作品タイトル不明
25 貸切の日
一月二日
いつもより早く目が覚めたアンバーが食堂に入ると、乗馬服姿のクリスティアンがお茶を飲んでいた。
「おはようアンバー。朝食を済ませたら出かけよう」
「えっ、もう?」
「うん」
相変わらず行き先は言う気がなさそうなクリスティアンに苦笑して、アンバーは軽く朝食を食べると彼に 倣(なら) って乗馬服に着替えた。
二人でそれぞれ馬に乗り、出発した。
行き先は森の方らしいことがしばらくしてわかった。
昼前には森の深い場所に着いた。
「ここは?」
「素敵な場所を目指しているんだ。ここからは馬を引いて歩こう」
そう言ってクリスティアンは歩きだした。アンバーも馬を降りて愛馬を引いて歩く。草が茂って消えかかっているが、まるで獣道のような細い道がある。枝が伸びているから馬に乗ったままでは通るのは確かに無理そうだ。
やがて急に景色が開け、石積みの小さな建物が現れた。
木こりや炭焼人夫の小屋にしては洒落ている。
クリスティアンは馬たちを近くの木に繋ぎ、ポケットから古風な鍵を取り出すとドアの鍵穴に差し込んでカチリと回してドアを開けた。
「まあ……」
仕切りのない室内は思いの外広々している。
室内の壁は無垢の板が貼られ、部屋の中央に外壁と同じ石を積んだ暖炉がある。小さなテーブルと椅子が二脚、ベッドには埃よけらしい白い布がかけられている。
「ここはいったい……」
「ここは僕の知り合いが使っていた家」
「こんな森の中で?」
「そう。その人は年老いたレディで、僕が放浪している時に助けてくれた人。春と秋は過ごしやすいと言って、気に入っていたんだ。でも彼女はもう神の庭に行ってしまったよ。僕は彼女の遺言でここを貰ったんだ」
そう言って立ち上がり、外に出て窓を覆う板を持ち上げてつっかえ棒をし、 庇(ひさし) 代わりにすると、室内に戻り暖炉に向かう。
松ぼっくりに着けた種火をだいじに育てて薪を組み、火を大きくしている。やかんを台所から持ち出して外に行き、水を汲んで戻ってきた。
「井戸があるの?」
「いや、少し離れた場所にきれいな沢がある。足場も作ってあるんだ」
暖炉の中の吊るし鈎にやかんを引っ掛け、今度はティーポットとカップ二つを手に持って出ていこうとするので、アンバーもくっついて行った。
小屋からほど近い場所に細い沢が流れていて、石で組んだ足場にかがみ込んでクリスティアンが茶器を洗っていた。あたりにはお茶にできそうなハーブが何種類も立ち枯れているのに気づく。おそらく小屋の住人が育てていたのだろう。春になってこれらが再び茂る頃にまた来てみたいと思った。
小屋に戻るとちょうどお湯が沸いていた。缶に入った茶葉をお湯で温めたポットに入れている。
クリスティアンが淹れた熱いお茶は冷えた体を温めてくれた。暖炉の薪も勢いよく燃えだして柔らかい熱が室内を暖めてくれている。
クリスティアンは籠からローストチキンの塊とパン、マスタード、野菜を取り出して料理を始めた。
「切るところから?できたものを持ってくる事もできたでしょう?」
「せっかく君を貸し切りにしたんだもの。僕が作ってあげたいんだよ。それにこのくらいは料理のうちに入らないよ」
「料理もできるのね?」
「凝ったものはできないけれどね」
やがて鍋で煮込まれた野菜スープとローストチキンとパンの昼食が出来上がった。
「さあ、食べよう」
「美味しそう」
外から野鳥の声が聞こえる。耳を澄ますとかすかに沢の水音も聞こえてきた。ゆっくり食べながら自然の音に聴き惚れた。
「美味しかった。片付けは私がやるわね」
「だめ。僕がやる。君は暖炉の前で休んでいてほしい」
「そう?ありがとう」
花の妖精が屋敷に訪れた時に気づいたが、心身の疲れが少々溜まっている。なので大人しく言うことを聞いて暖炉の前に椅子を運んで火を眺めることにした。
やがてクリスティアンが戻ってきて暖炉の前に来ると、椅子には座らず暖炉の前の分厚いラグの上に直接座り込んだ。アンバーの椅子のすぐ隣、手を伸ばせば届く低い位置に金色のツヤツヤした髪がある。アンバーはその髪に触れてみたくなった。
そっと手を伸ばして触れると、髪が外気で冷たくなっていた。冷えた髪をついつい撫でてしまう。髪に触れているとクリスティアンが顔を上げてアンバーを見る。
「あの絵、気に入ってくれた?」
「ええ!とても」
「微笑んでいる君を描きたかった。君を描こうとすると悲しげな雰囲気が出てしまって、何度も描き直したんだ」
言われた言葉を理解するのに少し時間がかかった。
「悲しげ?私が?」
「うん。時々とても悲しそうな雰囲気が滲み出てる」
「それは……夫が侍女と出て行ったという噂を聞いてから私に会ったからでは?今の私は充実していて幸せよ?」
「そうか。それなら僕の勘違いかな。ごめん」
あっさり引き下がられて逆にモヤモヤする。
「ワインを持ってきたんだ。飲もう」
「でも、すぐに日が暮れるわ。冬だもの、あっという間に暗くなる。ワインを飲む時間は……」
「だめだよ。丸一日君を貸し切るって約束したじゃないか。まだ半日しかたってない。丸一日なんだから明日の朝が貸し切り期限だ」
「……ここに泊まるってこと?」
少し間が空いてから間抜けなことを聞いてしまった。
「そうだよ。ベッドはひとつしかないから僕は暖炉の前で眠る」
「どうして?家に帰ればいいじゃない」
「いやだ。家に帰ると君はみんなのものになる。独り占めできないじゃないか。僕は君を独り占めしたい。ヘンリーには泊まりだと言ってある」
いまだかつて自分は『独り占めしたい』なんて言われたことがない。恋愛をしたことはなかったし、結婚も一度しかしてないからあれが普通だと思っていたけれど。
クリスティアンの放った「独り占めしたい」のひと言で『普通』だと思っていた自分の結婚生活が急に色を失って見える。夫との終わり方はともかく夫婦として暮らした日々は普通かな、と思っていたのに。
「そうね。丸一日ですものね。ここに泊まりましょう」
「いいの?怒ってない?」
「怒ってなんかいないわ。それに、独り占めされるのもいいかなって。私、独り占めなんてされたことないもの」
「変なこと言うね。そんなわけないじゃないか」
クリスティアンが苦笑している。