎を右手から上げた。彼は手すりに寄りかかるのをやめ、腕組みをしてシェリィを見つめた。

「あら。その場合、陛下にお話ししたのは、術のどんな話だったのかしら?」

「『分水嶺の術』が廃れた理由は、揃えなければならない材料が抽象的過ぎる点と、召喚される人の魂だけを術が呼んでしまうから……だと私と殿下は結論づけていました。けれどそれは、本当なのでしょうか?」

シェリィは自分が公爵邸の庭師小屋で、意図せず分水嶺の術を発動させてしまった時のことを思い出した。

「切羽詰まった状況に置かれれば、人はきっと召喚される人のことをそれほど配慮できないと思うんです。どん底の人生を逆転させる一発として発動させるなら、術に潜む二つの弱点は気にならないかもしれません。少なくとも、召喚をする立場の人は」

ゴードンはフゥゥッとゆっくり息を吐いた。

そうして少し困ったように言った。

「流石、アタシが思っていたほど単純な女じゃないわねぇ。――そうよ。アタシは決して殿下とアンタに嘘をついたりはしていないけれど、誤解を招きやすいように説明したわね」

シェリィは初め、実はこの術は致命的な欠点があるのではないか、と思った。例えば、発動させた術者は一年以内に命を落とす、といったような。

それならば皇帝が折れて、二人の結婚に一時的に賛成してくれたとしても、おかしくない。

だが、帝国でゴードンの人となりを見ているうちに、彼はそんな残酷な騙し方はしないはずだ、と考え直した。

シェリィは煌々と輝く月を見上げた。

「私があの時カイルを呼び出さなかったら、彼の方には何が起きていたかを、考えたんです。バードによれば、妖精王族は人間の皇帝と国王、それに彼らの後継者を監視しているそうです。ならばマティアスだけでなく、帝国の皇太子バシレオス殿下のそばにも、監視の妖精がいるはずなんです」

カイルを召喚したことで、シェリィは皇子印を発見し、結果的に第一皇子ステンとマティアスの繋がりが分かった。

二人の出会いがなければ、ステンとマティアスの関係は武器の輸出問題のみに焦点があたり、ステンの呪術は明るみにならなかった。

おそらくマティアスは王太子の地位を無事に守ったままアンジーと結ばれ、いつかの時点でバシレオスに対し、ステンが反乱を起こしたに違いない。

「もしも殿下が『カイル』として私と出会っていなかったら。私はガレル州に大人しく引っ込んでいたはずです。表舞台を去って華やかな生活とはならずとも、それなりに生きていったでしょう。二人の出会いがなければ、おそらくより痛手を負ったのは、バシレオス皇太子の方だったのです」

シェリィがゴードンと目を合わせると、彼はシェリィが考えた答えをはっきり口にするのを、待っているようだった。

微笑を浮かべたままシェリィの話を聞いているゴードンの態度に、自分はあながち見当はずれなことを言ってはいないのだと勇気を得て、シェリィは続ける。

「だから思ったんです。『分水嶺の術』は、 術(・) 者(・) の(・) 運命を好転させる魔術ではなく、 召(・) 喚(・) さ(・) れ(・) る(・) 人(・) の(・) 運命を変える魔術なんじゃないかって」

シェリィと出会ったからこそ、バシレオスは兄皇子の反乱から身を守れたのではないか。シェリィはそう考えた。

これならば、『分水嶺の術』が廃れた理由がよくわかる。

誰を呼べるかも分からないのに「その誰か」の運命を変えてあげるために、莫大な魔力を消費してこの術に取り組む者はいない。いるとしたら、よほどのお人よしだ。

ゴードンは目を閉じて、何度も頷いた。

そうして目を開けると、真剣な赤い眼差しをシェリィに送った。

「真実は、アンタの推察通りよ。『分水嶺の術』は、召喚される者の運命を劇的に変える魔術だったの」

ゴードンは人差し指を立ててフフンと笑い、シェリィにやや挑戦的な眼差しを向けた。

「でも、アンタの考察はちょっとばかり甘いわね」

「甘い、でしょうか……?」

考察不足を指摘され、シェリィが動揺して目をパチパチと瞬く。

ゴードンは大きく息を吸うと意を決したように、とうとうと話しだす。

「ステン殿下が挙兵したら、おそらくそこにリンツ王国が介入したわ。最悪の場合は大陸全土を巻き込む戦争に発展していた可能性もあるわね。ステン殿下にとっては呪術すら厭わない、決死の反乱だもの。この両陣営の衝突時に、ステン殿下は迷わず魔術を使ったでしょうね。そしてそれこそ、妖精女王が禁じた魔術の使い方なのよ」

そんな未来があったとしたら。

恐怖でバクバクと鼓動する心臓を意識させられ、口にするのも不謹慎だと思いつつもシェリィは小さな声で言った。

「ですがバシレオス殿下が敗北し、ステン殿下が皇太子になったら……その時、妖精王族の皇太子の監視役は、看過しないはずです」

「その通りよ。今回『分水嶺の術』が起きなかった場合、バシレオス殿下がステン皇子に倒されただけでなく、もっと恐ろしい未来が待っていたでしょうね。戦を招いた上にステン皇子が逆転劇に成功して、皇太子になったら? 王太子にありながら、魔術で争いを起こしたマティアスが妖精王を怒らせ、王杖を取り上げられたように、帝国も古の約定を破った咎で、魔力を奪われていたかもしれない。そうなれば、帝国時代の終焉を迎えていたでしょうね」

「そんなだいそれた話に……」

ゴードンは確信に満ちた声で断言した。

「リンツ王国のマティアスが負った責めは本来、ゴダイバ帝国のステン殿下が負うはずの責めだったのよ」

ゴードンは背筋を伸ばし、バルコニーの眼下に広がる帝都の街並みを見下ろした。日はとうに落ちていたが、帝都の夜は街灯や家々の窓から溢れる灯りで、賑やかだ。

シェリィには今、ゴードンが何を考えているかが分かる気がした。

ゴードンはステンが自分の旗を上げ、もし戦争になっていたら、失われていたであろう命や平穏に思いを馳せている。

夜風がゴードンの黒いローブを靡かせる。ローブの縁を彩る金糸の刺繍が、夜空の星のように瞬いて美しい。

シェリィは手すりに片手を乗せて、ゴードンに体を向けて尋ねた。

「ゴードンさんは、皇帝陛下にそのお話をされたのですか?」

「そうよ。帝国の存亡に関わるような刺激的な話だから、陛下にしかできなかったけれど。ここだけの話、陛下はアンタにものすごく感謝していたわよ。アンタを帝国から追い出すなんてことは、もう到底なさらないはずよ」

「でも、ゴードンさんはなぜわざわざ『分水嶺の術』の秘密を、陛下に明かされたのですか? その……、ゴードンさんも、リンツ王国の女性を皇太子の妃にとは望まれていなかったのでは……?」

シェリィが思い切った質問をすると、ゴードンは両手を腰に当て、星空を見上げた。そのまま何度か瞬きをして「そうねぇ……」と考えるように呟く。

「アタシは確かに、リンツ王国が好きじゃないわね。でも、シェリィ・キャドベリーその人は、嫌いじゃない」

やがてゴードンはシェリィを振り向き、彼女が手すりに載せていた手を取った。

急に手に触れられたシェリィは少し驚き、思わず引っ込めてしまいそうになったものの、ゴードンの手つきの丁寧さに気づいてそのまま手を彼に預けた。

ゴードンはまるでダンスに誘うかのように、シェリィの手を取ったまま正面から彼女をみつめた。

「アンタこそ、バシレオス皇太子殿下のお妃様に相応しいわ」

ゴードンが片膝を折り、大きな体を意外にも優雅な仕草で傾け、頭を下げる。

「ご、ゴードンさん、顔をあげてください……!」と焦るシェリィの反応をよそに、ゴードンはニッと笑って体を起こす。

ゴードンはシェリィの手を離すと、彼女の背をバンッと軽く叩いた。

「胸を張りなさい、シェリィ・キャドベリー。アンタは人の心を動かせるんだから。――アタシね、久々に心震わせちゃったの。一人で『分水嶺の術』の秘密に気づいた時は、感激して叫んじゃったくらいよ」

本当だろうか、とシェリィが半信半疑で黙っていると、ゴードンは両腕を広げた。

「ロマンよ、ロマン!」

「ろ、ロマン……ですか?」

「そうよ。考えてみなさい! あの日、アンタの孤独が今や忘れ去られた『分水嶺の術』を奇跡的に引き起こしたの。つまりね、一人の女性の悲しみの一滴の涙が、世界を救ったのよ。これほどロマンチックなことが、この世にあるかしら?」

「私の涙が、世界を……?」とシェリィが釣られて呟く。

星々を背負ったゴードンが厳かに頷き、いつになく柔和な眼差しでシェリィに語る。

「争いから来る秩序の崩壊を未然に防いだきっかけが、たどっていけば世界の片隅に落とされた、最も弱そうなものだったなんて。――私達の生きる世は、時として優しくて、奇跡的なことが起こるのだと、荒んだアタシに衝撃を与えたのよ」

「私が作ったのは単なるきっかけに過ぎません。すぐに寄り添ってくれたカイルや、ずっと誠実だったバードがいて。そしてゴードンさんの存在なしには、起こらなかった奇跡です」

するとゴードンは小さく肩をすくめて、ウフフと微笑んだ。

「アタシはアンタのその謙虚さも、好きよ。差し詰めこの『分水嶺の術』の秘密についても、殿下にはまだお話ししてないんでしょう?」

「していません」

「――殿下にはアタシも教えたくないの……。殿下はまだまだ、過去の悲劇を引きずってらっしゃる。アタシは大切な殿下に、皇太子の地位をまた誰かに守ってもらったと、これ以上思って欲しくないの」

「もちろんです。私からあえて殿下に言うつもりはありません」

「あっ、でもね。そうね、たとえばアンタがいい歳のおばさんになった頃に。殿下と夫婦喧嘩をするようなことがあったら、真実を暴露しちゃいなさい。喧嘩の原因にかかわらず、殿下はきっとアンタに頭が上がらなくなるでしょうよ」

そう言い終えると、ゴードンはシェリィにウィンクをした。

シェリィは苦笑いになりつつ、今はまだ全く想像なんて及ばない、この帝国での自分の数十年後を思い浮かべようとする。

「なんだかそれって、秘密兵器を手にした気分です……」

シェリィの呟きを聞いて、ゴードンが豪快な笑い声を立てる。

秋の夜空に二人の爽やかな笑い声が広がり、吸い込まれていった。

ただ、平和への安堵と数多ある未来への好奇心を余韻にして。

――――――完――――――