作品タイトル不明
53 オーウェン
アンバーの妊娠は使用人たちが集められて医師から報告された。
皆が手に汗を握るような表情で聞いている。
「貴族のご婦人の妊娠で気をつけるのは栄養をとりすぎて本人が太りすぎたり赤ん坊が大きくなりすぎたりすることです。難産になりますからね」
料理人のコーディーが真剣に聞いている。
「難産は母子の命に直結します。アンバー様はお体が細い。大きすぎる赤ちゃんは危険です。なのであまり安静にしすぎても良くありません」
「難しい……」
コニーがつぶやく。
「普通で良いのです。ただ、伯爵様の場合は過労に気をつけて。何かあったら夜でも構いませんから私を呼んでください」
夕方になり、クリスティアンが帰宅して、ヘンリーからアンバーの妊娠を伝えられると、彼は無言でアンバーの部屋まで駆け上がり、ドアを気忙しくノックした。
「はーい」
「アンバー!聞いたよ!おめでとう!」
「ありがとう。驚いたわ。まさか私に子が授かるなんてね」
「れ、冷静なんだね」
「そうね。まだ確実ではないんですって。子に問題があれば流れてしまうらしいわ」
アンバーはがっかりしたくないのだ。
期待して期待してダメだった過去の経験が大喜びさせてくれない。
クリスティアンは机で帳簿を付けていたアンバーを背後からそっと抱きしめて彼女の頭に頬ずりしながら励ました。
「きっと大丈夫さ。君と僕の子供が生まれるなんて。生きているとたまには神様からご褒美が貰えるものだね」
そこで部屋の隅から声がかけられた。
「カーティス、お帰りなさい」
「あっ、母上、いらっしゃったんですね」
「ええ。いましたよ。私、アンバーさんに付き添うわ。これでも二人無事に産んだ女ですからね。何かしらお役に立てると思うの」
「え?ずっと?生まれるまで?」
「ええ。十月には生まれるんですもの、それまで王都にいることにしたの。あなたたちの邪魔をするつもりはないから安心して」
アンバーは本当の母のようなカーラにすっかり懐いていて、是非義母に近くにいてほしい、とクリスティアンに頼むのだが。
クリスティアンは目をパチパチさせ、
「僕は助かりますけど、良いのですか?」
と実家の父はどうするつもりかと心配した。
「エセルバートのことなら良いのです。カルヴィンもディアナもいるのですから。私がいなくても問題ないわ。それより」
カーラは老眼鏡をグイッと上げて
「第一王女殿下の肖像画を描かせていただいたそうね。聞いたわよ。おめでとう。もう一人前の画家になっていたのね」
と母の顔になった。
「はい。それもこれも行き倒れていた僕を助けてくれたアンバーやこの屋敷のみんなのおかげです」
カーラは息子とアンバーの二人を見て小さくうなずき、「全ては神の思し召しね」と編み物を再開した。秋に生まれてくる孫に履かせる靴下を編んでいる。
アンバーの妊娠は順調に進み、次第におなかも目立つようになった。使用人たちもクリスティアンも階段に付き添い食事に配慮して、とにかくやっと授かった命を守ることに専念した。
月日が流れ、アンバーは来月はお産という段になってやっと母になることに希望が持てた。自分のおなかに毎日「無事に生まれて」「あなたに会いたいわ」と素直に話しかけることができるようになった。
それを見るたびにマーサが涙を堪えている。
過去の赤ん坊に恵まれなかった頃のアンバーの話を聞いたカーラは、さほど妊娠を喜んでいるように見えなかったアンバーの心の痛みを思いやってこっそりとハンカチを目に当てた。
十月十八日
おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!
アンバーの寝室の前で行ったり来たりしていたクリスティアンが動きを止めてドアを睨む。
「旦那様、元気な男の子でございます」
報告に出てきたマーサを抱き上げてグルグルと回るクリスティアンにマーサは悲鳴をあげた。
「や、やめっ、やめてくださいましっ!」
「ごめんごめん。ああ……良かった……アンバーも無事なんだよね?」
「はい。もう少ししたらお呼びします。お待ちくださいませ」
長いこと待ちわびていた赤ちゃんの誕生に、オルブライト伯爵家は家中が沸きたった。
入室を許されたクリスティアンがベッドに駆け寄ると、汗で張り付いた髪さえも美しく見えるアンバーが穏やかに笑っていた。
「クリスティアン、私、母親になれたわ」
アンバーの隣に生まれたての真っ赤な我が子が泣き疲れて眠っていた。
「僕の息子……」
「ええ。素敵な名前をつけてあげてね?」
クリスティアンは両手で顔を覆ってしばし涙を堪えている。こんな幸せを手に入れられる人生は想像していなかった。どこかで行き倒れて死ぬのだろうと思いながら絵を描き続けていたのに、と思うとやはり涙が抑えられない。
指の間から熱い涙がしたたり落ちていく。
それを少し離れた位置から母カーラが涙を拭き拭き見ていた。彼女もまたこんな未来は想像していなかった。息子はとっくに死んだのだろうと思いながら神に祈り続けた日々を思い出していた。
赤ちゃんは落ち着いた濃い色の金髪と両親と同じすみれ色の瞳。体格は大きめだ。
「乳母も必要ですけど、母親のお乳も大切ですよ。最初のお乳は病気をしにくくするのですから」
カーラに言われるまでもなく熱を持つほど張り詰めた 乳房(ちぶさ) を赤ちゃんに含ませると、本能で赤ちゃんはコクコクと乳を飲んだ。
その様子を見ていたクリスティアンは猛烈な勢いでスケッチブックを持ってきてその様子を描き始めた。何枚も何枚も。
「クリスティアン、あの、私の胸が見える絵は恥ずかしいわよ」
「もちろんそこは隠すさ。君の美しい身体を他の男に見せたりしないよ」
「そ、そう?それなら良いんだけど」
クリスティアンはその夜から一番気に入った絵に油絵具を塗り始めた。
やっと手に入れた赤ちゃんに限りない愛を注ぐアンバーは神々しいほど美しく、クリスティアンは夢中で絵に向かい続けた。
息子はオーウェンと名付けられた。
クリスティアンの母方の祖父の名前だ。自分を無条件に愛してくれて、数少ない幸せな子供時代の記憶を持たせてくれた祖父。その優しい心根を受け継ぐようにと、その名をつけた。
「オーウェン。良い名前だわ」
微笑むアンバーはなんども赤ん坊に「オーウェン。私のオーウェン。ようこそ私の元へ」と話しかけた。