軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

Ep.1 承諾

ルクスフォード王国の筆頭公爵家であるアルバ家には、公爵夫人が『存在しない』。

いや、正しくは以前は『いた』のだ。

公爵夫人がいなくなる原因となった騒動は、嫡男であるライナルトが五歳、長女であるアンネリーゼが二歳の頃に起こったのだった————。

————————

「アンネリーゼ・フォン・アルバ公爵令嬢!」

「……はい、お呼びでしょうか。殿下」

王立学園の卒業パーティーの最中、筆頭公爵令嬢であるアンネリーゼは、婚約者のフェリクス王太子殿下に高らかに名前を呼ばれ、仕方なく広間の中央へと姿を現した。

周囲を囲む他の生徒たちも、急に始まったフェリクスの言動に困惑を隠せずにいた。

目の前に立つ婚約者の傍らには、少し癖のあるレモンイエローの長い髪とミントグリーンの瞳を持つ令嬢が、不安そうにこちらへ視線を向けている。

フェリクスと揃いの衣装でぴったりと寄り添い、ジャケットの袖をギュッと握るその姿は知らない者が見れば、どちらが婚約者なのか分からないだろう————。

「アンネリーゼ。君は『義妹』であるアマーリエ・フォン・アイヒェン侯爵令嬢を虐げた。いくら父親が違うとはいえ、血の繋がった『義妹』に対する態度ではない。家族でさえ大切に出来ない者が、国母たる王妃として民を導けるとは思えない……よって、君との婚約は破棄する!」

睨み付けながら『婚約破棄』を宣告するフェリクスを、アンネリーゼはアッシュブルーの目を細めて冷ややかに見つめ返した。

「……左様ですか。ちなみに国王陛下からのお許しは頂いておりまして?」

「……まだだ。だが、君の非道さを伝えれば納得して下さる」

つまり——まだ許しを得ぬまま、こんな大勢の前でアンネリーゼを侮辱したということだ。

「わたくしと致しましては、陛下がお許し下さるのであれば構いませんわ……ですが、少し訂正させて頂けますか?」

「……何だ」

アンネリーゼは手に持っていた扇子の先を、フェリクスの隣に立つアマーリエへと向けた。

「先ほど殿下は、彼女がわたくしの『義妹』だと仰いました。ですが——以前から何度も申し上げております通り、彼女はわたくしの『義妹』ではございません」

「なっ……!!だが!!」

「ええ、確かに血縁上の母は『同じ』ですわ。——ですが、アイヒェン侯爵令嬢とは、わたくしが幼い頃に当家との縁は切れておりますの。ですので彼女を『義妹』と称されますと、まるで父が彼女を『養子』に迎えたように受け取られてしまいますわ」

言い返す言葉が見つからないのか——フェリクスは奥歯を噛み締めたまま、黙り込んだ。

アンネリーゼが言ったことは、紛れもない事実である。

母————ゾフィー・フォン・アイヒェン侯爵令嬢は、アンネリーゼと兄ライナルトの実母であり、かつて『アルバ公爵夫人』だった。

それはライナルトが五歳、アンネリーゼが二歳の頃に起きた出来事だ。

母が不貞を働き、父であるアルバ公爵以外の男の子を身篭ったのだ。

気付いた頃には妊娠六ヵ月————既に『処分』も叶わない時期だった。

高位貴族、しかも筆頭公爵家の夫人が夫以外の子を身篭るなど、『托卵』以外の何ものでもない。

それ故父はすぐに母と離縁し、生家であるアイヒェン侯爵家へと戻した。

こうして母は『アルバ公爵夫人』の座を失い、『アイヒェン侯爵令嬢』へと戻ったのである。

令嬢と呼べる年齢でもない母は再婚することも叶わず、今も『侯爵令嬢』のまま————。

そしてフェリクスの傍らに立つ『アイヒェン侯爵令嬢』こそ、その時に母が身篭っていた子————アマーリエ・フォン・アイヒェン侯爵令嬢だ。

母が侯爵家から籍を抜かれなかったことで、彼女も貴族籍を得ることは出来た。

しかし、あくまでも『侯爵令嬢の娘』に過ぎず、正式な『侯爵令嬢』かと問われれば————微妙な立場と言わざるを得ない。

「アイヒェン侯爵家とも、父が離縁した際に縁が切れておりますわ。ですので彼女がわたくしの『義妹』を名乗ることは、『家名詐称』に当たりましてよ?」

アンネリーゼは閉じたままの扇子を口元に添え、アッシュブルーの瞳を再び細めた。

「そ、そんな……私、そんなつもりは……ただお義姉様と親しくなりたくて…………」

「ですから、『お義姉様』と呼ぶのは止めて下さいと再三申し上げておりますわ」

アマーリエは庇護欲を誘うように身を縮こまらせ、眉尻を下げ、大きな瞳に涙を浮かべた。

「義姉と呼ぶのは止めて欲しい」と伝えているにも拘わらず、この場でもあえて口にしているのは——意図的なのだろう。

「……何故、君はそんなに冷たいんだ。家としての関係はなくとも、血の繋がりはあるのだぞ。『義姉』と呼ばせるくらい、許してやれば良いだろう」

不快そうに眉間に皺を寄せながら吐き捨てたフェリクスの言葉を聞き、アンネリーゼもまた、微かに表情を歪めた。

「……殿下。それは本気で仰っておりますの?」

「ああ、もちろんだ」

その瞬間————アンネリーゼは表情を全て消した。

静かに目を閉じ、再び開いた時——その瞳からも、一切の感情が消えていた。

それに気付いたフェリクスが一瞬怯み、息を呑む。

「最早、何も申し上げることはございませんわ。婚約破棄、承りました。後は家同士の話になりますので、わたくしはこれで失礼致します」

厳しい王太子妃教育で身に付けた完璧なカーテシーを披露すると、周囲の貴族子女たちから感嘆の溜め息が漏れた。

これ以上、無駄な会話に時間を費やすつもりはない————そう言わんばかりにドレスの裾を翻し、絹糸のようなラベンダー色の髪を靡かせてアンネリーゼはパーティー会場を後にした。

カツン、カツンとヒールの音を鳴らしながら、走らない程度の早歩きで馬車寄せへと到着すると、アルバ公爵家の家紋が刻まれた馬車へ侍女と共に乗り込んだ。

「急いで屋敷に戻ってちょうだい」

御者に端的に伝えると、馬車はすぐに動き出した。

「……お嬢様。随分とお早いお戻りですが、何かございましたか?」

問い掛けるタイミングを見計らっていたのだろう————専属侍女のエレンが静かに口を開いた。

「……フェリクス殿下に、婚約破棄を告げられたわ」

思いもよらない答えに、エレンは驚きで目を見開いた。

「それは……まさか、『あの方』が関係しておいでで?」

「……そうね。だから、お父様とお兄様に早く伝えなければならないわ」

暗闇の中、馬車の外を流れる景色をただ眺める。

通い慣れた学園までのこの道のりも、今日で最後だ。

本来であれば近いうちに王城にある王太子妃の私室へと移り住み、結婚式を挙げるはずだった。

その予定が、全て白紙となった。

「……王太子殿下は、どうなるでしょうか」

重い口調でエレンが問い掛ける。

しかしそれは、心配から来るものではない。

「……さあ。 騎士(ナイト) 気取りの方がどうなるかなんて、わたくしの知ったことではないわ。自分が選択した結果がどんなものであれ——それを受け入れるしかないのだから」

窓の外へ向いていた視線が、ゆっくりとエレンへと移る。

アッシュブルーのその瞳は、まるで凪いだ水面のように————静かだった。