軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第321話:帰り道と、限界

冷たい冬の風が、頬をかすめる。

すっかり日の落ちた帰り道。俺の右の手には、おじいさんから持たされたずっしりと重い保冷バッグが握られており、左の手は、隣を歩く凛の小さな手をしっかりと包み込んでいた。

「今日の晩御飯、約束通りハンバーグだよね?」

「ああ。朝から仕込んで、冷蔵庫でしっかり寝かせてあるぞ。自信作だから、楽しみにしてて」

「ふふっ、やったぁ」

繋いだ手を小さく揺らしながら、凛が花が咲いたような笑顔を見せる。

二日ぶりに見る、この「俺にしか見せない顔」。それだけで、冷え切った冬の空気すら温かく感じてしまうから不思議だ。

「そういえば、実家はどうだった?」

「うん、楽しかったよ。お母さんがね、最近新しい趣味を始めたらしくて……あと、おばあちゃんは相変わらず元気だった」

歩幅を合わせながら、凛が家族との出来事をぽつぽつと話し始める。

ご両親も無事に見送れたようで、その声にはどこかスッキリとした響きがあった。

「あ、そうだ。今日のお昼ね、実家の駅前にあるアンティークなカフェに行ったんだけど」

「……っ!」

その単語が出た瞬間、俺は思わず心臓が跳ね上がった。

(き、来た……! あのカフェ……!)

俺がメニュー表で顔を隠し、必死に気配を消してミートソーススパゲティを食べていたあのカフェ。

まさか凛の口からその話題が出るとは思わず、俺の背筋に冷や汗が伝う。

「そこの紅茶とケーキが、すっごく美味しかったんだよ。お店の雰囲気も落ち着いてて素敵だったし……今度、朝陽くんとも一緒に行きたいな、なんて」

嬉しそうに、無邪気に俺を見上げてくる凛。

『朝陽くんが隣にいてくれるから、私、毎日すっごく幸せなんだよ』

俺の脳内に、カフェで背後から聞こえてきた彼女の『大惚気』が鮮明にフラッシュバックした。

お前がそのケーキを食べてる真後ろで、俺はその言葉を聞いてパニックになってたんだよなぁ……なんて、口が裂けても言えない。

「……お、おう。そうだな、今度一緒に行こう」

「うんっ!」

俺はマフラーに顔の半分を埋め、暗闇に紛れて赤くなった顔を必死に隠すことしかできなかった。

ガチャリ、と。

アパートの自室のドアを開け、中に入る。

「寒かっただろ。中、暖房つけてあるからな」

外の冷たい空気から完全に切り離された、二人だけの、暖かくて安全な空間。

「荷物、一旦そこに置いとくぞ。手洗って——」

ドンッ。

俺が重い保冷バッグを土間に置いた、その直後だった。

正面から、着込んだコートの厚み越しでも分かるくらい、柔らかな感体が俺の胸に勢いよくぶつかってきた。

「……おっと、凛?」

「……我慢の限界です」

俺の腰に細い腕がしっかりと巻き付けられ、そのまま胸にすっぽりと顔を埋めるように、凛が力いっぱい抱きついてきた。

「たった二日なのに……すっごく、長く感じた。……朝陽くんがいないと、私、寂しい……」

コートに顔を押し当てたくぐもった声。

それは、さっきまで外を歩いていた時の『氷の令嬢』の気丈な姿とは似ても似つかない、甘えん坊な姿だった。

「凛……」

「二日分の朝陽くん成分が、全然足りてない……いい匂い…。」

俺の背中に回された手に、ぎゅっと力がこもる。

服を掴むその手は、俺の存在を確かめるみたいに必死だった。

(……ほんと、敵わないな)

俺はふっと息を吐き出して、胸にしがみつく彼女の背中に、そっと両手を回した。

「俺だって、同じだよ。凛がいないこの部屋、広すぎて全然落ち着かなかった」

「……ほんと?」

「ああ。ずっと、凛のことばっかり考えてた。……おかえり、凛」

「……ただいま、朝陽くんっ」

玄関の薄暗い照明の下。俺たちは靴も脱がないまま、どちらからともなく腕の力を強め、お互いの体温と鼓動を確かめ合うように、ただ無言で抱きしめ合った。

手を洗って着替えた後。

リビングのテーブルに保冷バッグを置き、俺は中身を開封し始めた。

凛もコートを脱ぎ、部屋着のゆったりとしたカーディガン姿で隣から覗き込んでくる。

「……さてと、おじいさんからのお土産、何が入ってるのかな…」

「なんか、市場で買ったって言ってたけど……」

「うおっ、すげえ! このアジの干物、めちゃくちゃ立派だな。身がパンパンだ」

丁寧に包まれた包み紙を開いていくと、見たこともないくらい肉厚な干物が出てきた。

そして、その下から出てきた小さな木箱を見て、俺の目が限界まで見開かれる。

「……嘘だろ。これ、フグの干物じゃないか……!?」

「ふぐ?」

「ほら、凛! 俺たちがよく見てる、あの魚捌き系YouTuberの動画! あの人が紹介してたやつだよ! パッケージのロゴ、全く一緒だ!」

俺が興奮気味に袋を指差すと、凛も「あ……!」と声を上げた。

「ほんとだ、あの時の! いつも二人で美味しそうって言いながら見てたやつだね」

「すげえ……おじいさん、あの市場の常連なのか……。動画見てから、俺も一度行ってみたいなって思ってたんだよな」

料理好きとしてのテンションが爆上がりする俺を見て、凛がくすくすと笑う。

「ふふっ。おじいちゃん、昔からあの市場に行くのが好きみたいで。顔馴染みのお店がいっぱいあるんだって」

「へえ、いいなそれ」

俺は袋を大切に冷蔵庫へしまいながら、ふと凛の方を振り返った。

「今度、俺たちも一緒にその市場、行ってみようか。」

俺の提案に、凛は一瞬だけ驚いたように目を丸くして。

それから、今日一番の輝くような笑顔で、力強く頷いた。

「うんっ! 絶対行こうね、約束だよ!」

「さて、まずは約束のハンバーグ焼くか」

次のデートの約束も決まり、俺は気合いを入れてエプロンを締めた。

フライパンを取り出し、コンロの前に立とうとした、その時。

ぽすっ。

背中に、温かいものが張り付いてきた。

「……凛? 危ないぞ、今から火を使うから」

「だめ。ハンバーグが焼けるまで、ここで充電してるの」

凛は俺の背中におでこをくっつけ、腰に腕を回したまま、絶対に離れないぞとばかりに体重を預けてくる。

「……お嬢様は我儘だな」

「朝陽くんの背中は、私だけのものです」

背中から伝わってくる温もりと、甘いシャンプーの匂い。

俺は思わず頬を緩ませながら、「火傷するなよ」とだけ返し、特製ハンバーグのタネが入ったボウルに手を伸ばした。