軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第344話:2日目のおでんと、限界宣言

時刻は18時を回り、すっかり外は真っ暗になっていた。

「大掃除で疲れちゃったから、今日の晩飯は手抜きでごめんな」

「ううん! むしろ、これが食べたかったの!」

ダイニングテーブルの真ん中に置かれた土鍋の蓋を開けると、食欲をそそる芳醇なお出汁の香りがブワッと広がった。

今日の晩ご飯は、昨日の残りに具材を足してリメイクした『2日目のおでん』だ。

丸一日かけてじっくりと煮込まれ、一度冷ますことで限界までお出汁を吸い込んだ大根は、中まで完全に美しい飴色に染まっている。

そこに新しく追加した、パリッとした粗挽きウインナーと、もちもちのちくわぶ。さらにシメとして、冷凍うどんを土鍋に直接投入してある。

「ほら、熱いから気をつけてな」

「ありがとうっ! いただきます!」

小鉢に取り分けてやると、凛はフーフーと息を吹きかけてから、飴色の大根に箸を入れた。

力を入れずともスッと箸が通り、持ち上げるとジュワッとお出汁が滴り落ちる。

「……んん〜っ! 味が染みっ染み! 昨日の大根も美味しかったけど、2日目のはお口の中でとけちゃう……!」

両手で頬を押さえながら、満面の笑みで身悶える凛。

「ウインナーもお出汁に合うね! パリッてしたあとに、豚肉の旨味がおつゆに溶け出して最高……っ」

「うどんも伸びないうちに食えよ。おでんの出汁を吸ったうどんは格別だからな」

「んっ、はふっ……美味しいぃ……大掃除、頑張ってよかったぁ……」

ちゅるん、とうどんを啜りながら、幸せそうに目を細める。

そんな彼女の「美味そうに食べる顔」を見ているだけで、大掃除の疲労なんて一瞬でどこかへ飛んでいってしまった。

お腹いっぱいおでんとうどんを食べ終え、食後の温かいほうじ茶を飲んで一息ついたタイミングだった。

「……あー、凛。ちょっといいか?」

マグカップを両手で包み込んだまま、俺は少し姿勢を正して凛に向き直った。

これから言うことは、彼女を少し不安にさせてしまうかもしれない。

でも、これを言っておかないと、俺の身(というか心臓)が本当にもたないのだ。

「ん? なぁに?」

「……あのさ。寝る時のことなんだけど」

俺は一つ深呼吸をして、意を決して口を開いた。

「今日から、寝る時は別々の布団にしないか?」

ピタッ、と。

凛がマグカップを持ったまま、動きを止めた。

パチクリと数回瞬きをした後、彼女の顔からスッと血の気が引き、潤んだ瞳が不安そうに揺れ始める。

「……え、と……私、寝相……悪かった……?」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあ、いびきとか……? それか、私、何か朝陽くんの嫌がること、しちゃった……?」

みるみるうちに涙目になっていく凛を見て、俺は慌てて首を横に振った。

「違う違う! 嫌なことなんて一つもない! むしろ逆だよ!」

「……逆?」

「あの……、 その……」

自分の口から言うのは死ぬほど恥ずかしいが、こうなったらはっきり伝えるしかない。

俺は頭をガシガシと掻き毟り、耳まで真っ赤にしながら本音を叫んだ。

「クリスマスの……キスの後から、お前のこと、めっちゃ『女の子』として意識しちゃってて……! 毎晩あんな無防備にくっつかれたら、俺の理性がもたないんだよ!!」

「…………っえ?」

俺の自爆気味な告白を聞いた瞬間。

凛の不安げだった表情がピタッと止まり――次の瞬間、音が鳴る勢いで、首の根元から耳の先まで真っ赤に染め上がった。

「だ、だから! 嫌いになったとかじゃなくて、俺の心臓がうるさすぎて寝不足になりそうだから! 少しの間だけ、別々の布団にさせてくれ!」

「〜〜〜〜っ! あ、朝陽くんの……っ、ばかぁ……!」

両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏してしまう凛。

俺もこれ以上彼女の顔を直視できず、明後日の方向を向きながら、ほうじ茶を一気飲みして無理やり喉の渇きを潤した。

それから数分後。

お互いの顔の熱がようやく引いてきた頃、テーブルに突っ伏していた凛が、むくりと顔を上げた。

「……わかった。毎日一緒に寝るのは、やめる」

「お、おう。わかってくれて助かる」

「でも、私からもお願いがあるの」

凛は少しだけ上目遣いになり、もじもじと指先を絡ませながら条件を提示してきた。

「せめて、週に1回か2回は……一緒に寝たい。それ以外の日は別々で我慢するから」

「週に1、2回……」

(……結局、週の数日は俺の理性が試されるのか)

とは思ったものの、そのくらいならなんとか気合いで乗り切れそうな気もする。

それに、凛からのおねだりを完全に無下にするのは俺としても辛かった。

「……わかった。じゃあ、それでいこう」

「うんっ! あとね、もう一つだけ」

「まだあるのか?」

「私に、『朝陽くん抱き枕』を作らせてほしいの」

「……は?」

突拍子もない提案に俺が呆気にとられていると、凛は「ちょっと待ってて!」と立ち上がり、パタパタと自分の部屋へ走っていった。

そしてすぐに戻ってきた彼女の腕には、無地の細長いクッションが抱えられていた。

「朝陽くんがさっきまで着てたパーカー、貸して!」

「え? ああ、これか……?」

言われるがままに、部屋着として着ていた少し大きめのパーカーを渡す。

すると凛は、自分が持ってきた細長いクッションに、そのパーカーをすっぽりと着せ始めたのだ。

「よしっ、完成! これで、朝陽くんの匂いがする特製抱き枕の出来上がり!」

パーカーを着せられただけのいびつなクッションを、凛はぎゅっと大事そうに抱きしめ、ふんすふんすと匂いを嗅いで満面の笑みを浮かべた。

「……お前、推し活してるオタクみたいになってるぞ」

「いいの! これで、一人で寝る日も寂しくないもん!」

(毎日洗濯してるから、柔軟剤の匂いしかしないと思うんだけどな……)というツッコミは、彼女が限界まで幸せそうな顔をしていたので、そっと飲み込んでおいた。

その後、順番にお風呂を済ませて寝室へ。

俺はベッドの横の床に敷布団を敷き、凛はいつも通りベッドへ潜り込んだ。

もちろんその腕には、パーカーを着せられた『朝陽くん抱き枕』がしっかりと抱きしめられている。

「……なんか、自分がベッドに寝てるのを見てるみたいで、ちょっと複雑な気分だな」

「えへへ。……すっごく落ち着く」

部屋の明かりを消すと、静かな暗闇の中に、凛の少しだけそわそわとした気配が残っていた。

抱き枕があるとはいえ、急に隣に誰もいなくなったことで、少しだけ落ち着かないのかもしれない。

俺は小さくため息をつき、床の布団から上半身を起こした。

そして、ベッドの縁から腕を伸ばし、抱き枕に顔を埋めている凛の肩を、ポン、ポン、と一定のリズムで優しく叩いてやる。

「……朝陽、くん……?」

「ほら、早く寝ろ。おやすみ」

トントン、トントン。

子供を寝かしつけるようなそのリズムに、凛の体からスッと力が抜けていくのがわかった。

「……うんっ。……おやすみなさい、朝陽くん……」

やがて、規則正しい寝息が頭上から聞こえてくる。

俺は彼女が完全に眠りに落ちたのを確認してから、そっと手を離して自分の布団に寝転がった。

「……はぁ。可愛いすぎだろ」

暗闇の天井を見つめながら、俺は一人で小さく呟く。

物理的な距離はできたものの、推し活のように自分の服を抱きしめる彼女の姿を思い出してしまい、結局別の意味で俺の理性が休まる気配は全くなかった。