軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その照会先に、私の名前は要りません

翌朝。

旧専属調整任務(きゅうせんぞくちょうせいにんむ) の最終整理が終わった、次の日。

日程室の予定表には、いつもの仕事が並んでいた。

式典導線確認(しきてんどうせんかくにん) 。

使節団到着時刻調整(しせつだんとうちゃくじこくちょうせい) 。

王宮楽団(おうきゅうがくだん) 控室(ひかえしつ) 変更。

ノエルは、三つ目の予定に小さな印をつけた。

「王宮楽団の控室変更は、午後の 王妃陛下(おうひへいか) 鑑賞会(かんしょうかい) に関係しますね」

「はい」

私は予定表を開いた。

「 楽器搬入(がっきはんにゅう) 、廊下の通行、控室の 湿度(しつど) 、 王族導線(おうぞくどうせん) 。小さい変更に見えて、関係部署は多いです」

ノエルは 頷(うなず) く。

「小さい変更、ではなく」

「変更です」

「はい」

ベネット 卿(きょう) が 決裁印(けっさいいん) の箱を開けながら言った。

「小さい、急ぎ、念のため。三つ揃えば、だいたい危ない」

ノエルが真面目に控えた。

午前八時四十分。

王妃陛下秘書官室(おうひへいかひしょかんしつ) から 封書(ふうしょ) が届いた。

ノエルが 受付簿(うけつけぼ) を開く。

「 差出部署(さしだしぶしょ) 、王妃陛下秘書官室。件名、王妃陛下午後鑑賞会に関する導線確認について。受付印あり。 回議番号(かいぎばんごう) あり。 封緘(ふうかん) あり」

ベネット卿が封緘を確認し、開封する。

文面は短かった。

本日午後、王妃陛下の 小鑑賞会(しょうかんしょうかい) を予定。

王宮楽団より、控室変更の可能性あり。

日程室は、日程および導線上の確認に限り対応すること。

確認事項。

一、控室変更が王妃陛下導線と交差しないこと。

二、 楽器搬入経路(がっきはんにゅうけいろ) が使節団到着導線と重ならないこと。

三、 施設管理局(しせつかんりきょく) 、 王宮警備局(おうきゅうけいびきょく) 、 王宮楽団事務局(おうきゅうがくだんじむきょく) の責任者が明記されていること。

四、職員個人名または 規定制定経緯(きていせいていけいい) を理由とする個別照会を行わないこと。

私は四つ目で手を止めた。

職員個人名。

規定制定経緯。

昨日まで閉じてきた線が、今日の通常業務にも入っている。

「今日の主眼は」

ベネット卿が尋ねる。

「控室変更の導線確認と、 個人宛(こじんあて) 照会の防止です」

「王宮楽団は何を出してくる」

「善意で、間違える可能性があります」

「だろうな」

ベネット卿は淡々と頷いた。

「悪意より、善意の近道の方が通りやすい」

午前九時五分。

王宮楽団事務局から封書が届いた。

ノエルが受け取る。

「差出部署、王宮楽団事務局。件名、午後鑑賞会における控室変更照会。受付印あり。回議番号あり。封緘あり。宛名は 王宮儀典日程室統括官(おうきゅうぎてんにっていしつとうかつかん) 」

宛名は、日程室。

問題ない。

けれど、開封して一枚目を見た瞬間、私は指を止めた。

王宮楽団事務局より、王宮儀典 日程室主任調整官代理(しゅにんちょうせいかんだいり) リディア・クラウゼン嬢へ。

王宮文書取扱規定補則第八《おうきゅうぶんしょとりあつかいきていほそくだいはち》の制定実務に携わられた同嬢の見解を仰ぎたく、以下の控室変更について確認を願いたい。

午後鑑賞会において、 弦楽器(げんがっき) の湿度保持のため、控室を西控室二から 東廊下小広間(ひがしろうかしょうひろま) へ変更したい。

変更希望時刻、午後二時。

使用人数、十二名。

搬入楽器、弦楽器一式。

以上。

薄い照会だった。

悪意はない。

けれど、線は越えている。

「分類しなさい」

ベネット卿が言う。

「王宮楽団事務局発、午後鑑賞会における控室変更照会です」

「問題は」

「照会先の指定です。外封筒の宛名は日程室ですが、本文では私個人へ見解を求めています。また、補則第八の制定実務に携わったことを照会理由にしています」

「導線は」

「東廊下小広間は、王妃陛下導線および使節団到着導線に 近接(きんせつ) します。施設管理局および王宮警備局の確認がありません」

「費用は」

「記載なし。湿度保持のための器具搬入があるなら、施設管理または楽団側の負担元確認が必要です」

ノエルが受付簿の余白に、細い仮欄を作った。

照会先区分(しょうかいさきくぶん) 。

部署宛。

役職宛(やくしょくあて) 。

個人宛。

制定経緯由来(せいていけいいゆらい) 。

判断権限有無(はんだんけんげんうむ) 。

戻し先。

線は細いが、迷いはなかった。

「返案を起案しなさい」

「はい」

私は羽根ペンを取った。

王宮楽団事務局宛て。

午後鑑賞会における控室変更照会について。

本件は、王妃陛下午後鑑賞会に関する控室変更および導線確認案件である。

日程室は、日程および導線上の確認に限り対応する。

ただし、貴局照会本文において、王宮儀典日程室主任調整官代理リディア・クラウゼン個人への見解照会、および王宮文書取扱規定補則第八の制定実務に携わったことを理由とする個別照会が含まれている。

職員個人名または規定制定経緯を理由とする判断照会は不可。

照会先は、王宮儀典日程室とすること。

また、控室変更について、以下の記載および確認を要する。

一、変更理由。

二、使用人数。

三、搬入楽器および搬入量。

四、搬入経路。

五、使用開始時刻および退出予定時刻。

六、王宮楽団側責任者。

七、施設管理局確認。

八、王宮警備局確認。

九、王妃陛下秘書官室導線確認。

十、費用または器具使用が発生する場合の負担元。

東廊下小広間への変更については、王妃陛下導線および使節団到着導線との交差可能性があるため、上記確認のないまま使用可否を判断することはできない。

修正のうえ、王宮楽団事務局名義にて再提出されたし。

以上。

王宮儀典日程室統括官。

ベネット。

起案、実務担当。

王宮儀典日程室。

主任調整官代理。

リディア・クラウゼン。

書き終える。

ベネット卿が文面を読む。

「よい」

「はい」

「個人名を消したのではないな」

「はい。照会先から外しました」

「判断は」

「日程室に戻します」

ベネット卿が欄外に記す。

日程室確認済。

統括官決裁印(とうかつかんけっさいいん) が押された。

午前九時三十二分。

ノエルが封緘する。

王宮楽団事務局へ正本。

王妃陛下秘書官室、施設管理局、王宮警備局へ写し。

搬送者、ノエル。

ただし、施設管理局および王宮警備局への写しは、午前十時の 午後鑑賞会導線小回議(どうせんしょうかいぎ) に接続する扱いとし、ノエルは王宮楽団事務局へ正本を搬入したのち、秘書官室の連絡窓口で 配布束(はいふたば) への接続を確認する。

「走るな」

「はい。急ぎますが、走りません」

ノエルは早足で出ていった。

午前十時六分。

ノエルが戻ってきた。

「王宮楽団事務局への正本受領印あり。王妃陛下秘書官室、施設管理局、王宮警備局への写しは、十時の導線小回議配布束へ接続済みです。秘書官室受付簿上で確認しました」

「よろしい」

ベネット卿が頷く。

ノエルは少しだけ口元を引き結んだ。

「王宮楽団の書記官が、クラウゼン様に伺うのが早いと思いまして、と言いかけました」

「どう返した」

「早い照会先ではなく、正しい照会先へ、と」

「余計な説明は」

「していません」

「よろしい」

私は控えを見る。

正しい照会先。

新しい線は、もう使われている。

午前十時四十分。

施設管理局から通知が届いた。

午後鑑賞会における控室変更について。

東廊下小広間は、王妃陛下導線に近接し、同時刻帯に使節団到着時の控え導線とも交差するため、使用不可。

代替案。

南控室二。

湿度保持器具使用可。

搬入経路、南廊下搬入口より。

搬入可能時刻、午後一時四十分から午後一時五十五分まで。

施設管理責任者、南棟管理主任。

費用負担元、王宮楽団事務局。

私は最後の二行に触れた。

責任者。

費用負担元。

そこまで置かれて、ようやく変更は紙になる。

午前十一時十分。

王宮警備局からも通知が届いた。

午後鑑賞会における控室変更について。

東廊下小広間、使用不可。

理由、王妃陛下導線および使節団到着導線との近接。

南控室二、条件付き使用可。

条件。

一、楽器搬入は午後一時四十分から午後一時五十五分まで。

二、奏者移動は午後二時五分以降。

三、王妃陛下導線通過時刻、午後二時十分から午後二時十五分の間、南廊下通行停止。

四、楽団側責任者を一名配置。

ノエルが、その条件を控える。

「時間が細かいですね」

「導線ですから」

「五分でも、交差しますね」

「はい」

ノエルは、予定表の午後一時四十分から午後二時十五分までを、細い線で区切った。

午前十一時四十分。

王妃陛下秘書官室から、中間承認が届いた。

王宮楽団事務局の控室変更照会について、日程室返案、施設管理局通知、王宮警備局通知を踏まえ、王宮楽団事務局へ修正を求める。

本日午後一時二十分までに修正版を提出すること。

日程室は、修正版の導線および手順確認のみ行うこと。

なお、職員個人名または規定制定経緯を理由とする個別照会を行わないことを再確認する。

午後一時二十分。

今日の赤線は、鑑賞会の前に引かれた。

正午。

私は 文官携行食(ぶんかんけいこうしょく) を食べた。

無塩(むえん) の 硬餅(かたもち) 。

乾燥果実。

水。

ノエルは机上の公文書を避け、自分の席で硬餅を 齧(かじ) っていた。

「近道を探す紙は、もう通りませんね」

ノエルが、硬餅を見つめたまま呟いた。

「はい」

私は水を飲んだ。

「線の上だけを、歩かせます」

食後、水場で指先と口元を洗い、 麻布(あさぬの) で拭き、机を 刷毛(はけ) で払う。

午後一時十分。

王宮楽団事務局から、修正版が届いた。

持ってきたのは、王妃陛下秘書官室の持参書記官だった。

直接持ち回り。

午後一時二十分の期限に合わせ、日程室の確認印をその場で回収するためだ。

ノエルが受付簿を開く。

「差出部署、王宮楽団事務局。経由、王妃陛下秘書官室。件名、午後鑑賞会における控室変更修正版。回議番号あり。 回議板(かいぎばん) あり。先行部署、施設管理局および王宮警備局確認印あり」

封緘ではない。

回議板の上には、施設管理局と王宮警備局の印が並んでいた。

ベネット卿が読む。

私も横で確認する。

王宮楽団事務局。

午後鑑賞会における控室変更修正版。

照会先、王宮儀典日程室。

職員個人名による見解照会、なし。

規定制定経緯を理由とする照会、なし。

変更理由、弦楽器の湿度保持。

変更先、南控室二。

使用人数、十二名。

搬入楽器、弦楽器一式。

搬入経路、南廊下搬入口。

搬入時刻、午後一時四十分から午後一時五十五分。

奏者移動、午後二時五分以降。

通行停止、午後二時十分から午後二時十五分まで、南廊下。

王宮楽団側責任者、楽団事務長補佐。

施設管理局確認、済。

王宮警備局確認、済。

王妃陛下秘書官室導線確認、要最終承認。

費用負担元、王宮楽団事務局。

照会先区分。

部署宛、可。

役職宛、不要。

個人宛、不可。

制定経緯由来、不可。

判断権限、日程および導線確認に限る。

戻し先、王妃陛下秘書官室指定窓口。

私は、照会先区分の欄を見た。

個人宛、不可。

制定経緯由来、不可。

悪意のない近道が、そこできちんと止まっていた。

「問題は」

ベネット卿が尋ねる。

「ありません。変更先は南控室二へ修正。施設管理局、王宮警備局確認済み。費用負担元、責任者、搬入時刻、通行停止時刻あり。照会先は日程室に修正され、個人宛および制定経緯由来の照会は不可とされています。手順上、異議なしです」

ベネット卿は確認票へ印を押した。

日程室異議なし。

持参書記官は一礼し、回議板を抱えて廊下へ戻っていった。

午後一時二十分。

王妃陛下秘書官室から、控室変更承認控えが届いた。

王宮楽団事務局控室変更、承認。

使用控室、南控室二。

搬入時刻、午後一時四十分から午後一時五十五分。

奏者移動、午後二時五分以降。

南廊下通行停止、午後二時十分から午後二時十五分。

王妃陛下導線と交差なし。

使節団到着導線と交差なし。

職員個人名による照会、不可。

規定制定経緯を理由とする照会、不可。

私は予定表へ記入した。

午後鑑賞会。

王宮楽団控室、南控室二。

搬入、一時四十分。

奏者移動、二時五分。

南廊下通行停止、二時十分から二時十五分。

午後一時四十分。

楽器搬入開始。

予定表の上で、時間が動く。

午後一時五十五分。

搬入終了の報告が、王宮楽団事務局から届いた。

南控室二、使用開始。

施設管理局立会い済み。

警備局巡回済み。

午後二時五分。

奏者移動開始。

午後二時十分。

南廊下通行停止。

午後二時十五分。

通行再開。

午後二時二十分。

王妃陛下秘書官室から、導線完了通知が届いた。

王妃陛下導線、予定通り通過。

王宮楽団控室変更による支障なし。

使節団到着導線、支障なし。

私は確認印を押した。

普通の仕事が、普通に終わった。

それだけなのに、少し息が深く入った。

午後二時四十分。

法務官室から、補則第八運用細則追加案が届いた。

追加欄。

照会先区分。

部署宛可否。

役職宛可否。

個人宛可否。

制定経緯由来照会可否。

判断権限有無。

戻し先。

所管部署。

ノエルが、手元の下書きへ静かにペンを走らせた。

「本人関与可否欄の後ろに、照会先区分を置きます」

「また広くなりますね」

「はい」

「何のために」

ノエルは少し考えた。

「早く聞ける人ではなく、答えてよい場所へ戻すためです」

ベネット卿が横から言った。

「悪くない」

ノエルが真顔で姿勢を正した。

午後三時。

王妃陛下秘書官室から、補則第八運用細則の追加通知が届いた。

以下の項目を追加する。

照会先区分。

部署宛可否。

役職宛可否。

個人宛可否。

制定経緯由来照会可否。

判断権限有無。

戻し先。

所管部署。

規定制定経緯、仮運用担当、過去の起案担当、実務経験等を理由として、職員個人へ判断照会を行ってはならない。

私は、その最後の一文を視線でなぞった。

最高中枢のインクによって刷られた文字が、提出された照会文の末尾を、冷徹に固定していた。

午後三時半。

私は、補則第八施行三日目報告を起案した。

王妃陛下秘書官室宛て。

王宮文書取扱規定補則第八施行三日目報告。

本日、王宮楽団事務局の控室変更照会において、照会先区分欄を試用。

適用件数、一件。

効果。

一、職員個人名および規定制定経緯を理由とする見解照会を差し戻し。

二、照会先を王宮儀典日程室へ修正。

三、施設管理局、王宮警備局、王妃陛下秘書官室の確認を経て、控室変更を処理。

四、王妃陛下導線および使節団到着導線との交差を防止。

課題。

規定制定経緯、仮運用担当、過去の起案担当、実務経験等を理由に、職員個人へ判断照会が向けられやすい。

追加提案。

補則第八運用細則に「照会先区分」項目を追加することを提案する。

照会先区分欄では、部署宛可否、役職宛可否、個人宛可否、制定経緯由来照会可否、判断権限有無、戻し先、所管部署を記載する。

以上。

王宮儀典日程室統括官。

ベネット。

起案、実務担当。

王宮儀典日程室。

主任調整官代理。

リディア・クラウゼン。

ベネット卿が読み終える。

「よい」

統括官決裁印が押された。

午後三時五十分。

ノエルが封緘する。

王妃陛下秘書官室へ正本。

法務官室、王宮楽団事務局、施設管理局、王宮警備局へ写し。

搬送簿に記録。

午後四時。

施行三日目報告は、午後連絡便に乗った。

夕刻。

予定表を閉じる前に、私は私的な覚え書きの欄へ書いた。

照会は、知っていそうな人ではなく、答える権限のある場所へ届かなければならない。

羽根ペンを置く。

窓の外では、夕暮れの光が王宮の壁を淡く染めていた。

昔の私は、よく名指しされた。

クラウゼン嬢に聞けば早い。

クラウゼン嬢なら分かる。

クラウゼン嬢が前にもやっていた。

その言葉は、信頼に似ていた。

便利にも似ていた。

でも、便利な名前は、すぐに窓口になる。

窓口になった名前には、休みがない。

担当外も、例外も、急ぎも、念のためも、全部そこへ来る。

だから、戻す。

部署へ。

役職へ。

所管へ。

回議番号へ。

答えてよい場所へ。

私の名前は、近道ではない。

ノエルが受付簿を棚へ戻す。

ベネット卿が決裁印をしまう。

日程室には、今日も紙の音だけが残った。

私は、予定表の最後を見た。

王宮楽団控室変更。

完了。

導線支障なし。

その下には、明日の予定。

庭園式典雨天案確認。

王妃陛下茶会配席調整。

南門修繕中の来客導線変更。

いつもの仕事。

私の仕事。

誰かの過去を閉じるためではなく。

誰かの感謝を受け取るためでもなく。

明日の王宮を、間違えずに動かすための仕事。

私は予定表を閉じた。

クラウゼン嬢へ。

そう書かれた照会は、もう私の机には置かない。

王宮儀典日程室へ。

そう書いてください。

私ではなく。

答えてよい場所へ。