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作品タイトル不明

34 エレン・エックルズの考え

「なんてこと。あなたがよりによって辺境伯家の長男て。しかもあの馬鹿正直なマシューと顔見知りだったなんて。たしかにあいつなら良かれと思って辺境伯家に報告するわよ。無駄に正義感が強いもの」

「エレン、クリスティアンのご両親はご自分たちの行動を後悔していると思う?」

「百パーセントの自信があるわけじゃないけど、母親はともかく父親はその可能性は低いように思う。これは私見だけど、人間は三十歳を超えてガラリと考えが変わることって、まずないと思ってる。自分が正しいと信じてきたことを否定するのは、今までの自分の人生を否定するに等しい行為だもの。今もクリスティアンを取り戻せるなら取り戻したいんじゃないかしら」

「僕が家を出た時、父は四十三歳、母は四十二歳だった。今は五十五歳と五十四歳か」

「まだまだ気力は衰えていない年齢ね。むしろ脂がのってるとも言えるわ。アンバー、辺境伯家に直接あなたが連絡を取るのはやめたほうがいいわ。そうね……私、知り合いに若いけど腕の立つ法律家がいるの。その人を頼ってみようと思う。彼に連絡を取るから待っていて」

二月六日

『春の女神』のお披露目から一週間。

クリスティアンのところに肖像画の依頼が三件と絵姿の依頼が八件も寄せられた。依頼者全員が『春の女神』のお披露目会に参加した貴族たちだ。

クリスティアンは画家としての成功の足掛かりを得た。

エレンの方も気になるが、アンバーは「勢いは大切よ」とクリスティアンを依頼主の元へと送り出した。アンバーはクリスティアンが言っていた『汚い手』のことが忘れられない。

彼は身元を隠して生きてきた。

後ろ盾を持たなかった十六歳の彼が、絵の才能だけを手にして生きてきた時間を思うと、少年だった彼がどんな経験をしてきたか、多少は想像がつく。

これ以上彼に人に話しにくい過去を持たせたくない、と思う。『人間は不幸を乗り越えて成長する』と世間の人は言うけれど、無ければ無い方がいい不幸というのもまた、この世にはたくさん存在するはずだ。

アンバーは絵本専門店に並べる本を買い集めながら、ふとした時間にそんなことを考えていた。絵本は新品もあれば古書店で見つけた中古品もあった。中古の本は傷だらけの物もあれば大切にされて新品のような状態の物もある。傷だらけの絵本がクリスティアンの過去に重なって見えて切なくなる。

エレンからの報告を待ちながら、気に入った作品があればその作者に新しい絵本を作らないかと誘いの手紙を出した。文章も絵も一人でこなす絵本作家もいれば、絵と文を分担している場合もあった。

あちこちに手紙を書きながら、アンバーはエレンの連絡を待った。

クリスティアンは共に夜を過ごしたあの日以来、帰って来られる日は帰ってくるようになり、二人で会話する時間が増えた。

「あなたはヒューズ家の壁画の時、なぜこの家を出たの?」

どうしても知りたくてもう一度尋ねたアンバーに、少し困った顔をしたクリスティアンがやっと答えてくれた。

「いずれ自分はこの家を出なくてはと思っていたからね。君をこれ以上好きにならないよう、距離を置いておきたかったんだ」

「そうだったの……」

アンバーは胸の奥の柔らかな熱に思わず顔を綻ばせた。

そんなほんわかしているアンバーの元に、翌日、エレンとマシューと一人の男性が訪れた。

二月七日

黒縁の眼鏡をかけた暗い茶髪の男が自己紹介した。

「わたくし、法律家のデニス・アシュトンと申します。法律に関わる問題の解決を仕事にしております。エックルズ様よりクリスティアン・アンカーソン様のお話を伺いまして、法的に問題のない形にまとまるようお手伝いさせていただきます」

「アンバー。私はクリスティアンとあなたが法的に失策を犯す前に彼の力を使うべきだと思うの。彼は出版に関してお世話になってる人。腕利きよ」

「エレン、俺はそんなややこしいことをする必要は無いと思うがな」

「マシュー、そう言うと思ったからあんたも連れてきたのよ。いい?私の話をよく聞きなさい」

エレンが自分の考えを説明した。

「クリスティアンは失踪して十二年も経っているわ。そこで、彼からご両親に廃嫡を希望する手紙を書いてもらう。廃嫡してくれたら今後顔合わせに応じることを条件にするの。クリスティアンが無事なことを本当に喜ぶ親なら受け入れるはず。受け入れれば十二年ぶりに愛する息子に会えるんだから」

「ふむ。それで?」

「息子の意思を無視してクリスティアンを取り戻そうとするなら、辺境伯は話し合いに行ったデニスを部下に尾行させるはず。で、そこであなたの出番よ、マシュー」

「尾行がついてるかどうか俺が見張るのか?」

「そう。できる?」

「俺を誰だと思ってるんだ。最前線で戦う部隊の中隊長だったんだぞ。尾行が付いて来てるかどうか見分けるなんて朝飯前だ」

「見分けるだけじゃないわ。場合によっては戦う必要がある。辺境伯領の精鋭とね」

「エレン、待って。前辺境伯様が息子を強引に取り戻そうとした場合、クリスティアンはどうすればいいわけ?」

「それについては私がご説明します。廃嫡に同意してもらえない場合は戸籍からの離脱をクリスティアン様に申請していただきます。手続きは面倒ではありますが、法的に手落ちのない形で辺境伯家から抜けられます」

「じゃあ最初からその手続きをすればいいのでは?」

クリスティアンの疑問にデニスは淡々と反論した。

「そういうことをなさる方もたまにいらっしゃいますが、大抵の場合、親の側の感情がこじれて余計に厄介な事態になりますね。ましてや辺境伯というお立場ならこちらの正式な手続きをも妨げることができるかもしれません」