作品タイトル不明
52 カーラ来訪
二月二十四日
クリスティアンの母カーラが王都にやって来た。
たくさんの荷物が有るのだろうと思いながら出迎えたアンバーは、小さめの旅行鞄ひとつで馬車から降りた義母の姿に驚いた。
「夫のお金で買った物を持って家を出るのは筋が通らないと思いましてね」
アンバーが驚いているのを察したらしく、サバサバした口調でカーラは説明した。
「お義母様は内向きのことを取り仕切り、命がけで二人の息子を産んだのですもの、大きな顔で宝石もドレスも持ち出してもバチは当たりませんのに」
思わず本音を漏らしたアンバーにカーラは
「そう言われてみればそうだったわね」と笑う。
「まあ、王都はまるでお祭りのようね。最後に王都に来たのはクリスティアンを妊娠する前だから、かれこれ三十年以上も前のことなのよ」
「賑やかですよね。私は王都も好きですが、領地の田舎の空気も大好きです」
辺境伯領からここまでは馬車で六日かかる。馬車旅は疲れただろう。
「少し屋敷でのんびりなさいますか?それとも、王都見物をなさいますか?」
「見物したいわ!」
アンバーの予想に反してカーラは出かけたがった。それではということでアンバーは義母を案内することにした。
カーラは観光客向けの屋台で果実水と揚げ菓子を買い、ベンチで食べたいという。
「そんな物でよろしいのですか?」
「そんな物がいいの。私、こんなに自由な気持ちで外を歩いたのは初めてなの。何もかもが輝いて見えるわ」
(わかります!夫が出て行った日に私も同じような気持ちでした)
さすがにそれは口に出せず、うなずいて果実水を飲むにとどめた。
「アンバーさん、これを食べてごらんなさいな。美味しいわ!」
カーラが差し出したのはカリッと揚げて蜜をまぶした小麦粉の甘い菓子だった。手のひらで受け取って口に入れようとして、油の匂いが鼻についてウッと込み上げる吐き気を我慢した。
「お義母様、これ、油が古そうですわ。食べるのはやめたほうが」
「あら、そう?」
カーラは鼻先に菓子を当てて上品な仕草で匂いを嗅いだ。
「いいえ、古い油の匂いなんてしませんよ」
そこでカーラはハッとして
「アンバーさん、最後に月のものが来たのはいつです?」
と真剣な顔で尋ねた。
「えっ。いえ、お義母様、私、前の結婚では十一年の間、ついぞ妊娠はしませんでした。それはないかと」
「あらあら、何を言うの。子に恵まれないのが全て女の側に問題があるなんてのは男どもに都合のいい物語ですよ。男に問題がある場合だって少なくはないの。私の父は医者でしたからね。その辺の知識は嫌と言うほど娘時代に叩き込まれているわ」
「はあ……」
はてさて最後はいつだったか。ブランドンがいた時は几帳面に記録していたが、今はもう「子に縁がない」と諦めて何も記録していない。
「お恥ずかしい話ですが、よく覚えておりません。使用人がもしかしたらおぼえている、かも、ですけど」
言っていて赤くなる。
「参りましょう、オルブライト家に。もしこれがおめでたなら、二月の広場で風に当たってる場合じゃないわ」
「いえ、それは大丈夫かと」
「いいえ。ここであなたに何かあったら私、喉を突いて死んで息子に詫びねばなりません」
辺境伯夫人は言うことが勇ましすぎた。
「最後に始まったのは一月八日でございます。四十七日前でございますね」
マーサは紺色の表紙の小さな手帳を見ながら即答した。
「まあ、やっぱり!」
「いえ、辺境伯夫人様、アンバー様はお嬢様時代から不順でしたので、この程度の間隔が空くのはよくございました」
「そうなの?ああ、私のことはカーラと呼んでくれる?今は辺境伯夫人であることを忘れたいの」
「かしこまりましたカーラ様」
そこでやっとアンバーが口を挟んだ。
「マーサ。ちょっと尋ねたいんだけど、あなたいつから私のことを、その、手帳に?」
「最初からでございます。かれこれ二十年近くなりますが」
絶句しているアンバーにマーサは「侍女なら当然のことでございますから」と胸を張る。
カーラはマーサの前にハンカチで包んで持ち帰った揚げ菓子を差し出した。
「アンバーさんはこれの油の匂いが気持ち悪いって言うのよ。あなたはどう思う?」
「失礼いたします」
マーサは丁寧に匂いを嗅いで
「油の質は悪くございませんね。いい匂いです」
そう言ってから突然シャキン!と背筋を伸ばし「医者を呼ばせます!」と部屋を小走りで出て行った。
アンバーは憂鬱だ。
義母には悪いがこのくだりは過去に五回は経験している。どれも全てぬか喜びで終わり、皆ががっかりしながらも自分を慰めて終わるところまでがコースなのだ。
「まずは着替えましょう。コルセットは付けているの?」
「いえ」
「それなのにそんなに細いの?もう、どうしましょう」
アンバーはくすぐったい。嫁と姑とはいがみ合うものかと思っていたが、カーラの心配ぶりは実の母親のようで、なんとなく甘えたくなってしまう。自分を産んでくれた母には甘えられなかったというのに。
「アンバーさん。まずは水分。お酒とお茶はだめよ。白湯を飲みましょうか」
「はい」
「少し甘くする?」
「はい、お義母様」
カーラは自分で用意するつもりらしく部屋を出て行った。
一人になったアンバーは、自分のぺったんこなおなかをそっと撫でて(本当に赤ちゃんがいたらいいのにね)と苦笑する。
期待はしていない。期待するにはがっかりした経験が多すぎた。
うっすら甘い白湯を飲み、やがて医者がやって来てアンバーの寝室で診察が行われた。過去に五回も「残念ながら」と告げた医師は何の表情も浮かべずにアンバーを診察した。
衣服を直して「お手数をおかけしました」と苦笑混じりに礼を言うアンバーに年配の医師は背筋を伸ばして
「おめでとうございます。ご懐妊です。順調にいけば十月の半ばにはご出産となりましょう」
と告げた。
頭が真っ白になって言葉が出ないアンバーに老医師は
「しかしながら」と言葉を続けた。
「まだ妊娠して二ヶ月。不安定な時期でございますので確実ではありません。のちほどゆっくりと今後の体調管理についてご説明いたします」
医師が出て行くとカーラがアンバーに話しかけてきた。
「屋敷に入るときに気がついたけれど、庭に星花草が植えてあるのね。昔、カーティスが胃の痛みを訴えたときに何度も煎じて飲ませたわ。今思うと十五やそこらの子供が胃痛を訴えるなんて普通じゃなかったわ。それでね、あれはつわりにも効くのよ。今度煎じてあげるわ」
ああ、だからクリスティアンは星花草を知っていたのか、とびきり苦いあれを飲まなくてはならないほど十五歳の彼は苦しかったのか、と初めて顔を合わせた日のことをアンバーは懐かしく、そして切なく思った。