作品タイトル不明
第2話 初対面のツンと、背比べ
ゴードン伯爵家との間で新たな婚約が交わされてから数日後。私の前に現れたのは、これからの不透明な人生を共に歩むことになった、あまりにも瑞々しい『新しい婚約者』の姿だった。
「初めまして、アナベル・ロイド嬢。ミッシェル・ゴードンです」
応接室に足を踏み入れ、貴族の作法に則って慇懃に一礼した少年を見て、私は胸の奥でわずかに息を呑んだ。ヘンリー様の弟君として知ってはいたけれど、実際に正面から対峙すると、本当に胸が締めつけられるほど綺麗な顔立ちの男の子なのだろう。
ミッシェル様は今年、学園の一年生になったばかりの、まだ十五歳の少年だ。絹のように柔らかなプラチナブロンドの髪は陽の光を浴びて淡く輝き、その奥にある瞳は、まるで冷たい湖の底をそのまま映し出したかのように澄んだ青色をしている。まだ男らしさというよりは中性的な美しさが勝るその佇まいは、まるで古い絵画からそのまま抜け出してきたかのような、童顔の美少年そのものだった。
彼が私の正面へと歩み寄り、すっと背筋を伸ばしたその瞬間、私は奇妙な圧迫感、あるいは得体の知れない違和感を覚えることになった。
視線が、ほぼ同じ。いえ、もしかしたら私のほうが少し高いかもしれない。
私は女性としてはかなり背が高く、すらりとした長身が特徴だ。社交界ではスタイルが良いと大人の男性たちから褒められることもあるけれど、それはあくまで、成人した騎士や見栄えのする夜会の紳士の隣に並んでこそ映えるもの。対するミッシェル様は、まだ成長期の真っ只中にいる十五歳だ。細身で華奢な彼の体躯は、こうして並んで立つと、私の大人びすぎた体型を嫌でも際立たせてしまう。
はっきりと自覚させられるのは、三歳という厚い年齢の壁だった。私がもう、とっくに社交界の海に放り出された『大人の女性』であるのに対し、目の前の彼は、まだ守られるべき『少年』なのだ。
「ミッシェル様。お久しぶりですわ。このような形でお会いすることになるとは、思いもしませんでしたけれど」
私は努めて穏やかに、これまでの『婚約者の弟君』に接していた時と同じような、包み込むような優しい微笑みを浮かべた。
ロイド侯爵家とゴードン伯爵家は定期的なお茶会を開いており、彼とは顔を合わせれば会釈を交わす程度の面識はあった。これまでは、いつも奔放なヘンリー様の後ろに隠れるようにしていた、物静かで綺麗な男の子。それが私のミッシェル様に対するささやかな印象だった。
けれど、立場は最悪な形で変わってしまったのだ。兄の不始末のせいで、突然行き遅れ寸前の年上女を婚約者として押し付けられた。彼だって理不尽な大人たちの都合に振り回された被害者であり、戸惑っているに違いない。そう思ったからこその、年上としての、そして侯爵令嬢としての精一杯の大人の対応のつもりだった。
しかし、私の気遣いは空回りする。ミッシェル様は私の作った笑みを見た瞬間、あからさまに不機嫌そうに、形の良い眉を不満げにひそめた。その澄んだ青い瞳が、鋭い険しさを帯びて私を真っ向から睨みつけてくる。
「随分と余裕な態度ですね。以前のように、僕のことをただの『弟』だと思っているのでしたら、見くびらないでいただきたい」
低くなりきっていない、少年特有の少し高い声が、刺々しく静まり返った応接室に響いた。
「え……?」
「ヘンリー兄上なら二十一歳で、体格も大人でした。それに比べて、僕はまだ学園の一年生ですし、背だってあなたと大して変わらない。僕のような子供が相手で、内心は不満ですか」
その態度はあまりにも攻撃的で、私は予想外の言葉に完全に気圧され、思わず言葉を詰まらせてしまった。歓迎されていないだろうとは覚悟していたけれど、初対面の最初からこれほどまでの嫌悪感を剥き出しにされるなんて、思いもしなかったのだ。
胸の奥が、ずきりと音を立てて痛む。ヘンリー様に裏切られたばかりの傷が、まだ完全に癒えていないわけではない。ただ、新しい婚約者に会った瞬間に「不満なのか」と理不尽に詰め寄られた事実に、これからの人生の目の前が真っ暗になるような感覚を覚えたのだ。
これから長い時間を共にする相手が、最初から自分にこんな敵意を抱いている。そう思っただけで、先行きが暗すぎて、目の前に深い霧が立ち込めたような憂鬱さに襲われる。私だって、好んで十五歳の男の子を婚約者にしたわけではないわ、と言い返してしまいたかった。
けれど、スカートの生地をきゅっと握りしめて、私はその感情を喉の奥へと飲み込んだ。ふと彼の綺麗な顔をよく見ると、耳の裏がほんのりと朱に染まっている。私を真っ直ぐに睨みつける瞳も、どこか必死で、泳いでいるように見えた。
(ああ、そうか。この子も、必死なのね)
突然、家格の高い侯爵家の令嬢をあてがわれたのだ。しかも自分より背が高くて、すでに社交界を知っている大人びた女。十五歳の少年としての歪なプライドが、彼を過剰に警戒させ、虚勢を張らせているに違いない。年上の私に気後れして舐められないよう、必死に『男』として大きく見せようとして、言葉がトゲだらけになってしまっているのだと気づくと、愛おしさと切なさが同時に込み上げた。
「いいえ、ミッシェル様。不満など、これっぽっちもございませんわ」
私は深く息を吐き出し、もう一度、今度はさらに柔らかく、彼の頑なな心をほぐすような微笑みを浮かべた。
「ミッシェル様はとても聡明で、才もあると伺っております。ゴードン伯爵家の新たな嫡男として、これほど相応しい方はおいでになりません。私こそ、まだ至らない身ですが、あなたを支えられるよう努力いたしますね」
「っ……!」
私の大人の余裕を崩さない対応に、ミッシェル様は言葉を失ったように丸い目を見開いた。何かを言い返そうと形の良い唇をモゴモゴと動かしたが、やがて気まずそうにぷいっと横を向いて、ふんと鼻を鳴らす。
「口先だけなら、なんとでも言えます。僕は、子供扱いされるのが一番嫌いなんです。これ以上、僕を怒らせないでください」
どこまでも素直じゃない、ツンとした態度。冷たく突き放された私を見て、傍らに控えていた私の侍女が、可哀想に、と言いたげな痛ましい視線を送ってくるのが視界の端に映った。
確かに、前途多難。大変な日々が始まるのは間違いない。明日からの社交界では、年下の少年を捕まえた行き遅れのおばさんだと笑われ、家の中では、この気難しい年下の美少年に気を遣い続けるのだ。私の心は、これからどれほど削られることになるのだろう。
(でも、まだ十五歳ですものね。仕方ないわ)
私が我慢すればいい。私が一歩引いて、大人の余裕を持って彼に接し続ければ、いずれは彼も私のことを認め、心を開いてくれるはず。理不尽な言葉をぶつけられても、健気に耐えてみせる。それが、年上の婚約者としての私の、最初の義務なのだから。
「お茶が冷めてしまいますわ。ミッシェル様、お掛けになって?」
「言われなくても、座ります」
ガタゴトと乱暴に椅子を引いて座る少年の姿を、私はただ、切なさを孕んだ瞳で見つめることしかできなかった。