軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 生涯の恋の始まり

王都の社交界を大きく揺るがした、ゴードン伯爵家の「再婚約」を巡る騒動から数年。

かつてすれ違い、互いに傷つけ合っていた私たちの間には、もう冷たい溝も、見えない壁も存在しなくなっていた。

「アナベル。またそんなところで、本を読んでいるんですか」

陽光が優しく降り注ぐ伯爵邸のサンルーム。

声をかけてきた主の手によって、私が開いていた領地経営の報告書がそっと閉じられる。

見上げた先にいたのは、私の最愛の夫であり、ゴードン伯爵家の現当主となったミッシェルだ。

彼は十九歳になり、その容姿はかつての「可愛い美少年」の面影を残しながらも、誰もが羨むほどに麗しく、逞しい大人の男性へと完全に変貌を遂げていた。

仕立ての良い上着に包まれた広い肩幅、シャープに引き締まった顎のライン。そして何より、私を包み込むその青い瞳には、揺るぎない自信と深い愛情が満ちている。

「だって、今回の国境付近の開墾事業のデータ、とても興味深かったのですもの。邪魔をしないで、ミッシェル」

「邪魔、ではありません。……僕を無視して書類ばかり見ている妻への、正当な抗議です」

ミッシェルはふっと唇を尖らせた。

時折見せるこの拗ねたような仕草は、かつての「ツンとした少年」の名残のようで、私の胸を酷く愛おしく、くすぐったい気持ちにさせる。

けれど、今の彼は、昔のように理不尽に私を突き放したりはしない。

「こうしていれば、大人しく僕を見るでしょう?」

ミッシェルは私の隣に腰を下ろすと、その長い腕で私の腰をぐっと引き寄せ、大きな胸の中にすっぽりと閉じ込めた。

彼の熱い体温と、心地よい柑橘系の香りが私を包み込む。

かつて私をあれほど苦しめていた「三歳という年齢差」のコンプレックスは、彼の腕の中にいると、嘘のように綺麗に溶け去っていく。

私がどれだけ「可愛げのない年上」だと自嘲しても、彼はその三倍の速さで大人になり、私の隣どころか、私を優しく見下ろす高さまで駆け上がってきてくれた。

愛の前には、年齢の数字など何の意味も持たなかったのだ。

「……ミッシェル、本当に大きくなったわね。昔はあんなにパステルピンクのドレスが変だなんて言って、私を泣かせたくせに」

「う……っ、それはもう、一生言わないでください……。あの時は、本当にあなたが可愛すぎて、僕の心臓が保たなかっただけなんです。思い出すだけで、今でも死にたくなる……」

ミッシェルは真っ赤になって私の肩口に顔を埋めた。耳たぶまで真っ赤に染まっている彼があまりにも愛らしくて、私は声を立てて笑ってしまう。

照れ隠しに私の身体をさらにぎゅっと強く抱きしめてくれる彼の腕は、頼もしく、どこまでも優しかった。

私たちの関係がこうして真の幸福を迎えた一方で、遠く離れた領地の最果てからも、一枚の書簡が届いていた。

国境近くの領地へと実質の左遷となった、元嫡男のヘンリー様。

彼は今、その地で代官として、本来持っていたはずの「優秀さ」を遺憾なく発揮し、領政に励んでいるという。

かつて王都で完璧な後継者教育を受けながらも、一度は平民に紛れて泥水をすするような困窮生活を経験したヘンリー様。その過酷な経験が、皮肉にも彼を「本当の意味で優れた民の指導者」へと成長させていた。

明日食べるパンにも困る人々の痛みを知り、理不尽な税に苦しむ市井の目線に立てるようになった彼は、領民の生活に寄り添った画期的な制度改正を次々と行い、最果ての地を急速に豊かな土地へと変えつつあった。

『我が子と、マリアと共に、この地を耕し、守っていく。これこそが私の果たすべき真の義務だったのだと、ようやく理解できた』

書簡に綴られたヘンリー様の文字には、かつての卑屈な哀れさはなく、確固たる誇りを取り戻した男の力強さがあった。

そして、その隣に立つマリアの心にも、静かな変化が訪れていた。

生活が困窮した際、ヘンリーの惨めな姿に一度は完全に幻滅し、愛情を失いかけていた彼女だったが、安全で平穏な暮らしが保障され、我が子が健やかに育っていく中で、冷え切っていた胸の奥に再び微かな温もりが灯り始めていた。

泥水をすすりながら喚いていた情けない男ではなく、自分の知識と経験を総動員して、愛する家族と領民のために必死に机に向かうヘンリーの横顔。

それを見つめるマリアの瞳には、かつてのような盲目的な「純粋な少女の恋」ではないけれど、一人の男の弱さも強さもすべて受け入れた、大人の女性としての深い情愛が戻りつつあった。

何も口にはしない。けれど、背負った傷を分け合いながら、二人はもう一度、不器用な愛をゆっくりと育て直しているようだった。

「……兄上も、ようやく自分の『守るべきもの』が見つかったようですね」

私の手元にある書簡を覗き込み、ミッシェルが静かに呟いた。その声に、かつての兄への激しい怒りや軽蔑はもうない。当主としての、そして一人の男としての、大らかな余裕がそこにはあった。

「ええ。皆様、それぞれの場所で、幸せに向かって歩き出しているわ」

「僕たちの幸せは、まだまだこれからですよ。……いえ、僕があなたを、世界で一番幸せにします」

ミッシェルが私の顎を細い指先でそっと掬い上げた。

見つめ合う視線が交差し、彼の青い瞳に、私だけの姿がありありと映り込む。

もう、すれ違うだけのじれったい日々は終わったのだ。

これからは、この温かい腕の中で、生涯をかけて愛され、溺愛される日々が始まる。

「愛しています、アナベル。僕の、生涯唯一の人」

甘く、少しだけ掠れた低音の囁きと共に、ゆっくりと顔が近づいてくる。

窓から差し込むパステルピンクの夕暮れの光に包まれながら、私たちは静かに唇を重ね合わせた。

それは、長すぎたすれ違いの終わりを告げる、そして私たちの真実の恋の幕開けを祝う、極上に甘い誓いのキスだった。