作品タイトル不明
殿下、その反省は記録で示してください
翌朝、日程室の 受付簿(うけつけぼ) には、また新しい欄が増えていた。
個人宛(こじんあ) て表明可否。
昨日の仮運用初日報告を受け、 王妃陛下秘書官室(おうひへいかひしょかんしつ) から、夜のうちに仮承認が下りた欄だった。
謝意(しゃい) 。
謝罪(しゃざい) 。
反省(はんせい) 。
慰労(いろう) 。
感謝。
弁明(べんめい) 。
それらが、特定の誰かへ向いていないか。
誰かに受け取りを強制していないか。
許しを求める形になっていないか。
欄は、そこを見るためにある。
ノエルは、朝から何度もその 罫線(けいせん) を指でなぞっていた。
「消えませんね」
「何がですか」
「謝罪、という字です」
私は少しだけ黙った。
「消えなくていいのだと思います」
ノエルが顔を上げる。
「欄にある限りは、扱えます」
自分で言って、胸の奥が小さく痛んだ。
扱える。
そう。
言葉は、欄に入れば扱える。
けれど、心に刺さったものは、まだ時々、紙からはみ出す。
午前八時五十分。
王妃陛下秘書官室から 封書(ふうしょ) が届いた。
ノエルが受付簿を開く。
「 差出部署(さしだしぶしょ) 、王妃陛下秘書官室。件名、引用区分欄および個人宛て表明可否欄の仮運用継続について。受付印あり。 回議番号(かいぎばんごう) あり。 封緘(ふうかん) あり」
ベネット 卿(きょう) が開封する。
文面は整っていた。
昨日の日程室報告を受け、引用区分欄に「個人宛て表明可否」を追加し、庁内仮運用を継続する。
本日、王太子府内部改善研修の実施準備に関する書類が回付される見込み。
日程室は、日程および手順上の確認に限り対応すること。
特定職員への謝罪、謝意、面談、伝言、書簡、弁明の取次ぎは不可。
王太子殿下の反省表明は、王太子府内部改善手続きの中で記録されるべきものとする。
最後の一文を、私は目で追った。
反省表明は、記録されるべきもの。
私の前ではなく。
私の耳ではなく。
記録へ。
「確認しなさい」
「はい」
私は読み終え、頷いた。
「問題ありません。日程室の対応範囲が限定されています」
「今日、来るぞ」
ベネット卿が言った。
「王太子府からですか」
「ああ。研修実施準備だ。昨日、謝罪を欄外へ出した。今日は反省をどこへ置くかが来る」
反省をどこへ置くか。
その言葉は、朝の冷えた空気に、妙に重く落ちた。
午前九時十分。
王太子府から封書が届いた。
ノエルが受付簿を読み上げる声は、昨日より落ち着いていた。
「差出部署、王太子府。件名、内部改善研修実施日程および記録方式について。受付印あり。回議番号あり。封緘あり。宛名は 王宮儀典日程室統括官(おうきゅうぎてんにっていしつとうかつかん) 」
ベネット卿が封緘を確認し、開封する。
彼は先に読んだ。
しばらく、何も言わなかった。
それから、私へ渡す。
「確認しなさい」
「はい」
王太子府内部改善研修について、法務官室監修の架空事例を用い、王妃陛下秘書官室の指示に従い実施準備を進める。
ついては、研修冒頭における王太子殿下の発言、および研修後の改善記録の保存方式について、日程室の手順上の確認を求める。
添付。
一、研修実施予定表案。
二、冒頭発言文案。
三、改善記録保存方式案。
四、王太子殿下自筆反省文取扱い案。
そこで、指が止まった。
自筆反省文。
私は、その文字を一度読んで、二度読んだ。
胸が固くなる。
謝罪ではない。
伝言でもない。
けれど、危うい。
殿下の自筆。
反省文。
それは、どこへ行くのか。
誰が読むのか。
誰のために残るのか。
「分類しなさい」
ベネット卿が言った。
私は息を整えた。
「王太子府内部改善研修の実施準備に関する照会です。日程室の確認範囲は、実施予定表、手順、記録方式に限られます」
「危険は」
「四番です。王太子殿下自筆反省文取扱い案」
「読みなさい」
私は該当箇所を開く。
王太子殿下自筆反省文取扱い案。
研修後、王太子殿下が自筆にて、過去の公務運用に関する反省および今後の改善意思を記す。
当該文書は、王太子府内部記録として保管する。
必要に応じ、関係部署へ写しを共有する。
関係職員への閲覧希望がある場合は、別途確認する。
最後の一行で、体が冷えた。
関係職員への閲覧希望。
また、こちらへ向けている。
謝罪が手紙にならなかったから、今度は反省文が閲覧物になる。
「問題点を述べなさい」
ベネット卿の声は、静かだった。
「第一に、王太子殿下の自筆反省文を作成すること自体は、王太子府内部改善記録として扱える可能性があります」
「続けて」
「第二に、ただし、自筆である以上、感情的・私的性質を帯びやすく、特定職員への謝罪、弁明、許しの要求に変質する恐れがあります」
「第三」
「関係部署への写し共有は、必要範囲に限るべきです。全文共有は不可。要約も、法務官室および王妃陛下秘書官室の確認を要します」
「第四」
「関係職員への閲覧希望という一文は不可です。閲覧希望の有無を職員側に問うこと自体が、反省の受領を求める圧力になります」
言い終えて、私は自分の指が少し震えていることに気づいた。
ノエルが引用区分欄を開く。
原文引用。
不可。
要約。
条件付。
見出し使用。
不可。
標語化。
不可。
個人名接続。
不可。
実例使用。
不可。
架空事例使用。
可。
教材化。
条件付。
個人宛て表明。
不可。
承認部署。
王妃陛下秘書官室、法務官室。
備考。
ノエルは、慎重に書いた。
自筆文書は私的接触化の恐れ。統括官確認。
「よろしい」
ベネット卿が言った。
「返案を起案しなさい」
「はい」
私は羽根ペンを取る。
王太子府宛て。
内部改善研修実施日程および記録方式について。
一、研修実施予定表案について、日程室として手順上の異議なし。
二、冒頭発言文案について、昨日承認済みの範囲を逸脱しない限り、日程室として手順上の異議なし。
三、改善記録保存方式案について、王太子府内部記録として保存することは可能。ただし、保管部署、閲覧権限、保存期限については法務官室および王妃陛下秘書官室の確認を要する。
四、王太子殿下自筆反省文取扱い案について。
王太子殿下が王太子府内部改善の一環として反省文を作成することは、王太子府内部記録の範囲に属する。
ただし、当該文書は、特定職員への謝罪、弁明、伝言、許しの要求、または私的接触の代替手段として扱ってはならない。
日程室職員、旧専属調整任務関係者、その他特定職員への閲覧希望確認は不可。
関係部署へ共有する場合も、全文写しの配布は不可。
王妃陛下秘書官室および法務官室が必要と認める範囲で、記録方式、保管部署、閲覧権限のみを共有対象とされたし。
五、日程室は当該反省文の閲覧、保管、受領、転送、職員への提示に関与しない。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
書き終えたあと、少しだけ息を吐いた。
五。
日程室は関与しない。
そこまで書いて、ようやく胸の奥の力が抜けた。
ベネット卿が読む。
「五は残せ」
「はい」
「反省文という形は、もっとも危ない。謝罪より静かに入り込む」
「……はい」
「謝罪は分かりやすく拒める。反省は、受け取らない方が悪いように見せる」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。
そうだ。
反省しています。
そう言われたら、こちらが受け取らなければならない気がする。
受け取らないと、 狭量(きょうりょう) だと言われる気がする。
でも、それもまた、私に役割を押しつけることだ。
ベネット卿は欄外に記す。
日程室確認済。
統括官決裁印を押した。
午前九時四十二分。
ノエルが封緘する。
王太子府へ正本。
王妃陛下秘書官室、法務官室へ写し。
搬送者、ノエル。
「走るな」
「はい」
ノエルは早足で出ていった。
午前十時十五分。
ノエルが戻ってきた。
「王太子府、王妃陛下秘書官室、法務官室、すべて受領印あり。王太子府から口頭伝言はありません」
「よろしい」
ベネット卿が頷く。
ノエルは少しだけ迷ってから言った。
「王太子府の書記官が、反省文くらいは、と言いかけました」
ベネット卿の目が、ほんの少し冷えた。
「どう返した」
「我が室の受付簿に、その四文字のための欄は存在しません、と」
ベネット卿が、低く言った。
「よろしい」
私は手元の 硬餅(かたもち) に視線を落とし、小さく息を吐いた。
ノエルはどこまでも真面目な顔をしていた。
午前十時四十分。
法務官室から中間通知が届いた。
王太子殿下自筆反省文取扱いについて、日程室返案の方針を妥当とする。
当該文書は、 王太子府内部統制記録(ないぶとうせいきろく) としてのみ扱う。
特定職員への提示、閲覧希望確認、写し共有は不可。
法務官室および王妃陛下秘書官室による封緘保管方式を検討する。
私はその文面を確認し、頷いた。
封緘保管。
反省文にも、封がされる。
それでいい。
反省は、開いて見せるものではない。
正午前に、王妃陛下秘書官室からも通知が届いた。
王太子殿下自筆反省文について、法務官室方針を支持する。
当該文書は、王太子府内部改善記録として、王妃陛下秘書官室および法務官室立会いのもと封緘保管とする。
日程室および日程室職員への提示、写し共有、閲覧希望確認を禁ずる。
研修記録には、反省文の存在ではなく、改善手順の実施結果を記載すること。
最後の一文で、私は指を止めた。
反省文の存在ではなく、改善手順の実施結果を記載すること。
反省したかどうかではない。
何を変えたか。
どの手順が改められたか。
そこだけが、記録に残る。
「よい文です」
私は小さく言った。
ベネット卿が私を見る。
「どこが」
「反省文の存在ではなく、改善手順の実施結果を記載すること、の部分です」
「ああ」
ベネット卿は頷いた。
「反省は、飾ると腐る。手順に落とせ」
ノエルが、すぐに手元の欄へ書き加えた。
反省表明。
記録対象、発言ではなく改善手順。
私はその字を見た。
また一つ、欄が増えていく。
でも、もう嫌ではなかった。
欄が増えるたびに、誰か一人が受け皿にならずに済む。
正午。
私は 文官携行食(ぶんかんけいこうしょく) を食べた。
無塩(むえん) の硬餅。
乾燥果実。
水。
ノエルは、いつものように机上の公文書を避けて、自分の席で硬餅を 齧(かじ) っていた。
「くらい欄」
私はつい、呟いた。
ノエルが固まる。
「申し訳ありません。変なことを言いました」
「いえ」
私は首を振った。
「必要な欄かもしれません」
ノエルが目を瞬かせる。
「くらい欄、ですか」
「正式名称は別にします」
「何になりますか」
私は少し考えた。
「軽微扱い可否、でしょうか」
ベネット卿が、硬餅を置いた。
「採用候補だ」
ノエルが真顔になった。
「本当にですか」
「『これくらい』で手続きが崩れる。なら、欄にしろ」
その瞬間、ノエルの顔に、じわじわと職務者の光が戻った。
「軽微扱い可否欄」
「まだ候補です」
私は言った。
「午後の報告に、追加提案として入れましょう」
午後一時。
王太子府から、研修実施記録方式の修正文案が、王妃陛下秘書官室経由で回ってきた。
直接ではない。
秘書官室経由。
法務官室の確認印もある。
秘書官室の持参書記官が、午後一番の定例連絡便へ滑り込ませるために、日程室の確認印をその場で回収しに入室してきたのだ。
文案は、朝よりずっと削られていた。
研修実施記録方式。
一、研修実施日時。
二、出席者。
三、使用教材名。
四、確認した改善手順。
五、今後の担当部署。
六、次回確認日。
備考。
反省文は王太子府内部統制記録として別封緘保管。
研修実施記録への引用、要約、添付、関係職員への提示なし。
私は読み終えた。
「問題ありません」
ベネット卿が問う。
「日程室としては」
「手順上、異議なしです」
ベネット卿は持参された確認票へ印を押した。
日程室異議なし。
書記官はそれを受け取ると、廊下へ引き返していった。
午後一時半。
王妃陛下秘書官室の午後定期便により、早くも研修実施記録方式の承認控えが届いた。
王太子府内部改善研修。
実施記録方式、使用可。
反省文、別封緘保管。
日程室および特定職員への提示不可。
改善手順の実施結果のみ記録対象。
私は予定表へ記入した。
王太子府内部改善研修。
反省文、別封緘保管。
日程室関与なし。
記録対象、改善手順。
午後二時。
王太子府から、内部改善研修の実施予定表が戻ってきた。
日程。
明後日、午前十時から正午。
場所。
王太子府第三会議室。
同席。
王太子府職員。
法務官室書記官一名。
王妃陛下秘書官室記録官一名。
日程室職員、同席なし。
私は最後の行を見た。
日程室職員、同席なし。
何度読んでも、そこに私の名前はない。
ノエルが受付簿に記入し、引用区分欄を埋める。
実例使用。
不可。
架空事例使用。
可。
教材化。
条件付。
個人宛て表明。
不可。
軽微扱い可否。
欄が、まだなかった。
ノエルが私を見た。
「欄がありません」
「午後の報告で提案しましょう」
「はい」
午後二時四十分。
法務官室から、架空事例の正式題名が届いた。
内部改善研修用架空事例。
第一事例。
責任部署不明の口頭依頼が流入した場合の処理。
第二事例。
費用負担元未確認の変更依頼が発生した場合の処理。
第三事例。
称賛、謝意、反省表明が個人名に接続される恐れのある場合の処理。
第四事例。
実在職員の経験を教材化しようとする照会への対応。
私は、その四つの題名をしばらく見つめた。
インクが乾いた紙の上には、もう、誰の名前もなかった。
私は、静かに頷いた。
「日程室として異議なし」
ベネット卿が確認印を押す。
午後三時。
ノエルが、今日の引用区分欄試用結果をまとめ始めた。
一、王太子府、研修日程および記録方式照会。
自筆反省文取扱いあり。
個人宛て表明、不可。
反省文、別封緘保管。
二、法務官室、反省文取扱い中間通知。
記録対象、改善手順。
三、王妃陛下秘書官室、反省文封緘保管通知。
日程室提示不可。
四、王太子府、研修実施記録方式。
日程室同席なし。
五、法務官室、架空事例題名。
実在人物名なし。
ノエルがそこで止まる。
「軽微扱い可否欄を、提案に入れますか」
「入れましょう」
「文言は」
私は少し考えた。
「軽微扱い可否。『これくらい』『念のため』『一言だけ』『見るだけ』等の表現が、正式手続きの省略理由として使われていないかを確認する欄」
ノエルが、すごい勢いで書いた。
ベネット卿が見て、短く言った。
「よい」
その一言で、ノエルの肩が少し上がった。
午後三時半。
私は報告書を起案した。
王妃陛下秘書官室宛て。
引用区分欄仮運用二日目報告。
本日、王太子府内部改善研修関連の受付案件に対し、引用区分欄および個人宛て表明可否欄を試用。
適用件数、五件。
効果。
王太子殿下自筆反省文について、特定職員への提示、閲覧希望確認、写し共有を防止。
反省表明を個人宛ての謝罪または許しの要求へ転化させず、王太子府内部改善手順の記録へ戻すことができた。
課題。
「反省文くらい」「一言だけ」「見るだけ」等、軽微なものとして正式手続きを省略しようとする表現が発生する可能性あり。
追加提案。
引用区分欄に「軽微扱い可否」項目を追加することを提案する。
軽微扱い可否欄では、「これくらい」「念のため」「一言だけ」「見るだけ」等の表現が、正式手続きの省略理由として用いられていないかを確認する。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
ベネット卿が読み終え、決裁印を押した。
「送れ」
「はい」
午後三時五十分。
ノエルが封緘する。
王妃陛下秘書官室へ正本。
法務官室、王太子府、公報室へ写し。
搬送簿に記録。
午後四時。
報告書は午後連絡便に乗った。
夕刻。
私は予定表を閉じる前に、私的な覚え書きの欄へ書いた。
反省は、見せるものではなく、変えることで示すもの。
羽根ペンを置く。
窓の外では、夕暮れの光が王宮の壁を淡く染めていた。
殿下の反省文は、私の机には来ない。
私の目にも触れない。
私が読むかどうかを問われることもない。
それでいい。
反省しているなら、私に見せなくていい。
泣きながら書いた文字も、震えた署名も、私には必要ない。
必要なのは、次の予定表が壊されないこと。
次の誰かが、夜更けに一人で帳尻を合わせなくていいこと。
口頭の「これくらい」が、正式な欄で止まること。
誰かの心を、また決裁欄にしないこと。
ノエルが受付簿を棚に戻す。
ベネット卿が決裁印をしまう。
日程室には、今日も紙の音だけが残った。
殿下。
その反省は、私に見せなくて結構です。
本当に反省しているのなら。
私ではなく、手順を変えてください。
あなたの涙ではなく。
次の記録で、示してください。