作品タイトル不明
最終話 継承される秘密
白亜の城館を包む春の陽光は、どこまでも優しく、そして残酷なほどにすべてを等しく照らし出していた。
ロイド侯爵家の薔薇が咲き誇る美しい中庭。その一角にあるガゼボで、十五歳になった次期侯爵リチャードは、一人でチェスボードに向き合っていた。白と黒の駒が整然と並ぶ盤上を、彼は冷徹な黒い瞳で見つめ、一切の迷いなく白のナイトを進める。
「実に見事な一手だ、リチャード」
背後からかけられた低く掠れた声に、リチャードは驚くこともなく、完璧な所作で振り返った。
そこに立っていたのは、ラヴァル伯爵家当主であり、このロイド侯爵家の筆頭相談役でもあるオリビエ・ラヴァルだった。仕立ての良い漆黒の上着をまとい、その顔立ちには、目の前の少年と酷似した、キリリと引き締まった傲慢なまでの気品が漂っている。
「叔父上。いつからそこに?」
「お前がナイトを動かす少し前からだよ。あまりにも美しい集中力だったものでね、声をかけるのが躊躇われた」
オリビエは歩み寄り、リチャードの対面に腰掛けた。そして、長い指先で黒のキングをそっと撫でる。その黒い瞳には、周囲の貴族たちが「親族としての親愛」と見紛うほどの、過剰で、どこか狂信的とも言えるほどの熱い愛情が宿っていた。
「リチャード、お前は私の誇りだ。ラヴァル伯爵家にとっても、そしてこのロイド侯爵家にとっても、お前以上の至宝は存在しない。お前が望むなら、私はこの身に代えても、あらゆる敵を排除し、必要なものすべてをその手に入らせてみせよう」
それは、通常の「叔父と甥」の距離感を遥かに超越した、歪んだ執着の告白だった。かつて実の弟であるウィリアムから、その男としての尊厳、妻、地位、そして我が子だと思い込んでいた存在のすべてを合法的に掠め取った男の、これが本性であった。
だが、十五歳の後継者は、その過剰な愛情に怯えることも、戸惑うこともなかった。
リチャードはゆっくりと黒い瞳を上げ、目の前にいる、自分と驚くほどよく似た顔立ちの男を見つめた。その唇が、パトリシア譲りの気高い、けれどどこか昏い三日月を刻む。
「……知っていますよ、叔父上」
「何をかな?」
リチャードは白のクイーンを指先で弄びながら、静かに、けれど明確に言葉を紡いだ。
「僕が幼い頃、あの離れにいた浅はかな男、ウィリアム。彼は僕の髪の色も、瞳の色も、この思考の癖も、何一つとして持っていなかった。前侯爵夫妻も、家臣たちも、誰もが口を閉ざしていますが、私は愚かではありません」
リチャードは、オリビエの前に白のクイーンをカチャリと置いた。
「私の本当の父上は、叔父上《オリビエ伯爵》。貴方ですね?」
その瞬間、ガゼボを包む春の空気が、ピりりと張り詰めた。
すべての真相。かつて愛が死んだ夜にパトリシアとオリビエが交わした背徳の契約、そしてクズ夫への完璧なる「托卵復讐」の果てに生まれたという自身の出生の秘密を、少年は完全に理解し、肯定していたのだ。
オリビエの黒い瞳が、歓喜と驚愕、そして我が子の恐ろしいまでの聡明さに対する狂おしいほどの愛おしさで爛々と輝いた。
「……ふはっ、ははは……! ああ、そうだ。その通りだよ、リチャード。お前は私の血、私の最高傑作だ。あの愚者がパトリシア様を汚したから、私がそのすべてを浄化し、お前という本物の光をその腹に宿したのだ」
オリビエはテーブルを挟んでリチャードの小さな手を強く握り締めた。その手から伝わる体温は異常なほどに熱い。
「お前がそれを望むなら、私は生涯、お前の『良き叔父』という仮面を被り続けよう。お前がロイド侯爵家という世界の頂点に君臨するための、完璧な影となって支えよう。私の愛しい息子よ」
「ええ、お願いします、父上。私たちは、このままでいい」
リチャードは静かに微笑み、オリビエの手を握り返した。
罪の意識など、この少年の胸にはひとかけらも存在しなかった。彼は、母パトリシアが命懸けで築き上げた「完璧なる楽園」を守るためなら、この美しい背徳の秘密さえも、冷徹に継承していく覚悟を完了していた。
ガゼボから少し離れた、色とりどりの薔薇が咲き乱れるテラス。
パトリシアは、最高級の磁器に注がれたハーブティーを静かに口に運んでいた。
彼女の緑の瞳は、ガゼボの中で親密に、けれどどこか異様な空気で語らう「二人の男」をじっと見つめていた。
リチャードの口から、何が語られたのか。
オリビエが我が子に、どのような狂信的な愛を誓ったのか。
距離の離れたパトリシアには、その会話のすべてまでは聞こえない。けれど、彼女にはすべてが分かっていた。自分の産んだリチャードが、どれほど冷徹で、どれほど完璧な「ロイド侯爵家の後継者」として育ったかを。
(いいのよ、リチャード。貴方がすべてを知り、それを受け入れるというのなら、私は何も言わないわ)
パトリシアはそっとカップをソーサーに戻した。その僅かな磁器の音が、春の庭園に心地よく響く。
かつて、十年愛した夫に裏切られ、すべてを呪ったあの日。私は自らの意志で悪魔と手を組み、実兄の種を宿すという最悪の背徳を選んだ。
あの婿養子と愛人は、今頃、北の最果ての極貧の地で、互いを呪い合いながら泥水をすすっていることだろう。彼らが選んだ「流されるだけの怠惰」の代償は、生涯をかけて支払われ続ける。
そして、私が選んだ「気高き背徳」の代償は、今、目の前で完璧な世代交代として、我が子へと受け継がれた。
「奥様、お代わりはいかがですか?」
傍らに控える老執事が、恭しく声をかける。
「ええ、いただくわ。今日の紅茶は、とても美味しいわ」
パトリシアはうららかな春の陽光を浴びながら、三日月のような美しい微笑みを浮かべた。
誰に後ろ指を指されようとも、この光に満ちた繁栄の景色こそが、彼女が掴み取った本物の勝利だった。
秘密は美しく継承され、綻びのない仮面の下で、ロイド侯爵家の新たなる黄金期が、今、永遠の幕を開けるのだった。
ハッピーエンド