作品タイトル不明
35. ……それ怖いやつ?
重力に従って、ぼとりと柔らかな何かが落ちてくる。
「んん……?」
ふかふかの絨毯が頬に触れ、レティシアはのろのろと目を開けた。
見慣れた天井が目に飛び込んでくる。
棚にはお気に入りの魔法書が並び、ベッドサイドには儀礼用に使う、魔法用の杖が立てかけてある。
出発時同様、自分の寝室に落ちてきたようだ。
成功だ。古の魔法陣といえど、この私にかかれば書き換えるのは造作もない。
むくりと起き上がろうとして手をついた瞬間、レティシアは違和感に気が付いた。
桜貝のような小さな爪。ぷくぷくとした可愛い手。
起き上がってみると明らかに視線が低く、ベッドまでがやたら遠く見える。
「……ほう?」
横向けば隣に、生まれたてのようなモフモフの子猫が一匹、蹲っていた。
《レティシアアアァァアッ!!》
「……成程。この魔法陣を経由して魔力を大量に失うと、子供に戻る。私の仮説は正しかった」
《そういうことを言っているんじゃない! どうしてくれるんだこの……威厳もクソもない身体は!?》
「可愛いじゃないか。お前にも可愛い幼少期があったと知れて、満足だ」
《そんなことを言ってる場合か! なんで嬉しそうなんだお前は!?》
ぽっちゃりしたぶさねこは、どこにもいない。
かといってまさに神獣、といった見た目の、美しい獣もいない。
目の前にいるのは、幼女になったレティシアですら両の掌に乗せてしまえるくらいの、可愛い子猫。
ぷりぷりと怒っている。にゃーにゃ―鳴く声が幼くて、大変可愛らしい。
そういえば最後の一人はどうなった、と振り返ると、レティシア同様に三歳くらいの幼児が一人、絨毯の上に寝転がっていた。
くりくりの銀髪に、ぽかんと開いた口。
瞬きすら忘れ、放心している。
「何を遊んでるんだお前は」
「レティシア様、何てことしてくれたんですかァッ!?」
ディーンもまた幼児になっていた。
可愛いがヴェリアルほどじゃない。そして相変わらずうるさかった。
「ボクがこんな、こんなお子様に……ぐはっ、幼女のレティシア様、間近で見ると凄まじい破壊力ですね!?」
「……うるさい」
「うるさくもなりますよ! それにしても何でボクまで一緒に!?」
わあわあ騒ぐ幼児ディーンを尻目に、レティシアは立ち上がった。
ちいさな足で、ぺたぺたと床を踏みしめる。
子猫ヴェリアルが起き上がり、レティシアの足元に擦り寄ってきた。
その丸い頭を、ちいさな手で撫でてやる。
「よし、大発見だ」
短い腕を組み、レティシアは得意げに独り言ちる。
「この魔法陣を行き来すれば、魔力次第でどうとでも若返ることができる。不老不死を望む大陸の王達が、こぞって頭を下げに来るぞ!」
「なんで商売始める気になってるんですか……」
ディーンのツッコミを無視すると、レティシアはベッドによじ登り、勢いよく枕を引き寄せた。
「眠い」
「は? レティシア様、まだ眠る時間じゃないですよ!?」
「疲れた。……だがベッドが広すぎるな。ディーン、一緒に寝るか?」
「――ッ、……ッ……!?」
眠りたいなら好きにしろと告げ、ふわぁとまた欠伸をして、レティシアは枕に顔を埋める。
数秒もしないうちに、すぅすぅと可愛らしい寝息が聞こえてきた。
「お子さまになったのは不本意だが、あのレティシア様が、ボクのすぐ目の前で……」
幼児ディーンはひとしきり動揺した後、しばらくその寝顔を見つめていた。
抗えない幼女の姿で、無防備に眠っている。しかも添い寝のお誘いまでしてくれた。
「い、いいんですか……? そういうことでしたら、遠慮なく――」
頑張って生きてて良かった!
ドキドキしながらベッドに歩み寄るディーンを、汚物を見るがごとくヴェリアルが見つめている。
「まさか齢二十七にして、こんな特大のご褒美が待ち受けているとは……」
《おい、ディーン。あとで後悔するぞ?》
「ボクは見ました。魔力の奔流の中で、レティシア様が手を伸ばしてきた瞬間を。あれはきっと。あれはきっと、そういうことです。レティシア様なりの、精一杯の――」
顔が赤い。「幼児なのになんと醜悪な……」と、ヴェリアルがびっくり眼で見ている。
「もしかしたら、もう二度とないかもしれないチャンス。ここで退いたら一生後悔する。誰に何と言われようと、ボクは本懐を遂げる……!」
許可は貰った。
一緒に寝ようと最初に誘ったのは、レティシアのほうだ。
「レティシア様を愛しているとやっと気付けたんだ。出会った瞬間から恋に落ちていたのかもしれない。ずっとお伝え出来なかったが、レティシア様の隣に立つのはボクだ」
そこはかとなくヤンデレ臭を漂わせながら、ディーンはうっそりと微笑んだ。
「だがまぁ、そういう話は後でゆっくりすればいい。今はとにかく、このチャンスを掴むのが先だ」
《吾輩、聖獣だが、そういう話はむしろ最初にしなきゃダメなんじゃないか?》
もはや忠告など聞こえていない。
ディーンは意を決し、そっと布団の端を持ち上げた。
そしてついに、レティシアの真横にするりと身体を横たえようとした、――その瞬間。
バァン! と勢いよく扉が開いた。
「レティシア様!? レティシア様の魔力を感知して――」
寝室に飛び込んできたクロニクル。
師団長不在の今、魔法帝レティシアに何かあっては一大事と、一番に駆け付けた彼はそこで固まった。
視線の先、ベッドの上で眠るレティシア。
息を呑むほど可愛い天使がそこにいる。
脇にはふわふわの子猫がにゃあにゃあと、これまた可愛い鳴き声を上げており、もうそれだけでここは天国なんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。
そしてその布団を今まさに、銀髪の幼児が持ち上げ、中へ滑り込もうとしていた。
「…………師団長?」
「違います」
魔法師団の同期。
そして青春をともに過ごし、二十七歳まで切磋琢磨して過ごしてきた、魔法国が誇る二人の魔法師。
かたや魔法帝を心底案じ、飛び込んできた忠義の副団長。
かたや幼児なのをいいことに、魔法帝のベッドに忍び込もうとした師団長。
ともに独身、彼女なし。そんな二人の目が合った。
「ちゃんと許可は……許可は得ている」
「レティシア様が寝てらっしゃるというのに、一体誰に許可を?」
「い、一緒に寝るかって誘われたんだ! レティシア様ご自身から! だからボクは」
「…………師団長」
「な、なんだ」
「今すぐそこを離れてください」
「……!?」
地を這うようなクロニクルの声。
この非常事態に散々迷惑をかけられてきたことを、彼は決して忘れない。
「離れてください」
「……ッ」
穏やかなクロニクルが、見たこともないほど怒りのオーラを発していることに気付き、幼児ディーンはじりじりと後退する。
クロニクルは何も言わず、無表情のまま見届けた。
それから深く、深く息を吸ってベッドに近づき、乱れた布団を静かに整える。
疲労困憊で眠り続けるレティシアの寝顔に視線を向け、目を伏せた。
「……レティシア様、ご無事で何よりです」
それだけ言ってクロニクルはディーンの首根っこを掴み、部屋の外へと引きずり出した。
「痛い痛い痛い! クロニクル、ボクは何も……!」
「後でゆっくり話を聞かせていただきます」
「……それ怖いやつ?」
扉が、静かに閉まった。