軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

45. 謎めいた婚約者ができたらしい

『冷血将軍ロイドに、美しく謎めいた婚約者ができたらしい』

社交界にそんな噂が広まったのは、それから数日後のことだった。

茶会の席でも、夜会の廊下でも、令嬢達は扇の陰で声を潜め、こぞって噂を囁き合った。

「魔法国の高貴な令嬢だとか」

「舞踏会に一度だけ現れた、あの絶世の美女では?」

「まあ……! たった一夜で将軍様の心を射止めたの?」

謎めいた令嬢への羨望と、かすかな悔しさが入り混じる。

「近付いただけで、凍りつくような目で見られたのに」

「そう! 先月の夜会でも、お声がけしようとしたら一秒で視線を逸らされて……」

恐ろしい噂と、淡々とした冷たい声音。

女性など歯牙にもかけず、常に剣を振るっている。

そんな男が溺愛していると噂の令嬢に、皆が興味を隠せなかった。

「お披露目はいつかしら」

「早く拝顔したいわ」

セシリオ辺境伯家への縁談は、ロイドが知らなかっただけで、実は降るほど来ていた。

確かに噂は恐ろしいが、こと女性に関しては清廉潔白。

心配になるほどクリーンな男である。

一年前、酔ったふりをした令嬢が、夜会でロイドの腕にしなだれかかったことがある。

耳元に唇を寄せ、「休憩室までご案内いただけないかしら」と囁いたのだ。

するとロイドは令嬢の腕をそっと外し、すぐさま給仕へと引き渡したのである。

「飲み過ぎだ。時と場所を弁えろ。……すまないが、この令嬢を頼む」

それだけ言って、踵を返したという有名な逸話まである。

愛人を抱え、本妻をないがしろにする男が多い中、セシリオ辺境伯家の『恋愛結婚のすすめ』は、年頃の貴族令嬢にとって憧れでもあった。

「でも遠距離なのでしょう? それなら、まだチャンスがあるかもしれないわ」

「そうね、深窓のご令嬢のようだから。少し強めに言えば、泣いて引き下がるに違いないわ」

「今のうちに良い印象を残しておけば」

このように諦めの悪い令嬢もいる。

あからさまにアプローチする女性がいなかったから、まだ急がなくても大丈夫だろうと、すっかり安心していたのに。

なお国王からもお言葉を賜ったが、内容は実にそっけないものだった。

『魔法国との同盟の懸け橋になってくれた。今後、おおいに期待している』

それだけである。詳細は一切伏せられた。

なお幼女だったレティシアとの結婚は、王国を去った際に無効として解消されている。

レティシアが魔法帝だったことに泡を食って、事が露見する前に手を打ったのだ。

正式な婚約は、これから結び直すことになるだろう。

「ロイドに、魔法国へ行かれると困ったことになるんだが……」

その時に備え、国王は魔法国の魔法師団に応援を要請しようと、密かに計画しているらしい。

トルティア王国にもたらされる恩恵は多く、今では諸手を挙げて歓迎している。

そして事情を知らない王太子はといえば、あの美しい令嬢を妃として迎える日を夢見て、近頃めきめきと勉強に励んでいるらしかった。

なお、ロイドの愛が爆発した、かの魔獣大移動の現場に居合わせた騎士達は、婚約者レティシアの正体を知っている。

うっかり耳にしてしまった者は、例外なく青ざめた。

ある者は震え、ある者は泡を吹き、ある者は無言で床に崩れ落ちた。

国王が口外を禁じるまでもない。

語ろうにも、語れなかった。

「……頼むから、何も聞かないでくれ」

皆が口を揃えて、そう言ったと聞いている。

かくして謎は謎を呼び、冷血将軍の婚約者にまつわる噂は、尾ひれを付けながら社交界を駆け巡っていったのである――。

***

そしてその頃、セシリオ辺境伯家は久しぶりに明るい空気に包まれていた。

アリエッタは、すっかり元気になったロイドに料理長お勧めのワインを手渡し、先ほどから嬉しそうにその姿を眺めていた。

「あら、ロイド。別荘でレティちゃんと待ち合わせ?」

エルマもまた、にこにこしながら声をかける。

魔獣討伐から戻ったばかりではあるが、この後ロイドには楽しい旅行が待っている。

まるで荷物のようにクマのぬいぐるみを小脇に抱えながら、ロイドは無言で頷いた。

「まあまあ、仲睦まじいこと!」

エルマが両手を合わせて、嬉しそうに目を細める。

「魔法国の高貴な令嬢だったのでしょう? でもあんな生傷ができるなんて……魔法国は危ないところなのねえ」

「……今後は気をつけてもらう」

「一度結婚を解消して、婚約からやり直しっていうのも不思議な話だけど……呪いで子どもになっていたなんて、さぞ大変だったでしょうねえ」

ロイドは何も言わず、ただわずかに目を伏せた。

母親であっても、現時点では、レティシアが魔法帝であることを秘さねばならない。

いずれ言える機会が来るかは分からないが、いずれにせよレティシアにとって一番良い形で、話を進めていくつもりだ。

「今度こそ、ちゃんとお式を挙げてちょうだいね! 今から楽しみで仕方がないわ!」

「……善処する」

「もう、善処じゃなくて絶対にって言いなさい!」

エルマが顔を輝かせてはしゃぐのを、父フロストもまた、嬉しそうに眺めている。

なお国王許可のもと、フロストにだけはすべてを伝えてある。

居間の椅子に深く腰掛けたフロストは、それはもう今までで一番じゃないかと思うくらい驚いていた。

「詳しくは秘せられているが……しかし、あの子がなぁ」

しみじみと、噛み締めるように言う。

「父上、それ以上は」

「分かっておる、分かっておる」

セシリオ辺境伯家で唯一真実を知る男、フロストは、のんびりとした口調でそう告げた。

「……お前が選んだのなら、それでいい。お前の目は確かだ」

フロストは訳知り顔で、だが満足げに、深く頷く。

一週間ほど休暇を取ったからか、玄関先に使用人達が揃って見送りに出たきた。

「いつでもご来訪をお待ちしております、とレティ様にお伝えください」

「伝える」

アリエッタに短く返事する。

馬車が走り出し、使用人達はその背が見えなくなるまで、ずっと笑顔で見送った。

「……どうか、お幸せに」

そして誰よりもレティシアの幸せを願うアリエッタは、胸の前でそっと手を組み、そして小さく呟いのだ。