軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第314話:一人の夜の野菜炒めと、君の街のオルゴール

駅の改札。

吸い込まれるように人混みへと消えていった、凛の小さな後ろ姿。

彼女が見えなくなるまで手を振り返し、いよいよその姿が完全に見えなくなると、俺は深く一つ息を吐き出した。

(……さて、帰るか)

踵を返し、一人でアパートへの道を歩き出す。

いつもなら、「今日の晩飯、何が食べたい?」なんて相談しながら歩く道だ。

「ハンバーグがいいなっ」とか「朝陽くんの作ったお味噌汁が飲みたい」とか、隣で楽しそうに笑う声がないだけで、街灯に照らされた自分の影が、いつもより長く、ひどく頼りなく見えた。

アパートに到着し、階段を上る。

202号室のドアの方を無意識に見てしまった。

いつもなら、たとえ一緒にいなくても、隣の部屋から微かに生活の音が聞こえたり、彼女が動く気配が伝わってきたりする。

壁一枚隔てた向こう側に、彼女がいるという確信。

それが今は、ただ静まり返っている。

自室の201号室に入り、明かりを点ける。

「ただいま」という言葉を飲み込み、俺はそのままキッチンを通り過ぎてPCの前に座った。

まずは、お昼に投稿した動画のチェック。

再生数は、初投稿にしてはそこそこ伸びている。

凛が描いてくれたアイコンのおかげか、クリック率も悪くない。

温かいコメントもいくつか付いていて、普段ならこれだけで小躍りしたくなるほど嬉しいはずなのに。

「……凛にも、見せてやりたいな」

独り言が、冷えた部屋の中に虚しく響く。

これ以上考え込むと、寂しさに飲み込まれそうだ。

俺は自分を奮い立たせるように、二本目の動画の素材を開いた。

無心でマウスを動かし、不要なシーンを削っていく。

カット編集なら、頭を空っぽにしてもできる。

そうやって手を動かし続けることで、胸の奥に広がるぽっかりとした穴を、無理やり埋めようとしていた。

気づけば、時計の針は19時を回っていた。

そろそろ夕食の時間だ。

いつもなら、凛が「今日のご飯は何〜?」と目を輝かせてやってくる時間。

キッチンに立ち、冷蔵庫を開ける。

食材は十分にある。だが、どうにも気合が入らない。

「美味しい!」と笑ってくれる相手がいないだけで、料理という日常の営みが、急にただの『作業』に感じられてしまう。

「……今日は、簡単に済ませるか」

結局、冷蔵庫にあったキャベツと豚肉、それにピーマンをざっと刻み、強火のフライパンで一気に炒めた。

ごま油の香ばしい匂いと、醤油とオイスターソースの焦げる香りが鼻をくすぐる。

出来上がった野菜炒めを皿に盛り、ご飯とお味噌汁を並べる。

「いただきます」

シャキシャキとしたキャベツの食感。お肉の旨味。

味はいつも通り、美味しいはずだ。

なのに、一口、二口と運んでも、どこか味気ない。

向かい側の椅子に、俺のパーカーを着て幸せそうに頬張るあいつがいない。それだけで、世界から色が消えてしまったかのようだった。

結局、半分ほど食べたところで箸が止まり、俺は早々に食事を終えた。

お風呂を済ませ、一人でリビングの床に座る。

いつもの柔軟ストレッチ。

凛と二人でやっている時は、マッサージを兼ねて彼女の身体をほぐしてやりながら、学校のことや動画のこと、他愛のない話で盛り上がる時間だ。

「……静かすぎるな。」

テレビをつけても、内容が全く頭に入ってこない。

一人でやるストレッチは、ただ関節を伸ばしている感覚だけで、心までは少しもほぐれなかった。

「もう寝てしまおうか」

そう思って立ち上がろうとした時、昨日の夜、凛に言った言葉を思い出した。

『寂しくなったら、いつでも電話してきてもいいからさ』

あいつのことだ。実家でおばあちゃんたちに囲まれていれば、案外楽しく過ごしているかもしれない。 でも、もし。

もしあいつも、俺と同じように寂しがっていたとしたら。

俺は少しだけ期待を抱きながら、スマホを手に取った。

いつもは寝る時にマナーモードにしているが、今日は設定を解除する。

着信音が最大になっていることを確認し、枕元のすぐ手の届く場所に置いた。

寝る前に、もう一つやっておくことがあった。

明日、土曜日の予定だ。

凛が帰省している間に、俺はこっそりと彼女へのクリスマスプレゼントを探しに行くつもりだった。

狙っているのは、彼女が以前「素敵だね」と呟いていた、誕生石をあしらったオルゴール。

スマホでそのお店の詳細を調べてみる。

職人が一つ一つ手作りしている、有名なオルゴール工房だ。

「えっ……」

公式サイトのアクセスマップを見た瞬間、俺は思わず声を上げた。

そのオルゴール工房の住所。

凛の実家がある、あの県、あの町……。

なんと、彼女が今まさに過ごしている場所と、全く同じ住所だったのだ。

「マジか……。こんな偶然、あるんだな。」

もちろん、広い町だ。凛とそこでば合わせるなんてことは、まずないだろう。

けれど、俺が彼女に贈ろうとしているプレゼントが、彼女が生まれ育った、あの美しい自然に囲まれた街で作られている。

その不思議な縁が、なんだかすごく誇らしくて、嬉しかった。

彼女の故郷の風土が育んだ音色を、彼女に贈る。

そのシチュエーションを想像するだけで、先ほどまでの寂しさが少しだけ和らぎ、胸の奥が温かくなった。

(凛の故郷か。どんな綺麗なところなんだろうな……)

スマホの画面に映る、工房の周辺地図を見つめながら、彼女のことに想いを馳せていた。

その、瞬間だった。

——♪♪♪♪〜

静まり返った部屋に、軽快な着信音が鳴り響いた。

マナーモードを解除したスマホの画面が明るく光り、そこには俺がさっきまでずっと考えていた名前が表示されていた。

『冬月 凛』

俺は吸い込まれるように、、少しだけ急いだ手つきで通話ボタンをスワイプした。

スマホを耳に当て、自分でも驚くほど優しい声で、その名前を呼ぶ。

「……もしもし。凛?」

受話器の向こうから聞こえてくる、愛しいあいつの声。

一人の夜が、その一瞬で、色鮮やかな二人の時間に変わっていった。