軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第208話:原点の親子丼と、猫耳。

アパートに帰り着いた頃には、時刻はすっかり遅くなっていた。

外の寒さで冷え切った体を暖房で温めながら、俺はエプロンを身につけてキッチンに立っていた。

「少し遅くなっちゃったな。お腹、空いてるだろ?」

「うん。でも、朝陽くんも疲れてるのに、ご飯作ってもらっちゃってごめんね」

「これくらい平気だよ。すぐできるから、座って待ってて」

手早く調理を進め、数十分ほどで完成させた料理を、二つのお盆に乗せてダイニングテーブルに運ぶ。

湯気の立つ温かい丼を見た瞬間、凛はパァッと顔を輝かせた。

「わあ、美味しそう……! いただきまーす」

二人で向かい合って座り、箸を進める。

ふーふーと息を吹きかけてから一口食べた凛が、ふにゃりと幸せそうに頬を緩めた。

「ん〜っ、やっぱり朝陽くんの『親子丼』、すっごく美味しい! ……あ」

そこで何かを思い出したように、凛がピタリと動きを止めた。

彼女は自分の手元にある親子丼と、俺の顔を交互に見比べる。

「……朝陽くん。もしかして今日のメニューって……」

「ああ、気づいたか」

俺は少し照れくさくて、首の後ろを掻きながら頷いた。

「俺たちが初めて出会った日。玄関の前でうずくまってた凛を部屋に上げて、俺が初めて作ったのが、この親子丼だっただろ」

「……うんっ。すごく美味しくて、この味がずっと忘れられなかったの」

「……付き合って初めてのご飯は、俺たちの『原点』である親子丼がいいんじゃないかって思って……」

俺がそう打ち明けると、凛は大きな瞳をパチパチと瞬かせた後、じわっとその瞳を潤ませた。

「朝陽くん……」

「俺にとっても、凛と一緒に食べる親子丼は特別なんだ。これからも、こうして二人で美味しいものをたくさん食べていこうな」

「……うんっ! 私、すっごく嬉しい。朝陽くん、ありがとう……!」

凛は満面の笑みを浮かべ、再び嬉しそうに親子丼を口に運んだ。

出会った日のこと、少しずつ距離が縮まっていった日々のこと。

そんな数々の思い出を二人で振り返りながら食べる親子丼は、出汁の優しい甘さがいつも以上に体に染み渡り、心までポカポカに満たしてくれた。

食後。温かいお茶を飲んで一息ついていると、凛がふと立ち上がった。

「朝陽くん。ちょっとだけ、ここで待っててくれる?」

「ん? 別にいいけど……なんか用か?」

「うん。今日、まだ終わってないよ。だって……今日は『ハロウィン』だもん」

凛は上目遣いで意味深な言葉を残すと、パタパタと小走りで玄関へ向かい、自分の二〇二号室へと戻っていった。

「……ハロウィン?」

確かに今日、街中はハロウィン一色だった。

だが、家の中で一体何をやるつもりなのだろう。仮装でもするのか?

一人でリビングに取り残され、ソファで待つこと数分。

ガチャリ、と玄関のドアが開く音がした。

「……朝陽くん、お待たせ」

少し恥ずかしそうな声とともにリビングに現れた凛の姿を見て、俺は持っていた湯呑みを落としそうになった。

「なっ……!?」

いつもの可愛い部屋着に着替えているのは普通だ。

だが、その艶やかな黒髪の上には『真っ白でふわふわの猫耳』がちょこんと乗っており、首元には『小さな鈴がついた黒いレースのチョーカー』が巻かれている。

凛が一歩歩くたびに、首元の鈴がチリン、チリンと可愛らしい音を立てた。

「り、凛……? それ……」

「陽菜と一緒に買ったの。……似合う、かな?」

顔を林檎のように真っ赤に染めながら、凛はモジモジと身をよじっている。

似合うどころの騒ぎではない。

破壊力が高すぎて、俺の頭は完全にショート寸前だった。

凛は俺の目の前までやってくると、恥ずかしさに耐えるようにギュッと目を瞑り、少しだけ背伸びをした。

「……トリック・オア・トリート。お菓子くれないと……イタズラしちゃうよ?」

耳元で甘く囁かれたそのセリフと、至近距離で見上げる猫耳姿の彼女。

あまりの可愛さに、俺は顔から火が出るほど赤くなり、完全にフリーズしてしまった。

俺が固まっているのを見て、凛は少しだけ小悪魔のように微笑み、さらに一歩近づいてきた。

チリン、と首元の鈴の音が鳴る。

「……朝陽くん? お菓子、ないの?」

上目遣いで尋ねてくる彼女に、俺は総毛立つような照れを必死に押し殺し、正直に白状した。

「っ……悪い。お菓子、用意してない」

「ふふっ。じゃあ……私にイタズラされちゃうね?」

凛は嬉しそうに笑い、さらに俺との距離を詰めてくる。

膝が触れ合いそうな距離。彼女の甘い香りと、小悪魔モードの破壊力に、俺の心臓は限界を迎えそうだった。

「……で。どんなイタズラ、するつもりなんだよ」

「えっ?」

俺が少しだけ声を低くして尋ねると、凛の動きがピタリと止まった。

「あ、えっと……それは……」

凛の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。

どうやら、猫耳をつけて「トリック・オア・トリート」と言うところまでしか考えておらず、肝心の「イタズラ」の内容まではノープランだったらしい。

急に恥ずかしさが押し寄せてきたのか、凛は頭の上の猫耳をへにゃりと伏せて、両手で自分の顔を覆ってしまった。

「〜〜〜っ! ごめんなさい、嘘です、イタズラなんて考えてないです……っ。陽菜に言われて、ノリでやっちゃって……やっぱり、すっごく恥ずかしい……っ」

「ははっ、なんだそれ」

耳の先まで真っ赤にしてしゃがみ込みそうになる凛がたまらなく愛おしくて、俺は肩の力が抜け、思わず声を上げて笑ってしまった。

そして、俺は立ち上がると、照れてうずくまる彼女の腕をそっと引き、そのまま自分の胸の中へふわりと抱き寄せた。

「あ……」

「……お菓子はないけど。代わりにこれで、許してくれないか」

俺が彼女の華奢な背中に腕を回して優しく抱きしめると、凛は一瞬ビクッと体を震わせた後、俺の胸に顔を押し付けてきた。

「……うん。お菓子より、こっちの方がずっといい、かも」

「ならよかった。……でも、心臓に悪いから、そういう可愛いイタズラは一日一回にしてくれ」

「ふふっ、善処します」

俺の胸に顔を押し付けたまま、凛は俺の背中にギュッと腕を回し返してきた。

チリン、と小さな鈴の音が、静かなリビングに優しく響く。

「……でも、ちょっとびっくりした?」

「ちょっとどころじゃない。可愛すぎ」

「えへへ……やった。大成功だね」

嬉しそうに俺の胸にすり寄ってくる猫耳の彼女を抱きしめながら、俺は幸せなため息をこぼした。

恋人同士になった俺たちは、これからもっと色々な顔をお互いに見せていくのだろう。

今まで知らなかった凛の可愛さや、自分でも驚くような俺の感情。

その一つ一つを、これからゆっくりと知っていけることが、どうしようもなく幸せだった。

「……ハッピーハロウィン、凛」

俺が彼女の艶やかな黒髪を優しく撫でて囁くと、凛も俺の胸の中で幸せそうに微笑んだのが分かった。

「ハッピーハロウィン、朝陽くん」

甘くて、温かくて、少しだけドキドキする。

俺たちの新しい関係の始まりを祝うような、特別で幸せな夜が、ゆっくりと更けていった。