軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

05.穏やかな午後、教師の言葉が風向きを変えた

扉を叩く音が遠ざかると、温室の中にまた静けさが戻った。

けれど、さっきまでの穏やかさとは少し違う。

──風の向きが、わずかに変わったような気がした。

「学園の教師……」

私は小さく呟き、リーヴを抱き上げた。

「二学期の課程について」と言っていたけれど、わざわざ公爵邸まで訪ねてくる理由があるとすれば──きっと、この子のことだろう。

リーヴは私の腕の中で、きょとんとした顔をしている。

まるで、自分が話題の中心だと察しているかのように。

胸元の光が、ふわりと優しく脈打った。

「リーヴも一緒に行きましょう。あなたのこと、聞かれるかもしれないもの」

グレンが机の上の書類をまとめながら、静かに頷く。

「記録の控えを持っていきましょう。成長経過の報告も、きっと求められます」

「ええ。念のために」

私はリーヴを抱き直した。

腕の中の小さな身体が温かく、息のような光が頬をかすめる。

その温もりが、妙に心を落ち着かせてくれる。

廊下を歩くあいだ、リーヴは私の肩に頬を寄せ、静かに目を閉じていた。

グレンはその横で書類の束を抱え、歩調を合わせてついてくる。

床に並ぶ三つの影が、窓から差す光にゆるやかに揺れていた。

──もし学園が、リーヴを正式に研究対象として引き取りたいと言ってきたら。

そんな考えが一瞬、胸をよぎる。

けれどすぐに打ち消した。

この子は課題の延長ではなく、私たちの手で育てると決めたのだから。

「……緊張していますか?」

隣を歩くグレンの声が柔らかく響いた。

「少しね。学園の教師が自ら訪ねてくるなんて、そうあることではないもの」

「大丈夫です。僕たちの記録には、何の不備もありません」

その言葉に、思わず微笑む。

そうね──彼が言うなら、きっと大丈夫。

応接室に入ると、教師は立ち上がって軽く一礼した。

白衣の襟元を指先で整え、少し汗を拭うしぐさ。

真夏の日差しの下を歩いてきたのだろう。

「お忙しいところ、突然の訪問をお許しください。カルディナート嬢、そしてベルマーくん」

「いえ。学園からの方を歓迎しない理由はありませんわ」

私はリーヴを膝の上に抱え、対面の椅子に腰を下ろした。

グレンも少し離れた席に座り、控えめに姿勢を正す。

「二学期の課程について、ご相談がありまして」

教師は書類を取り出し、卓上に整然と並べた。

その目には、いつもの柔らかさの奥に研究者らしい真剣さが宿っている。

「──例年、二年生は杖作成課程に進みます。もちろんカルディナート嬢やベルマーくんも対象です。杖作成過程についてはご存じですか?」

「ええ。自分の魔力に合う素材を選び、魔力を込めて育てていく授業ですわね」

私が答えると、教師は満足げに頷いた。

「その通りです。正式に魔術師として認められた者には、長杖の所持が許されますが、学園で行うのはあくまでその前段階──短杖の作成です。短杖は訓練用であり、魔力の制御を学ぶためのもの。とはいえ、完成すれば個人に固有の魔力特性が宿り、卒業後も基礎杖として使えるほどの精度を持ちます」

グレンが小さく頷いた。

「短杖でも、自分の魔力に馴染めば、術の発動効率がかなり上がると聞きました」

「ええ。ですから、全ての二年生にとって重要な課程なのです。杖の完成は、魔術師としての自立の第一歩ですからね」

教師は言葉を区切り、書類を少し指で叩いた。

「ただ──今回の課程には、新しい要素を加える予定です」

「新しい要素?」

「はい。今年は一年生との合同授業として実施します。本来、杖を作るには魔力量の安定が不可欠ですが……」

教師の視線が、ふと膝の上のリーヴへと移る。

柔らかな光を宿すその小さな体が、まるで聞き耳を立てるように小さく揺れた。

「──今回のシュプラウト育成で、私たちは一つの発見を得ました。ペアによる魔力循環が、未熟な魔力をも安定させるという事実です。君たちの観察と記録が、それを裏づけました」

「つまり、私たちの育成結果が、新しい授業の基盤になったということですのね」

「まさしく。ペアでの相互作用を応用すれば、一年生でも安全に杖を作成できる可能性があります。──そしてもうひとつ。君たちの観察記録用紙が非常に精密で、教師たちの間でも高く評価されました」

教師の視線が、静かにグレンへと移る。

「ベルマーくん。君の記録は、どの担当教員も驚嘆していました。魔力変動の数値化、感情反応の補足、時間経過の追跡──どれも緻密です」

教師は一枚の記録用紙を取り上げ、指先で軽く叩いた。

「これまでも杖作成課程は毎年行われてきました。しかし、過去の記録は杖の完成度をもとにした総括が中心で、経過を逐一残すものではなかったのです。つまり、どうして上手くいったのか、あるいはなぜ失敗したのか──その過程が曖昧なままでした」

グレンが静かに頷く。

「……確かに、僕たちの記録も最初はそうでした。でも、シュプラウト育成では、毎日数値を取らないと傾向が見えなくて……」

「ええ。その日々の記録こそが鍵なのです」

教師は微笑みながら続けた。

「今回、新たにペア要素を取り入れるにあたって、これまでの単独作成とは異なる要素──魔力の共鳴、情動の同調、魔力循環の同期率など──が発生します。そのため、従来の記録形式では対応できません」

そこでいったん言葉を区切り、教師はまっすぐグレンを見つめる。

「ペア育成を実際に行った君たちなら、どんな項目が必要かを実感しているはずです。 来期の標準記録用紙の雛形を、ぜひ君に作ってほしい」

グレンがわずかに息を呑む。

驚きと戸惑いが表情をかすめ、手の上で指先がわずかに動いた。

「僕に……ですか」

「ええ。観察者としての客観性と、記録の整合性。どちらも見事でした。ペア育成を経験した者でなければ気づけない点が多いでしょう。他の教師たちとも協議しましたが、異論はありませんでしたよ」

その言葉に、グレンの肩がわずかに震えた。

視線が机の上を彷徨い、握った指先に力がこもる。

──不安と、誇り。

その両方が入り交じった沈黙。

私は何も言わなかった。

ただ、彼が顔を上げたときに、静かに頷くだけ。

「あなたの答えを信じている」と、言葉ではなく目で伝える。

グレンは小さく息を整え、まっすぐ教師を見据えた。

「……はい。お受けいたします」

その声は震えていなかった。

教師は満足げに微笑み、記録用紙の束を整える。

「ありがとうございます。正式な依頼書は後日お届けします」

私はその横顔を見ながら、胸の奥が静かに温まるのを感じた。

グレンが自分の力を信じ、声に出して受けた。

──そのことが、何より嬉しかった。

けれど次の瞬間、教師の視線が再びリーヴへと向いた。

穏やかだった空気に、研究者特有の探るような光が差す。

「……それと、もうひとつ。君たちの育成で生まれたこの存在についても、少し相談がありまして」

私は腕の中のリーヴを抱き直した。

小さな体が、わずかに震えながらも光を宿している。

──次に告げられる言葉が、穏やかな午後の空気を変えていく予感がした。