軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

皇太子宮殿への帰還

きた。

守護妖精の契約を呼びかける声が、来た。

バードがシェリィを抱き寄せる腕に、思わず力が入る。

妖精に「こちらへ来い」と呼びかける魔術が、バードの脳内に流れ込んでくる。

召喚主はシェリィが予想したゴードンだけでなく、バシレオスでもあった。二人の魔術が互いに 撚(よ) り合わさり、硬い綱のように強靭な力となって人間界と妖精界を繋いだ。

(思ったより早かった。あの皇太子は、いつも想像を超えてくるな)

苦々しく思いつつ、バードは手の中の魔力の灯りに意識を集中させているシェリィを揺すった。

シェリィが顔を上げた直後、二人の目の前に突風を起こしながら、黄金の召喚陣が現れた。

辺りに巻き上げられた雪がダイヤモンドダストのように空気をキラキラと七色に輝かせ、その真ん中に芝の庭園に立つバシレオスの姿が見えた。

シェリィがガバッと立ち上がったのとほぼ当時に、バシレオスが叫ぶ。

「シェリィ! バードをしっかり捕まえとけ! 俺とゴードンがそなた達を引っ張ってやる!」

召喚陣の中からバシレオスの腕が飛び出し、シェリィに向けて差し出される。

「殿下ったら、ちょっと! 妖精界に身を乗り出し過ぎないでくださいっ。――アタシまで吸い込まれちゃう!」

ゴードンの慌てる声が召喚陣の先から聞こえる。

シェリィがバードを立たせようとするが、彼は動けなかった。シェリィは魔力を保つのに必死になっていて気が付かなかったが、バードの顔を見て小さく悲鳴を上げた。

突風に煽られて靡く黒髪との対比が残酷なほど、バードは蒼白だ。彼はシェリィを気力で抱きしめていたが、自身にはもう一刻の猶予もない。

シェリィが膝をついて屈み、バードの腕の下に肩を入れる。

「お願いバード、立って。殿下とゴードンが、私達を助けにきてくれたわ」

バードはシェリィにしがみつくだけで、精一杯だった。足は痺れたように感覚がなく、ほとんど力が入らない。

シェリィがそんなバードを必死に支える。

(ここで私の腕が抜けようとも腰が壊れようとも、何の後悔もないわ)

シェリィが渾身の力を込めて、バードを立ち上がらせる。

雪で滑る足元に力を入れ、踏ん張りながら一歩また一歩と眩い召喚陣へと近づく。凍りつきそうなほど寒い雪原の中にありながら、召喚陣からは風に乗って青々とした芝の香りが漂う。――その先に、シェリィとバードが今渇望する温もりがある。

馬車一台分ほどの距離しか離れていなかったが、シェリィにはとても遠く感じた。

召喚陣が開いていられる時間は長くない。

「シェリィ、急いでくれ!」

バシレオスが決死の形相で腕を差し伸べている。

今目の前にある召喚陣が、人間界にシェリィが無事戻れる最後のチャンスだと、バードには分かっていた。

だからこそ、バードがシェリィに呟く。

「シェリィ様、先に行ってください。間に合わなくなる前に……」

シェリィが首を左右に振る。

「私は絶対に、あなたを諦めないわ!」

シェリィはバードが自力で立てないために、ほとんど彼を引きずっていた。

バードの足でかき集められた雪が障害となり、なかなか前へ進めない。だがバシレオスも決して「バードを離せ」とは言わなかった。

シェリィの足も寒さで凍え、痺れるように痛んだ。布製の靴は脱げ、薄手のタイツ越しに踏む雪は、千の針のようだった。

だがバードと一緒に人間界へ帰るという強い意志で、力を振り絞って召喚陣の前まできた。

「俺の手を掴め!」

バシレオスの合図とともに、シェリィは左手を高く掲げて彼の腕にしがみついた。右腕でバードの体をしっかりと抱え、決して離れないように手の指を彼のローブに絡ませながら。

直後、シェリィとバードの体が雪原から召喚陣の中へと吸い込まれた。

召喚陣はシェリィが妖精界へきた時と同じく、中に入ると真っ暗だった。

しっかりとバシレオス達の術中に入ったのか、もう彼の手の感覚はないものの、わずかな光さえ拒絶するような漆黒の闇の中を、強烈な力で引っ張られていく。

穴の中を落下しているのか、もしくは上へと引かれているのか、そのどちらなのかわからないほどの虚無の空間を、流されている。

(パニックになる必要はないわ。身を任せていれば、きっと人間界に戻れるから)

暴れる方が不測の事態を招くと判断したシェリィは、バードを両腕で抱きしめた。

暗闇から抜け出た瞬間、シェリィは全身を強く何か硬いものに打ちつけた。

「いダァぁぁっ!!」

耳のすぐ近くで野太い悲鳴が上がり、次いで自分が燦々と降り注ぐ日差しの下にいることに気がつく。

(……召喚陣を、抜け出たのかしら?)

目を開ける前に、周囲の状況は明らかだった。

耳をつんざきそうなほどの歓声がすぐ近くから一斉に上がり、シェリィは自分の手のひらがチクチクする何か――おそらく芝生に押し付けられていることに気がついた。

凍える冷気の代わりに、全身に暖かな微風を感じる。

そして何より、体の下に硬くて熱い何かが――ここでやっと目が焦点を結び、シェリィは自分がどこに乗っているのかに気がついた。

シェリィの視界いっぱいに飛び込んできたのは、炎のような紅い髪と獅子のように逞しい顔の筆頭魔術師・ゴードンだった。その赤い瞳と目が合い、あまりの事態に喉が引き攣る。

異様に低い声が、ゴードンから発せられる。

「アンタ達。アタシを下敷きにしようなんて、恩を仇で返すつもり……?」

「ぎゃああああ! すみません!!」

召喚陣から飛び出たシェリィとバードは、目の前に立っていたゴードンに弾丸のように衝突したのだった。そのまま彼を張り倒し、二人で彼の筋骨隆々とした頑丈な肉体を下敷きにしていた。

ゴードンの肋骨の一本や二本を折ってしまってしても、おかしくはない。

慌ててゴードンの上から下りるシェリィを、膝をついて両腕を開いてそのまま抱きしめたのはバシレオスだった。

疲れ切って掠れた声で、バシレオスが呟く。

「よかった、シェリィ。召喚陣が消えた後に、急にそなたもいなくなっていて、どれほどゾッとしたか」

自分のせいで、二度も大技に挑ませてしまった。

バシレオスが自分の背中に回す腕が震えている。シェリィは彼がどれほど自分の身を心配し、全力を尽くしてくれたのかを知った。

「殿下、本当にありがとうございます。勝手ばかりして、申し訳ございません」

疲労困憊でこれ以上話すのがきつい、といった様子でバシレオスがシェリィに対し、頭を左右に振る。

バシレオスはシェリィに何か言う代わりに、彼女の頬に唇を押し付けてキスをした。冷たい頬に温もりが早く戻るよう、少し長めに。

顔を離してシェリィを見つめると、バシレオスは「俺から離れる勝手だけは許せんな」と呟き、彼女の唇も奪った。

「で、殿下……っ」

バシレオスは唇を離した直後、角度を変えてもう一度シェリィにキスをした。

時と場を忘れて脳内がうっとりとしそうになる二人に、ゴードンの不満げな声が掛かる。

「感動の再会は、その辺にしてくださいっ! このデカい黒髪の妖精を、アタシの上からさっさと下ろしていただきたいんですけどッ‼︎」

バシレオスとシェリィがハッと赤面しつつ、互いの顔を離す。

バシレオスから離れたシェリィは、バードがゴードンの上から下りるのを手伝った。

髪はぐちゃぐちゃになり、顔にかかっていた。バードは苦しそうに呼吸し、芝の上に座り込んでしまう。

立ち上がってから乱れた筆頭魔術師のローブを整えたゴードンが、バードを見て口を真ん丸にして独り言を言う。

「あらヤダ。近くでちゃんと見ると、めちゃくちゃイイ男じゃないの! ぶつかられて得した気分だわ」

頬をポッと赤らめてそこまで言った後で、ゴードンは急に顔を引き攣らせた。

「ちょっと待って。妖精さん、アンタ背中に大怪我をしてるじゃないの。さっき翼が取れたせいかしら」

ゴードンがバードの背後に回り込み、彼の肩に手を添えて背中を凝視する。

シェリィは二人を交互に見ながら、訪ねた。

「背中は触っても特に異常が見当たらなかったんですが……。多少痺れる程度で、痛みはないって」

「魔術の怪我は触ってもわからないのよ。でも肌は真っ赤になっているはずだわ」

「そんな。痛むの? バード」

「翼がもげると、魔術を無理に中断した時のような、後遺症が数日残るのです。大したことではありません」

シェリィを安心させようと、バードが青白い顔で微笑し、自分の乱れた服を整える。そんなバードの前に仁王立ちになったのは、ゴードンだ。彼はがっしりとした腰に両手を当て、ニッと笑った。

「強がっちゃって。翼がぜんぶ取れたらシャレにならないのに。実際はかなり痛むはずよ! アタシが魔術で治療してあげるから、医務室へ行きましょう。まずは着ているものを、全部脱いでちょうだい!」

「ゴードンさん、ありがとうございます! さぁバード、治療してもらいましょう」

シェリィが感激して礼を言う。

ゴードンが聖母のような慈愛に満ちた笑顔で、バードの肩を抱いて彼を立たせ、中庭を離れていく。

ホッと胸を撫で下ろすシェリィとは対照的に、どこか遠い目をしたバシレオスがポツリとつぶやいた。

「服って、全部脱がす必要あるか……?」

シェリィはバシレオスの呟きに対し、答えることはなかった。

従者たちを引き連れた中年の男性の存在に気がつき、彼が自分の方へまっすぐに歩いてきていたからだ。

その堂々たる歩みや貫禄もさることながら、顔立ちには見覚えがあった。バシレオスによく似ているのである。

シェリィは今更ながら自分が今靴すら履いていないことや、衣服が乱れていることに恥入りながらも、ドレスの裾を両手でつまみ、膝を折って深々と頭を下げた。

「皇帝陛下に拝謁いたします」

「そなたがくだんの令嬢が。やれやれ、とんだ嵐を呼んでくれたな」

呆れ切った口調には、怒りは感じなかった。

だがこんな騒ぎを起こして、皇帝が気分を害していないはずはない。ましてや、リンツ王国から来た彼の妃の一人が、十年前にバシレオスの暗殺未遂を犯したために、皇帝はリンツ王国が好きではないという。

(どう考えても私のことなんて、覚えが悪いに決まっているわ。もう、ここまで失態を見せてしまった以上、おとなしくリンツに帰るしかないわ)

シェリィはこれ以上自分の評判をあげることは到底不可能だと考えて、落ち込む気持ちのまま、頭をさらに深く下げた。

「申し訳ございません。長らく過分なお世話になりました。妖精のバードの治療が終わり次第、リンツ王国に帰国いたしますので、どうか今しばらくの滞在をお許しいただけませんでしょうか」

「ほぅ。それは困ったな。皇太子バシレオスはそなたを妃にするつもりでいるようなのだが。バシレオス、そなたフラれたようだぞ」

想定外の返事をもらい、シェリィが訝しげな顔をそろりそろりと上げていく。

皇帝の顔を窺う限り、不機嫌そうではない。むしろ少しおかしそうにバシレオスに向かって、小馬鹿にした視線を送っている。

バシレオスは芝の上に座り込んだまま、右手を大きく左右に振ってシェリィに言った。

「父上はもうそなたを追い出したりはしない。俺が魔術で連れ帰れたら、妃にしていいと約束してくださったんだ」

本当だろうか、とシェリィが狐につままれたような思いで皇帝に視線を戻す。すると彼は肩をすくめ、投げやりな笑顔を浮かべた。

「このバシレオスが女性に夢中になることなど、この先きっとないだろうからな。それに妖精王族を顎で使う令嬢など、二人といないだろう。何より、そなたを自分の息子の妃にしなかったことを、リンツ国王が将来猛烈に後悔する顔を見られるのが、今から実に楽しみだ」

どこまで冗談で、どこまで本気なのかわからず、シェリィは反応に窮した。

ガハハと豪快に笑う皇帝を無視し、バシレオスがシェリィの手を握る。

「帝国に残ってくれるだろう? そなたの父が安らかに眠れる場所も、ちゃんと用意する。だからそなたがいるべきは、リンツ王国のガレル州ではない。そなたは俺のそばにいるべきだ」

シェリィがバシレオスの頼みを断る理由は、何一つなかった。

感激して胸が詰まり、シェリィはすぐに口を開かなかった。そんな彼女の反応に不安を覚えたバシレオスが、もうひと推しだとばかりに続ける。

「そなたを妖精界から召喚したのはこの俺だ。どうか俺の守護妖精になってくれ」

シェリィがバシレオスの手を握り、微笑む。そうして少しおどけた口調で言った。

「お忘れですか? 殿下を先に召喚したのは、私の方ですよ」と。