作品タイトル不明
41. 旅に出ます
ダイジェスト魔法の有用性は、証明された。
精度は申し分ない。音声も映像も鮮明で、遠距離でも安定している。
最初の報告書にあった通り、実用に耐えうることは最早疑いようがない。
……だというのに。
「なんてことだ、一向に検証が進まないではないか……」
最近では、執務の合間に水盤を覗くのが、レティシアの日課になっていた。
精度、安定性、連続使用による魔力消費量の変化……把握しておくべき項目は多い。
問題はただ一点、その依存性である。
今日も水盤に魔力を流し込むと、ゆらりと波紋が広がり、いつもの執務室が映し出された。
国境を接するトルティア王国の動向は、魔法帝として当然把握しておくべきことであり、それ以上でも、それ以下でもない。
「……」
その部屋に座る見慣れた男は、随分とやつれていた。
目の下に薄い影があり、あれほど几帳面だったにも拘わらず、机の上には無造作に書類が散らばっている。
アリエッタが持ってきたくれたのだろうか。
食事の皿が脇に置かれているが、今日もほとんど手をつけていない。
「あの馬鹿、また食べていないのか……」
苛立ったように舌打ちをして、レティシアは腕を組んだ。
騎士は身体が資本である。自己管理には余念がなく、いつもならば三食きっちり平らげていたはずだ。
ちゃんと食べろと、レティシアにもそう言っていたくせに。
元気ならそれでいいと思っていたのだが、これでは心配で仕事が捗らない。
レティシアは気を取り直して、水盤をぐるりとスライドさせた。
「……なんだ、これは」
森の奥から、トルティア王国の王都へ向かう塊がある。
最近、魔獣の出現頻度が随分と上がってたのは知っていた。
だが以前倒した四足獣よりも、遥かに大きい魔獣の大群が、王都へと向かっている。
あの規模は尋常ではない。十年に一度あるかないかの、大発生だ。
……まずい。
場面を戻し、セシリオ辺境伯邸をまた映し出すと、何か報告を受けたのだろうか。
ロイドが立ち上がり、険しい顔ですぐさま指示を出している。
「……間に合うか?」
兵を集めて迎撃態勢を整えなければならない。
魔獣の速度と、王都に至るまでの距離を考慮し、非戦闘員を避難させ――。
どう見ても間に合わない。
討伐隊に加え、トルティア王国軍が総動員されたとして、甚大な被害は免れない。
レティシアは立ち上がり、窓の外へと目を向けた。
王宮の地下室にあった魔法陣は、魔法国に帰る前に一度、起動した。
その構成はすべて頭に入っており、目を閉じれば瞬く間に再現できる。
軌道には多大な魔力が必要だが、魔法国には魔石を作る技術があるため、在庫は山のようにある。
強制起動し、魔力を魔石で代替すれば……。
考えるより先に、体が動いていた。
「ヴェリアル、来い」
呼んだ瞬間、水盤横の隅で影が動いた。
ぶさかわビジュアルの猫が、眠たそうな目をしながら、のそりと現れる。
ちらりと水面に視線を落とし、《凄まじいな……》と慄いている。
《お前が行くべき場面なのか? 懲りん奴だ》
「うるさい。来るか、来ないか。今回は選んでいい」
《……はぁ》
盛大に溜め息をつき、口元でぶつくさ文句を言っているが、レティシアを止める気はないようだ。
魔力の変化で幼女化してしまうため、子ども用と大人用。服を二着、袋にまとめる。
宝石箱に入った魔石を鷲づかみにして、防護布の袋にぶち込むと、じゃらりと音を立てた。
「後処理なども含めると、一日……大目に見て二日か……?」
レティシアがいなくなったとまた騒ぎ出してしそうなため、引き出しから紙を取り出す。
インク壺にペン先を浸し、さらさらとペンを走らせた。
すぐ見えるように、執務机の上に紙を置き、――それから一度だけ、部屋を見渡す。
「……行ってくる」
ヴェリアルを魔法陣に放り投げ、レティシアは誰に言うでもなく呟いた。
魔法陣が一段と強く光り輝き、足元が風で巻き上がる。
金の髪がふわりと揺れ、足元が浮き上がり――。
そして、光が弾けた。
コンコン、と執務室の扉がノックされる。
「レティシア様、本日の午後の会議ですが、出席者の確認を――」
執務室の扉を開けたディーンは、そこで言葉を止めた。
部屋の中に、人の気配がない。ヴェリアルの気配すらなかった。
「……レティシア様?」
きょろきょろと見回せば、机の上に一枚の紙が置かれている。
広げると、達筆な文字でこう書かれている。
『ちょっくら旅に出ます。二日で帰ります』
「は?」
『……探したら殺す』
ディーンは紙を持ったまま、しばらく動かなかった。
読み直した。もう一度読み直した。また、繰り返し読み直した。
内容は変わらなかった。
そして自分の見間違いでないことを確信するなり、ぷるぷると震える。
クロニクルが廊下を通りかかり、何事だろうとレティシアの執務室を覗き込んだ。
開け放たれた扉と、天を仰いで崩れ落ちるディーン。
「……またですか」
クロニクルは半目のまま、足早に執務室を通り過ぎた。